うちのすぐそこにあるカラオケへ、太陽くんをのぞく6人で行きました。かつては不動産会社のビルが、現在はゲーセンとカラオケになっているというもの。家族でカラオケなんてめったにないのに、サービスポイントが貯まって10人まで2時間無料を利用するため。100円のウーロン茶だけは注文してもいいことにしましたが、1000えん以下でおさまりました。私はかき氷を食べて涼むのがいいと思っていました。かき氷がないなんて、なんて店だと叫んでいました。母「赤いスイートピー」ほか5曲ぐらい、朝はさまざまなところから10曲ぐらい、空は「空もとべるはず」ほか3曲ぐらい、世界くんと春さんはほとんど歌わず、私は「オナラ(韓国ドラマのチャングムの歌)」ほか5曲ぐらい。
ナガシマスパーランドへ、朝と春をのぞくメンバー5人で行った。おばけ屋敷の涼しいところへ直行するほどの暑さだった。写真バックの観覧車もクーラーばんばん効いて、めちゃ涼しかった。ホワイトサイクロンも2回乗って、空はスチールドラゴンへ並んで乗り、その間に世界くんは小規模ジェットコースターへ5回乗った。他の父母太陽くんはレストランで長時間涼んでいた。
夜8時ごろ帰るために駐車場へ歩いて行くと、車がない。どこへ止めたか誰もわからない。行くときはシャトルバスだったせいか、ぜんぜん方向がおかしい。みんながバラバラでさがしまわり、携帯電話で連絡して30分ぐらいたって、ようやく私が湾岸道路の向こうで発見した。疲れているところへダブルパンチの疲れで、汗と涙にまみれてへとへとの帰宅だった。
13日は同じ地区でも隣の盆踊り会場で踊りまくり、14日15日はホームグランドでゆかたに下駄で汗まみれ、15日はバザーでだんごと金魚すくいを同年会でやって、太鼓に踊りに完全燃焼だった。お母ちゃんは、子ども会でおもちゃなどの店を出し、準備もあわせて打ち上げ会が終わるまで長い長い1日だった。これだけ盛り上げることに力を尽くしているのに、われわれ同年会は主催側の反省会にも呼ばれていない。まあ、自分たちでやった方が楽しいからどうでもいい。
「炭坑節」「郡上節」は定番として全国で有名だろう。半田市では「半田きやしゃんせ」とか「山車まつり」が古くから盆踊り定番曲。八代亜紀が歌う「半田盆唄」や吉幾三の「半田よいとこ音頭」が入ってきたのもずいぶん古い話になってしまった。スマップの「世界にひとつだけの花」も4年めだと思う。昨年は「マツケンサンバ」をやっているところがあった。私は歌いながら踊るのが好きだが、体力がもたないぐらいになってきた。
真夏の猛暑もあと少しだろう。多治見と熊谷で40.9度を記録した今年は、予想通りの暑い夏だったということになった。ただ、7月のうちは涼しい夏だったと思う。多治見の隣の春日井にいた9日~11日に、知多は海があるからそんなに暑くないですよね、と聞かれた。実は1日のうちで凪と言われる風が止まる時間があり、その暑さは独特でものすごいですよと言っておいた。気温にはあらわれない「べた凪」と言われているものがある。暑さの気温の記録には海岸地方は出てこないが、体感する暑さは決して負けてはいないと思う。クーラーをほとんど使わないうちの家族には、この猛暑は家族の危機的大問題である。
こういうキャンプなどの野外で作る定番はカレーライスだ。今回は10人分で、私はどうしても調味料など、かくし味がほしかった。米120g(0.83合)を1人前としているが、実際にはそれだけ食べれない人がけっこういる。ここは丸い飯盒が使われている。飯盒は軍隊で腰につけて運びやすい形だという。現在は飯盒を使う理由がないように思う。むしろ災害時などで役立つためには、普通にある鍋などでごはんを炊くようにすべきかもしれない。
山盛りにしてちょうど10人分。県子連役員、キャンプ講師のお2人、県子連事務局職員さんで、あっさりなくなった。中高生の子どもグループもおかわりして、ちゃんとなくなっていた。5年連続で食べていて、年々全体がうまくできるような気がする。火がつかなくて、われわれが出来上がってもなお、煙にまみれて格闘しているグループもあった。 これを経験して少しでもうまくなればいい。味見をしたが、どれも大差はなく、失敗というほどのことはなかった。時間も合格。
今年は講師を免除してもらって、若い指導者を専門指導者に育てる目標で、数年来の課題を達成して、これからはジュニアリーダー指導の20代専門指導者養成も楽しみにやってゆきたい。
ラジ体はどこにいてもできる。この日も前日も、6時半にやっている証明写真。ハンコも持参することもできるとおもしろいか。1日めは5人ぐらい遅刻して、2日めは5分前全員集合だった。見るからにみんな睡眠不足はあきらかだったが、熱心に研修している姿勢はここ数年でも特筆もの。