消費税が明日から8%になるので、うちも対応させないといけない。免税業者にとっては、どういう問題があるのか表面に出にくい。仕入れで払った上昇分を価格へ転嫁するしかないわけだが、ストレートに商品価格へ税率をかけるだけというわけにはいかない。うちの場合は請求書をほとんど作成しているので、税率を上げるだけの対応をするだけだ。内税で商品表示をしているものは現在ごくわずかしかない。店の商品はほとんど表示していない。生地などの場合は作って請求書に記載するから内税のように表示してあっても問題ない。生地だけ買われる場合がたくさんあればめんどうになるが、めったに表示してある座布団の生地だけ買われるお客様はいない。消費者側になって、少しでも得をしようと買いだめはしない。ガソリンも考えもしない。そんなこと今になって考えるぐらいならば、民主党が消費税増税法案を通過させたときにもっとみんなが反対しなければならなかった。自民党が裏取引のような3党合意の形で賛成していたころだ。今になってあおるテレビにもうんざりだ。
昨夜はお母ちゃんが飲み会、朝さん春さんが映画、世界くんは友だちの家へ遊びに行って、私が寝るころは空くんがひとりでくつろいでいて、非常にめずらしい静かな状態だった。今朝はいつもよりやや遅く5時少し前から起きて活動していた。そこへお母ちゃんが朝帰りで、あわててとにかく寝る。空くんがトイレに起きて来たころには私は朝ごはん(そうめん朝食)を食べていた。ごはんが終わるころに世界くんが帰宅。しばらくすると空くんが起きて、春さんもバイトがあると起きて、世界くんはバイトがあるそうで着替えて準備して仮眠。空くんと店へ来るころは世界くんも出て春さんだけだった。朝さんは一日しっかり寝たらしい。お母ちゃんは午前中から活動を始めて昼寝をして何とかしていた。世界くんはバイトが終わったら完全にダウンして寝るだろう。自分も高校のころは徹夜麻雀でそんなことを何度も経験したからあまり注意するということはない。みんな睡眠が不規則で「時間遺伝子」はめちゃくちゃになっている。私だけは目覚ましいらずの朝4時に必ず目が覚める。この重要性がわが家で誰もわかっていない。
大麻の栽培をするためには大麻取扱責任者とかいう免許が必要。もちろん栽培目的、場所、目的外の部分の処理まではっきりさせるなど大変だ。日本に古くから伝わる大麻を栽培したいのだから、そんな取締りの必要などない。なぜなら日本で昔から栽培されていた大麻には覚醒成分はほとんどなく、大麻樹脂を精製することは実際にはひそかに行えるようなことではないらしい。だから、種の配布と収穫物の流通をしっかり管理するだけでいい。許可される耕作面積が現在1反1000㎡だからそれだけでも規制になる。ロハスな人たち、地球環境を自然に満ちたものにしようと活動する人たちが、なぜ日本の大麻栽培を広めて戦前のように麻を活用させようとしないのだろう。原発をなくすことによって、電力を補うために石油をバンバン燃やして二酸化炭素で大気を覆っている現状を少しでも何とかするには、森林減少を防ぐひつようがある。そのためには世界規模で覚醒成分のごく少ない日本古来の大麻を栽培すべきであることは明白だ。うちの空き地でもどんどん栽培できる日が来るべきだ。
昨夜は大学のゼミ仲間の飲み会で名駅「塚田農場」という居酒屋。東京方面には宮崎「塚田農場」はたくさんあるらしい。ゼミの教授は我々より10年上で、このメンバーが初めてのゼミ生ということもあって、いつもできる限り参加してくれる。ひとりが4月から東京へ戻ることになったので送別会。しかし、わずか2年しか名古屋にいなかったし、家族は柏に住んでいるという送別会。まあ、何でもいいから飲み会をやりましょうという姿勢がはっきり出ているということだろう。先生には一度泊まりでしっかりと経済の話をお聞きしたい。マクロ計量経済学という分野だから私にとって話は興味深い。「塚田農場」は東京でもよく流行っていて、名駅もなかなか予約が取れないのを、食品系に勤めるメンバーのひとりがようやく手配したという。ただし、私にとってぜんぜん感動できるような店ではなかった。知多半島のほうが肉も野菜も醸造品もはるかに上で、魚介類においては問題にならなかった。
あと3人写っていない。来ていないのは遠方の郡上、西宮の2人ぐらいだ。
店のパソコンを完全にubuntuにしてしまってもいいかと思うのだが、どうしてもwindowsを消してしまうのは抵抗がある。別のディスクへインストールして、これまでのwindowsも起動できるようにした。しかし、現在のubutuは大半のwindowsソフトを走らせることも可能だから、併用しては行くが必要なくなる日もそう遠くないだろう。
だいたいここで使う人のほとんどはインターネットだけが必要であって、ごくまれに学校などの関係で何か使うぐらい。私は会計など業務のソフトを使うが、ubuntuでもまったく問題ないというか、むしろ速くて使いやすい。電源入れてお母ちゃんのFaceBookページまであっという間だ。windows8でもかなわない。これでもフリーソフトはすべて驚きの無料。
