「24時間戦えますか?」――。平成初期に栄養ドリンク「リゲイン」のこんなキャッチフレーズが流行してから、約30年がたった。その間、バブル崩壊やリーマンショックを経て、日本のビジネス界は大きく変化。「働き方改革」の重要性が叫ばれるようになり、遅くまで残業することではなく、短期間で効率よく結果を出すことを評価する文化が浸透しつつある。
だが現在も、平成初期と変わらず、長時間労働が常態化している“ブラック企業”は存在し続けている。誰もが知る大企業でセクハラ、パワハラ、残業代の未払い、過労死などが発覚し、世間を騒がせるケースもある。
この30年間で、日本企業の労働環境は本当に改善されたのか。特に悪質だった企業はどこなのか。労働問題に精通し、企業の体制改善に向けたコンサルティングなどを手掛ける“ブラック企業アナリスト”こと新田龍さんに、労働環境の移り変わりについて聞いた。(本記事はインタビュー後編。前編はこちらから。)
●18年のブラック企業事件で印象に残っているのは?
――2018年は「働き方改革関連法」が成立し、国が労働環境の改善に本格的に乗り出した一方で、依然として労働環境の悪さが問題視される企業が続出しました。新田さんが特に劣悪だと感じた企業はどこですか。
新田: スルガ銀行です。同行では、上司がノルマを達成できない部下に「ビルから飛び降りろ!」と怒鳴り散らすなど、かなり悪質なパワハラを行っていたことが発覚しました。大手金融機関が持つ“ホワイト”なイメージが覆されたという意味でも、非常に大きなインパクトがあったと感じています。
――確かに、金融機関は労務管理やコンプライアンス管理がしっかりしており、パワハラは少ないという印象がありました。
新田: 表向きはそうなのですが、実は労働環境がいいのは本社だけで、支店では上司がノルマを達成できない部下を毎日“激詰め”しているケースがあります。スルガ銀行以外の地銀や信用金庫でも、契約を取れない行員は、親や兄弟、高齢者などに営業をかけることを上司から強制される例があると聞きます。
スルガ銀行の事件がニュースになった時も、世間では「ひどい銀行だ」と批判する声が多くありましたが、私の周囲の金融関係者は「バレちゃったのか」といった反応で、あまり驚いていませんでした。
性格に難のある上司の下に配属されることを防げれば、金融機関におけるパワハラの被害も少しは減ると思うのですが、配属は運次第の場合が多く、“パワハラ上司”に当たるとお先真っ暗になってしまうのが現状です。
●モンテローザはパクリと残業をやめるべき
――スルガ銀行以外に、18年に問題だと感じた企業はありますか。
新田: モンテローザですね。同社では居酒屋「笑笑」の店長だった男性が過労のため開店前に倒れ、不整脈で死亡する事故がありました。これが発生したのは17年ですが、18年に入って被害者のいとこが告発漫画を発表したことで話題となりました。
私は以前から批判してきましたが、この会社は本当にひどい。居酒屋の店員を開店から閉店まで拘束するなど、労災事案になるようなハードワークを強制しますし、「和民」をパクった「魚民」、「月の雫」をパクった「月の宴」など、他社チェーンに酷似した名前やコンセプトの店を多く展開しています。これでは、従業員やパクられた側の会社が気の毒だとしか言いようがありません。
労働問題だけでなく、パクリ問題で裁判沙汰になるケースもあるため、早急に体制を改善すべきです。
●平成トップクラスの“ブラック企業”はどこだ?
