「不法行為への慰謝料は協定外」という論理
11月29日、韓国の大法院(最高裁判所)は日本の三菱重工業に対し、第二次世界大戦中の元徴用工や女子勤労挺身隊員に賠償金を支払うよう命じました。去る10月30日に、やはり大法院が新日鉄住金への訴訟に対して下した判決を踏襲するものです。
2つの判決は、いずれも奇怪な論理構造をとっています。10月30日の判決文(*1)は、1965年の日韓基本条約に付随する形で締結された「日韓請求権並びに経済協力協定」の合意内容を認めています。「日本が韓国に経済支援を行うことで、この協定の署名の日までの両国及び国民の間での請求権は完全かつ最終的に解決される」という合意内容を、まず認めているのです。
その上で、協定合意の法的な取り決めをすり抜けるため、判決文では、日本の不法な植民地支配下でなされた強制動員への「慰謝料」として、請求権を認めるとされています。未払賃金や補償金などの民事的な請求は1965年の請求権協定により、日本に求めることができません。そのため、精神的な「慰謝料」という概念を新たに持ち出して、通常の民事的な請求と一線を画するとしたのです。
韓国大法院によると、1965年の請求権協定が締結された際、日本政府は過去の不法な植民地支配の非を認めなかったので、請求権協定はその不法性に対する賠償についてカバーしておらず、その限りにおいて、不法性に対する賠償権は請求権協定によっても、未だ有効であると結論づけているのです。そして、日本の不法行為に起因する賠償権を具現化するために、原告に精神的な「慰謝料」を払えという判決を下したのです。とんでもない屁理屈、詭弁です。
本稿執筆時点で11月29日の判決全文はまだ入手できていませんが、確定判決の対象となった2013年7月の釜山高等法院の判決文では、やはり「植民支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていたと解することは困難である」としています(*2)。基本的に、2つの判決は同じ論理の上に成り立っているといえるでしょう。
韓国大法院はこれらの判決で、徴用工の賠償権を認めるとともに、「日本の朝鮮統治が不法であった」とする、「歴史に対する弾劾」という大きな使命をも果たしているつもりなのでしょう。この「統治の不法」という論理をベースにすれば、慰安婦などの諸問題を「不法行為に対する慰謝料」という形で裁くことができ、今後、影響が大きく広がる可能性があります。
日本統治を望んだのは当時の朝鮮側
しかし、歴史を振り返れば、「日本の朝鮮統治が不法」とするとらえ方自体に問題があることがわかります。日本の朝鮮統治は合法的に始まっています。1910年の日韓併合は朝鮮側(当時は大韓帝国)の要望によって、なされたものです。
「我が国の皇帝陛下(当時の大韓帝国の李氏朝鮮皇帝のこと)と大日本帝国天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」これは大韓帝国の開化派の政治団体「一進会」が、「韓日合邦を要求する声明書」(1909年)において述べた一節です。一進会はこの声明書の中で、「日本は日清戦争・日露戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし、韓国を独立させてくれた」と述べています。
当時の朝鮮では、無為無策の朝鮮王朝を見限って、日本に朝鮮の統治を託そうとした親日保守派が少なからずいました。金銭や利権に釣られて日本になびいた者も含まれていましたが、彼らの多くは日本の力を借りてでも、朝鮮を近代化させるべきだと考えていたのです。朝鮮の内閣閣僚も、李完用(りかんよう)首相をはじめとする親日派で占められており、日本の朝鮮併合を望んでいました。
これに対し、日本は元々、朝鮮の併合には慎重でした。韓国統監であった伊藤博文は「日本は韓国を合併するの必要なし。合併は甚だ厄介なり」と述べていました。朝鮮を併合してしまえば、日本が朝鮮王朝を終わらせることになってしまい、朝鮮人の反発を買うと懸念していたのです。朝鮮の親日保守派は、自分たちで朝鮮王朝の息の根を止めようとはせず、日本にその汚れ役を引き受けさせようとしていました。伊藤はその狡猾さを見抜いていたのです。
また、当時の朝鮮のような貧しく荒廃した国を併合したところで、日本には何の利益もなく、統治に要するコストばかりが費やされることは目に見えていました。
「馬鹿な奴だ」と言って息絶えた伊藤博文
しかし日本側でも、ロシアの南下に備え、極東地域における日本の安全を保障する上で朝鮮併合は避けられないとする意見が日増しに強くなり、伊藤も併合に反対しきれなくなっていきます。
こうした状況の中で、伊藤は殺されてしまいます。1909年、伊藤は満州・朝鮮問題についてロシアと話し合うため、満州におもむきました。そして、ハルビン駅で朝鮮の民族運動家、安重根に拳銃で撃たれます。
