豊後ピートのブログ

元北アルプス槍ヶ岳の小屋番&白馬岳周辺の夏山パトロールを13シーズン。今はただのおっさん

冬山単独行

2006年12月18日 | 遭難と救助について考える
私が初めて山小屋番として入山した1997年のことです。

雪に埋もれた槍沢ロッヂで慣れない仕事に奮闘していたある日、槍岳山荘からスタッフがひとり降りてきました。彼は山小屋に入るなり、「行方不明者のものらしいザックを発見した」と語り出しました。場所は槍沢上部とのことです。すぐに警察へ連絡したところ、県警山岳救助隊がヘリで現場に出動したようです。そして、ザックが発見された場所のすぐ近くから、年末年始に行方不明になった登山者の遺体が発見され、ヘリに収容されました。

この遭難者について、年末年始に穂高へ入山した他の登山者による目撃記録が岳人に掲載されていました。その記事によると、ルンゼに雪洞を掘ったり、ノーロープで危険な斜面を下っていてスリップ未遂を起こし、目撃していた登山者が張ったロープにしがみついたなど、ちょっと問題のある登山者のようでした。

西穂高から入山し、穂高連峰を北上しながら大喰岳まで来たところで、槍沢に滑落したようです。



翌年、私は槍岳山荘に勤務しました。上高地のヘリポートで入山準備をしている時に、今年も行方不明者がいるという話を聞かされました。入山したのが3月末頃で、燕岳から東鎌尾根を縦走し、穂高連峰を南下する予定だったそうです。

数日後、スタッフが下山中に横尾のあたりで遭難者の遺体を発見しました。両足骨折状態だったので、おそらく東鎌尾根から転落し、そのまま横尾まで這ってきたところで力尽きたようです。

その後、殺生ヒュッテの下あたりで遭難者のザックを発見しました。確認のために中の物を出してみたところ、山行計画書が出てきました。行動予定は前述の通りなのですが、東鎌尾根から槍の穂先に取りつくのに東稜を登る予定になっていました。縦走だけでも大変なのに東稜も登るのか、と、驚いた思い出があります。他にロープが出てきましたが、クライミング用ではない怪しげな製品でした。

この頃は同時に硫黄尾根に単独で入った人が行方不明になっていましたが、まったく手がかりがないようで、私が山小屋を辞める時までに発見された話は聞いていません。


1998年の年末、私は小屋の仲間と一緒に槍岳山荘へ入りました。2000年を迎えるということで、「ミレニアム営業」となったのです。

この時、北鎌尾根から登ってくる人から、11月末に行方不明になった人に関する情報を聞かされました。遭難者の仲間が湯俣で呼びかけをやっていたそうです。

その遭難者は、私も知る著名なクライマーでした。湯俣から北鎌尾根を登り、穂高を縦走する計画だったとのこと。春になって山小屋へ入ってからは、捜索に来た仲間を何度も見かけました。9月に入ってから槍の穂先の直下の沢筋で発見され、仲間の手によって遺体が回収されました。





山小屋にいた頃、毎年冬山で行方不明が起きるのを見て、「冬山の単独は恐いなぁ」といつも思っていました。単独行を否定する気はさらさらないのですが、冬山の長期縦走はリスクが高い行為だと思っています。

もっとも、このような行方不明は山岳会に所属した経験がなく、独学で山を登り続けている人に多いような気がします。(前述の北鎌は違いますけど)



↓この記事が参考になる、面白い、と思ったときはクリックしてください。ランキングサイトです。↓
にほんブログ村 アウトドアブログへ