コードギアスは実は途中までしか見ていない。
先日あった、MBS動画イズムでの一挙放送が一部までしか放送していなかっただとか、私に視聴する時間がなかったとかその辺りが理由なのだが、その他の理由として、映像作品を見るための体力が無いのである。
若い時には映像作品を食い入るようにして、自分の脳裏に焼き付けていたが、それをする体力がなくなった、と言うことだ。
流し見をする適当な作品であればいいのだが、この作品に関してはそうもいかない。
さて、その途中まで視聴した結果であるが、やはり面白い。
と言うのと同時に次のことも書いておかなければならない。
このコードギアスには、よくも悪くもドラマトゥルギーでのみ構成されており、背後に書かれる精神的テーマが無い。
少し整理する。
ドラマトゥルギーとは、具体的な劇作法・劇作術のことであり、どのように構成し、どのようにセリフを立て、どのようにストーリー展開していくか、と言う手法そのもののこととして上記は使用している。
つまりは、人が見ていてどのように心を揺さぶられるか、と言う揺さぶりの技法であるが、本当に純粋にそれだけしか使われていないのである。
そして精神的なテーマ性が無いと言うのは、通常のドラマや映像作品では、その作品に感銘を受けた後、「こういう風に生きていこう」だとか「このように考えよう」と言う精神的なフィードバックと、それに伴う若干の精神的成長が見込まれるものだが、コードギアスに関しては、物語に通底するそのようなフィードバックが一切ない(ミクロ的視点では名言がよくあるので、それが視聴者にインプレッションを与えるだろうが、大幅な線表においてはそれがない)。
よって、コードギアスは、大衆エンターテイメントとしての極地にありながら、人生哲学に影響を与えるテーマというのは基本的にないという構図になる。逆に言えば、テーマ性は無いが、しかし視聴者が楽しめるものとして、映像作品の中では群を抜いた仕上がりとなっている。
この意味において、どちらかというと、ゲーテよりもシェイクスピア寄りになっている作品とも言える。
シェイクスピアでは読後に「ああ、私はこの主人公に感銘したから、このように生きよう」などという感想は発生しない。しかし、個々のセリフにはインスピレーションを引き起こすものが多々存在し、色々な文献に引用される。
マルクスもシェイクスピアを引用したし、その他にも好例が見つかるだろう。
もしかしたら、もしかすると、コードギアスもそうした形で今後引用されていくのかもしれない。
「変化無き日常を、生きているとは言わない。それは、ただの経験だ。」
「行動の果てには、結果という答えが待っている。例外は無い。」
「男は床で寝ろ」
「勝つにしろ負けるにしろ、全てを出し切らなければ何も獲得出来はしない それは国でも個人でも同じこと」
「哲学を語っている余裕はない」
「全ては過去、終わったことだ」
「では聞こう! お前たちは、誰かがブリタニアを倒してくれるのを待つつもりか!? 『誰かが自分の代わりにやってくれる。』『待っていればいつかはチャンスがくる。』甘えるな! 自らが動かない限り、そんないつかは絶対にこない! 」
「君には借りもある、情もある、引け目もある、しかしこの場は、忠義が勝る!」
「勝てよルルーシュ。自らの過去に。そして、行動の結果に」
先日あった、MBS動画イズムでの一挙放送が一部までしか放送していなかっただとか、私に視聴する時間がなかったとかその辺りが理由なのだが、その他の理由として、映像作品を見るための体力が無いのである。
若い時には映像作品を食い入るようにして、自分の脳裏に焼き付けていたが、それをする体力がなくなった、と言うことだ。
流し見をする適当な作品であればいいのだが、この作品に関してはそうもいかない。
さて、その途中まで視聴した結果であるが、やはり面白い。
と言うのと同時に次のことも書いておかなければならない。
このコードギアスには、よくも悪くもドラマトゥルギーでのみ構成されており、背後に書かれる精神的テーマが無い。
少し整理する。
ドラマトゥルギーとは、具体的な劇作法・劇作術のことであり、どのように構成し、どのようにセリフを立て、どのようにストーリー展開していくか、と言う手法そのもののこととして上記は使用している。
つまりは、人が見ていてどのように心を揺さぶられるか、と言う揺さぶりの技法であるが、本当に純粋にそれだけしか使われていないのである。
そして精神的なテーマ性が無いと言うのは、通常のドラマや映像作品では、その作品に感銘を受けた後、「こういう風に生きていこう」だとか「このように考えよう」と言う精神的なフィードバックと、それに伴う若干の精神的成長が見込まれるものだが、コードギアスに関しては、物語に通底するそのようなフィードバックが一切ない(ミクロ的視点では名言がよくあるので、それが視聴者にインプレッションを与えるだろうが、大幅な線表においてはそれがない)。
よって、コードギアスは、大衆エンターテイメントとしての極地にありながら、人生哲学に影響を与えるテーマというのは基本的にないという構図になる。逆に言えば、テーマ性は無いが、しかし視聴者が楽しめるものとして、映像作品の中では群を抜いた仕上がりとなっている。
この意味において、どちらかというと、ゲーテよりもシェイクスピア寄りになっている作品とも言える。
シェイクスピアでは読後に「ああ、私はこの主人公に感銘したから、このように生きよう」などという感想は発生しない。しかし、個々のセリフにはインスピレーションを引き起こすものが多々存在し、色々な文献に引用される。
マルクスもシェイクスピアを引用したし、その他にも好例が見つかるだろう。
もしかしたら、もしかすると、コードギアスもそうした形で今後引用されていくのかもしれない。
「変化無き日常を、生きているとは言わない。それは、ただの経験だ。」
「行動の果てには、結果という答えが待っている。例外は無い。」
「男は床で寝ろ」
「勝つにしろ負けるにしろ、全てを出し切らなければ何も獲得出来はしない それは国でも個人でも同じこと」
「哲学を語っている余裕はない」
「全ては過去、終わったことだ」
「では聞こう! お前たちは、誰かがブリタニアを倒してくれるのを待つつもりか!? 『誰かが自分の代わりにやってくれる。』『待っていればいつかはチャンスがくる。』甘えるな! 自らが動かない限り、そんないつかは絶対にこない! 」
「君には借りもある、情もある、引け目もある、しかしこの場は、忠義が勝る!」
「勝てよルルーシュ。自らの過去に。そして、行動の結果に」