poco a bocco

自然の素材がもつぬくもりやパワーに助けられての作品づくり
poco a poco のペースで進みます~♪

中国の芸術的手仕事

2012-03-20 18:55:05 | 私のお気に入り
雨、雨、雨・・・の週末でした。
千駄木のPerpanasで久々に短くカットしてもらい
その足で表参道・青山方面へ。

最初に訪れたのは、Over The Counter という雑貨屋さんです。
Kaiapua が職場でお世話になった方々へのプレゼントの調達が目的でした。
(私はついていっただけですよ。)
彼女は、4月から新しい職場へ移るのです。
やわらかな香りのサシェキャンドルのラッピングを待つ間、雨の青山界隈を散歩しました。

ARTS & SCIENCEのMEN'S SHOPSHOES and THINGSを覗き、 “WUYONG - The Earth 無用な土地” のインスタレーションも見ました。

そのインスタレーション会場でいただいたのが ↑ の画像に映っているものです。
時間があれば行ってみたいと思っていたイベント(4/8まで開催)だったので、初日に行けたのは幸運だったと思います。
モノクロ写真がプリントされたストールサイズの大きな布に包まれているのは、
「無用手的芸術中心…Wuyong Hand Arts Centre を主宰する中国のデザイナー馬可 Ma Ke 氏の作品集です。

そこからまた少し足を伸ばして、Arts & Science Aoyama で開催中のWUYONG ショップで出会ってしまったのがこちら。


ARTS & SCIENCEのカタログやWebサイトの情報で、Boccoのど真ん中を貫くことはよ~くわかっていました。
いけないとわかっていても、ついつい足が向いてしまう…不治の病ってヤツですね。
幾多の魅力的な作品(あえて作品と呼びましょう)は、天然素材にこだわり、織り・染め・縫製…の工程すべてが手仕事によるものです。
その中で やはり“出会ってしまった” のです。

それが包まれていたのは、マザー・テレサの言葉が手書き文字でプリントされた柔らかい生成の綿布。
縁の始末も手縫いです。
Boccoの手縫い作品の、よりシンプルな形なんです!

この綿布に包まれているのが、うふふ。。。



眼鏡ケースで~す!
色も、形も、サイズも、Bocco 愛用の眼鏡にぴったりでしょ!
素材は鉄と羊皮。
この他に銅と銀の合金…とお店の人は説明してくれましたが、もしかするとそれは洋白銀メッキではなかったかと、今となっては思います…のものもありました。
どちらも魅力的でさんざん迷いましたが、結局、鉄素材のほうを選びました。
手作りの作品ですから、サイズも形も表情も一つひとつみんな違っています。
眼鏡ふき用のちいさな布も天然染めで、手縫いの始末が施され、
手書きのロゴの下に「中性ソフト洗剤で洗ってください」と書かれています。

おそろしく広大な中国という国で “開発” から取り残された周辺地域に暮らす人々、貧困地区に住む職人たちに目を向け、彼らの自立をサポートし、伝統的な手工芸の復興と調和、そこからさらに新たな展開を目指す Wuyong Hand Arts Centre の活動。
そのごくごく一部にふれたにすぎないのだけれど、そこに関わる人たちの心意気に感ずるところ大なりです。

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あれから1年

2012-03-12 23:54:01 | ひとり言
おやまあ、気がつけば3月もまもなく半ばで。
しばらく更新が滞っていますが、それなりに坦々と日々を過ごしています。
淡々とではなく、坦々と。。。

3~4月は例年、あまり元気じゃないんです。
花粉のせいなのか、何なのか。。。
たぶん、この時期にパワーダウンすることで
バランスを取っているんだと思います。
だから、それも自然なこととして受け止め、受け入れる。
じいっとやり過ごして、元気回復を待つ。。。

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2011年3月11日のことはこちらで報告したとおりです。
翌12日は土曜日でした。
運転を再開した総武線と中央線の満員電車を乗り継いで
最寄り駅のホームに降り立ったのは正午過ぎのこと。
その足で取りあえずの食糧を調達し、箒も買いました。
家の中で散乱している食器等々を片づけるのに使うつもりでした。
互いに帰宅難民だったけれど、一足先に帰宅していたKaiapuaと合流して
時々の余震におののきながら、ひたすら家の中を片づけました。

午後、Kenchenから電話が入りました。
仙台市内の避難所になっている小学校にいる。
ケガも何もないから大丈夫との報告でした。
地震直後にこちらから送ったメールへの返信が
同じ日の夕方届いていたとはいえ、
その後何が起きてもおかしくない状況でした。。。

あとで聞いたところによると、
この時点では、地震発生後、ほとんど食事が取れていなかったようです。
また、自宅があと1km海岸よりだったら、
津波に呑み込まれていたかも知れなかったのだとも。。。

その翌日の日曜日も、たぶんそんな過ごし方をしていました。
疲れてはいたけど、ゆっくり眠っていられるような状態ではありませんでした。

地震後3日めは週明けの月曜日。
一部の鉄道が動き出して都心への通勤が再開しました。
計画停電も始まりました。
とてつもない閉塞感。
東京の空気は、昼間も灰色によどんでいました。
人々の顔は、シャドウがかかっているように見えました。
昭和20年の夏にも、こんな場面があったのかもしれない…と思いました。
途中の駅で積み残され、ひと駅分歩いて帰りました。
夕暮れが迫る北東の空を見つめ、祈るような気持ちで歩きました。


東京に住む私でさえ、こんな感覚に陥ったのですから
地震や津波の被害がひどかった地域の方々、
原発事故に大きく巻き込まれてしまった方々の心中は
察するに余りあります。

2012年3月11日。
散歩の途中で、つぼみが大きくふくらみ始めた紅梅の枝を見つけました。
この日を何事もなく平々凡々に過ごせたことに感謝します。
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