私の個人的雑観と整理メモ。
罪はこの世界全般において存在するか? 答えはノー。
例えば遠い銀河のさらに向こうの別の銀河で、一夫多妻性の生物がいて、そこに地球の倫理観を持ち出して「本妻以外に女性がいるだなんて罪である」と糾弾できるだろうか? 答えはノー。
アメリカ人は火星旅行に行った後に、マクドナルドがなくて英語が通じないから不便だと不満を漏らして、現地の火星人から不評を買うかもしれないが、基本的に自分たちの考えるルールは他の地域では通じないのである。
あるいは時代や場所によって、人間がどう言った行為を集団の中で悪いと思うか、あるいは良いと思うかには、半分程度は同じかもしれないが、厳密にはもう半分は異なるのである。
非対称の労働を行う女王蜂と働き蜂の平等格差解消はすべきか? カッコウが別の鳥のヒナになる卵を巣から落とすことの犯罪行為はどう裁くのか?
そうではない。我々が守るべき倫理観や道徳感、あるいはそれに伴って形成されるものは時代性、地域性があるのだ。
これによって、人類が考える通底の罪と言うのは存在せず、しかも今後も時代の潮流によって守るべき倫理の意識やそれにともなった法そのものが変化することが見込まれる。
つまり何が「罪」であるのかは、現在の我々が思う一定のそれではない。
倫理観や法は変化し、それに伴い、罪も変化するのだ。
そして何が罪であって何が罪でないかが変化するのと同時に、何に対してどういった罰則が適用するのが適切であるのかも時代によって変化する。