けものフレンズが最終回の放映を無事終了した。ので、書く。
スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。
低予算であるのにも関わらず完成度が高いこの作品は数あるアニメ作品の中でも一つのメルクマールになった。
現在たつきさんだけが何か誉められているような気がするが、たつきさんは勿論のこと、その他の様々に関わったスタッフの努力があってこその完成だったのだろう。ここに賛辞を送りたい(上から目線)。
特にエンディングであるが、8枚の絵の内、6枚が静止画、2枚が動画の構成になっており、実際に現地で撮影したか、あるいは静止画を動画風に加工したかのどちらかになる。
この「ぼくのフレンド」の歌詞もメロディーも非常にいい。
多分欧米的には、音の高低が激しい、アジア的な曲だと言う風に聞こえると思うが、日本人が良いと思ったならばそれでいい。
神話からヴィンテージ映画、人類史から自然生態系、知恵の発見と人間とは何かの確認まで、何から何までをも盛り込んだこの作品は、様々な方向へ示唆の富む作品となった。
わずかな製作費用と500日という厖大な時間がこの作品を生み出したのは、作った方々の情熱と誠意があったからこそだろう。
ただ、人間とは完全ではないように、やはりこの作品にも完全でない部分が存在する。
99点の作品にもマイナスの一点がある。
それを言ったところでこれ以上の作品は作れないくらいに製作者サイドは頑張ったので、コメントしたところで意味は無いが、やはり一応書かせていただきたい(すんごい顰蹙だろうけれども)。
1.最終回が予定調和すぎること。
けものが集まって単純攻撃をする、というのは予想できすぎた。
2.テーマが最終回まで通観していないこと。
対象年齢が8歳であれば仕方のないことでもあるが、これは人間の根幹とは何か、というテーマを最終回まで行うべきだったと思う。知性と道具を使い、身勝手に自然を破壊したけれども、しかし自然への愛もあるんだ、という、相反する二重の習性を持つ不思議な動物、という具合に。
3.かばんの死と再生が単調すぎること。
もうちょっとドラスティックな感じで・・・
4.サーバルが泣いていた意味の伏線が回収されていないこと
尚、クソミソに言われているCGであるが、私はこれは良かったように思う。
確かに歩くシーンで地面と歩調があっていない場面も多々あったが、これはこれで仕方の無いことだろう。
という訳で私がもう一つの最終回を書くなら、という形で書いてみた(11話のエンディングからの継続)。
<
(OPとEDは固定時間での放映はなし。最初から本編映像が始まる。)
皆の協力によって救出されたかばん(OP曲は無し)。
かばんが立てた作戦どおり、巨大なセルリアンは海の中へ沈む。
球体となったカバンは元に戻らない。一体どうすればいい?
アニマルガールズ達「どうしよう、ここから元に戻らないなんて・・・」
アニマルガールズ達「どうしても元に戻したいであります! 」
アニマルガールズ達「戻したいには戻したい、でもこうなってしまった以上はもう・・・」
アニマルガールズ達「一体どうすれば・・・」
アニマルガールズ達「ヒトであるかばんさんがいれば・・・」
アニマルガールズ達「僕たちヒトじゃないから諦めるしかないの・・・? 」
アニマルガールズ達「・・・」
サーバル「そんなことは無いよ! 」
アニマルガールズ達「!」
サーバル「かばんちゃんはいつだって、諦めずに考えてきたじゃない! それを今度は私たちがやる番なんだよ! 」
アニマルガールズ達「!!!」
サーバル「博士! 」
アフリカオオコノハズク「! 」
サーバル「どうすれば、かばんちゃんを元に戻せるか、何か知ってる? 」
アフリカオオコノハズク「セルリアンに食べられた、ということは、サンドスターの影響力が無くなって、記憶と思考、そして外郭が無くなった状態なのです。」
マーゲイ「それじゃ、戻らないの? 」
ワシミミズク「ここに帽子があるのです。この帽子についている赤と青の羽は、それぞれフギンとムニンと言って、記憶と思考が生体と連動しているのです。」
イワトビペンギン「じゃあそれがあれば元に戻せるのか? 」
アフリカオオコノハズク「これだけではダメなのです。空中を通過して化学変化をしたサンドスターが、「帽子と球体になったカバン」、これら二つに当たらないと・・・」
