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始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

エハン・デラヴィの十字架の研究

2009-01-11 | アセンション


お正月はエハン・デラヴィの本を少し読んでみました。
「太陽の暗号」という本なのですが、その中で「アンダイの十字架」というものを調べているところに特に興味を持ちました。

アンダイとは、フランスとスペインの国境が接するバスク地方の町の名前で、その町には17世紀ごろ建てられたギリシア風十字架の塔があるということです。

その台座は四方形で各面に月と太陽と星と四分割した円の大きな絵が彫りつけてあります。

十字架の下にはラテン語で文字が彫りつけてあります。
ヨーロッパのどこにでもあるような十字架の塔のようでいて、少し変わった“いわく”も感じられます。



20世紀になってフルカネリというヘルメス学の錬金術師が、ヨーロッパの多くのゴシック聖堂の象徴的な図像の錬金術的解釈をおこない、キリスト教にかくされた別の秘教的な意味合いを調べたそうです。
「大聖堂の秘密」という本を残し、日本語訳も出ています。

そのフルカネリがこの「アンダイの塔」に刻まれているメッセージを解読したものが、エハン・デラヴィさんによって紹介されていました。
「太陽の暗号」から転載します。



     
     *****


フルカネリは「アンダイの周期十字架」について、次のように述べている。

「アンダイの十字架はその台座の装飾によって、かつて見たことがない原始至福千年説の象徴表現となっている。」

原始至福千年説とはグノーシス教の中心的な発想で、世紀末についての知識のことである。

「アンダイの周期十字架は、一番下の台座の部分、柱部、そして上部の十字架の三つからなっているが、フルカネリは主に上部の十字架に刻まれたラテン語と、台座の南を向いている「4つのA」について詳しく語っている。

「アンダイの塔」の上にはギリシア風の十字架が設置されていて、その腕木には「われわれの唯一の希望、十字の木よ」という意味のラテン語が彫られている。

その十字架の文章を(一定の流儀で)解読してみると、「命はただ一つの場所に逃れる」という奇妙な文が浮き彫りとなる、とフルカネリは言う。

彼は解読を続けた。

すると「われわれは、この二つが重なり天変地異が起こる時でさえ、死が人間に達しない場所があることを知る」という意味が現れた。

その十字架にはもう一つの文字が裏に彫られている。

それは“INRI”というラテン語で、普通はそれはナザレのキリストを意味する言葉である。

しかし錬金術の世界では、もう一つの意味がある。
それは火、大自然、再生、すべて、を示すそれぞれの頭文字である。

すなわち「火によって大自然は完全に再生される」という意味である。

ここからフルカネリは、次のような意味の答えを導きだした。

「錬金術では火によって不純物から金を分離させる。
それと同じように北半球は火によって浄化される。
また聖書によれば最後の審判の日に善人を悪人から分離するのもこの火によるものだ。」



フルカネリはこの意味を理解するには、モニュメントの台座に彫ってあるモチーフがカギであることに気がついた。

台座のモチーフは、星のシンボルは東向きになっている。
太陽は西向き、月は北向き、四つのAのモチーフは南向きに配置されている。

タロットカードでは四つのAは「最後の審判」を意味する。

「最後の審判」を表す四つのAは、いわゆる「グレートイヤー」(約二万六千年周期)を四つに分けた(金の時代)(銀の時代)(青銅の時代)そして現在を意味する(鉄の時代)を指しているとフルカネリは言う。

「グレートイヤー」については、中南米の先住民族たちは人類の歴史を四つに分け、最後の時代が終わるのが2012年12月であるとする予言を残している。

また四つのAのモチーフをよく見ると、中心に十字が描かれているのに気付くだろう。

この四つのAを分ける十字は、四つの時代の変わり目に注意を払えという意味である。

星は東を示している。
わたしはこの星のシンボルを、おそらく明けの明星と呼ばれている金星か、あるいはシリウス星を意味していると考えていた。

シリウスがフリーメーソンや錬金術などの神秘主義にとって、非常に重要な意味をもつことはよく知られている。

今われわれの太陽は、太陽系内での太陽にすぎないが、それよりさらに進化して銀河系というもう一つ大きな枠にわれわれの未来があるとすれば、その時の太陽はシリウスであることは間違いない。

