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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

けものフレンズを振り返って

2017-04-01 15:06:19 | 脚本
けものフレンズが最終回の放映を無事終了した。ので、書く。
スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

低予算であるのにも関わらず完成度が高いこの作品は数あるアニメ作品の中でも一つのメルクマールになった。
現在たつきさんだけが何か誉められているような気がするが、たつきさんは勿論のこと、その他の様々に関わったスタッフの努力があってこその完成だったのだろう。ここに賛辞を送りたい(上から目線)。

特にエンディングであるが、8枚の絵の内、6枚が静止画、2枚が動画の構成になっており、実際に現地で撮影したか、あるいは静止画を動画風に加工したかのどちらかになる。
この「ぼくのフレンド」の歌詞もメロディーも非常にいい。
多分欧米的には、音の高低が激しい、アジア的な曲だと言う風に聞こえると思うが、日本人が良いと思ったならばそれでいい。

神話からヴィンテージ映画、人類史から自然生態系、知恵の発見と人間とは何かの確認まで、何から何までをも盛り込んだこの作品は、様々な方向へ示唆の富む作品となった。

わずかな製作費用と500日という厖大な時間がこの作品を生み出したのは、作った方々の情熱と誠意があったからこそだろう。

ただ、人間とは完全ではないように、やはりこの作品にも完全でない部分が存在する。
99点の作品にもマイナスの一点がある。
それを言ったところでこれ以上の作品は作れないくらいに製作者サイドは頑張ったので、コメントしたところで意味は無いが、やはり一応書かせていただきたい(すんごい顰蹙だろうけれども)。

1.最終回が予定調和すぎること。

  けものが集まって単純攻撃をする、というのは予想できすぎた。

2.テーマが最終回まで通観していないこと。

  対象年齢が8歳であれば仕方のないことでもあるが、これは人間の根幹とは何か、というテーマを最終回まで行うべきだったと思う。知性と道具を使い、身勝手に自然を破壊したけれども、しかし自然への愛もあるんだ、という、相反する二重の習性を持つ不思議な動物、という具合に。

3.かばんの死と再生が単調すぎること。

  もうちょっとドラスティックな感じで・・・

4.サーバルが泣いていた意味の伏線が回収されていないこと

尚、クソミソに言われているCGであるが、私はこれは良かったように思う。
確かに歩くシーンで地面と歩調があっていない場面も多々あったが、これはこれで仕方の無いことだろう。


という訳で私がもう一つの最終回を書くなら、という形で書いてみた(11話のエンディングからの継続)。

(OPとEDは固定時間での放映はなし。最初から本編映像が始まる。)

皆の協力によって救出されたかばん(OP曲は無し)。
かばんが立てた作戦どおり、巨大なセルリアンは海の中へ沈む。

球体となったカバンは元に戻らない。一体どうすればいい? 
アニマルガールズ達「どうしよう、ここから元に戻らないなんて・・・」
アニマルガールズ達「どうしても元に戻したいであります! 」
アニマルガールズ達「戻したいには戻したい、でもこうなってしまった以上はもう・・・」

アニマルガールズ達「一体どうすれば・・・」
アニマルガールズ達「ヒトであるかばんさんがいれば・・・」
アニマルガールズ達「僕たちヒトじゃないから諦めるしかないの・・・? 」


アニマルガールズ達「・・・」


サーバル「そんなことは無いよ! 」

アニマルガールズ達「!」

サーバル「かばんちゃんはいつだって、諦めずに考えてきたじゃない! それを今度は私たちがやる番なんだよ! 」

アニマルガールズ達「!!!」

サーバル「博士! 」

アフリカオオコノハズク「! 」

サーバル「どうすれば、かばんちゃんを元に戻せるか、何か知ってる? 」

アフリカオオコノハズク「セルリアンに食べられた、ということは、サンドスターの影響力が無くなって、記憶と思考、そして外郭が無くなった状態なのです。」

マーゲイ「それじゃ、戻らないの? 」

ワシミミズク「ここに帽子があるのです。この帽子についている赤と青の羽は、それぞれフギンとムニンと言って、記憶と思考が生体と連動しているのです。」

イワトビペンギン「じゃあそれがあれば元に戻せるのか? 」

アフリカオオコノハズク「これだけではダメなのです。空中を通過して化学変化をしたサンドスターが、「帽子と球体になったカバン」、これら二つに当たらないと・・・」

ワシミミズク「今は大量に山から放出されていて、空気中を通ったサンドスターが生物に当たってフレンズになるのです。既にフレンズになった我々はサンドスターを直接触れないのです・・・」

ワシミミズク「元々今までに誕生してきたフレンズは、そうした奇跡が何重にも重なって偶然生まれて来た産物なのです」

アフリカオオコノハズク「だから意図する者を蘇らせるには、理論的には可能だけれども、しかし更に奇跡が必要なのです。奇跡という奇跡をギュッと詰めなければできない・・・不可能に近いのです。」


サーバル「!」
サーバル「なら簡単じゃない! みんなの出来ることを集めるんだよ! 」

アフリカオオコノハズク「? 」

サーバル「サンドスターを直接触らないで、空中経由でかばんちゃんと帽子に当てればいいんでしょ? 」

サーバル「アメリカビーバー! 何とかならない? 」

アメリカビーバー「うーん、投石器っすかね。量があればなんとかなるっすかね。模型で言うとこんな感じっすかね? 」

オグロプレーリードッグ「というと実物を作るとこんな感じでありますか? 」

サーバル「作るのはやっ! 」

サーバル「でもこれを山頂に運ぶには、人手と機械が必要になってくる・・・」

PPP「まかせて! 」

サーバル「!」

PPP「フレンズを集めて説得するのは私たちがやるから! 」

サーバル「ありがとう! みんな! 」

こうしてカバンを元に戻すプロジェクトが始まった。

(ここでED曲イントロ)
<プロジェクトにとりかかる一同>

「合縁奇縁 一期一会」
<プロジェクトを進める一同>

「袖すり合うも多生の縁」
<様々な仲間が集まって一つの事業にとりかかる>

「この世の奇跡ギュッとつめて」
<設計と実装、指揮と研究>

「君と出会えたんだ」
<球体となったかばんと帽子>

「青い春いつか幕を閉じ」
<1~2話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>

「桜と共に舞い散っても」
<3~4話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>

「必ず僕らまたどこかで」
<5~6話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>

「出会いを果たすだろう」
<7~8話のメンバーの頑張っている姿と、回想シーン>
重機でサンドスターを投石器に載せるシーン。

「かけがえない」
サーバル「じゃあ行くよ! 」
アメリカビーバー「いつでも大丈夫っす! 」
ライオン「OK! 」

「僕と似た君へ」
綱を切るライオン、ヘラジカ、熊。
動く投石器と共に、宙に孤を描くサンド・スター

「1人で転んで傷だらけになったときは」
アニマルガールズ達「行けえーーー!!! 」

「いつでもどこまでも走るよ」
<球体になったカバンと帽子に当たる>

<再生するカバンとそれを見守るアニマルガールズ達>
↓の構図(カバン視点)


「たまには喧嘩して怒ろう」
サーバル「どうしてあんな無茶したの! 」

「泣き顔見たら慰めよう」
かばん「私はもう大丈夫だから泣かなくていいよ。」

「とびきりの長いお説教は短めにして」
ジャガー「無事戻ったことだしな」

「綺麗なものを探しに行こう」
サーバル「そう、かばんちゃんともっと色んなところに行きたいんだよ! 」

「美味しいものもたくさん食べよう」
アニマルガールズ達「料理というのも食べてみたいでありますしね! 」

「つまりはこれからもどうかよろしくね」
<かばんとサーバルを中心に同心円で集合した図>

最終回、フレンズ達は、かばん(つまりヒト)無しで知的営為を成し遂げた。
リーダーはサーバル、研究開発は博士と助手、設計はビーバー、製作はプレーリードッグ、人手の収集はPPP、マネジメントはマーゲイ、力仕事はライオン、カバ、ジャガー、オーロックス、アラビアオリックス、ヘラジカ、人員輸送はトキとショウジョウトキ、噴火予測はツチノコ、噴煙防御はオオアルマジロとシロサイなどなど・・・