ワシミミズク「今は大量に山から放出されていて、空気中を通ったサンドスターが生物に当たってフレンズになるのです。既にフレンズになった我々はサンドスターを直接触れないのです・・・」
ワシミミズク「元々今までに誕生してきたフレンズは、そうした奇跡が何重にも重なって偶然生まれて来た産物なのです」
アフリカオオコノハズク「だから意図する者を蘇らせるには、理論的には可能だけれども、しかし更に奇跡が必要なのです。奇跡という奇跡をギュッと詰めなければできない・・・不可能に近いのです。」
サーバル「!」
サーバル「なら簡単じゃない! みんなの出来ることを集めるんだよ! 」
アフリカオオコノハズク「? 」
サーバル「サンドスターを直接触らないで、空中経由でかばんちゃんと帽子に当てればいいんでしょ? 」
サーバル「アメリカビーバー! 何とかならない? 」
アメリカビーバー「うーん、投石器っすかね。量があればなんとかなるっすかね。模型で言うとこんな感じっすかね? 」
オグロプレーリードッグ「というと実物を作るとこんな感じでありますか? 」
サーバル「作るのはやっ! 」
サーバル「でもこれを山頂に運ぶには、人手と機械が必要になってくる・・・」
PPP「まかせて! 」
サーバル「!」
PPP「フレンズを集めて説得するのは私たちがやるから! 」
サーバル「ありがとう! みんな! 」
こうしてカバンを元に戻すプロジェクトが始まった。
(ここでED曲イントロ)
<プロジェクトにとりかかる一同>
「合縁奇縁 一期一会」
<プロジェクトを進める一同>
「袖すり合うも多生の縁」
<様々な仲間が集まって一つの事業にとりかかる>
「この世の奇跡ギュッとつめて」
<設計と実装、指揮と研究>
「君と出会えたんだ」
<球体となったかばんと帽子>
「青い春いつか幕を閉じ」
<1~2話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
「桜と共に舞い散っても」
<3~4話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
「必ず僕らまたどこかで」
<5~6話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
「出会いを果たすだろう」
<7~8話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
重機でサンドスターを投石器に載せるシーン。
「かけがえない」
サーバル「じゃあ行くよ! 」
アメリカビーバー「いつでも大丈夫っす! 」
ライオン「OK! 」
「僕と似た君へ」
綱を切るライオン、ヘラジカ、熊。
動く投石器と共に、宙に孤を描くサンド・スター
「1人で転んで傷だらけになったときは」
アニマルガールズ達「行けえーーー!!! 」
「いつでもどこまでも走るよ」
<球体になったカバンと帽子に当たる>
<再生するカバンとそれを見守るアニマルガールズ達>
↓の構図(カバン視点)

「たまには喧嘩して怒ろう」
サーバル「どうしてあんな無茶したの! 」
「泣き顔見たら慰めよう」
かばん「私はもう大丈夫だから泣かなくていいよ。」
「とびきりの長いお説教は短めにして」
ジャガー「無事戻ったことだしな」
「綺麗なものを探しに行こう」
サーバル「そう、かばんちゃんともっと色んなところに行きたいんだよ! 」
「美味しいものもたくさん食べよう」
アニマルガールズ達「料理というのも食べてみたいでありますしね! 」
「つまりはこれからもどうかよろしくね」
<かばんとサーバルを中心に同心円で集合した図>
最終回、フレンズ達は、かばん(つまりヒト)無しで知的営為を成し遂げた。
リーダーはサーバル、研究開発は博士と助手、設計はビーバー、製作はプレーリードッグ、人手の収集はPPP、マネジメントはマーゲイ、力仕事はライオン、カバ、ジャガー、オーロックス、アラビアオリックス、ヘラジカ、人員輸送はトキとショウジョウトキ、噴火予測はツチノコ、噴煙防御はオオアルマジロとシロサイなどなど・・・
社会と世界とは、多数の協力が集合して織り成せる物語なのだ。
>
スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。