つまり我々の太陽系の母なる星として、シリウスが存在していると言えよう。

太陽のシンボルは、舌をむき出しにして、明らかに怒っているように見える。

その太陽のシンボルが、東を向いている「星」=「もう一つの太陽」と対抗して西にあるという意味に注目した。

私たちの太陽と、もうひとつの太陽の関係性を示している。

怒れる顔の太陽は、あるサイクルの終わりを意味すると、フルカネリは解釈している。

さらに私は、その終焉へのプロセスにもう一つの太陽が非常に関わっているのではないかと考えるようになった。

フルカネリは、「アンダイの周期十字架」のコードと、大カタストロフとが確実に関係していると考えた。
しかも彼はそのカタストロフはダブル、つまり二回重なって起きると言っている。


      *****


長いので、続きは次回にします。
この塔の建っているフランスのバスク地方が、また興味深い土地のように思われます。


紀伊国屋bookweb「大聖堂の秘密」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%83t%83%8B%83J%83l%83%8A/list.html
エハン・デラヴィHP
http://www.echan.jp/
エハン・デラヴィブログ
http://echan.thd-web.jp/

写真は「太陽の暗号」より「アンダイの十字架の塔」
上・・十字架
中・・台座・この側面が下の写真の四面
下・・側面の図像
   左上・四分割した円に四つのA
   右上・大きな星
   左下・月
   右下・太陽
棒線はエハン氏のものです。


グレートイヤーとは?
wiki歳差運動「天文学における歳差」より

天文学においては、地球の歳差運動、すなわち、地球の自転軸がコマの首振り運動のような回転をしているために春分点・秋分点が黄道に沿って少しずつ西向きに移動する現象のことを指して歳差(さいさ)と呼ぶことが多い。
この歳差の周期は約25800年である。
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ドレイクの方程式・・地球外生命体の数

2008-12-18 | アセンション
「ガイアシンフォニー第二番」には、天文学者のフランク・ドレイクも登場しました。

彼は1960年、地球外生命体からの電波を受信しようという試み・オズマ計画を実施し、以来観測を続けているということです。

また地球外生命体と交信する方法を考案し、1974年にはヘラクレス座に向けて地球人類からのメッセージを発信しました。

銀河系内にどれだけの知的文明が存在するか見積もるドレイクの方程式も提唱しています。

Wiki「ドレイクの方程式」によると、この方程式は以下のようになります。


     ***


ドレイク方程式は以下のように記述される。


N=R×Fp×Fl×Ne×Fi×Fc×L


ここで、
N :我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数
R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp :惑星系を有する恒星の割合
ne :1 つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L :星間通信を行うような文明の推定存続期間



各パラメータの推定

上記のパラメータの値については様々な見解があるが、ドレイクらが1961年に用いた値は以下のようなものである。


R* = 10 [個/年] (銀河系の生涯を通じて、年平均10個の恒星が誕生する)
fp = 0.5 (あらゆる恒星のうち半数が惑星を持つ)
ne = 2 (惑星を持つ恒星は、生命が誕生可能な惑星を二つ持つ)
fl = 1 (生命が誕生可能な惑星では、100%生命が誕生する)
fi = 0.01 (生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される)
fc = 0.01 (知的文明を有する惑星の1%が通信可能となる)
L = 10,000 [年] (通信可能な文明は1万年間存続する)

以上の値を代入すると、N = 10 × 0.5 × 2 × 1 × 0.01 × 0.01 × 10,000 = 10.


      ***


交信可能な地球外生命体は、1960年当時は10個と考えられていたということでしょうか?

ガイアシンフォニー公式HPから彼の言葉を転載します。

     
      ***


「夜空に輝く星の大部分は“太陽”であり、我々の銀河系だけで約2000億の“太陽”がある。
その内、半分は地球のような惑星を持っているので、我々の銀河系だけで1000億の星に生命が生まれている可能性がある。」