社会と世界とは、多数の協力が集合して織り成せる物語なのだ。


「1人でも被害者を減らしたい…」イケメンの“痴漢撲滅ポスター”に込める愛知県警の思い

2017-03-08 21:57:55 | 脚本

「1人でも被害者を減らしたい…」イケメンの“痴漢撲滅ポスター”に込める愛知県警の思い
2017年3月7日 8時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/12766559/

話題となっている「イケメン柄の痴漢撲滅ポスター」について、愛知県警に話を聞いてみた。
「痴漢撲滅ポスター」にイケメンを起用

愛知県警が2016年に作った痴漢撲滅ポスターがネット上で話題になっている。

きらびやかなイケメンが登場し「信じられない…同じオトコとして情けないよ」など訴えるデザイン。

痴漢撲滅ポスターとしては画期的だ。

ネット上で「なぜイケメンを採用?」と話題に

イケメンが登場する痴漢撲滅ポスターはネット上を中心に話題に。

「めっちゃイケメンじゃん」「笑っちゃった。面白い。」「なにか意味があるのだろうか?」「なぜイケメンキャラを採用したのか?」「逆効果なのでは?」など、さまざまな反響が寄せられている。
愛知県警「同性からも理解されない行為だと訴え」

なぜ「痴漢撲滅ポスター」のデザインにイケメンを起用したのだろうか?

愛知県警察本部総務部広報課に聞いてみた。

--痴漢撲滅ポスターのデザインが「イケメンすぎる」「画期的」と話題です。このポスターはどのように作っているのですか?

鉄道警察隊では、隊の行事として毎年痴漢撲滅キャンペーンを開催しており、その際に各鉄道事業者や名古屋駅内のデパートにポスターの掲示をお願いしております。

開催時期が近づくと、担当者それぞれが知恵を出し、また、工夫を凝らしたポスターにするために話し合い、意思統一されたポスターとしております。

--イケメンが「人生を棒に振るのか」「情けない」と訴えることで、期待する効果が期待は?

痴漢・盗撮は、一般的に男性によって敢行される行為であり、同性からも理解されない、卑劣な行為だと訴えたかったからです。

人の目に留まるインパクトのある絵柄に

愛知県警はポスターを作るにあたって何を重視しているのだろうか。

--ポスター制作にあたり、最も力を入れていることは?

ポスターはまず、人の目に留まらなければ意味がない、印象に残らなければ意味がないと考え、インパクトのある絵柄としました。

--ポスターに込める思いを教えてください

「痴漢・盗撮が愚かな行為であり、女性がこうした被害に遭わないようにする、1人でも被害者を減らしたいという強い思い」を込めております。

ちなみに同県警が2015年度に作ったポスターは、被害者になり得る立場の女性を採用。

スマホを悪用した盗撮事件が増えたことから、ポスター全体をスマホの画面に置き換えたという。
取材が相次ぐなど効果大

イケメンの痴漢撲滅ポスターは効果を発揮しているのだろうか。

--ポスターの効果、または評判は?

