榊原わーるど

日記みたいなもんです。

何も書けなくて

2005年11月30日 | メモ日記
きょう2歳の誕生日になるという。空と慧くんのように同じ年の生まれではないにしても、微妙に近い誕生日だ。とても闘えない手ごわい難病を敵にまわし、ここまで予想以上に闘い続けている姿勢に敬意を表するほかない。3月ごろから尊敬していたが、現在はさらに称賛したい気持ちで一杯なのだ。しかし、コメントしなければと思い直していながら、どうしてもコメントできない毎日が続いてしまった。言葉にできないのだ。今でも1日に5回ぐらい訪れているのに、何も書けない。


なめらかプリン

2005年11月29日 | メモ日記フォト
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春ちゃんは、みんなの誕生日に何かをプレゼントしてくれる。すごくほしかったものとか、高価なものでなくても、うれしいものだ。空の希望を聞いておいて、パステルのなめらかプリンを昨夜学校から帰ってきたときにプレゼントしていた。入院中に、お母さんが買って来てくれておいしかったからリクエストしたそうだ。「同じ味がする、やっぱりうまい」と喜んですぐに食べてしまった。すぐ近くで売っているのだから、いつでも買えばよさそうなものだけど、こういうときでないと思い出さないものなのだろう。入院中ぜんぜん食べれないときは、プリンやゼリーやヨーグルトがいつも冷蔵庫にそろっていた。そのうちのひとつで、いつもはなくてめずらしかったので印象に残っていたみたいだ。

慧くんのコンサートのDVDをコピーしてバックアップした。もちろんついでに見ていた。涙腺がかたくなって泣かずに見れたのは、空とふたりで見ていたからであって、ひとりで見ているとやはり涙があふれてくる。お母さんのメッセージ、お父さんの実際のしゃべっている映像を見ていると、親としての気持ちがわかってくるとたまらない。このDVDで慧くんの声を聞いてしまったし、映像は強く心に残ってしまった。この日に空が行けなかったのは、抗がん剤内服の最後のときだったことで、はっきり後々まで記憶に残るだろう。うまく言葉にできないが、「慧くん、空と友だちになってくれてありがとう」と、やはりこれだけは言いたい。


誕生日プレゼントが届いた

2005年11月29日 | メモ日記
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昨日の朝、宅配で空に誕生日のプレゼントが届いた。京都の東さんからマフラー、手袋とメッセージカードをたくさんいただいた。喜びを表現するのは下手な、てれ屋の空でも、さっそくマフラーも手袋もつけて「すごくあったけー」と喜んでいた。夕方、学校へ行くときはもちろん使っていた。東さんに心から、ありがとうございますと言った。

それより2日前の慧くんの誕生日に空と話をしていて、メールでおめでとうと言うものなのかな?プレゼントでも送るのもおかしいのかな?などと、ふたりともこういうことはうまくできないと考えていた。「あつかましいかも」という空の結論だった。

おそらく、慧くんが人付き合いの不器用な空のところへ、誕生日のプレゼントでも送ってやってくれるようにお母さんにお願いしてくれたのだろう。ありがとう、慧くん。空と友だちになってくれてありがとう。


17歳、特にどうってことないそうです

2005年11月28日 | メモ日記
空は、きょう誕生日で17歳になった。昨年はあまりおぼえていないが、一昨年は一時退院中で病院へおかしを配ったようにおぼえている。今年はさらに静かに、だけどまったりと喜びを感じている。よかったと思う。

小児脳腫瘍の会に講演会がアップされて、ひと通り見させてもらった。内分泌の内容なので、現在の空にとっては非常に参考になりありがたい。前回の講演会とも似たようなところもあるが、講演会を実現させて資料としてプレゼンを製作し、みさんが見えるようにしてくれることに感謝しなければならない。その気持ちがあるのなら、自分もできるだけ投稿して会のためになるようにがんばらねばならないと思う。