「技術文明が最高度に進歩すると、ムダなエネルギーを外部に放射しなくなるので、今の我々の技術では発見できなくなる可能性がある。」

「ドレイク方程式に依れば、今、我々と交信可能な宇宙文明は20万から200万はあると考えられる。」

「宇宙に関して、我々はまだ何も知らない子供のようなものである。
宇宙の真の姿を知ることに依って、今の常識をはるかに越えた知識を得ることができるはずだ。」

「人間も、樹も、草も、動物も、そしてETも星のかけらでできている。
 その意味で我々はみな兄弟であり、近い親戚なのです。」


      ***


映画(1995年)では、交信可能な生命体は200万と語られていました。
なんとたくさんの数でしょう。
35年の研究の成果でしょうか。
いると思って数えると、こういう数になるのかもしれません。
バシャールの住んでいるエササニ星は、オリオン星のそばだったでしょうか。
宇宙が身近に思えてきます。

ガイアシンフォニー第二番公式HP
http://www.gaiasymphony.com/co_guide2.html
wiki「地球外知的生命体探査(seti)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%9E%E8%A8%88%E7%94%BB
wiki「フランク・ドレイク」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF
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イルカに教えてもらう・・・ジャック・マイヨール

2008-12-14 | アセンション
「ガイアシンフォニー第2番」には、ジャック・マイヨールという素潜り105メートルの世界記録をもつ人も登場しました。

彼は自分が勤めていた水族館のイルカから、イルカのように水中に長くとどまる方法や、イルカと話をする方法を学んだといいます。

まるで恋人と戯れるように親密にふれあう二人のすがたは美しすぎて声も出ません。
YouTube「ジャックとイルカ」
http://jp.youtube.com/watch?v=yDZa39b0jOY&feature=related

彼はその後、海の中でイルカと長い時間すごし、さらにたくさんのことを学びました。

ヨガや瞑想で体と呼吸のコントロールをし、水深105メートルの素潜りの世界記録を達成しましたが、これは驚異的なことだそうです。

なぜ内臓破裂しないのか、医師があらゆる医学的測定をして調べました。

日本に縁が深く、与那国島の海底遺跡の調査などにも意欲的でしたが、74才で自宅で自殺するという意外な最後を迎えました。

謎の部分も含めて、人間についてとても示唆に富んだ考察をしていると思われます。

イルカとの出会いを、「イルカと、海に還る日」ジャック・マイヨール著から転載します。

  
 *****


「私はじぶんの純真無垢な思考だけで、クラウンに近づいてみようと思った。
言葉でも記号でもなく、自分を空白にしてクラウンを受け容れてみようとしたのである。

そこで最初にしたのは、クラウンの領域に入っていくことだった。
したがって私は、水の中で彼女がしているように、呼吸停止状態で彼女と出会わなければならない。

よく晴れた冬のある日、わたしは海水パンツをはき、フィンとスノーケル、それにちいさなマスクを身につけて、冷たい水槽に静かに体を滑りこませた。

驚いたことに、クラウンがそこにいた。
まるで私が来るのを待っていたかのように。

彼女は、わたしが餌も道具も手に持っていないのを見ても、とまどう様子はまったくなかった。

彼女ははすぐに理解したのだ。
彼女はいつもと違うそぶりで、テレパシーによってわたしの意思を読み取っているのがはっきりわかった。

水中で彼女はわたしを見つめ、わたしは彼女を見つめた。

わたしはふたたび天啓的な体の震えを感じた。
わたしはクラウンの世界に入ったのだ。

そしてクラウンはわたしに近づき、水の中をついてくるようにと合図した。

クラウンはわたしが調教師としてではなく、私自身として訪れたことを誇りに思っているようだった。

30秒ほどでわれわれはいっしょに水面に浮上し、ともに息をすると再び潜った。


この試みは何週間もつづいた。
わたしが彼女の領域に入っていたのであり、わたしが彼女に教えることはなにもなかった。
逆に彼女からすべてを学びたかった。
彼女はわたしのそうした気持ちを知り、大きく息を吸い込まなくても、呼吸のたびに少しづつ息を長くとめていく方法や、水の流れに身をまかせる方法や、力まずしなやかに、できるだけ節約しつつ効果的に動くことによって、水の中に完全に自分を溶け込ませる方法を教えてくれたのである。

クラウンは水の中でいかにふるまうかといった基本的なことを、わたしに教えてくれた。
後に水深100メートルへの潜水に挑戦するようになるのも、この時の教えがあったからこそである。



数か月たつうちに、わたしとクラウンの関係はさらに親密なものとなっていった。
わたしは今までにない動物たちとのコミュニケーションをとりつつあった。

それは本質的に言葉に表現できないものであり、したがってその方法にはどんな定義もどんな不足もなかった。

それはわたしが感じたままであり、説明しようとするものではなかった。
だから伝えるのが難しいのだが、これはわたしが感じたままなのである。

その日の私の気分や考えに応じて、クラウンはいろいろな動作を示し、そしてわたしたちは互いに決して間違えることはなかった。

これらの動作はごくささいなものだったが、わたしにはクラウンの気持ちが伝わり、クラウンも私の心を感じていたのである。

水槽の中の作業中、わたしがなにかしら楽しいことを考え始めると、数秒後にはクラウンが横にいて重りをつけたベルトの端を噛んでいた。
まるで「それは楽しいね。」とでもふるまうように。

もしもわたしが家族のことについて心配しているとクラウンはすぐさま急いで後ろにやってきて、わたしの背中を好意的につつくのだった。
まるで親しい友人を励ますように。

そしてわたしが特に何も考えず、できるだけ早く切り上げてしまおうとしているときには、彼女はときどきやってきて、こう言うのだった。
「ねえ、なにか悲しいこととか面白いことを、ちょっとは考えよ。わたしもすこしは話に入れるように。。」

現実主義的な人々はこうした観察は事実を明らかにするのには科学的でないと言うだろう。
でも人間はすべてを説明できるのだろうか?

    *****
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岡本天明の予言と、ミロクの世

2008-12-02 | アセンション


岡本天明に自動書記がはじまったのは、1944年、終戦間近のことだったという。

天明は大本教に属していたが、第二次大本事件(政府による弾圧)において離脱し、その後神道研究家として暮らしていたという。

自動書記は数字と記号とカナの羅列で、なにが書かれているのか天明自身も意味がわからなかったという。
仲間内の研究者たちが、それらの書かれたものを判読し、文書は「ひふみ神示」と名付けられた。

岡本天明が終戦前から書き始めたこの文書「ひふみ神示」は、1990年代に中矢伸一氏により世間に紹介され、21世紀にむけての文明・宗教のありかたとして新たな解釈とともに脚光を浴びるようになった。

今ではこの文書はアセンションの指南書という感じで、多くの人に読まれている。

地球の天変地異は、たとえばこのように予言される。



*****


寒い所暖かく、暑い所涼しくなるぞ。
心せよ。雨、風、岩、いよいよ荒れの時節じゃ。

世界になんともいわれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。
食うべきものでない、悪食うて生きねばならん時来るぞ。
悪を消化する胃袋、早うせねば間に合わん。

鏡を掃除してくれよ。
今にこのお告げが一二三ばかりになるから、それまでに身魂をみがいておかんと、
身魂の曇った人には何とも読めんから、早く神こころに返りて居りてくれ。

何も一度に出てくる。
海が陸になり陸が海になる。

世の中一度に唸る時が近づいてきたぞよ。
秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、人間枯れて根の残らぬようなことになりても知らんぞよ。
神のこの文、早う知らしてやってくれよ。

空に変わりたこと現はれたならば地に変わりたことあると心得よ。
いよいよとなりて来ているのざぞ。
天の異変に気つけておれよ。

今に人間何も言へなくなるのざぞ。神烈しくなるのざぞ。
目あけて居れんことになるのざぞ。
四つん這いになりて這い回らなならんことになるのざぞ。
のたうち廻らなならんのざぞ。
土にもぐらなならんのざぞ。
水くぐらなならんのざぞ。

人間可哀そうなれど、かうせねば鍛えられんのざぞ。
この世始まってから二度ない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。

獣となりて、這ひ回る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりてくるぞ。
獣は獣の生来いよいよ出すのぞ。

火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。
一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ。

それが済んでから、身魂みがけた人間ばかり、神が拾いあげてミロクの世の人間とするのぞ。

どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな。
高い所から水流れるやうに時に従ひておれよ。

いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる人間もあるのぞ。
人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何もできんぞ。
くどう気付けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。

三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、
三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。

今の世はひらけたと申しているが、それは半面だけのこと、
半面がひらけると反面がとざされる世の中、

開け放しの明るい世が目の前に来ているぞ、
用意はよいか、

真ん中うごいてはならんと申してあろう、

動くのは外じゃ、
忙しい忙しいと申すのは外側にいる証拠であるぞ、

気つけて早う中心に飛び込めよ、
真中結構、日本は真ん中の国であるぞ
日本精神は真中精神、末代動かぬ精神であるぞ、

三千世界の大掃除であるから、掃除するには、掃除する道具もいるぞ、人間もいるぞ、

今の有様ではいつまでたっても掃除は出来ん。
ますますけがれるばかりじゃ。

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を初めてくだされよ。
神が致すのでは人間がかあいそうながら、くどう申しているのぞ。

「ひふみ神示ダイジェスト版」(コスモテンパブリケーション刊)より抜粋
      

      
         *****


wiki岡本天明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%A9%E6%98%8E


言われていることは、
世界の終末が迫っている、ということと、
それに対して、人間はどうしたらいいのか、ということ。。

神様からの直なアドバイスである。

天明は大本出身なので、「三千世界を建て替え立て直して、みろくの世を実現する」という言い方がされる。

そして未曾有の大災害の末、こころがけの悪い者は死に、こころがけの良い者は生かされて、ミロクの世の人間として新たな生を受ける。

天明の「ひふみ神示」の示す、この世の終わりとその次の世界の建て替え立て直しのあり様は、アセンションという名のちょっとかわったミロク信仰の一つとして、市民権を得、今も人々の心をつかむ力を持っているように思われる。

未曾有の大災害は、いつ来るのだろうか。
それは避けることができないものとして、「時に従いておる」しかないのだろうか。

身魂をみがく、ことが肝要なのだとは分かっているけれど。。



wiki大本より
教義
主要な教義は、お筆先など神がかりによるものである。
多用されているおもな理論は、次の通り。
• 型の論理(大本教内で起こったことが日本に起こり、日本に起こったことが世界に起こるという法則。これを使って近未来の予知が可能となる)
• 立て替え・立て直し(一種の終末論。戦前の官憲には革命思想として捉えられ、徹底した弾圧を生む原因となった)





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予言と世界平和の祈りの意義・・五井昌久さん

2008-10-25 | アセンション

老人ホームにも七夕祭りがあり、母も毎年お願い事を書く。
母は毎年、半分に切った鮮やかな折り紙にサインペンで“世界平和”と書く。
家にいた時、母とわたしはそういうことについて話をしたことはなかった。

台所にいる母、買い物かごをもっている母、庭の花の手入れをしている母の憶えはあるが、
母が“世界”について、なにがしかのはっきりとした思いを持っていることに気づくことなく過ごして
きたということに、今になって気がついたのだった。

前回に続き、五井昌久さんのお話。
いまから47年前に語られている。

「責めてはいけません」というタイトルの本で、平成になって出版された。
以前嫁姑の口げんかをしてしまって、、本屋で手にしたもの。(汗)
十数年、本だなにこっそり置いてある。

タイトルを見るたび、若かった自分の苦い経験を思い出す。
お姑さんとけんかをするなんて、ほんとうにわたしも若かったんだなあ。。
さすがにお姑さんとの戦いは終結したようだけれど、それでも何かにつけて常に自分の心は思うようにはならない。

愛せないということは、愛されないということと同じくらい、苦しいものだと思う。
浮世は憂き世、と言いたくなることは多いです。



        *****



今年(昭和36年)になっていろいろな予言が出ていますね。
さてはたして世界大戦があるものでしょうか、どういうものでしょうか。

これは実に大事なことですけれど、私は“ない”という予言をするのです。
“そういうことはありません”という予言。
わたしは良い方の予言者。
悪いことは一切予言しないことに決めているのです。

それでそういうふうに持っていくための世界平和の祈りなのです。

それではこれから世界平和の祈り,の重大なる意義を申しあげましょう。

世界が大戦になればどういうことになるかといえば、原水爆が落ちてくると、こういうわけです。

私どもは安閑として生活しておりますけれども、実は毎日毎日明日あさって死ぬかもわからない
生命のかたちで生きているわけなんですよ。
だた知らないだけなんです。

キューバでなにがあったって、インドシナでなにがあったって、ちょっとも関係ないような気がするでしょう?
ところがキューバであることが、インドシナであることが、朝鮮であることが、どこかであることが、
どんな小さな国である戦争でも結局は日本に影響してくるわけだし、全世界に影響してきて、
これが地球最後の日になるかわからない、という境目になるわけです。


肉体のほかに幽体というものがあって、その世界を幽界と言います。

幽界という世界はどういうことかというと、みんなの想いが溜まっているところです。

いろんなことが一年中ありましたね。
一年中あったことを皆さんは憶えていますか?

