イロコイ族の父祖から学んだ彼らの歴史の口承史を英語でつづった、ポーラ・アンダーウッドさんの「一万年の旅路」のご紹介を続けます。
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(引用ここから)
はじまりの歌
さて言っておくが、わが一族のはじまりは「大海のほとり」の里よりはるか昔にさかのぼる。
それはあまりにも遠い昔で、誰一人時を数えることもできないほど。
であるにも関わらず、我らの間には次のような物語が伝えられてきた。
遠い昔、遠い昔、遠い昔、、我が一族はゆるやかな群を作って暮らし、太陽がたまにしか見えないほど背の高い木々の間を縫って日々を過ごしていた。
それはのんきな時代。
手を伸ばしさえすれば何かしら熟れた果実に恵まれる時代であった。
それはまた滝をなして降り注ぐ雨が木の葉や枝の付け根にたまり、大地からばかりか、木々からも水を求められる時代であった。
木々の下の地面はしばしばぬかるんで危険に満ちていたから。
こうして一族は時を超える時の間、心安らかに暮らしていたが、やがて世界が変わり始めた。
木のない土地が近づいてきて、大きな木々が大地に捕らえられ、代わりに新しい樹が生えなくなったという報せが伝わった。
大地にしっかりと根ざし、長い長い間、揺るぎなくそびえていた巨木たちが、大地とのつながりを失って一つまた一つと退く森の方へ倒れはじめたのだ。
このためそれまで我らの住処であった木々が、我らを大いに脅すようになった。
そしてこの変化のありさまを見た者達は、草地へ歩み出すことを学んだ。
だがそこでの暮らしは困難を極めたため、多くの者は森に住み続け、最後には木々たち自身から振り落とされるはめになった。
一方新しいやり方を楽々と身に着けた者達は、一族にすばらしい贈り物をもたらした。
それは果実ではないけれども栄養になるものを見つけ、水の探し方を覚えて、生きていく新たな方法を学んだ者達であった。
というのも、雨の降る回数はますます減り、大地のあちこちに水たまりを作りはしても、木々の上に溜まることなど珍しくなったから。
さてわが一族の習性として、ゆるやかな群でほぼ北の方角へ移動していくことになった。
この移動生活を続けながら、手に入れたものをすべて食べつくさずにいくらか蓄えることなど、我らはこの新しい土地での暮らし方を身に着けていった。
我らにとってこれらのことは全体として一つの大きな学びとなった。
そのうち、土地の様子が変わりはじめた。
北と西はどんどん迫り上がって、最後に高くならないのは東だけになった。
そんなある日、一族の間でこう決まった。
東はあまり好ましくないから、北に進み続けようと。
そこで一族はゆっくりと北の西の方角へ上ってゆき、数日後にはその向こうが見渡せる高台に達した。
そしてむこうに広がっていたものは、彼らを仰天させた。
北と西、そして南も、目の届く限り水しか見えなかったのだ。
その大きな水はすべてを覆い尽くしていたので、一族はこの場所にはどれほど雨が降るものかとしきりに首をひねった。
次に一族は、先を急ぐには険しすぎる道を用心深く下りにかかり、ゆっくりと低地へ辿り着いた。
最後に出たところは乾いたザラザラの大地で、足がたやすく埋まってしまうのが、ぬかるんだ大地と違い、歩いても粘りついてこないのだった。
これほどたくさんの水のほとりで、なぜ大地がこんなに乾いているのか、一族は理解に苦しんだ。
さて彼らは一人また一人と、この「大いなる水」のほとりへ歩み寄った。
その水のあまりの大きさに、岸部の波は雷のような轟音を響かせていた。
彼らは水に近づき、意外な発見をした。
というのも、この轟く水に近づいて、有り余る豊かさに手を伸ばすと、それはかつて誰も知らない水だったから。
この水は苦い味がして、舌にも口にも胃袋にも不快だったのである。
一族のある者達は、超えてきたばかりの高地のむこうへ出るもっと楽な道筋を求めて、この「大いなる水」のほとりを北と南に探索したという。
それにより「大いなる水」に注ぐ二つの小さな、しかし素早く流れる沢が見つかった。
どちらも味は苦くなく、舌にさわやかでおいしく感じられた。
そこで彼らの間にはこの美味しい水が手に入り、ここで生きていくことが他と同じくらい容易ならば、この場所を自分たちの暮らしの中心にしてもいいという考えが生まれた。
東には大きな山地、西には「大いなる水」、北と南には見知らぬザラザラの大地が広がるこの土地を。
すべての者が「かつてあった木々」から「まったく木のない所」へ出て、最後にこの「大海のほとり」へ至る、多くの世代にわたる旅をまだ覚えていた。
そのためすべての者が、この土地がどれほど大きいかを心に留めていた。
そこで彼らは今度、この苦い水がどれほど大きいものかに思いを巡らせたのである。
多くの世代にわたって昼と夜が交代し続けるにつれ、彼らは北も南も限りなく歩いていけば、陸がだんだん西へ西へ西へと曲がっていることを理解し始めたのだが、
それでもなお、彼らは水の方が陸地より大きいという理解を失うことはなかった。
さてこうした学びの傍ら、もう一つのことが起こりはじめた。
時折「大いなる泳ぎ手」がやってきたのだが、彼らは我らと同じくらいの大きさか、ときにはもっと大きな体をしていた。
得体がしれなかったので、最初のうちは、我らは彼らを疎ましく思った。
けれども、親近感が強まるにつれ、心配はいらないことが分かった。
むしろこれらの生き物は我らと一緒に泳ぐことが大好きらしく、我らも彼らと共に泳ぐことを心がけるようになり、大海の性質をいくつか教わった。
我らが大海の深みについて、また幼い者達に泳ぎを教える方法について学んだのは、この生き物からだったのだ。
ところが最後に、新しいことがおこった。
そういう集団が一つ生まれ、たいそう後ろ髪をひかれながらも、山地を超えて道の明日へ旅立つことにしたのである。
そしてこれだけではそれまでと変わらないが、この時は次のような違いがあった。
新しい集団には我らの祖先が含まれていて、それ以来今日まで、我らの誰一人として、二度と再びその「中つ地」を見ることはなかったのだ。
(引用ここまで)
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