始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

レムリアの叡智はインカの民に引き継がれたのか、そしてそれはなぜ語られないのか。

2009-02-08 | その他先史文明

一つ前の記事、探検家ウィリアムソンの書いた「アンデスの封印」の紹介の続きです。
この“場所”への行き方は、二つ前の記事「アンデスの白い神と古代人・『アンデスの封印』を読む」に書いてあります。


       *****


かつて南米大陸はその西海岸一帯をレムリアによって、東海岸一帯をアトランティスによって統治されていた。

しかしながら、太平洋と大西洋にあったそれら二大文明によって、その偉大な大陸のすべてが統治されていたわけでは決してない。

そもそもレムリアとアトランティスが南米大陸の一部を植民地化し始めたのはそれらが水没するわずか2,3千年前のことだった。

それらの文明の影響が及ぶ前、その時代、南米大陸にはもう一つの文明が存在していたのである。
当時そこは単なる植民地ではなく、独自の文明が存在していたのである。

そればかりか、その文明、すなわち「アマゾン帝国」は海をはさんで両隣に存在した二つの有名な文明よりも文化的に先を行ってさえいた。

ムーとアトランティスが怒涛の波の中に飲み込まれたのに対して、「アマゾン帝国」は深い密林に包まれて、常に地上に存在してきた。

そうやって人類が黄金への飢えを放棄し、彼らの物質的財宝ではなく、それよりもはるかに貴重な財宝たる「より豊かで永続的な生命への鍵」を追及する時代が訪ずれるのを、静かに待ち続けてきた。


とは言えそれもある意味では失われた文明だった。

その文明が所持していた物質的な財宝を追い求めた者はこれまでにほとんどおらず、それを行った極めて少数の人々もグリーンヘルとして知られる深い密林の中で行方をくらますか、時間の大きな壁に行く手を拒まれていた。

そして今「大聖者会議」は、様々な秘密の場所に隠されてきた知識が、まもなく訪れるカタストロフィーを生き残るであろう者たちに、もたらされるべき時が訪れたと宣言した。


我々には、他の惑星の兄弟姉妹たちと同等の進歩を果たすために必要な、「われわれ自身の知識」があるのである。

「母なる地球」の体内に延々と宿り続けてきた偉大なる知識は我々の前にまもなくその姿を現すだろう。
すでにその陣痛が始まっている。

偉大なる文明を誇った「アマゾン帝国」の都市は、これまで一度も水を被ったことがないため、忘れられた都市パイチチが蓄積した膨大な情報のすべてがほぼ完璧な状態で残っている。

さらに、レムリアとアトランティスの賢者たちは彼らの大陸が海の藻屑と消えることを予知し、おびただしい量の財宝と知識をパイチチへと運び込んだ。

ゆえに今では動物の雄たけびと鳥のさえずりのこだまするだけのその失われた帝国には、かつて地球に存在した三つの偉大な文明の大いなる遺産が静かに眠っているのである。

かつてその古代都市の存在を聞いたインカ人達が大々的な調査をおこなったが目指す都市を探し当てることはできなかった。

また、ピサロ以降のスペイン人征服者たちも、その古代都市の金銀財宝を求めてジャングルに分け入ったが、彼らもまた勇敢な死以外の成果は何一つ挙げることができなかった。

その都市は、黄金に餓えた者たちの接近をことごとく拒み続けてきた。

そしてそこには不遜な欲望の対象である「黄色い金属」や宝石などよりもはるかに価値のある財宝がほぼ完璧な形で静かに眠っている。

その昔、カタストロフィーの発生とともに、古代の偉大なる知恵への扉は固く閉ざされた。

そして今や、新しいカタストロフィーと共に、霊的進歩を追及する人々に対して、その「秘密の知恵」への扉が大きく開かれようとしている。
カタストロフィーを恐れる必要はまったくない。

    (ジョージ・H・ウィリアムソン著「アンデスの封印」より要約)



      *****


要約するとこのような感じでしょうか。

レムリアはどこに存在したのか、といった大前提はいまだに誰も証明していないので、実際問題何一つ論拠がないと言わざるをえませんが、論拠はなくても、わたしはレムリアはあったし、レムリアの叡智はインカの民に引き継がれたに違いないと思っています。
またその光の記憶は長い封印を解かれて、今よみがえろうとしている、のかもしれない(のであろう)とも感じます。

ですが人類の先史時代の真正な記憶や伝承が、空想的な思惑と交錯するのは危険なことであり、細心の注意を払う必要があるのは当然のことです。

著者ウィリアムソンはアマゾンの奥地を探検し、そこに眠る太古の文明を確かに見出したのだと思いますが、それを証明するために必要な資料は揃えていません。

あえて不充分なまま、口をつぐんだのだという印象があります。
あえて口をつぐみ、この発見で商売を始めなかったのは、卓見だったのかもしれません。
語られなかった部分が雄弁に語っていることを、尊重したいように思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする