沖縄・久高島。
自転車で軽く一周できるくらい小さな島であることも、お気に入りの理由の一つです。
島に着いたらまず自転車を借りて、ふら~りふらりと気の向くままに走ります。
集落を横目に走っていくと、あっという間にアダンの林の脇道に出て、御嶽があれば自転車を止めて拝礼。
私が行くのは真っ昼間なので、畑には誰もいません。
まるで誰もいない空間を一人で走り抜けるような錯覚に陥って、少し緊張しながら、それでもふら~りふらりとペダルを踏み続けます。
沖縄式の大きなお墓が建ち並ぶエリアでは、緊張感がピークに達し、一目散に駆け抜けてしまう小心者の私。
島のほぼ中央にある緑一色のスポットが気に入って、写真に収めました。
強烈な日差しの中でひんやりとやさしい風にそよぐ草木。
こんな風景を毎日目にすることができたらどんなに心が安らぐことだろう・・・と、少し感傷的になってしまいました。
今でも、この写真を見るたびに、この場所で感じた体の感覚がよみがえって、とてもしあわせな気分になります。
自然にすっぽりと包まれた自分の体。
なにか目に見えない大きなものに守られているような気がするのです。
そんな感覚で2~3時間過ごしたら、集落の中にも入って行けそうな気がして、路地のようなところへ自転車を向けました。
家々の門先にある日陰で、“おばあ”たちが椅子に腰掛けています。
あっちとこっちで静かに“ゆんたく”しているのでしょう。
そんな彼女たちの生活の一部に侵入するようで少し躊躇していたら、“こんにちは”と、まるで顔見知りのようなトーンで声をかけられました。
たったそれだけのことで、ふわっとした空気に包まれ、これもまた、沖縄でのいい思い出になっています。
沖縄本島南端近くにある民宿の玄関先の様子です。
赤瓦の屋根にド派手なサーフボード・・・たぶんもう使われていないものなのだけれど、この場所にこの色のボードがあるっていうことがステキに思えてシャッターを切りました。
右上にアセロラの枝が見えます。
この前年、やはり猛烈な炎天下を久高から戻ってきた時、民宿の“おばあ”がお疲れさまと言って、このアセロラの実を食べさせてくれました。
強い酸味が体にしみわたるようで、全身しあわせ気分になりました。
9月8~10日は野草グループの仲間たちと清里に行きます。
今年はどんなことが待っているのか・・・ワクワク半分・ドキドキ半分です。
ほどほどのお天気に恵まれますように・・・
自転車で軽く一周できるくらい小さな島であることも、お気に入りの理由の一つです。
島に着いたらまず自転車を借りて、ふら~りふらりと気の向くままに走ります。
集落を横目に走っていくと、あっという間にアダンの林の脇道に出て、御嶽があれば自転車を止めて拝礼。
私が行くのは真っ昼間なので、畑には誰もいません。
まるで誰もいない空間を一人で走り抜けるような錯覚に陥って、少し緊張しながら、それでもふら~りふらりとペダルを踏み続けます。
沖縄式の大きなお墓が建ち並ぶエリアでは、緊張感がピークに達し、一目散に駆け抜けてしまう小心者の私。
島のほぼ中央にある緑一色のスポットが気に入って、写真に収めました。
強烈な日差しの中でひんやりとやさしい風にそよぐ草木。
こんな風景を毎日目にすることができたらどんなに心が安らぐことだろう・・・と、少し感傷的になってしまいました。
今でも、この写真を見るたびに、この場所で感じた体の感覚がよみがえって、とてもしあわせな気分になります。
自然にすっぽりと包まれた自分の体。
なにか目に見えない大きなものに守られているような気がするのです。
そんな感覚で2~3時間過ごしたら、集落の中にも入って行けそうな気がして、路地のようなところへ自転車を向けました。
家々の門先にある日陰で、“おばあ”たちが椅子に腰掛けています。
あっちとこっちで静かに“ゆんたく”しているのでしょう。
そんな彼女たちの生活の一部に侵入するようで少し躊躇していたら、“こんにちは”と、まるで顔見知りのようなトーンで声をかけられました。
たったそれだけのことで、ふわっとした空気に包まれ、これもまた、沖縄でのいい思い出になっています。
沖縄本島南端近くにある民宿の玄関先の様子です。
赤瓦の屋根にド派手なサーフボード・・・たぶんもう使われていないものなのだけれど、この場所にこの色のボードがあるっていうことがステキに思えてシャッターを切りました。
右上にアセロラの枝が見えます。
この前年、やはり猛烈な炎天下を久高から戻ってきた時、民宿の“おばあ”がお疲れさまと言って、このアセロラの実を食べさせてくれました。
強い酸味が体にしみわたるようで、全身しあわせ気分になりました。
9月8~10日は野草グループの仲間たちと清里に行きます。
今年はどんなことが待っているのか・・・ワクワク半分・ドキドキ半分です。
ほどほどのお天気に恵まれますように・・・