まずは基礎解説。私は先日知りました。
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反事実的思考 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83
反事実的思考(はんじじつてきしこう、英:Counterfactual_thinking)とは心理学における概念で、すでに起こった人生の出来事に対して実際に起こったこととは反対のことについて起こりうる出来事を考え出す人間の傾向に関するものである。
反事実とは、文字通り「事実に反すること」を意味する[1]。この思考に中には物事が違う方向に進んだかもしれないと考えるときに起こる「もし...だったとしたら?」や「もし私が...さえしなければ」という考えから始まり、その場合に結果がどう変わるかについて考えることが含まれる。反事実的思考には今現在のことで、現実には起こりえないことも含まれる。それが過去に起こった出来事だけに依存しているためである。
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と言うことなのだが、これがもう誤訳と言うか、直感に反した適切でない訳になっていることが分かる。
一見、直感的には、「反事実的思考と言うのは事実じゃないこと(事実に反すること)を考えるのかな〜」などと思うのだが、そうであってそうではない。
まず発生した事実が思考の主軸として存在する(Factual)。
これを一つのマス目に入れるが、その対になる隣(カウンター)に「事実じゃないけれども、もし仮にあの時ああしたなら結果は違ったんじゃない? 」と言うような仮定のifを想定し、考察することが反事実的思考である(Counterfactual)。
事実じゃないと言うのは、想定や想像をあたかも事実であるかのように論ずる、と言うことではなく、あえて事実じゃないことを反例として登場させ、それが事実でないとしても思考の補助線を反例の提示とそこから導かれる想定された結果によって引き、我々の複数方向からの重層的観点を得るための思考のツールである。
例)
普通にクリスマス商戦で広告打ったらそこそこ売り上げられた。(事実)
もし広告打たなかったら売上が無かったのでは? (反事実)
→2つを考えて、それを複合的に想定することで、今後の我々の判断力に厚みが増す。
で、なんでこんなことを書いているのかというと、先日東大の大学院の院生2人、東大大学院卒の人一人、で、私の4人でああだこうだ議論してたら「反事実が」「反事実が」と言っていた。で、私が反事実と言うものが分からないので、「すみません、反事実って何ですか? 」と聞いたらまあこんな感じだったと。
ここから分かること
・平均年収において、一般の中央値からそれるのは、一人の富豪がいると平均を大きく押し上げることからそうなる。
・ここでは私一人があの場で一人大きく偏差値が低い人間だったので、あの場はそれなりに低くなった。
・すんません。
・で分からなかったら丁寧に教えてくれるんよね・・・ありがとうございます。
・議論している時本当に楽しかった。
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反事実的思考 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83
反事実的思考(はんじじつてきしこう、英:Counterfactual_thinking)とは心理学における概念で、すでに起こった人生の出来事に対して実際に起こったこととは反対のことについて起こりうる出来事を考え出す人間の傾向に関するものである。
反事実とは、文字通り「事実に反すること」を意味する[1]。この思考に中には物事が違う方向に進んだかもしれないと考えるときに起こる「もし...だったとしたら?」や「もし私が...さえしなければ」という考えから始まり、その場合に結果がどう変わるかについて考えることが含まれる。反事実的思考には今現在のことで、現実には起こりえないことも含まれる。それが過去に起こった出来事だけに依存しているためである。
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と言うことなのだが、これがもう誤訳と言うか、直感に反した適切でない訳になっていることが分かる。
一見、直感的には、「反事実的思考と言うのは事実じゃないこと(事実に反すること)を考えるのかな〜」などと思うのだが、そうであってそうではない。
まず発生した事実が思考の主軸として存在する(Factual)。
これを一つのマス目に入れるが、その対になる隣(カウンター)に「事実じゃないけれども、もし仮にあの時ああしたなら結果は違ったんじゃない? 」と言うような仮定のifを想定し、考察することが反事実的思考である(Counterfactual)。
事実じゃないと言うのは、想定や想像をあたかも事実であるかのように論ずる、と言うことではなく、あえて事実じゃないことを反例として登場させ、それが事実でないとしても思考の補助線を反例の提示とそこから導かれる想定された結果によって引き、我々の複数方向からの重層的観点を得るための思考のツールである。
例)
普通にクリスマス商戦で広告打ったらそこそこ売り上げられた。(事実)
もし広告打たなかったら売上が無かったのでは? (反事実)
→2つを考えて、それを複合的に想定することで、今後の我々の判断力に厚みが増す。
で、なんでこんなことを書いているのかというと、先日東大の大学院の院生2人、東大大学院卒の人一人、で、私の4人でああだこうだ議論してたら「反事実が」「反事実が」と言っていた。で、私が反事実と言うものが分からないので、「すみません、反事実って何ですか? 」と聞いたらまあこんな感じだったと。
ここから分かること
・平均年収において、一般の中央値からそれるのは、一人の富豪がいると平均を大きく押し上げることからそうなる。
・ここでは私一人があの場で一人大きく偏差値が低い人間だったので、あの場はそれなりに低くなった。
・すんません。
・で分からなかったら丁寧に教えてくれるんよね・・・ありがとうございます。
・議論している時本当に楽しかった。