安はその場でロシアの官憲に取り押さえられました。犯人は朝鮮人だと随行者に告げられた伊藤は、『そうか。馬鹿な奴だ。』と一言いい、それから数十分で絶命しました(*3)。伊藤は朝鮮併合を止めることができるのは自分だけだと考えており、自分が死ねば併合は免れないという意味で「馬鹿な奴だ」と言ったのです。
伊藤の暗殺を受け、日本国内の世論は朝鮮併合へと一気に傾きました。朝鮮側の李完用首相も併合を急ぐように要請しましたが、一方で朝鮮国内では暗殺者の安重根を讃える声が大きく、民族主義者が勢いを得ていました。彼らが暴動を起こせば、李完用ら親日派は真っ先に殺されてしまいます。朝鮮の民族主義者から見れば、李完用たちは自らの命惜しさに日本にすがり付く売国奴でした。
李完用首相ら朝鮮側の閣僚の求めに応じて、1910年、韓国併合条約が調印され、大日本帝国は朝鮮を併合しました。
そもそも併合などするべきではなかった
朝鮮人が自分たちで末期症状に陥っていた李氏朝鮮王朝を終わらせ、近代化を成し遂げることができれば、わざわざ、日本が莫大な予算を費やして、貧弱な朝鮮を併合することなどもありませんでした。無能な朝鮮の閣僚や支配者たちのため、結局、日本が朝鮮王朝を始末する役を押し付けられ、民族主義者たちの恨みを一身に浴びることになってしまいます。
当時の日本の指導者たちも、伊藤が「合併は甚だ厄介なり」と言った意味をよく理解するべきであったし、伊藤が主張したように、朝鮮を保護国化する程度で、ロシアを牽制することは充分に可能でした。まして、腐敗した李氏朝鮮王朝の始末などは朝鮮人につけさせるべきであったし、日本が朝鮮を併合して、その統治に関わるようなことはするべきでなかったと思います。
それでも、日本は朝鮮側政府の要望により、大韓帝国を合法的に併合し、合法的に統治をして、その近代化を支援しました。こうした日本の誠意が、現在の韓国の大法院の判決にも見られるように「不法」と罵られ、その「不法行為」に対する「慰謝料」を請求されることになるとは、当時の朝鮮統治に関わった日本人も想像できなかったでしょう。
日韓基本条約では合法性論議を棚上げに
1965年、日韓基本条約が結ばれ、日本は韓国政府に総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)を供与しました。これは当時の韓国の国家予算の2倍以上の額で、この巨額の支援金を使い、韓国は「漢江の奇跡」といわれる経済復興を遂げました。
一方で、締結に向けた交渉の中で、韓国側の担当者は、日韓併合条約を含む旧大韓帝国と日本間の条約は「民族の総意」に反して結ばれたために当時にさかのぼって無効であり、そのことを基本条約に明記するよう主張(*4)。国際法上も正当な国家間の条約であったという立場に立つ日本政府は、これに強く反発しました。最終的には「もはや無効であることが確認される」という玉虫色の文言で、併合をめぐる解釈の違いを棚上げにして基本条約を締結したのです。
その後国際的に活躍する韓国企業も育つなか、韓国国民の間には、自分たちは優秀であるというエリート意識が芽生えはじめます。しかし、ふと自国の歴史を振り返れば、内輪の権力争いや国論の分裂に引き裂かれ、結局は他国頼みでしか問題を解決できなかったつらい現実があるばかりです。近代化への道も自分で切り開けず、日本の統治を自分たちの手で排除できたわけでもなく、朝鮮戦争でもアメリカ頼りでした。
日本の支援により「漢江の奇跡」のような経済発展を遂げたといった事実は、韓国人にとっては目を背けたいことです。こうした状況のもとで、今日の徴用工裁判判決のような現象が必然的に生じているのです。
(*1)韓国大法院ウェブサイトの判例『日帝強制動員被害者の日本企業を相手にした損害賠償請求事件』(2018.10.30.)
http://www.scourt.go.kr/portal/news/NewsViewAction.work?pageIndex=1&searchWord=&searchOption=&seqnum=6391&gubun=4&type=0
(*2)日本弁護士連合会『三菱重工事件釜山高等法院判決(差戻審) 仮訳』(2013)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/nikkan_shiryo/korea_shiryo.html?revision=0&mode=0
(*3)国会図書館デジタルコレクション 室田義文翁物語編纂委員編『室田義文翁譚』P274(1939)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1217103
(*4)藤井賢二『第1次日韓会談における「旧条約無効問題」について』東洋史訪 15 P76~P84(2009)
http://hdl.handle.net/10132/2674
宇山卓栄(うやま・たくえい)
著作家
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『「民族」で読み解く世界史』(日本実業出版社)などがある。(写真=近現代PL/アフロ)