――ここまでは18年の“ブラック企業事件”について振り返ってきましたが、少し目線を変えて、平成の30年間で印象に残っている事件についても聞かせてください。
企業体質、コンプライアンス管理、カネの流れに問題がある、広い意味で“ブラック”な企業が引き起こした事件も含めると、「リクルート事件」「雪印集団食中毒事件」「東京佐川急便事件」「ライブドア事件」「村上ファンド事件」「三菱自動車リコール隠し事件」などでしょうか。本当に多くの事件がありましたね。
労働環境に問題がある、一般的な“ブラック企業”が引き起こした事件としては、「名ばかり管理職」という言葉が広まる契機になった「日本マクドナルド割増賃金請求事件」も忘れられません。
ただ最も印象に残っているのは、15年に電通で新入社員が過労自殺したことです。この問題を機に、大企業を含むビジネス界全体が「働き方を変えないとマズイ」と危機感を感じましたし、国も働き方改革関連法の制定に乗り出しました。
また、それまで社会全体に残っていた「多忙な大企業では過労死はたまにあってもおかしくない」「過労死する人は忙しいことを分かっていて入社したのだから仕方ない」といった概念が、明らかな間違いだとして認識されるようになりました。
電通以外では、精密機器大手のオリンパスが行っていた、産業医とぐるになった不当解雇問題が特に悪質でした。上司が取引先の社員を不正に引き抜こうとしていたことに気付いた社員が、社内のコンプライアンス相談窓口に相談したところ、窓口の担当者が、あろうことか上司本人に相談があった旨を漏らしたことに起因する事件で、7~8年前に大きな批判を集めました。
上司はその後、窓口に相談した社員に対し、しつこく「(メンタル不調に陥っているので)産業医の面談を受けてほしい」などと指示。産業医は上司と裏で手を組んでおり、受診した社員に「重度のうつ病だから退職すべき」などと誇張した診断を下し、合法的に会社から追い出そうとしました。その後、オリンパスは社員から訴えられ、敗訴しています。
この事件は、企業と産業医の関係性に焦点が当たるきっかけとなりました。産業医の中には、本業でしっかりと実績を残し、企業と対等な立場で契約を結んでいる医師もいますが、中にはそうではなく、本業がもうかっておらず、食いつなぐために産業医をやっている医師もいるのです。後者は生活がかかっているので、企業の言いなりになって“ブラック”な所業に手を染めかねないことが、この事件で明らかになりました。
●平成の30年間で“ブラック企業”は減ったのか
――個々の“ブラック企業”が問題を起こすケースは今も昔も変わらずあるようですが、ビジネス界全体では、労働環境が劣悪な企業は過去30年間で減ったのでしょうか?
新田: 労働環境が社会情勢の変化に応じて変わり、従業員を長時間働かせる企業が減ったことは確かです。振り返れば、バブルの余韻があった平成初期~中盤はまだ人口増加が続いており、国内市場に商品を出せば必ず売れる時代でした。働けば働くほどカネがもうかるので、青天井の残業を許可し、「24時間戦えますか?」の精神で、とにかく働きまくることが最適解とされました。
ところが、08年にリーマンショックが起きて不況に突入し、10年頃から日本の人口も減少に転じました。そのため、がむしゃらに従業員を働かせるだけの過去の手法は通用しなくなり、消費者の需要を喚起して売れる商品を考え出したり、海外に進出したりと、工夫を凝らした企業が勝つ時代になりました。
そのため、労働環境を見直して、新しいアイデアが生まれやすい環境を整えることが最適解だと考えられるようになりました。そして09~13年ごろから、先見の明がある中堅・中小企業や、業界で2番手以降に位置する企業を中心に、労働環境の改善に取り組む企業が増えてきました。
そして、15~16年に前述の電通事件が広く知れ渡ったことで状況が一変。大企業も「人ごとではない」と危機感を覚え、一斉に「働き方改革」に舵を切り始めたのです。
整理すると、過去30年間で、劣悪な労働環境の企業は減っていると思います。また、規模や知名度の大小は問わず、働き手の多様な価値観やライフスタイルにうまくフィットして価値を創出できる会社が生き残り、そうでない会社は働き手に選ばれなくなっているとも感じています。
●働き方改革が中小企業から始まった理由とは
――なるほど。なぜ当初は業界トップの大企業ではなく、中堅・中小企業や2番手以降の企業が労働環境を見直し始めたのでしょうか。
新田: 大企業は内部の課題を改善しなくても、ブランド力に引かれて多くの社員が集まってきますし、ある程度は商品やサービスが売れるからです。そのため、労働環境の改善を喫緊の課題として捉えている大企業が少なかったように思います。
一方、中堅・中小企業や2番手以降の企業は、魅力的な労働環境を用意しないと、従業員が集まってきません。ですので、一時的に業績に影響は出ますが、深夜に「明日の朝までに仕上げてくれ」と依頼してくるクライアントを切ったり、「当社は営業時間内にしか受注しません」と周知徹底を図ったりし、労働時間を減らすことで、魅力ある職場をつくる方向に舵を切ったのです。
こうした取り組みがうまくいき、ブラック企業から脱却した例は、ソフトウェアメーカーのサイボウズや、システムインテグレーターのSCSKなどが挙げられます。各社は無理難題を押し付けてくる顧客との関係を解消するなどした一方で、新規開拓を図ったり、優良な既存顧客との関係性を深めたりし、現在は働きやすい人気企業となっています。
●電通の働き方は変わったのか
――さて、新田さんが「日本のビジネス界を変えた出来事」と評した電通事件が起きてから3年がたちましたが、電通の働き方はどう変わっているのでしょうか。
新田: 私が得ている情報では、電通の「働き方改革」は、部署によって全然受け止め方や進み方が違うとのことです。現在の電通では、午後10時に全館を消灯し、長時間労働を抑制する取り組みを進めていますが、官公庁を相手にしている部署は、もともと深夜や翌朝まで残業するケースがまれだったので、あまり変化はないようです。
一方、テレビCMなど大口の広告主を抱えている部署では、クライアントが「明日までにこれをやってほしい」などと夜に連絡してくるケースが依然としてあり、社員は残業をさせたくない経営層と、早く成果物を提出してほしいクライアントとの間で板挟みになり、かなり苦労しているようです。
先ほど紹介したサイボウズやSCSKとは異なり、電通が古くからのクライアントとの付き合い方を変えるのはなかなか難しく、多少理不尽な依頼でも受けてしまう文化は依然として残っているようです。これも、顧客を“神様”だと捉える文化が根強く残っている日本社会の問題点だといえます。
●ワタミがホワイト化していた!?
――電通は根本的な改善に苦労しているとのことですが、これまでに「ブラックだ」と評されていた企業の中で、体制を大きく改善できた例はあるのですか。
新田: 意外かもしれませんが、ワタミはホワイト化しつつあります。確かにかつての労働環境や給与体系は悪かったですが、現在は従業員の待遇改善に取り組んでおり、業績がアップした場合にインセンティブ賞与を給付する制度を整備。14年度現在で、平均年収は従来比約50万円増の469万円にアップしています。16年は社内に労働組合を発足させ、ベースアップなども実施しています。
また、休業日を導入したり、午前5時までが一般的だった営業時間を前倒ししたり、店長が1人で2店舗を担当するケースを減らしたりと、長時間労働の防止策も導入しています。顧客に呼ばれると、店員が必ず席まで行き、片膝をついて注文を取るという丁寧すぎるサービスも廃止し、タブレットで注文を取れるように変更。かつては入社から1年で半数が辞めていましたが、現在は1年以内に辞める人はゼロ。17年度現在で、月45時間以上残業する社員は1割程度に抑えられています。19年1月からは、勤務間インターバル制度をパート・アルバイト含めて全従業員に導入する予定とのことです。
●残業ありきのビジネスモデルは捨てるべき
――かつて大きな批判を集めたワタミの労働環境がここまで改善されていたとは驚きました。ですが、減ってきたとはいえ、現在も長時間労働が常態化しているブラック企業は少なからず存在します。こうした企業は、どうすれば労働環境を改善できるのでしょうか。
新田: 経営者が覚悟を決め、正しい方法で利益を生み出せるビジネスモデルを構築し直すべきです。「うちの社員は遅くまでバリバリ働きます」「うちは夜に来た依頼を朝までに終えます」といったうたい文句を耳にすることもありますが、そういった企業はサービスや商品の品質で顧客から選ばれているわけではなく、「丸投げすればいつでも仕事をしてくれる」と軽く見られているだけです。
残業はソリューションではありません。19年は働き方改革関連法が施行され、残業規制がさらに厳しくなるので、こうした企業はますます立ち行かなくなると予想します。
マネジメントの観点からも、残業することでしか成果を出せない人が上司になっても、同じような部下しか育てられないでしょう。こうした負の連鎖を断ち切るためにも、残業をしない前提で成果を生む仕組みを考え出すことが、真の「働き方改革」だといえます。