低予算であるのにも関わらず完成度が高いこの作品は数あるアニメ作品の中でも一つのメルクマールになった。
現在たつきさんだけが何か誉められているような気がするが、たつきさんは勿論のこと、その他の様々に関わったスタッフの努力があってこその完成だったのだろう。ここに賛辞を送りたい(上から目線)。
特にエンディングであるが、8枚の絵の内、6枚が静止画、2枚が動画の構成になっており、実際に現地で撮影したか、あるいは静止画を動画風に加工したかのどちらかになる。
この「ぼくのフレンド」の歌詞もメロディーも非常にいい。
多分欧米的には、音の高低が激しい、アジア的な曲だと言う風に聞こえると思うが、日本人が良いと思ったならばそれでいい。
神話からヴィンテージ映画、人類史から自然生態系、知恵の発見と人間とは何かの確認まで、何から何までをも盛り込んだこの作品は、様々な方向へ示唆の富む作品となった。
わずかな製作費用と500日という厖大な時間がこの作品を生み出したのは、作った方々の情熱と誠意があったからこそだろう。
ただ、人間とは完全ではないように、やはりこの作品にも完全でない部分が存在する。
99点の作品にもマイナスの一点がある。
それを言ったところでこれ以上の作品は作れないくらいに製作者サイドは頑張ったので、コメントしたところで意味は無いが、やはり一応書かせていただきたい(すんごい顰蹙だろうけれども)。
1.最終回が予定調和すぎること。
けものが集まって単純攻撃をする、というのは予想できすぎた。
2.テーマが最終回まで通観していないこと。
対象年齢が8歳であれば仕方のないことでもあるが、これは人間の根幹とは何か、というテーマを最終回まで行うべきだったと思う。知性と道具を使い、身勝手に自然を破壊したけれども、しかし自然への愛もあるんだ、という、相反する二重の習性を持つ不思議な動物、という具合に。
3.かばんの死と再生が単調すぎること。
もうちょっとドラスティックな感じで・・・
4.サーバルが泣いていた意味の伏線が回収されていないこと
尚、クソミソに言われているCGであるが、私はこれは良かったように思う。
確かに歩くシーンで地面と歩調があっていない場面も多々あったが、これはこれで仕方の無いことだろう。
という訳で私がもう一つの最終回を書くなら、という形で書いてみた(11話のエンディングからの継続)。
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(OPとEDは固定時間での放映はなし。最初から本編映像が始まる。)
皆の協力によって救出されたかばん(OP曲は無し)。
かばんが立てた作戦どおり、巨大なセルリアンは海の中へ沈む。
球体となったカバンは元に戻らない。一体どうすればいい?
アニマルガールズ達「どうしよう、ここから元に戻らないなんて・・・」
アニマルガールズ達「どうしても元に戻したいであります! 」
アニマルガールズ達「戻したいには戻したい、でもこうなってしまった以上はもう・・・」
アニマルガールズ達「一体どうすれば・・・」
アニマルガールズ達「ヒトであるかばんさんがいれば・・・」
アニマルガールズ達「僕たちヒトじゃないから諦めるしかないの・・・? 」
アニマルガールズ達「・・・」
サーバル「そんなことは無いよ! 」
アニマルガールズ達「!」
サーバル「かばんちゃんはいつだって、諦めずに考えてきたじゃない! それを今度は私たちがやる番なんだよ! 」
アニマルガールズ達「!!!」
サーバル「博士! 」
アフリカオオコノハズク「! 」
サーバル「どうすれば、かばんちゃんを元に戻せるか、何か知ってる? 」
アフリカオオコノハズク「セルリアンに食べられた、ということは、サンドスターの影響力が無くなって、記憶と思考、そして外郭が無くなった状態なのです。」
マーゲイ「それじゃ、戻らないの? 」
ワシミミズク「ここに帽子があるのです。この帽子についている赤と青の羽は、それぞれフギンとムニンと言って、記憶と思考が生体と連動しているのです。」
イワトビペンギン「じゃあそれがあれば元に戻せるのか? 」
アフリカオオコノハズク「これだけではダメなのです。空中を通過して化学変化をしたサンドスターが、「帽子と球体になったカバン」、これら二つに当たらないと・・・」
ワシミミズク「今は大量に山から放出されていて、空気中を通ったサンドスターが生物に当たってフレンズになるのです。既にフレンズになった我々はサンドスターを直接触れないのです・・・」
ワシミミズク「元々今までに誕生してきたフレンズは、そうした奇跡が何重にも重なって偶然生まれて来た産物なのです」
アフリカオオコノハズク「だから意図する者を蘇らせるには、理論的には可能だけれども、しかし更に奇跡が必要なのです。奇跡という奇跡をギュッと詰めなければできない・・・不可能に近いのです。」
サーバル「!」
サーバル「なら簡単じゃない! みんなの出来ることを集めるんだよ! 」
アフリカオオコノハズク「? 」
サーバル「サンドスターを直接触らないで、空中経由でかばんちゃんと帽子に当てればいいんでしょ? 」
サーバル「アメリカビーバー! 何とかならない? 」
アメリカビーバー「うーん、投石器っすかね。量があればなんとかなるっすかね。模型で言うとこんな感じっすかね? 」
オグロプレーリードッグ「というと実物を作るとこんな感じでありますか? 」
サーバル「作るのはやっ! 」
サーバル「でもこれを山頂に運ぶには、人手と機械が必要になってくる・・・」
PPP「まかせて! 」
サーバル「!」
PPP「フレンズを集めて説得するのは私たちがやるから! 」
サーバル「ありがとう! みんな! 」
こうしてカバンを元に戻すプロジェクトが始まった。
(ここでED曲イントロ)
<プロジェクトにとりかかる一同>
「合縁奇縁 一期一会」
<プロジェクトを進める一同>
「袖すり合うも多生の縁」
<様々な仲間が集まって一つの事業にとりかかる>
「この世の奇跡ギュッとつめて」
<設計と実装、指揮と研究>
「君と出会えたんだ」
<球体となったかばんと帽子>
「青い春いつか幕を閉じ」
<1~2話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
「桜と共に舞い散っても」
<3~4話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
「必ず僕らまたどこかで」
<5~6話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
「出会いを果たすだろう」
<7~8話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
重機でサンドスターを投石器に載せるシーン。
「かけがえない」
サーバル「じゃあ行くよ! 」
アメリカビーバー「いつでも大丈夫っす! 」
ライオン「OK! 」
「僕と似た君へ」
綱を切るライオン、ヘラジカ、熊。
動く投石器と共に、宙に孤を描くサンド・スター
「1人で転んで傷だらけになったときは」
アニマルガールズ達「行けえーーー!!! 」
「いつでもどこまでも走るよ」
<球体になったカバンと帽子に当たる>
<再生するカバンとそれを見守るアニマルガールズ達>
↓の構図(カバン視点)

「たまには喧嘩して怒ろう」
サーバル「どうしてあんな無茶したの! 」
「泣き顔見たら慰めよう」
かばん「私はもう大丈夫だから泣かなくていいよ。」
「とびきりの長いお説教は短めにして」
ジャガー「無事戻ったことだしな」
「綺麗なものを探しに行こう」
サーバル「そう、かばんちゃんともっと色んなところに行きたいんだよ! 」
「美味しいものもたくさん食べよう」
アニマルガールズ達「料理というのも食べてみたいでありますしね! 」
「つまりはこれからもどうかよろしくね」
<かばんとサーバルを中心に同心円で集合した図>
最終回、フレンズ達は、かばん(つまりヒト)無しで知的営為を成し遂げた。
リーダーはサーバル、研究開発は博士と助手、設計はビーバー、製作はプレーリードッグ、人手の収集はPPP、マネジメントはマーゲイ、力仕事はライオン、カバ、ジャガー、オーロックス、アラビアオリックス、ヘラジカ、人員輸送はトキとショウジョウトキ、噴火予測はツチノコ、噴煙防御はオオアルマジロとシロサイなどなど・・・
社会と世界とは、多数の協力が集合して織り成せる物語なのだ。
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