在京である御社の取材を受けること自体大きな意味があると思いますし、昨年の痴漢撲滅キャンペーン時に今回のポスターを公開したところ、ネット上で大きな反響をいただき、その当時もインターネット広告関連の複数の会社から取材を受けており、効果は大きかったと考えております。

--ポスターが話題になっていることについて感想を教えてください

話題になることで、県民の皆様に痴漢・盗撮等の現状と鉄道警察隊の活動が広く周知されることが目的で、こうした活動に対して、今後ご支援とご理解がいただけるとありがたいと考えております。

インパクトのあるデザインは功を奏し、注目を集めているようだ。
今後も時代のニーズに合ったポスターを

愛知県警は最後に、次のような思いを話してくれた。

ポスターが注目されることで、私たち鉄道警察隊の活動が広く浸透し、痴漢・盗撮の被害を1件でも減らし、ひいては列車内及び鉄道施設内における安心・安全な環境を実現させたいと考えております。

「今後も時代のニーズに的確に応じたポスターを作っていきたい」としている。




作品論--我々はどう言う作品を作るべきか

2017-01-22 13:32:35 | 脚本
世の中には種種様々な作品が存在し、それらが自由に羽ばたくがごとく、それぞれの道を究めようとしている。

ある作品には、精神的課題とその克服によるカタルシスがあり、
ある作品には、そういったものは希薄だが、しかし突出した映像美を見せる。
ある作品には、カタルシスが無く、平穏な日常のみを描くものもあれば、
ある作品には、SF的に、突拍子もない結論に辿り着く場合もある。

それぞれにあるべき作品論の中で、その内の一つ、今回は上記で1番目に記述した、精神的課題とその克服によるカタルシスをどう描くか、ということについて述べてみたい。
それでは始める。

・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


「なぜ意志の力はあてにならないのか 自己コントロールの文化史」 ダニエル・アクスト P5

いまの世の中では、あたりさわりのない穏やかなことを書いたのでは嫌がられる。もちろんまっとうな市民生活はそれなりに尊重すべきだが、必死にがんばって老後の資金を貯めた話しとか、早朝に車を相乗りして通勤する際のもめごとや、何十年にも及ぶ妥協の結果として添い遂げた夫婦の物語など、誰も聞きたいとは思っていない。物書きならそんなことは百も承知だ。
 「幸せな家庭の静かな時の流れは、物語の材料にはならない」『セルフ・コントロール』という教訓的な小説を書いたメアリ・ブラントンは二世紀も前にそう喝破した。「慎み深い愛情、穏やかな欲求、働きがいのある仕事、敬虔な黙想などは感じるもので、書くべき対象ではない」。これは誰もが認める事実だろう。だからメアリ・バートンの小説のヒロインは、悪人のボーイフレンドから逃れるために樺の樹皮で作ったカヌーに身体を縛りつけてカナダの滝に飛び込む。このエンディングは揶揄されたが、しかし小説はよく売れた。


ここから分かることは、何か人生で起こりえるような象徴的な出来事、考えさせられることや面白おかしく、楽しいことをピックアップして抽出し、それを文章なり映像なりにまとめることが作品についての基礎論になる。


ここで200年前に出版された、ゲーテのファウストに立ち戻ってみよう。
ファウストの冒頭、劇団の座長は、次の演劇は何を題目にすればいいか、と、詩人と道化に相談する。
詩人は、未来永劫、不変不朽に残る万古不変の物語を、後世に伝えられるようなストーリーを、と言う。
道化は、今いるお客さんを楽しませることができなければ何のための劇なのだ、面白くても面白くなくても、そのすぐ後に忘れられても、その場でウケるものをドンドンと、と言う。
実態として、ファウストそのものの物語は上記二つのハイブリッド構成になっているのだが、これがある種の答えなのだろう。

