資本主義に問題があることについては、ユルゲン・コッカも、ミシェル・ボーも、それぞれの著書「資本主義の歴史」「資本主義の世界史」の中で指摘している。
曰く、プラス面としての資本主義的成長と科学的発展、マイナス面としての環境問題も去ることながら、マイナスのメインストリームたる社会成員全体が幸福にならない格差について、それを主要な問題として認識し、言及している。
世界の多くの国々は、その行き過ぎた資本主義からやや修正を加えた修正資本主義を採用しているが、しかし資本の大衆的収奪は止む気配がない。
資本側は「約定に従っているだけだから我々が収益を上げるのも仕方がないことじゃないか。そこに社会的な同意をしているのも君たちだろう」と言ってその責を逃れる。
労働者側の大衆は、そうした約定に無知であるがために、その言い分を飲み続ける。
しかしこれではいけない。
と言うことで私がこの問題における解決に至るかもしれない別基軸の材料を発見したのでそれを書いてみる。
それは「労働の実効力保持者への還元」である。
資本収益は労働無くしては成立しえない。
よって、その収益配分は、その収益生産の実体を担った労働者へ配分されるべきである。
また、資本は基本的に資本集約の役目しか果たしていない。
いやそれは確かに第一義的に重要な役目であるのだが、それであるからして労働と言うものはないがしろにして良いものではないだろう。
資本主義は、社会運営において土台としての正義ではあるものの、その土台が高すぎては、その上で生活する人間に対し、不幸を生むことになる。
よって、資本収益に寄与したもの、知識を行使して実益を確保したもの、苦労したもの、傷病したものへの実働において配分をし、約定そのものによる収益配分を否定すべきであるという言説である。