憶えちゃいませんね。
特別なこときり、憶えていません。
あとはみんな忘れているんです、
その忘れたものはどこにあるかというと、幽界を波になって、ぐるぐる廻っているわけです。
これを普通、潜在意識というのです。

そうした想念の波動が自分の幽体の中に廻っている。
それが他の人にも関係してずーっと幽界をぐるぐる廻っている。
だから一人の人がいろんな想いをすることは、幽界という広い範囲をぐるぐる廻っているわけですよ。

だから一人の人が、あのやろうやっつけちゃおう、あいつは憎らしいからやっつけちゃおうというように想います。
それで自分は忘れてしまう、
忘れてしまうけれど、その想いは、幽界をぐるぐるまわっているわけです。

そういうような想いがたくさん溜まると、憎らしいという想いと想いがぶつかって、それが
戦争になったり、天変地異になったりするのですよ。

天変地異をおこすのも、戦争をおこすのも、全部人間の想いなのです。

嵐が起こるのも、 地震が起こるのも、戦争が起こるのも、原因は一つです。
人間の業想念、自分勝手な想い、人をやっつけようとする思い、要するに調和しない、不調和の
想いがみんなそういうものを作るのです。

それで幽界を見ますと、そういう戦いの波だとか、やっつけちゃおう、やっちゃおう、いろんな波が
いっぱい溜まっているわけなんで、その波をたどってゆくと、ああ、今年あたり、もう戦争が
あるなという風に見えるわけなんですね。

そういう波が実際にあるわけなのだからね。


だからそういう予言は必ずしも嘘ではないんです。
けれども、そうなってしまったんじゃ、神は愛ではなくなってしまう。
みんな滅びちゃうんだからね。
そういうことがあるわけがない、あっちゃいけないように、守護霊、守護神があるんですね。

だから守護霊、守護神とか世界平和の祈りを考えなければ、神様なんていうものは非常に残酷なものですよ。

そのまま人間は滅びちゃうのだから。
かならず肉体界は滅びちゃうのですから。

ところが私は、破滅するとは思わない。

世界平和の祈りが生まれてきたということは、幽界にできているあらゆる業想念をみんな清め去って
きれいにして、本来ある神様の生命を、神様の子の生命を、このまますうっと神様の世界から
肉体界まで、まっすぐに光を投げかけて光の交流を図ればね、幽界というのは、きれいになって、
神様の御心の絶対調和がこの地球人類の世界に開けて来るに決まっているのですね。

そういう風にできているのです。


世界人類が平和でありますように
と、まともに言っている時は、その人は大きな観音様です。

そう思ってこの日常生活をしてください。
すると心が豊かになって軽くなって、この世が楽しいですよ。

そうしなければ、世界は平和になりません。

霊界から、サアーッと光をあててね、業想念の迷いの想い、人をやっつける思い、自分が威張りたい
思いを人類の潜在意識の中から、サアーッと消してゆくんですよ。

   
    五井昌久「責めてはいけません」予言と世界平和の祈りの意義

         *****
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人の“想い”が地球の運命を決定する・・・五井昌久さん

2008-10-23 | アセンション

五井昌久さんという宗教家がおられた。

もう亡くなってしまったけれど、30年前に出された本を読んでみた。

地球への祈り、、今も様々あるけれど、この方も地球存亡の危機をずいぶん古くから感じておられたのだと思った。

ホピの人は“ホピは地球の守り人だ”と言うけれど、誰もが、一人ひとりその人のしなければならない仕事があるのだろう。

地球に生きる一人、として。。
地球の守り人、として。。

前に読んだときは宗教書だし、シンプルすぎて物足りないような気がして、本棚の奥の方に入れたままになっていたのだが、読み返してみると、こういう考えは底力をもつ考えだと思い直した。

本が出て30年、、30年を祈ってすごしたか、忘れてすごしたか?

