今年の正月、京都の愛宕山神社の参道で発生した道迷い遭難ですが、この事故について京都府警右京署が調査を行っていますね。
愛宕山遭難調査に同行 脇道「命奪う迷路」
読売新聞 2013年2月4日
毎日の記事だけ残っていましたので、参考にリンクを張っておきます。
京都・愛宕山の母子遭難:落ち葉かけ温め合う 4人、一晩をしのぐ /京都
毎日新聞 2013年01月08日
雪崩だと大がかりな調査が入って原因が分析されるケースが多いのですが、通常の遭難ですと検証されるのは大量に人が死んだケースばかりであり、こういう地味な遭難だとほとんどスルーされて終わりです。本当はトムラウシみたいなケースよりも、このような遭難をもっと検証すべきなのではないかと常々思っています。そんなわけで、京都府警右京署の試みは評価したいです。
さて、読売の記事から引用してみますか。
引用
表参道と脇道の分岐点を署員が調べると、道を隔てる大木の脇道側の枝が赤く着色され、青色のビニールひもがゆわえてあった。
親子が迷い始めたのは6日午後5時半頃で、女性は同署に「子どもが脇道に入ったので付いていったら迷った」と話しているという。三浦俊博同課長は「着色などは、登山者が記念に付けたものだろう。親子は暗がりで道が見えない中、ルートの目印と誤解してしまったのかもしれない」と分析し、西田所長に、夜間でも見える案内標識の設置を要請した。
引用おわり
「脇道側の枝が赤く着色され、青色のビニールひもがゆわえてあった」とありますが、これはおそらく、何らかの理由で脇道を利用している人が、入り口の目印としてつけたものでしょう。
しかし、それを子ども、あるいは何も考えてない大人が見ると、正規の登山道を示しているのだと思い込んでも不思議ではありません。参道と脇道の区別がつけられない人はたくさんいますし、少々疑問を感じたとしてもマーキングがあるとそのまま突き進んでしまう人がけっこういるのです。
ですから、登山道においてマーキングをつける場合、自分たちの都合だけでそれをやると思わぬ遭難事故を招きかねないので充分な注意が必要です。「登山道と踏み跡の区別ぐらい、誰でもつくだろ」なんて思っていると、意外な結果が待っています。
一方で、マーキングに頼りまくる登山者についてもかなり問題だと思います。
登山の際にマーキングを参考にするのは別に悪いことではないのですが、あくまでも情報のひとつとして捉えるべきです。コンパスで方角を確認するとか、登山道の幅や踏み固め具合いを確認するとか、周辺の地形を確認するなど、複数の情報をドタマにインプットした上で、総合的に判断する必要があります。そのマーキングが何のためにつけられたのか、無条件で正規の登山道だと信じ込む前に、もうちょっと考えるべきです。
思うのですが、登山道におけるマーキングって、深く考えずにつけられているものでありながら、多くの人がそれに頼り切っているわけであり、なんだか凄く怖いです。
愛宕山遭難調査に同行 脇道「命奪う迷路」
読売新聞 2013年2月4日
毎日の記事だけ残っていましたので、参考にリンクを張っておきます。
京都・愛宕山の母子遭難:落ち葉かけ温め合う 4人、一晩をしのぐ /京都
毎日新聞 2013年01月08日
雪崩だと大がかりな調査が入って原因が分析されるケースが多いのですが、通常の遭難ですと検証されるのは大量に人が死んだケースばかりであり、こういう地味な遭難だとほとんどスルーされて終わりです。本当はトムラウシみたいなケースよりも、このような遭難をもっと検証すべきなのではないかと常々思っています。そんなわけで、京都府警右京署の試みは評価したいです。
さて、読売の記事から引用してみますか。
引用
表参道と脇道の分岐点を署員が調べると、道を隔てる大木の脇道側の枝が赤く着色され、青色のビニールひもがゆわえてあった。
親子が迷い始めたのは6日午後5時半頃で、女性は同署に「子どもが脇道に入ったので付いていったら迷った」と話しているという。三浦俊博同課長は「着色などは、登山者が記念に付けたものだろう。親子は暗がりで道が見えない中、ルートの目印と誤解してしまったのかもしれない」と分析し、西田所長に、夜間でも見える案内標識の設置を要請した。
引用おわり
「脇道側の枝が赤く着色され、青色のビニールひもがゆわえてあった」とありますが、これはおそらく、何らかの理由で脇道を利用している人が、入り口の目印としてつけたものでしょう。
しかし、それを子ども、あるいは何も考えてない大人が見ると、正規の登山道を示しているのだと思い込んでも不思議ではありません。参道と脇道の区別がつけられない人はたくさんいますし、少々疑問を感じたとしてもマーキングがあるとそのまま突き進んでしまう人がけっこういるのです。
ですから、登山道においてマーキングをつける場合、自分たちの都合だけでそれをやると思わぬ遭難事故を招きかねないので充分な注意が必要です。「登山道と踏み跡の区別ぐらい、誰でもつくだろ」なんて思っていると、意外な結果が待っています。
一方で、マーキングに頼りまくる登山者についてもかなり問題だと思います。
登山の際にマーキングを参考にするのは別に悪いことではないのですが、あくまでも情報のひとつとして捉えるべきです。コンパスで方角を確認するとか、登山道の幅や踏み固め具合いを確認するとか、周辺の地形を確認するなど、複数の情報をドタマにインプットした上で、総合的に判断する必要があります。そのマーキングが何のためにつけられたのか、無条件で正規の登山道だと信じ込む前に、もうちょっと考えるべきです。
思うのですが、登山道におけるマーキングって、深く考えずにつけられているものでありながら、多くの人がそれに頼り切っているわけであり、なんだか凄く怖いです。
このサイトはいろいろ参考にさせていただいてます。
今回の道迷いですが、参道と脇道の分岐場所は多分ここです。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-112227.html
http://yamareco.info/modules/yamareco/include/tmp_imgresize.php?maxsize=800&did=112227&fname=eab3fb7631ac7b238f3c2ebc0d7ab8cc.jpg
写真の左奥に人が写ってる所が参道で、真ん中が脇道になります。
明るければ間違いようの無い所ですが、暗い中、道なりに進んで脇道に入ってしまったと推測してます。
この脇道はツツジ尾根ルートへの入り口で、利用者も多いルートなのですが、正規の登山道扱いされてないのか、道標類は全くないです。
今回の遭難で「参道はこちら」風の道標が設置されるかもしれませんね。
その地域を歩く機会の多い私にとっては、どなたの見方をしたらいいのか悩みますが。
まず言えることは。あの神社までの表参道は「一応は間違えようの無いはっきりした道。」と言うことです。ほとんどの人は迷わずに往復をしてられるわけです。それでも迷う人がいる限りは、「人がいそうな休日とかを選ぶ。」「迷う恐れのある早朝夜間は行かない。」等のカンバンを参道入り口に立てる事が必要ではないでしょうか。もう一つは神社も多少はお賽銭等の収入が有るはずなんで、道標の経費等の負担をするべきと思いますが。
それと、この山に限りませんが、京都の山は北アルプスより難しいです。なぜか、「道標が少ないから。」です。理由は私有林が多いこともあるかも知れません。昔からここで鍛えられた登山家の読図力は高いですよ。
この記事によると
>母親は「これがあったから近道だと思った」と話していたという。
http://www.asahi.com/area/kyoto/articles/MTW1302012700002.html
上のレスで暗いから間違ったと書きましたか、どうやらそうでないようで、bongo様の見立て通り、マーキングを都合の良いように解釈されてたようです。
事実は私の想像の遙か斜め上でした。あなおそろしや
なるほど
おそらく正しい登山道がどっちなのかは把握していたんでしょうね。で、マーキングがあるから近道なのではないかと思い込んだということですか。
ムライ様
道迷いって、結局、数百人数千人にひとりが間違いを起こす現象であって、誰が見ても迷いやすそうだなと思うような場所では起きないものだと思っています。だから対策が大変なんですよね。
必要なのはほんの少しの常識と想像力だと思い
ます。