人の悩みをえぐりぬき、そしてそれを配色豊かにテンポ良く並べることが脚本としての第一歩なのではないのだろうか。


そしてここに更に私から補足したいのだが、作品はその作品性とは異なるところで需要が出てくるのも事実なのである。
例えば、夫婦喧嘩の仲直りの口実として、映画が話題になっているから見に行こうと誘ったり、あるいは中学生が好きな異性に「君の名はが流行っているから見に行こうよ」と口実をつけたり(尚、その後に「楽しかったね」が言えればいいので、作品としてのテーマが無くてもいい)、あるいは保育園に通っている子供がアンパンマン大好きの状態から、急激に変化を見せ、戦隊モノの特撮や(あるいは女の子であればプリキュアなど)に、一斉に宗旨替え、改宗を行うなどするのは、その保育園での集団的なムーブメントが変わったからなのであろう(二年くらい前であれば妖怪ウォッチだったと思う)。

あるいは、子供がお父さんに映画身に行くという約束をして、それをねだっている時に都合の良いものがないかと探した際に、くれよんしんちゃんなどがあるのは、作品性とは別に、そういう外部の周辺事情もあるからなのである。

デスノートでさえ古い、ストーリー中の工業的技術の書き方

2017-01-15 23:07:01 | 脚本


こんなスペックではもう見向きもされないわけであるが、こち亀のような一日千秋ならぬ千秋一日のマンガであればこれは問題ない。

問題は通常のシリアスな作品の方だ。



これはテレビの型が若干古いのである。
今であれば、スマホでテレビを見ればOKである。

こういう。「最新技術を作品で出したが、時代の技術革新の波があっと言う間に追い越して、少し経つと前時代的に見えてしまう」という欠陥はあった。

そこに上手く対処したのが「カリオストロの城」でのオートジャイロであろう。
「オートジャイロとは古風だな」と言っておけば、時代はとうに追い越しているので、時代の技術革新に追い抜かれて、セリフの齟齬が生じる可能性はない。






新海誠「なぜ面識もない方に人生経験を透視するような物言いをされなければならないのか」

2017-01-05 23:04:13 | 脚本

『君の名は。』新海誠監督、石田衣良氏の批評に苦言「なぜ面識もない方に人生経験を透視するような物言いをされなければならないのか」
BIGLOBEニュース 2017年1月5日 16時07分 (2017年1月5日 22時09分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20170105/Biglobe_5021652039.html

直木賞作家の石田衣良氏が、映画『君の名は。』の新海誠監督について、「楽しい恋愛を高校時代にしたことがない」などと分析したインタビューが、「NEWSポストセブン」に掲載された。これを受けて新海監督は5日、石田氏の発言に対してTwitterで苦言を呈した。

石田氏はインタビューの中で『君の名は。』を手掛けた新海監督について、「楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです」と分析。また、「付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。宮崎駿さんだったら何かしら、自然対人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。実体験がないからこそ作れる理想郷です。」と批評した。

石田氏の発言に対してとは明言していないものの、新海監督は「最近は実に様々なお言葉いただきますが、」と前置きしてTwitterで抗議。「なぜ面識もない方に僕の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされなければならないのか…笑。」と苦言を呈した。続けて「いやもう口の端にのせていただくだけでもありがたいのですけれど!」と複雑な心境を綴っている。

新海監督のTwitterへは、「ありがたくない 有名税ですね。日本人特有の出る杭は打つ」「嫉妬って奴じゃないですかね。ああいうのは見てて見苦しいと思う」とファンからの励ましが殺到。一方、石田氏の発言については、「新海さんには新海さんにしか作れない映画があるっておっしゃりたかったのでは無いでしょうか?」という意見も寄せられている。


恋愛的なフィクションだからいいんですよ。何書いたって。

極論すれば、鳥山先生に「かめはめ波の一つも打ったことがないくせして、どうしてあの虚構が描けるのか」といちゃもんつけているようなもんですよ。意味が無い。
恋愛的なフィクションはそれで良し。あれは自分の半生を反芻して、内容に回顧を重ねる人間が見るものではなく、
そうした内容に期待をし、あらぬ方向にワクワクするような脳内物質が出る若い層が見るものなのです。

石田さんのように、成熟した人間が期待する精神的ストーリーではないような。そういうのは自分にしか満足が出来ないから、自分自身が書けばいいんです。