イロコイ族のポーラ・アンダーウッドさんの口承史「一万年の旅路」を読んでみました。
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(引用ここから)
そうして昼間が長くなり、一族は声をあわせて歌を歌った。
やはり丸い毛皮の家に住むけれど、自分たちの「二本足」で歩く、別な民にも出会った。
彼らは険悪ではなく、分かち合いの心をもつ人々で、草地で安心して食べられるものについて多くのことを教えてくれた。
この民はいくつかの花も食べた。
その間我らは「大いなる群」をまったく目にしなかったが、それは不思議だった。
しかしその民によれば、「あの獣たちは北へ去って、“世界が寒くなる時代”になったら戻ってくる」とのことだった。
どのみち我らにその獣たちと出会いたい気持ちはなかった。
そこで我らが「海辺の渡り」のことを尋ねると、それは更に「東の北の東」にあると教えられた。
そこは大地が水と水に挟まれて狭くなり、大海の中へ遥かかなたまで伸びているので、見間違うことはないだろう、と言う。
そこで我らは一年で一番長い日に立ち上がり、食べ物を持って、意気揚々と先へ進んだ。
そしてわずか月一巡りのうちに「大地が狭くなる場所」に着いたのである。
我らはそこで野営し、旅の計画を練った。
そうしてついに、一族はある高い丘の頂へ辿り着いて休み、全員で目の前に続く道を見渡した。
一族はやがて前進のしたくを整えた。
目の前の道に間違いはなさそうだったし、彼らが立つこの大きな島の端には、大海の最初のきらめきが見え始めていたからである。
「雪の冠(リーダーの白髪の老女)」は、はるかな水面の明るい輝きに目を凝らした。
「むこうをご覧、あれが我らの目的地だよ。
そしてそのもっとむこうには、我らの安住の地があるかもしれぬ。
立ち上がってこの丘を下り、先の見通しがきかなくなる前に、「我らの道」の何たるかについて、わが子であるお前たちに話しておこう」
「我らは強い民であることが分かっただろう。
轟く大地と天に達する海から逃れて、ここまで歩んだ。
我らは知恵ある民であるのが分かっただろう。
さまざまな状況の変化に関わらず、生き延びる術をすばやく学ぶ。
我らは耐え忍ぶ民であるのが分かっただろう。
大きな困難にめげず、「選びし目的」をめざし続けるのだ。
なおかつ、これも分かったはず。」
彼女はそう言って、宇宙にぐるりと自分の思いを表す輪を描いた。
「すなわち我らは幼い民で、十分学ぶ前に先生を失い、あれこれを決めるのに言い争ってばかりいる子供のようだ。
ならば今こそ、節度ある話し合いの知恵を求める民への道を、学ぼうではないか。
指導者を瞬く間に失いかねないことを、記憶にとどめようではないか。
一人では不可能なことも、大勢なら可能になるかもしれないことを理解しようではないか。
そしてもし、こうしたことがすべて記憶からすり抜けたとしても、これだけは覚えておくがいい。
節度ある話し合いの知恵を求めること。
どんなに大勢でも、どんなに少数でも、どんなに年老いていても、どんなに若くとも、節度ある話し合いの知恵を求めること。
一同の中で最年少の者にさえ、座を与えて耳を傾けるがいい。
ただしこれを私が助言したからといって行うのも、わたしを讃えて行うのもまかりならぬ。
自らの内にあるものを見抜いて実行せよ。
わたしがこのように語るのは、自分の一族が記憶に留められる一族となることを願えばこそ。
ここでお前たちに言い残す。
他の民が我らと道を交える時、他の民がしばし、我らと共に図す時、彼らにこう語らしむべし。
『互いに耳を傾け、ともに話し合い、知恵への節度ある道を辿る民を、我らはこの目で見た』と。よいな。」
そして一族は胸を打たれた。
(引用ここまで)
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「我らの道」について語る立派な祖先がいて、彼らは幸せです。
互いに耳を傾けて、ともに話し合うこと。。
これが古代に見出され、実行されてきたとすると、古代の王政とはまったく違った文明が存在したことの証しとなることでしょう。
そこに見出される「知恵への節度ある道」こそ、今の世界に必要な、人類の生存への知恵であるに違いありません。
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