ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

鹿児島市の景観計画について ~懸念がある④~

2007年07月11日 21時21分38秒 | Weblog
 シリーズものになっちゃったけど、この項で終わりにしたいと思います。
 いろいろ、ぐだぐだと申しましたが、新規事業というのは、やはりどこか不安がつきまとうものです。
 だからこそ、「5分間の説明会」で、地元の負担は?という声が真っ先に飛び出すわけです。
 担当者は、「その都度、ご相談に」と謙虚な姿勢で言われましたが、まだ打診の段階なので謙虚、ということにきならないようにしてほしいですね。案が議会を通った後に、手のひらを翻して「決まったことだから」と居丈高にならないでい続けてほしいと願っています。
 最後に、私の一番の主張をもう一度述べて終わります。
 都市生活者の論理を田舎生活者に押しつけないようにしてほしい、それだけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿児島市の景観計画について ~懸念がある③~

2007年07月11日 00時14分07秒 | Weblog
 まず、アップした写真を見てほしい。去年の稲刈りの後の様子です。干してある稲の後ろにグレーの縦線が入っているのに気づかれたと思います。・・・そうです。電柱です。
 これをなくそう!というのが、景観計画の趣旨だと市の担当者は言いました。それはそれでけっこうなことなんです。私もけっこう棚田の写真を撮っていますが、本当にこの電線・電柱というのは「邪魔者」なんですね。八重には写生のグループも来られます。写生ならば不要なものは描かないという選択肢がありますが、写真の場合には消すことはできません。
 だから、景観計画なんですね。
 
 私は計画に対して不安を感じた理由として、①計画でうたっていることと職員の説明の順序が違う(利益誘導的である)こと、②地元負担の程度が明らかになっていないことをこれまでに指摘しました。
 今夜は3番目の理由を述べたいと思っています。というのは、電柱の地中埋設にしても、ガードレールの木造化にしても、結局は「見てくれ」が先に立っているために、地元の意向は了解をとるだけになっていることです。
 言いたいことが伝わりにくいですね、この展開。
 つまりは、地域外、行政を含めた「ここ」に住んでいない人々の意向によって事業が進むことの恐ろしさです。「田舎は田舎らしくしろ」ということです。この事業のバックについている人々は誰一人として八重には住んではいません。
 事業は数年後にはきっと言い出すはずです。家の建て替えなどにまで口をはさんでくるのではないかと。そうなると、農業後継者などで苦労している地域としては、住民の子や孫が帰ってきて家を建てようとする時に規制がかかることになります。規制のかかった地域に家が増えないことは小山田地域などの例を見ても明らかです。
 そうなると、自動的に八重に家は建たず、高齢者は亡くなり、人はいなくなってしまいます。事業のバックについている人々は自分たちも棚田の管理に協力したいと言っているようですが、地元抜きの棚田事業なんて笑止千万です。
 八重の住民の年齢構成を考えれば、もう10年後にはその現実が迫ってくるわけです。
 
 ただ、見栄えを美しくする、それだけではない、地域の最大の課題とセットにして考えてほしいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする