始まりに向かって

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2012年(3)・・鳥の時代の終了

2011-07-24 | マヤ・アステカ・オルメカ
エイドリアン・ギルバート著「古代マヤ文明の暗号・2012」を読んでみました。

大変興味深いので、抜粋してご紹介させていただきたいと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


著者は「蛇」や「鳥」や「星座」などを通して、マヤ文明の根幹に迫ろうと努力をしているのが分かります。

本書の中では、とても多くの文献が比較され、検討されています。

古代マヤ文明ではなにが行われていたのか?
どのようなことが重要問題として扱われていたのか?

という問いについて、筆者は以下のことを大切にしています。


古代マヤ文明では、独自の暦が大切にされたこと。

それは3つの文明を通過し、今は「第4の世界」にあること。

2012年という時がポイントとなる暦は、紀元前3114年を出発点として現在の世界「第4の世界」が始まるという神話の上に成立していること。

その上で、その神話はどのようにして出来たのか、ということを調べています。




        *****


         (引用ここから)


アステカ人と同様、マヤ人もまた、現在の太陽の前には他の太陽があったと考えていた。

その各時代はそれぞれ異なる神々が支配し、地上には別の種類の人間が住んでいたのだ。

そして各時代はそれぞれ少数の生き残りを除いて、なんらかの災いによって滅亡したのである。



「4方位」の世界観は、中央アメリカ全体に普遍的に見られるものだった。

おなじ観念はアステカの宗教の中心でもあり、マヤの伝承では4方位は特定の色と関係していた。


東は赤、北は白、南は黄、西は黒であり、4方位と関連する4本の樹があり、第5の樹がその中心にあるという。

エリック・トムソン著「マヤ文明の盛衰」には記されている。


                ・・・・・

赤き石は赤き「天を支えるもの」の石である。

竜の怪物の赤きカポックは彼の樹であり、東に置かれる。

赤きトウモロコシは彼らのトウモロコシ。

(略)

それぞれの方向に各色の神、植物、動物が関連付けられる。

                ・・・・・



アステカの建国神話は、「蛇をつかむ鷲」のビジョンと関係している。

「絵文書」の表紙にも樹の天辺に鷲がとまっており、その土台である岩を蛇が登っている。

「絵文書」を詳しく調べると、アステカの樹はマヤにとっての「生命の樹」と同じものだと分かる。

「生命の樹」の周囲には4つの領域に分割された四角がある。

イサパの遺跡にも同じものが描かれているが、イサパはマヤ以前の都で、その近辺からは最古の長期日計暦が発見されている。

 
           (引用ここまで)


               *****



著者はここで、マヤ、アステカ、マヤ以前の遺跡、などに共通する「4分割された世界」と、その中心に位置する「鳥」のモチーフについて考えています。

そして、有名なパレンケのパカル王の棺のふたに描かれた、複雑な象徴に満ちたレリーフの分析の歴史を点検しています。

そして著者独自の仮説を提出しています。

     
           *****


        (引用ここから)


以上のような考えを元に、書き直してみた。

「生命の樹」をまっすぐ成立した状態に戻し、ワシ座が天頂を通過する際に「天の川」を支えられるようにしたのだ。


この仮説を検証するため、マヤ人の信じる現在の時代の始まりの年(=紀元前3114年)に、ワシ座はいつどこで天頂を通過したのかを調べてみた。


「ポポル・ヴフ」によれば、現在の時代が始まったとき、人々は「トゥルン」=「7つの洞窟もしくは峡谷」という場所の暗闇に集まった、という。

この「トゥルン」の位置については過去においては大いに論争されたが、少なくとも古典期においては、それはテオティワカンであるという共通認識がメソアメリカ全域にあったと思われる。

そこはアメリカ最大の都市であり、その最大のピラミッドの下には7つの洞窟のネットワークが隠されていた。

文字通り「メソアメリカのエルサレム」と呼べるほどに津々浦々から巡礼者を集めていたのだ。


この「トゥルン」はテオティワカンであったという仮説に基づいて、わたしは紀元前3114年の星の様子をコンピューターで再現してみた。

すると8月13日、すなわち現在の周期の開始日において、ワシ座の傷ついた翼の先端は、日没直後に天頂を通過した。


以上を総合すると「第3の太陽」の時代=我々の時代の一つ前の時代は、テオティワカン上空でワシ座が天頂を通過していた時期にあたっているらしい。


不思議なことに「第4の太陽」の時代の末期の人間ですら、テオティワカンの重要性を憶えている。

のみならずマヤとアステカの神話のいずれもが、その時代の開始を「鳥神」と結び付けているのだ。


           (引用ここまで・つづく)

    
           *****


4という数、4つの方角、東西南北、それに付随する色、赤・白・黄・黒。 生命の樹、樹上の鳥。

これらのシンプルなモチーフから、著者は紀元前3114年から紀元後2012年にわたる「第4の世界」を導き出しました。

著者は、紀元前3114年に、天空では「鷲座」が「天頂を通過」したことを調査しました。

「ワシ=鳥」の天頂通過は、「鳥の時代」の終了を意味したのだと、彼は考えます。

紀元前3114年以前の歴史を、著者は考えているからです。

紀元8世紀のテオティワカンの滅亡に関する天文学的証拠が残っている、と著者が語る「終了した鳥の時代」については、次の記事にします。



過去の時間をみつめている中央アメリカの文化における「4という数」、「4方向」の重要性について考えると、以前当ブログに紹介させていただいたフランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書」の中の“ホピ族の4方向への移動”の、たいへん不思議な記述が思い出されます。

これらは関連していると、わたしは思います。

また、アステカ文明では現在は「第5の世界」ですが、その暦石は4分割されており、著者は「4」を重視して話を進めています。


以下、2008年12月24日の当ブログ記事を再掲してみます。

「なぜホピは壮麗な集落を捨てて旅を続けたのだろうか?」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/s/%A5%C1%A5%E3%A5%B3%A1%A6%A5%AD%A5%E3%A5%CB%A5%AA%A5%F3


          *****


30人の長老たちが語った「ホピ・宇宙からの聖書」によると、「第4の世界」にやってきた人々は、彼らの神の指示の下、幾何学模様を描きつつ、北アメリカ大陸の大移動を始めました。

以下に抜粋を載せてみます。


          ・・・・・


かくして、人々は高い山を登って移民を開始した。(略)

星は北へ北へと彼らを導き、ついに雪と氷に閉ざされた土地に辿り着いた。

夜間、彼らは雪の中に穴を掘って住居とし、熱の力を呼び起こして体を温めた。

水用にはいつも持ち歩いていた水瓶を使った。

これを埋めると、かつて砂漠を歩いたときと同じようにやはり泉は噴き出た。

また、小さな土の器もあった。

この中にトウモロコシとメロンの種をまき、そこに歌いかけると、みるみる種は草に育ち、トウモロコシとメロンを実らせた。

この新しい「第4の世界」の上で、まだ彼らは原始の純粋さを保っていたため、このような力が出せたのである。

(略)

西に向かった人々は、東と西の境となっている山脈を横切った。

これは大陸の軸であり、地軸の端にいる双児神はこれに沿って振動を送り出す。

人々は今やカトヤの守護の下に入り、西の海辺に出る。

そこからまた東にターンし、山脈を横切った。

ある乾燥した高原の上空で、「導きの星」が大きな円を描き始めると、彼らは移動のペースを落とし始め、ニューメキシコ北西部のチャコ・キャニオンで停止した。


     ・・・・・


彼らは小さな部族ごとに分かれて、それぞれが東西南北の「卍」を描く移動を実行しました。

ある部族が立ち止まったというこの場所は、メキシコ北部の古代文明の中で最も優れた遺物を残しているといわれる所です。

何百という遺跡が残され、五階建ての800以上もの部屋があり1200人ほど収容できるマンションのような建物も残されているということです。

しかしこういった幾多の住みかをあとにして、彼らは北また南と何百年もアメリカ大陸上を移動し続けたのでした。

著者は問いかけています。


     ・・・・・


「ホピ族は12世紀初めに今の故郷に辿り着き、のちに周辺のプエブロを捨てた部族が次々と入植してきたと考えられる。

マヤ・トルテカ・アステカの壮麗なるピラミッド神殿複合体、カサ・グランデやチャコ・キャニオンの大建造物など、幾世紀もの感動を呼び起こす前例があった。

ホピが最終的に永住の地に辿りついたとき、どうしてかつてのような大都市を築かなかったのだろう?

それどころか彼らは、当初からこれら離れ離れのメサの上に小村落の集まりしか作らなかったのだ。

なぜホピ族は、かつてのような一大宗教・文化センターを築かなかったのだろうか?」


    ・・・・・


著者は次のように考えます。


    ・・・・・


「仮に気候がもっと恵まれていたとしても、彼らは諸部族とかつての文化のパターンを再統一することはなかっただろう。

彼らはきわめて宗教色の強い、平和を確信している民族であり、どのような世俗的支配にも反感を起こしたからである。(略)

ある部族の地位とその所有地の相対的な価値は、「4方向への移動」をどの程度成功させたか、またどのような儀式を所有しているかといった宗教的な基盤にかかっている。

ホピが理想としている前提は、宇宙の中心である永遠の故郷で結束し、創造の普遍的な形を固めることにある。

ホピは世俗的な生き方が、宗教的なそれ~創造の普遍的計画~の上に構築されなければならないという信仰に決してつまづくことはなかった。」

    ・・・・・



つまり、マヤ・アステカ族と血を分けるホピの人々は、神殿やピラミッドや大きな住宅といったものを作ろうと思えばできたのですが、作ることを放棄したのです。

文明社会から見れば、逆行しているように見えるこの動きこそが、ホピをホピたらしめているもののように思います。

       ・・・・・

          *****


中央アメリカの人々にとっては、十字の形は、死せるキリストではなく、生きている神の元型なのだと思います。
そしておそらくそれは、中央アメリカに限ったことではない、と著者は言いたいのだと思います。



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