昨日の定休日は朝昼ともにうちでごはんがあって、夜ははなまるで牛肉ごはん明太おろしセットを食べたのでちょっと食べすぎ。夜は空、朝、春、世界の4兄弟で麻雀をやっていた。学校が休みになる時期は麻雀の時期になっていて、みんなが学校へ行かなくなるころには兄弟麻雀も終わるだろう。あと数年か。
大阪でビジネス系の調べによると、windowsXPがいまだに半分近く使われているらしい。問題はXPだからというより、windowsを使い続けることのほうにあると思う。windows以前のことを思い出せないだろうか。マイクロソフトにばかりもうけさせてしまったのは問題だった。windowsでなくてもパソコンは問題なく便利に使えて、互換性もネットを通じて安心できることがわかればOSにお金をかけないようになるだろう。韓国なんかのように「われOS」と言われるコピーwindowsを平然と公的機関で使ってはいけない。そんなことをする理由はない。unix系のフリーOSでいいのだ。むしろwindowsより優れていることは明白。ということで、うちの店のメインパソコンをSSDでubuntuにすることにして購入した。64GBでいいのに、もうどの店でも120GB以上の容量しか売られていない。
洗濯したズボンのポケットからぼうしが出てきた。酔っ払っていると記憶があいまい。今週は名古屋で飲み会もある。日米韓の首脳会談があるという。日本側が歴史認識を改めて謝罪・賠償に応じない限り会うことはないと言っていたのだから、日本側がそうなったということなのだろうか。無能なオバマ米国に顔を立てて、まったく意味のない不毛の会談をするなどと、おろかとしか表現できない。日本人のものすごく多くの人が嫌な感じでこのニュースを聞いたことだろう。まさか何か約束するはずはないと思うが、やはり心配で嫌な気がしてならない。今や韓国って聞くだけでいやな感じがただよう。
japanese onlyという横断幕を掲げたとして、無観客試合という懲罰を受けたサッカー浦和レッズ。何が横断幕だ。観客席への入り口に出した横看板という程度のものだ。あんなものをレイシスト・差別だなどとして罰を下すサッカー協会がどうかしている。浦和レッズも無観客試合などという不当な裁定に従う必要はない。少なくともチーム全体に責任を負わせるというあまりにも日本的な考え方はどうなんだろう。サポーターの内部での問題として扱って解決すべき問題だ。そもそもマスコミの取り上げ方がおかしすぎる。あんなものをオーバーに横断幕として騒ぎ立てるなんて、もうレイシスト問題で異常なのはマスコミだ。サッカー協会だって、オリンピックで「独島はわが領土」のプラカードを掲げた韓国チームと選手は、どんなあまい処分だったのかもう忘れたのか。韓国なんて誰一人悪いことをしたと思っているやつはいない国だとわかっているのか。
お母ちゃんの高校時代の仲良しが乳がんで亡くなった。今夜のお通夜も、明日の葬式もお母ちゃんは参列する。私の同級生もそういう時期になっているが、今回のお母ちゃんの場合は非常に仲がよく交流も深かったのでショックは大きいようすだ。もう年末ぐらいから危険な状態だったので、心の準備はできていたということはある。この2・3ヶ月は気力だけで持ちこたえていたような状態だったらしい。何かの心の支えがあるかないかが、最後のところでは大きな違いとなるような気がする。転移して治療の見込みがないと宣告され、最後は病院か自宅かを選択してなお数ヶ月持ちこたえたというのは、何かが支えたとしか考えられない。お母ちゃんも、私も、そういう執着心は弱く割り切りが早いほうかもなあと、ふたりでさみしく話していた。
なんでも「戦争は決してあってはならない」との結論で結ぶNHKを、もう見ないようにしているのにまたちらっと見てしまった。確かに「戦争は決してあってはならない」という結論を否定できるはずはない。しかし、それで終わってしまっていては戦争をなくすことなどできないことは人類の歴史が証明している。それなのになぜ戦わなければならなかったのかを考えることこそ、戦争を防ぎ平和な世界をめざすために絶対必要なことだ。NHKは「戦争は決してあってはならない」という結論をつけることによって、途中で誘導的にウソをたくさん並べていることを明らかにごまかしている。もう見ないつもりでいても、なかなかそうはいかないのが現実だ。
負けるとわかっている戦争を戦うことを「自衛戦争」というそうだ。日本は、元、明、清そしてロシア、米英と勝てるわけがないと言われた戦争を戦い、一度だけ負けた。我われはこの国を民族を誇りに思うことができるのは、勝つに決まっている戦争をせず、負けるに決まっている戦争を数知れぬほどたくさんの尊い命を犠牲にして戦い抜いた日本の先人のおかげである。戦争があってはならないことを誰一人として否定などしない。しかし、戦わなければならなかったことをわからなければならない。わからないのは「戦争は決してあってはならない」ということを片面しか理解していないことになる。誇りを持てない国は片面さえも理解していないからだろう。