榊原わーるど

日記みたいなもんです。

来年に持ち越した

2006年12月31日 | メモ日記

やはり座布団が20枚ぐらいできなかった。来年に持ち越したくはないが、暇で困るよりはいいのだから満足しよう。お母ちゃんと世界くんと春さんは、除夜の鐘をついて、神社の振る舞いへ行き、そばを食べたりおかしをもらったりする予定だそうだ。空朝は家でテレビ、太陽は友だちとどこかへ遊びに出かける。私は神社の除夜祭へ行き、早く帰宅して早く寝るつもり。けっこう忙しい大みそかだ。


休みはない

2006年12月30日 | メモ日記

ふとんを作る日程がぎりぎりになってもびっしりで、2日までずれ込むこととなった。3日もやっておかないと間に合わない可能性もある。これは喜ぶべきことだから、休みがなくてもなげいているばかりではない。31日と1日は神社や区の関係で行くところもあるし、結局は4日も5日も休んではいられないだろう。やっぱり少しなげいている。

今年もいろんなことがあって、あとわずかになった。わが家はよく持ちこたえているのではなかろうか。どうせやることや結果は同じようなものなら、何でも楽しくおもしろくやれるように心がけよう。


同じ病気2

2006年12月27日 | メモ日記

あっぷるさんのコメントです。ちょっと前の日付の投稿のところなので、新しい投稿へ再掲します。白血球の数値で一時退院という状況は同じだったので思い出します。家でお正月が迎えられるといいですね。

こんばんは
なかなか不慣れで、携帯ならすぐにでも打てるのですが・・・指1本で必死です。治療から初めてMRI検査の映像を今日見ました。
MRI上では、腫瘍が消えていました。
放射線科の先生が見ても消えているほどのいい結果が出ました。
けれども、ブーさんやまんぼうママさんがおっしゃるように、白血球が下がってきていますから油断も出来ません。
今日はお風呂にも入れましたが髪の毛が随分抜けてクシで髪をとかすのを見て、自分に言い聞かせるように、また生えるしーーと言うていました。
正月が明けてから また科学治療です。
今回は先生から聞いていた説明で、吐き気はもちろん いろんな副作用のことを聞いていたので、すごくキツイと本人も覚悟してました。
けれど、入院する前があまりにも吐いていたためか・・・
薬の副作用ではもっと吐くだろうと私は思ったのですが、1回しか吐かなかったし良かったと私は思ったのですが、娘は副作用はもっともっとキツイ方が効き目があるんだと吐くことを怖がっていたのに、私や祖母に当たり散らしたりしていましたが、先生が話をしてくれて効き目は人それぞれだしね!
吐かないからラッキーだよって先生の話なら「はい!」って聞けるんですよね!
白血球が落ち着いてくれれば、正月は1・2日間ぐらいは外泊できるかなあと先生が言っていました。
1日でもいいから家で一緒に過ごしたいものです。
外泊できるかもと期待をすれば、熱は出る治療も見送りと期待を裏切られるので、
かすかに願っておこうと思っています。
空くんも頑張ってるもんね!!
まんぼうママさんのコメントは本当に救われる気持ちです ありがとう!
傍に居て何を出来る訳でもない けれど治療に向かえたということで 前向きになるし、家族の私たちは あなた方の情報で心強くいれます。


最後に泌尿器科受診だった

2006年12月26日 | メモ日記

忘れないように記録しておかねばならないこと。コートリルは毎日飲むことになった。これはやむをえない。下垂体機能はすべてがゼロになってはいないが、すべてが低下している。

最後に22日金曜日に泌尿器科を受診するようにしてくれて、午後に診察があり、7時に来てくださいという電話があって、晩ごはんを食べようとしてちょっと早く行った。病院食を食べてから麺類ですませて、若い泌尿器科の先生から説明を受けた。こう丸内の組織を切り取り生体検査を行う。これはこの治療をする上で大きな意味がある。ただし、ここの病院はこの不妊治療に関しては弱い分野なので、セカンドオピニオンはもちろん考えてもいいですよと、ズバリと話をしてくれた。まあ、そのあたりは内分泌の方とよく相談してやって行きますということで、とにかく注射針で吸い取るようなやり方はなく、手術室で部分麻酔でやるので、日程を修学旅行後の1月末に決めた。最後に退院する前に血液型検査をやっておけば日帰りでできるので、明日やっておこうということになった。

