榊原わーるど

日記みたいなもんです。

150630 盆踊りも近くなってきた

2015年06月30日 | メモ日記
いつの間にか夏至を過ぎているのに、まだまだ暑い季節にはほど遠い毎日だ。
短パン・袖なしTシャツを出したのは、かなり前のけっこう暑かったころだ。
もうそろそろと予想しつつ、このところ涼しい日々で過ごしやすい。
明日から7月なので、太陽くんがクーラーなしでいられるのもあと何日もなかろう。
昨夜はお寺の盆踊りの打合せの打合せという名目で、坊さん2人ほかと飲んだ。
お母ちゃんも盆踊りとなるともちろん出てくる。
お寺の厨房でアヒージョなどをやって、ビールにシャンパンなどたくさん飲んだ。
帰りは歩いてすぐなのだが、足がもつれる感じで酔っぱらっていた。
今年も盆踊りは太鼓と踊りで、毎日にぎやかになることだろう。
西成岩区全体は5日、お寺は6日、あとの新宮・彦洲地区へは1日ぐらいしか行けない。

150629 安倍談話は戦後レジュームからの脱却を示すもの

2015年06月29日 | メモ日記
戦前からの唱歌を覚えようとして、歌詞をネットで出してプリントアウトした。
「われは海の子」からはじまって、季節がら「夏は来ぬ」を覚えて後が続かない。
「鯉のぼり」「椰子の実」「冬景色」「里の秋」「花」「故郷」「埴生の宿」
「隣組」「早春賦」「お山の杉の子」「欲しがりません勝つまでは」「兵隊さんよありがとう」
みんなワンコーラス1番ぐらいは知っていても、最後までとなるとほとんどわからない。
しかも全部の歌詞を覚えないと、本当の意味は伝わらないものが多い。
たとえば有名な「蛍の光」は、3番と4番を消されてしまった。
GHQのWGIPによって消された部分がある歌はたくさんあり、そここそ知るべきところだ。
「東京だよおっかさん」で、戦死した兄が靖国神社にというところまでそうなったらしい。
実際にはGHQに媚を売る日本人が、わざわざそういう歌を報告したものが多いという。
でも、もういいじゃないかと、はっきりした形で示すことが必要だ。
戦後レジュームからの脱却というものを、形として示すことこそ現在日本に必要なことだ。
話題になっている戦後70年「安倍談話」は、戦後レジュームからの脱却を形にすればいい。
第一次の安倍総理が戦後レジュームからの脱却を掲げたのであり、そうなるのは当然だ。

150628 疲れた時こそ体をほぐす

2015年06月28日 | メモ日記
昨夜は同年会還暦野球の練習だったが、まだまだ普通には野球ができない。
ほとんどできないとはいっても、球拾いをしているだけで非常にいい運動になる。
無理をしないようにゆっくり動いていても、通常とは違った運動ができる。
さらにきょうは新しいわたが必要になって、わた打ちの機械を動かしわたも運んだ。
こんな活動だとそうとうに疲労があって、以前であれば午後は痛みで動けなくなっていた。
こういう時こそ、ストレッチ・体操で体をほぐすのが効果的だということがわかってきた。
筋肉痛などぜんぜんないわけじゃないし、立ち上がる時にはちょっときつい。
それでも以前とは違うというのがわかる。
体がぎしぎしと痛みを訴えている感覚を、ストレッチ・体操でほぐすことができている。
ただし、歩行の限界の間隔などからすると、腰部脊柱管狭窄症は決して良化してはいない。

今回の野球は少人数になって、雨によるグランド状態も心配だった。
まあそれなりにみんなでやって、終了後はとんこで一杯やった。

150627 韓国ドラマはやめてくれ

2015年06月27日 | メモ日記
はっきりしない梅雨空でどうも野球の練習はなさそうだ。
それでも飲み会はあるはずだから今夜はいつもとはちょっと違う。
最近はGyao!の無料配信でまた三国志を見ている。
もう録画を何度も見て三国志にはずいぶん詳しくなった。
そういえばまだ韓国ドラマをテレビでやっているみたいだ。
いったい誰があんなもんを見るのだろうか。
ソフトバンクのCMも見るたびにソフトバンクをやめたくなる。

150626 内服薬なしで調子いい

2015年06月26日 | メモ日記
ラーメン会でやはり生ビール1杯飲みすぎて、時間も少し遅くなってしまった。
土曜日には野球の練習も予定しているし、そろそろ同年会で相談することも多い。
今朝はいつもと同じ4時半に目が覚めて起きているから、時間遺伝子は正常なようだ。
起きる前に必ず足を抱え込むストレッチをやって、寝ている間に伸び切った背骨をほぐす。
抗生物質を飲むのが火曜日に終わって、現在は薬をまったく飲んでいない。
腹の調子もいいし食欲もありすぎるぐらいで、昨夜も松屋へ寄ってしまった。


「鶏の甘辛みそ炒め」は、残念ながら食べる前の期待の50%ぐらいだろうか。
もうすぐ私の好きな「山形だし牛めし」がはじまるらしい。

150625 新規カードの審査

2015年06月25日 | メモ日記
太陽くんは電話代を自分で支払うようにするため、VISAカードを申し込んでいた。
郵送されてきたのは、何と「今回はカードの発行を見送らせていただきます」だった。
口座のある信用金庫から申し込んだのだが、審査が通らなかったらしい。
「貧乏人にはカードを作ってくれないということか」と、ひどくがっかりしていた。
そういう意味ではなく、不安定な立場の若い彼らは犯罪に利用されることが心配なのだろう。
普通の銀行口座はもちろん、クレディットカードも最近は犯罪に利用されてしまう。
そんなことが理由だとは思うが、何だか納得がいかない。

150624 まかりならん

2015年06月24日 | メモ日記
韓国の自称元慰安婦らが損害賠償訴訟を米サンフランシスコ連邦地裁に起こす方針を明らかにした。
訴訟対象は、天皇陛下と安倍晋三首相、三菱重工業などのほか、産経新聞も含むという。

こんなニュースを目にしたら、ごく一般の日本人である私でも堪忍袋の緒が切れる。
ばあさんたちが、どんな戯言・妄想による暴言を言っても哀れな人たちだと同情もする。
しかし、天皇陛下を侮辱することは、決して許さない、まかりならん。
もうこれはいい加減にしろというラインを越えていて、私でも怒りに震えている。
韓国を嫌う嫌韓が現在の日本に定着していて、これがさらに嫌韓を怒韓へ進めるだろう。
放置しておけばいいという安易で利口な態度では、おさまらなくなってしまう。
天皇陛下のために命をささげるということこそ、日本人としての本望なのだ。
それはすなわち、日本という国・人々のためと同じ意味を持っている。
家族のため、故郷のため、国のため、世のため人のためが=天皇陛下万歳なのだ。
日本人は古よりそれを心の奥に持っており、現在も変わりはない。

150623 控えめにがまんする心

2015年06月23日 | メモ日記
湯船にはつからないが風呂のときにできものの傷を洗って、ガーゼをはりかえる時に消毒して薬をつける。
ガーゼのはりかえはお母ちゃんにやってもらうのだが、昨夜のように帰宅が遅いときなどは忘れている。
言われなければ人のことなんか簡単に忘れてしまう。
これは悪いところとばかりではないと私は思う。
おそらく立場が逆だったなら、私は簡単には忘れるようなことはないと思っている。
催促するようなことはほとんどないのも立場が逆ではないからだ。
お母ちゃんだったら人にやってもらう場合でも、催促もするし注文も付けるだろう。
朝鮮に「泣く子は餅がひとつ多くもらえる」ということわざがあるという。
これはいつも催促して文句や泣き言に嫌味ばかり言うほうが、人にやってもらえるという意味だ。
日本人はどうしてもそういう考えはできない。
控えめに催促なんか絶対せずがまんして、やってもらえることに感謝する気持ちを持つ。
がまんしていることがいつかは報われると信じる。
やはり私は日本人なんだろうか、昨夜は自分で応急的にやって朝になってやってもらった。

150622 切ったところがうまって来た

2015年06月22日 | メモ日記
できものを切って壊死したところをえぐり取ったあとが、ようやくうまって平らに近くなって来た。
ガーゼの上からさわってみて、いつもへこんでいたのが感じられなくなって来た。
ガーゼがはってあれば、座るときにほとんど意識しなくても平気になった。
大事なのはできものでなく、腰部脊柱管狭窄症による足腰の痛みとしびれだ。
できものを早く医者に切ってもらえというのと同じように、早く手術してしまえになりがちだ。
しかし、これはまったく別物であって、もう手術を考えることはないと思う。

150621 久々に神社で

2015年06月21日 | メモ日記
神社へ生産組合(農協)の豊年祈願祭に参列した。
祝詞奏上、玉串奉奠、直会と久々に神社で神事に触れたような気がした。

終わってから恒例の西瓜を食べている時、
「いつから西瓜なのか?」
「初物ということで、ずっと昔から」
「昔はこんなうまい西瓜じゃなかった」
そんなふうに話がずっと続いていた。
昔からのことを粛々と伝承してゆくことが日本の神道。

自分を入れるべきかどうか。