始まりに向かって

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アフリカ・ドゴン族に伝わるシュメール文明

2009-02-19 | その他先史文明


前回に続き、ロバート・テンプルの書いた「知の起源・文明はシリウスから来た」から紹介します。

彼はアフリカ・マリ共和国のドゴン族に伝わる古来の伝承の中に、信じられないような天文学的な知識があることに驚嘆し、なぜ、どのようにして、そのような知識が得られたのかを調べました。

彼はドゴン族は古代エジプト文明、また時を同じくして栄えたシュメール文明の伝統を受け継いだものと推定しました。

そしてシュメール文明の資料とエジプト文明の資料を並べて、ドゴン族が今現している事柄は、大変古い人類の出現の時期の記憶を伝承している可能性があると述べています。

現代の文化の常識に抵触する物語であり、一度には紹介できませんが、続きの部分を少し紹介してみます。


      
       *****


バビロニアの神官べロッソスは、神殿に保管されていた楔形文字の文書を利用して、自国の歴史を編纂した。
この大著「バビロニア史」において、ベロッソスはバビロニア文明の起源について記述している。

それによれば、バビロニア文明は外部から訪れた水陸両棲体の一団によってもたらされた。

この水陸両棲体の一団は「オアンネス」と呼ばれる。
のちの伝承において「オアンネス」は「ダゴン」と呼ばれるようになり、聖書にもペリシテ人の崇拝する魚神として登場している。
「ダゴン」は魚神であるが、農耕をつかさどる神として信仰を集めていた。

歴史家アポロドトスが保存していた「ペロッソス」の断章には「魚と人間の合体した姿のオダゴンが海から現れた」という記述がある。
ペロッソスの記述によれば、オアンネスは次のような姿をしていたという。

「その動物は全体として魚と似ている。
魚の頭の下に、もう一つ人間に似た頭があり、また、魚の尾の他に人間に似た足ももっている。
声や言葉も明確で、かつ人間のようでもある。
この動物の姿については、今日に至るまで正確に伝承されている。
この動物は太陽が沈むと海に戻り、海の底で夜を過ごすのが習慣だった。
つまり水陸両棲だったのである。」

バビロニア人はオアンネスを崇拝し、巨大な神像を建立する一方で、文明を与えてくれた恩人のことを「気味が悪く嫌悪すべきもの」と呼んでいたのだ。

この記述からは必ずしも明らかではないが、水陸両棲体オアンネスは表皮がぬるぬるし地面を這いずりまわる生物であったにちがいない。
だからこそ、気味の悪いものあるいは嫌悪すべきものと呼ばれたのであろう。