今年も仕事はもういっぱい

2005年11月27日 | メモ日記
アメリカではクリスマス前の1ヶ月は、日本のクリスマス商戦よりはるかに激しく、年間消費の3分の1が集中するという。もう今年も1ヶ月ぐらいしか残されていないので、ふとん作りの日程を考えて表にしたら、ほとんど余裕がないことがわかった。まだまだ打ち直しの注文はかなりあるだろうが、年内はできませんということになりそうで驚いている。県の技能士会のみなさんのところでも、おそらくいそがしくて同じようなものだと思う。名簿を見ていたら、技能士の方は実質20人ちょっとしかいない。綿ふとんの需要は底まで落ちてもなくなりはしない。羽毛ふとんがぜんぜんいいとは思えない。ともかく、いそがしいことはありがたいことだ。

空は皮膚がよくなってきて、30日はアトピー外来へも行くというし、体調はいい。寒さがぜんぜんたいしたことなく、小春日和という毎日なのも恵まれている。17歳の誕生日というのはどういうものか、昨日ちょっと聞いてみたが、特別になんていうこともないそうだ。


脳外科でも心配なし

2005年11月26日 | メモ日記
今朝はいい天気だ。暖かくおだやかに晴れて、やさしい時間を運んでくれたようだ。空もゆっくりとよく眠れているようだ。DVDを見たせいか、慧くんの姿が印象に残っている。きょうは誕生日なので、空の家にもちょっとやって来ていい時間をくれたのだろうか。

昨日は、脳外科の診察だった。あんなに早く終わって帰ったのは、初めてのことだ。前日に皮膚科もかかっていたので、ほとんど心配することもなく、デスモの量を増やしてもいいことと、よく眠れないようなのでまたデパスを出しておくから十分睡眠は取るようにということぐらいだった。次回は来年でもよいが、どうせ内分泌で来るのだから12月も1回診察することにした。かぜの薬も内分泌の先生が出してくれたし、運動でもしてよく食べて体力をつけるようにというお話がすぐ終わった。帰ってくるのが早くて、お母ちゃんがびっくりしていた。

空の携帯が、昨日はなくなっていた。学校へ忘れたのだろうと思っていたら、前日に皮膚科へ行ったときのマンガの手さげ袋の中にあった。学校へ出かけてから見つかった。学校へ着いてあったらすぐ電話するように言っておいて、かかってこないのでなくなってしまったのかとがっかりしていたときみつかった。お母ちゃんは携帯を持たせるのは無理だと言う。私は、いろんな困難があり、なくしてしまいそうなのが目に見えていても、あきらめてしまうような結論は出してはいけないと言う。多少の心配や苦労があってもかまわないから、携帯だってなんだって人並み以上になんでもやっていけばいい。


昨日、皮膚科へ行っておいた

2005年11月25日 | メモ日記
23日は太陽だけ柔道の試合で名古屋へ行っていた。区の記念大会で、全学年全体重いっしょの100人近い中で、ベスト8に入って敢闘賞をもらえたらしい。最近は子どもの柔道の試合も、親の方が力が入っていて、送り迎えに応援がすごいのだが、うちは例のごとく勝手にやってこいというムードなので、人からすごかったねと言われてやっとわかるぐらいだ。柔道は頭がよくないと強くなれないから、練習はもちろんだが、勉強をしっかりやらないと強くなれないと太陽には教える。

きょうまで待てなくて、昨日、空はひとりで皮膚科へ行ってきた。ヘルペスの飲み薬などたくさんあってたいへんそうだが、薬にもずいぶん慣れてきたので、ちゃんと話を聞いておいて説明書も見て、飲むべき薬から飲んで、ツボは押さえているから立派なものだ。私らではめんどうで、こんがらがってしまいそうだ。ヘルペスはすぐよくなりそうだし、アトピーはそんなにひどくなってはいない。


救急車にびっくりした

2005年11月24日 | メモ日記フォト
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市の子ども会大会も、今回はますます大仕事ではなくなっている。うまくではないが、なんとか次の役員さんへ渡せたと思う。まだ県の方でお役目が残っているので、さようならとはいかない。今回は世界くんと春ちゃんで、開会宣言と閉会宣言をお願いされてしまいそれがお仕事だった。いちおう来賓さんにあいさつして、ステージに座って写真を撮り、顕彰を見ていた。後半のアトラクションは、はじめに役員でハンドベルをやった。練習では1度もうまくできなかったのに、本番の緊張感のおかげだろうかかなりうまくできた。今年も手話の歌があった。知的障害者の施設に勤めておられる方が見本でやってくださった。最後のビンゴはジュニアリーダー主催。世界くんも春ちゃんもまったくダメで、賞品なしだった。写真中央でビンゴの番号を出していたのが、朝ちゃんだったからダメだったのだと思われる。帰るとすぐにお母ちゃんから電話があり、ばあちゃんを救急車で病院へ連れて行くという。まさかそんな事態になったなんてと、あわてて駆けつけると、病状はたいしたことなかった。意識がちょっと薄れたのは下剤を自分で使ったせいで、急にどうこうという病状ではなくみんなほっとした。そんなことでばんごはんも食べたような中途半端になって、給料を届けるのが1軒だけ明日になってしまった。
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火曜に晩ごはんの後でパフェなど食べているところ。私も食べた。空は体調は良好にもどった。頭、頭脳の状態はこちらが期待しすぎているのかもしれないが、あまりいい状態とは思えない。しゃべる声に元気がなく、考えや思いにあやふやなことが多く、忘れっぽいところも目立つ。明日は久々の脳外科診察になる。皮膚科も行けたら行く。



早寝早起きがいい

2005年11月23日 | メモ日記
夜遅くまで起きていて、寝ない子どもが多いとテレビでやっていた。なんとなく未知の世界を体験するような、自分でも子どものころには夜更かしすることに大きな魅力を感じていた。しかし、今でははっきり夜は早く寝て、朝早く起きることが大きな得ということがわかる。それでも、2晩3日寝ずに麻雀をやった経験や、夕食が夜11時過ぎで寝るのは2時過ぎが普通という生活をしていたからわかることかもしれない。朝は9時ごろ起きてごはんは昼過ぎと夕方だった。そういう仕事だったからしかたない。現在は、9時ぐらいに寝て4時ごろ起きるのが普通になっている。これは健康にいい。ただ、これからの寒い季節はちょっと朝がきつくなる。


教授もみえた飲み会

2005年11月22日 | メモ日記
昨夜は大学のゼミの集まりで、終電近くに帰った。先生も久々においでになり、今や経済学部長なのだそうだ。10人以下しかいなかったが、この恩師にとってわれわれは第一期生にあたり、よく話をしてもらえる。だいたい今の学生は飲み会もやらないし、勉強以前に「あいさつ、マナー、コミュニケーション」だそうだ。その点ではわれわれのころは、勉強ができたとは言えないかもしれないが、何倍も深いつきあいがあったとこぼしておられた。ちょうど大学へ来たばかりの先生と、入学したばかりのわれわれは、10歳の年の差が当時からほとんど感じられなかった。先生が結婚されたのは、われわれが卒業する前だったし、子どもは遅かったので、空よりひとつ上の息子さんがおられるだけだ。先生というより、たよりない先輩というイメージなので、コンパの後に新婚のお宅へ押しかけたこともあった。今や経済学部長というから、あまり簡単にはお誘いできないところだが、われわれの会へは喜んでおいでになる。ありがたいことに、私たちのつまらない話へいっしょになって入ってくれる。息子さんは推薦で、来年われわれの後輩になることが決定している。帰宅して給料計算であせった気分ではあったが、ねむたい時は寝ること、寝た後で考えればいいと朝や太陽に言い聞かして寝た。