やり方など詳しく説明されても、空は非常に不安そうだった。内分泌の先生が、泌尿器科を受診して検査してもらうけど、いやだったら自分ではっきり言えばいいよと前日に言ってくれていた。拒否する権利はもちろんあるからと。

背骨に穴あけて髄液を取ることなど、これまでやってきたことを考えれば、絶対できるからと説得して決定した。もちろんこの検査である程度の治療効果が予想できる。エコーでみた限りでは萎縮しているが、機能は大丈夫だと思われるそうだった。体育会系の雰囲気のはっきりした先生だ。

大学病院へ入院して、今度は手術室で生検などという話をすると、よほどうまく説明してもみんなに心配されてしまうことが予想される。みなさんに、こんなにうまく治療できて、よくなっていることをきちんと伝わるようにしっかり説明しなければいけない。


けっこううまかった病院食

2006年12月25日 | メモ日記フォト

Meidai_004 Meidai_002 Meidai_003 大学病院の14階レストランで、空が和風ハンバーグ、私はやわらかお肉のカツ丼を食べた。うまく写真は撮れなかったが、夜景を見ながら食べることはできる。名古屋は上海ほどの都会ではなくても、いたるところに思い出のある空気のきれいなところだ。もう閉店ぎりぎりで食べたが、病院というところだけに様々な事情でここで食事をした人がいたことだろうと、そんなことを思った。先生から話を聞いた後だったせいだろうか。

Meidai_001 このメニューはとうふのあんかけなどでそんなに大した事ないと思うが、病院のごはんはうまかったと言えるようになれた。今回の一番の収穫かもしれない。ほとんど毎食、残したというほど残していないようになれた。うな丼は特にうまかったそうだ。


好物のケーキ

2006年12月25日 | メモ日記フォト

Meidai_005 これがまんぼうママからいただいたパン屋さんのケーキ。クルミなどの木の実がいっぱいで季節限定品。かなり以前からわが家の好物で、1ヶではけんかになるので2ヶ以上買うか、1ヶしかない場合みんなにないしょで食べたりしている。

空が、じろくんがかっこいい帽子をかぶっていたと教えてくれた。おれもああいうのがほしくなったと言っていた。空はじろくんぐらいの子には、けっこうきびしいお兄ちゃんになるので、世界くんとはよくけんかしている。ほんとうのところは、小さい子にはやさしいんだけど。


今回の医師のお話

2006年12月25日 | メモ日記

きょうまではとても落ち着けない気分だが、明日からは気持ちの上ではちょっと余裕ができるだろう。

今回の検査入院で、うまくいけば性腺ホルモンの自己注射を始めることができるかもしれないとも考えていた。しかし、結論はかなりきびしいものだった。21日木曜の夕方に内分泌内科のA先生と、いつものK先生、研修医と担当看護師さんが同席して、本人と私で説明を受けた。

やはりこのホルモン注射によって腫瘍を再発・悪化(増大)させる心配はある。現在画像ではきれいになっているが、これによって万が一の事態になったとき、真に再発なのか残存細胞があったのかということも、今の段階でははっきりしないぐらいのものであり、ひとつのメドとしては治療終了後5年はほしい。将来、パートナーがあらわれて子どもがほしい段階になってこの治療をすることにして、それまではその時に成功するように補充療法を主にしてやっていくべきです。

だいたいこういう結論だ。教授の見解も、この場合はとにかく慎重にすべきであり、脳腫瘍(胚細胞腫瘍)は生易しい病気ではないということだった。基本的にはこの病気の患者には禁止された治療であり、特殊なケースのみに期間限定で実施するというふうに理解していなければいけないようだ。そのほかの下垂体機能低下による影響をしっかり検査して、今後のよりよい治療を検討していただけるのであり、安易に性腺ホルモン治療を急がないことを警告してくれたこともありがたいことだと感謝している。


退院した

2006年12月24日 | メモ日記

21日の木曜日に負荷試験を行い、夕方に説明があって父が行った。22日の金曜日は泌尿器科へかかって、夜になってまた私が行って泌尿器科の先生からお話を聞いた。昨日23日の土曜日に退院して昼過ぎに家に戻った。終わってみれば早いものだが、空はやはりうれしそうに帰宅した。たくさん採血があって、蓄尿と飲んだ水量のチェックが続き、退屈で困ったという。


すれ違いにびっくり

2006年12月20日 | メモ日記

1階で食事などすませて12階の病室へ戻ると、家族の大好物パン屋さんのクルミケーキが置いてあった。つい先日家族で2ヶ食べたばかりだ。てっきりお母ちゃんが持って来て置いていったと、思い込んでしまった。モノがモノだけに、まさか他の人がうちの好物をわかるわけないと思い込んでしまった。家へ電話すると、お母ちゃんは不在でわからなかったが、周りにそれらしき人はいないし、メモか何かないかとさがしても何もない。ともかく7時過ぎたから帰るわと、空にいろいろ伝えて帰った。何と、金山駅で空からメールが入り、まんぼうママさんがまんぼうじろくんとお見舞いに来てくれたという。「驚いた?」と書いてあったが、ほんとうに驚いた。

置いてあったということは、食事しているうちにおいでになって、戻ったときはどこかへ行かれていて、私が帰ってゆくとまたおいでになったということになる。ほんの数分のすれ違いだった。もうちょっとのところで、まんぼう親子に会えたものを、とんでもない思い込みのせいで残念なことだった。「ほんとうにありがとうございました」こちらが忙しさにかまけて、さっさと帰ってしまいほんとうに残念なことをしたと思います。お話すべきことが山のようにあって、そうすると帰れなくなるかという心配があるぐらいでした。でも、残念という気持ちよりも、来てくださったことがうれしい限りです。いつかまた、いくらでも機会はありますから、そのときはよろしくお願いします。


2日目ちょっと行った

2006年12月20日 | メモ日記フォト

入院2日めで、定休日なので、早く行ってやろうという気持ちが強かった。しかし、ふとんを作る仕事がめちゃくちゃ忙しい。家の方がスクランブル体制なので、空には自分で何とかするようにたのむしかない。初めの日にレントゲンや心電図の検査があって、まだいっしょに行けたが、一人では迷子になってしまいそうだと心配していた。蓄尿や採血に、今回は飲んだ水量をチェックする。負荷試験はいつになるかまだわからなかった。MRIの画像診断は、放射線科の診察という形でこの日の午前中に行われた。

わたの打ち直しを午前中にすませて、遅い昼ごはんを朝さんと二人でベン○マンですませ、配達などを終わらせて、保健所で小児慢性特定疾患の申請手続きをして、近くの駅から電車に乗った。お母ちゃんは、定休日でもやることいっぱいで家に残った。

Nbyouin3 晩ごはんを食べようと行くと風呂から出てきたところだった。昨日も夕方に入ったし、きれいな風呂なので毎日入ると言っていた。メニューはエビフライなどで、二人でちょうど半分ずつ食べた。昼のベン○マンもエビフライ弁当だったが、病院の方がうまかった。ごはんを少なめにしてもらっているが、けっこうおいしく食べているようだ。

晩ごはんを半分にして、1階か14階のレストランで食べる予定。ついでに売店や喫茶店へ行きたいということで、下へ。空はかつ重を7割がた食べて、私は串カツ定食。喫茶でアイスクリームも食べ、コーラなどを買って戻った。水をどれだけ飲んだか記録すれば、レストランでも自販機でも飲むことはかまわない。