「地球・神々からのメッセージ・・古代文明が語る謎の数々」には、次のような記述もありました。
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(引用ここから)
「薬物で眠らされていけにえに? アンデス山中でインカ時代の冷凍ミイラ発見」
インカ文明の宗教儀式や信仰は文字による記録がないので、多くの部分が謎に包まれているのだが、それを知る重要な手がかりが、ペルーのアンパト山で発見された。
アンパト山はアンデス山脈の山のひとつで、標高6300メートルの高山。
山頂は昔からずっと氷河に覆われていたのだが、1993年、近くにあった火山が噴火したため、吹きかかる火山灰の熱で氷河が溶けた。
その解けた氷河の下から、1995年、なんと500年前のインカの少女の冷凍ミイラが発見されたのである。
少女のミイラの発見現場付近には、供物と見られる陶器の破片や食物のかけら、貝殻で作った女性像、埋葬用の石床や野営の後まで見つかった。
少女が神に捧げられた「いけにえ」だというのは明らかだった。
発見者たちはこの少女をファニタと名づけた。
インカの人々は家畜のリャマをよく「いけにえ」として捧げてきたが、人間を「いけにえ」にすることはあまりなかった。
だが、何らかの折に子供を「いけにえ」として捧げたことはあった。
インカを征服したスペイン人たちが書き残しているし、この少女のミイラの前に、少なくとも10体のミイラが発見されていることでも分かる。
ただ、それまでに発見されたミイラは冷凍乾燥された状態で発見されたのに対し、ファニタは、氷河で冷凍状態になっていたため、乾燥しておらず、今まで発見されたものの中では保存状態はとびぬけて良い。
それで表情なども良く分かった。
少女は心地よさそうな表情をしていた。
これは薬物で朦朧とさせられていただめだと見られており、その薬物はトウモロコシを発酵させて作る酒であった可能性が高いという。
ではこの少女はいったいどういう理由から「いけにえ」になったのだろうか?
征服者たち(スペイン人)が書き残した記録によると、「いけにえ」はふつう有力者たちのこどもの中の最も美しい者から選ばれ、尊敬を一身に集めた後に、洞窟に埋められるか、峡谷に突き落とされるかした。
いけにえによって、インカは病気や苦悩をまぬがれることができると信じられ、そのためいけにえの家族は大変な名誉を得たとされた。
征服者たちはこの風習を禁じたが、20世紀の初めまで、あちこちで続いていたという。
「いけにえ」を捧げるのは統治者の慶弔、季節や農耕の節目、天体の特異現象、人の誕生や死に伴って、といったケースが想定されているが、
この少女の場合はもっと急な事情で「いけにえ」にされたのではないかと考えられている。
500年前、今回(1993年)と同じように火山が噴火し、火山灰のために農作物が被害を受けたり、水が汚れたりして、人々は山の神の怒りを鎮めるため、有力者の娘を「いけにえ」に捧げたのではないかと見られている。
(引用ここまで)
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氷河、ミイラ、いけにえ。。
南米というと、暑い熱帯雨林に覆われているような印象が強いですが、アンデス文明は標高の高い山々に生まれた文明だったのだと、改めて気づきました。
ミイラは、「インカ文明展」でも5体展示してあり、展示の目玉ともなっていました。
「氷の少女」を実際に発見、発掘した考古学者ヨハン・ラインハルト氏は、著書「インカに眠る氷の少女」の中で、次のように述べています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
アンデスの冷凍ミイラがユニークなのは、自然保存された点にある。
エジプトのミイラの中にはインカより3000年以上前のものもあるが、それらは通常、体が乾燥し、内臓が(脳さえも)除去され、皮膚が防腐処理されている。
一般的には知られていないことだが、エジプトよりもはるかに古い人工ミイラが発見されているのだ。
それはチンチョーロ人のミイラであり、チリ北部の海岸近くで発見された。
そのミイラは約6500年前のものとされ、したがって知られているかぎりで言えば、世界最古の人工ミイラである。
自然凍結のミイラは人数がはるかに少ないが、体内組織と器官の保温状態が良く、生物学情報を豊富に与えてくれるので、学者は各種の研究を行うことができる。
とりわけ有名なのは、アルプスで見つかった「アイスマン」の凍結ミイラだ。
他にはシベリアの2400年前の女性ミイラと、グリーンランドで発見された500年前のイヌイット女性のミイラがある。
(引用ここまで)
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ミイラについては大変興味をもっているのですが、総数は少ないのだと思いました。
しかし、ミイラと言えばエジプト、という発想からはもっともっと自由になる必要があると改めて思いました。
「世界最古のミイラ文化」とされるチリのチンチョーロ文化についても、ぜひ調べてみたいと思いました。
wikipedia「アイスマン」より
アイスマン(英語: Iceman)は、1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷( 海抜3210メートル)の氷河で見つかった、約5300年前の男性のミイラの愛称である。
特徴
作りかけの弓矢や精錬された銅製の斧を所持していた。
背後に刺青の跡があり、つぼ治療をした痕と推測されている。
腸に鞭虫が寄生しており、また靴紐にその寄生虫除去に効果があると考えられる成分ポリポレン酸を含んだカンバタケをつけていた
DNAの遺伝学的調査により、現在のアルプス北部の住民に近いことがわかった。
目の色が茶色で、血液型はO型。
また、ヨハン・ラインハルト氏は、同書で、以下のようにも述べています。
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(引用ここから)
人身供儀は現代人の目から見ると恐ろしいことに思えるが、古代においては西洋でも、ごくまれだが執り行われたことがある。
旧約聖書では、人身供儀は重要視されていた。
象徴的な解釈も可能だが、聖書の物語の中でもっとも有名なのは、アブラハムが神の求めに応じて息子イサクをいけにえにしようとする話だ。
大昔の歴史的記録をひも解くと、ケルト族には人身供儀があったと書かれている。
またローマ人はそれを禁じる法律を発布している。
もし実施されていなければ、そんな法律は不要だったはずだ。
ヨーロッパ文明の黎明期に人身供儀がどのくらい広まっていたか、それはもはや知りえないだろうが、ギリシア神話などの古代神話には人身供儀が目立って多く出てくる。
またヨーロッパ人は、アメリカ大陸の諸文化でいけにえの儀式が行われていることを発見しても驚かなかった。
驚いたのはその規模で、特にスペイン人が直にいけにえの現場を目撃したメキシコのアステカ族は顕著だった。
だがインカ族のいけにえの模様が目撃されたことはない。
人身供儀を行う場所が相対的に少なかったからでもある。
たしかにインカ族は初期のスペイン人年代記作者に人身供儀のことを語りもしたし、スペイン人はその物証を発見もしたが、スペイン人がその現場を目撃したことはなかった。
(引用ここまで)
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