ブルタルコスの記述によれば、大神ゼウスは両足が癒着したまま成長したため、歩くことができなかったという。
ゼウスも水陸両棲だったのだろうか。


バビロニアの伝承と同じく、ドゴン族も水陸両棲体が地球文明の創始者であると伝えている。

この水陸両棲体は「ノンモ」と呼ばれる。
「ノンモの玉座は水底にあった」と伝えられるように、基本的には水の中でしか生活できない。

ノンモの一団を地球に派遣したのは、宇宙の最高神「アンマ」であるという。
この「アンマ」という言葉は、古代エジプトの神アモンから転訛したものと思われる。

ノンモの一団は箱舟で天界より来臨し、箱舟を旋回させながら着陸したという。

着陸地点は彼らの住居地から北東ということで、現在のエジプトないし中東近辺を指していると考えられる。

箱舟は乾いた土地に降下し、旋風を巻き起こして土煙をあげたとされる。
着陸の衝撃により、地面は凸凹になった。
そして方舟は地面を横滑りしたという。

また方舟が着陸するとき、ノンモの声が四方に飛んだとも伝えられる。
おそらく方舟は大音響をたてながら、現代の飛行機の様に地面を滑走して着陸したのだろう。

箱舟が降りてくるとき、空間は四つの角をもった。
箱舟が着陸したとき、空間は四つの辺をもった、と伝えられている。

箱舟は「十番目の月の星」と呼ばれた。



ノンモは箱舟と共に帰ってしまったが、ふたたび地球の戻ってくるという。

ドゴン族が待望する「ノンモの復活」である。
これについては次のような伝承が伝えられている。


「ノンモの復活を現す天のシンボルはイエ・ペル・トロ(=10番目の月の星)である。
 
この星は容易には見ることができない。
この星がまだ現れていないため、二条で一対をなす十条の光線は円の内部にある。

ノンモの箱舟が降下するとき、これは形をなすだろう。
これは復活したノンモの目のシンボルでもあるからだ。」

この記述からも、ノンモがただの単なる星でないことは明らかである。

ノンモが再び太陽系を訪れ、地球に着陸船を降下させる時になって初めて、10番目の月の星すなわち箱舟=恒星間宇宙船は姿を現すことになるのだろうか。

(ロバート・テンプル著「知の起源・文明はシリウスから来た」より要約)


    *****

写真は同著より
上・オアンネス
中・オアンネス(古代バビロニア期)
下・10番目の月の星・十条の光線が円の内側にある


Wikiシュメールより

シュメール(Sumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポタミア(現在のイラク)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。シュメールの楔形文字が使われ始めたのは紀元前3500年頃とされており、書かれた物としては最も初期のものだと思われる。


Wikiオアンネス(半魚人)より

メソポタミアの伝説の生き物魚のアプカルル(英文献ではFish-Apkallu)は発掘された彫像によると頭から背中にかけて魚をかぶったような姿をしている。身体の前部が人間、後部が魚、という姿をしているのである。神話のなかでは、アプカルルは古の賢者であり、人々に知恵を授けたとされている。彫像は守護精霊として7体セットで用いられた。
アプカルルは、ヘレニズム時代のバビロン神官ベロッソスが著した『バビロニア誌』にオアンネス(Oannes)として現れる。オアンネスはペルシア湾から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明を授けたといわれている。

Wikiベロッソスより

『バビロニア誌』 原資料と内容
エウセビオスの古アルメニア語訳とシュンケロスによる記述(『年代記』、『年代誌選集』)はどちらもベロッソスの使用した「公的な記録」を書き留めており、ベロッソス自身がそうした資料をカタログ化していた可能性はある。だからといって原資料について完全にベロッソスを信頼できるというわけではなく、原資料を取り扱うことができたということと、普通のバビロニア人が手にすることのできなかった神殿に保存されていた祭祀資料や聖なる資料を利用することができたということである。現在知られているメソポタミア神話はベロッソスと有る程度まで比較することはできるが、その時代の文献のほとんどが現存していないため、ベロッソスの伝えているとされる資料との厳密な照合は難しい。確実なのは、ギリシャ語で彼が行なおうとした著述の形式は現実のバビロニア語の文献とは差異があるということだ。
第一書の断片はエウセビオスとシュンケロスに残っていて、ベル(マルドゥク)によるタラット(ティアマト)退治などを含む創造の物語と秩序の確立を記述している。ベロッソスによれば、すべての知識は創造のあと生みの怪物オアンネスによって人類にもたらされたという。もしこれがすべてならば、VerbruggheとWickershamの言うように[2000: 17]、上述した占星術についての断片に一致するものである。
第二書は創造からナボナッサロス(Nabonassaros 前747-734年)に至るバビロニア諸王の歴史を記述している。エウセビオスは、アポロドロスが「ベロッソスは、最初の王アロロス(Aloros)からクシストロス(Xisouthros)そして大洪水に至る年代を43万年としている」といっているのを伝えている。ベロッソスの描く系譜からして、彼がここ、特に(伝説的な)大洪水以前の王たち、それとセナケイリモス(Senakheirimos センナケリブ)からの前7世紀以降を編纂するときに『王名表』を手元においていたのは確実である。シュンケロスに残っているベロッソスによる大洪水についての記述は非常に『ギルガメシュ叙事詩』のある版に類似している。しかしこの叙事詩においては主人公はウトナピシュティムだが、クシストロスの名はどちらかというとシュメール版大洪水神話の主人公であるジウスドラのギリシア語表記のように思われる。
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