そういうことが問われているのではないかと思った。


*****

普通の人々は、自分の想念波動が、それほど大事なものと思っていないようです。
しかし人間の想念波動ほど大事なものはないのです。

人間の想念波動が、地球世界の運命を決定するのです。

想念波動というと特別の言葉と思われる方々がいるでしょうが、わたしは人間の“想い”を想念波動と言っているのです。

なぜそこに波動という言葉をつけるかと言いますと、人間の想いというのは、波の動きのようになっていて、この地球をつねに経めぐっているのです。

人間の肉体は科学的研究の結果からみて細胞分子、原子、電子、素粒子というように、細かくできているもので、最後は波動になってしまっていますが、想いのほうはさらに微妙な波動なのです。

人間の想いはたとえどんな細かいことでも、この地球や宇宙を巡り巡っていくわけなのです。

人類はどうしても、大生命である神の永遠の道につながる、お互いの朝夕の道を歩まねば、いつかは滅びてしまうものでありまして、今日では大きく人類滅亡のきざしが見えているのであります。

人を傷つける想念波動や、不調和な波動の流れが、この地球世界には多くて、調和した波動の流れは少ないのですが、ただ縦の流れ、いわゆる神の大生命のひびきは、いつの日にあっても、なお調和の流れそのままであることを忘れてはいけません。

権力欲、金銭欲、そうした欲望につながる感情で世界が動いているわけですから、、その内容は生存競争ということになります。

そういう時代は人類時代ではなくて、獣類時代だと言えましょう。
人類と言うのには程遠い感じのする地球世界の住民なのです。

これは人類が進化途上にあるのですから致し方ありませんが、現在のような生き方で地球の住民が生存競争をやっていますと、この人類はいつかは滅びてゆくに違いないのです。

人類はまだ真実のものをほとんどわかっていない。
生命のことも、心のことも、時のことも、空間のことも。

それなのに、そういう重大なことをほったらかしにして、目に見えている世界、現在手のとどく世界のことだけに血眼になって競争しているのです。

情緒(心の本源)の世界をはなれた、肉体人間だけを保存しようとする欲望想念だけで、この地球世界に住み続けようとしているのです。

地球世界は現在、人類のさまざまな業想念波動で汚れきっているのです。

その汚れた波動を清めきらなければ、地球は地球本来の動き方を続けるわけにはゆかなくなってしまいます。

地球自体もやはり波動体であるから、その波動の流れが汚れきっていては動きが狂ってくるのは必定です。

現在の地球世界の崩壊を防ぐためには世界平和祈り,のような光明波動で地球の掃除をし続けなければいけません。

そうして地球をきよめ続けながら、そこに新しい人類の生きる道をつくってゆかねばならないのです。

各人がなにもしないでのほほんとしていたら、地球は必ず滅びてしまいます。

滅びるより、滅びない方がよいにきまっています。

現在では個人だけの幸せなどというものはあり得ないのです。
現在幸せだと言っている人も、実は幸せそうに見えるだけで、その幸せはいつ崩れるかもしれないはかないものなのです。

宇宙は常に変化しています。
そして今や大きな変化を成し遂げようとしています。

地球も宇宙の一つの星です。

地球の動きも大きく変わりつつあります。
これは科学的に種々と知らされています。

今までのような生き方を続けていたのではやってゆけない程、地球の変化は大きいのです。

地球人類は好むと好まざるとによらず、大きな転換期に入ってきているのです。

      五井昌久「純朴の心」(1978年)より抜粋

       *****


wiki「五井昌久」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BA%95%E6%98%8C%E4%B9%85
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「ガイアシンフォニー5番」を観た

2008-10-01 | アセンション
ふとチラシを手渡していただいたのがご縁で、今日は有名なこの映画シリーズを初めて観た。 ガイアシンフォニー5番,である。

「すべての存在はつながっている」、が副題なのだろうか、たくさんの登場人物(自然探検家が多い)の半生のドキュメントと、何人かの故人となった登場人物と、何人かの無名の人々と、あと各地の神社の神事の映像が、ひじょうに複雑にからまりあって流れた。

ずいぶん観念的な、作りこまれた映画だなあ、というのが第一印象だが、これは「現代のバイブル」あるいはその「バイブルのビジュアル版」のようなものなのだろうとも思った。

このとてもはっきりした自然観を主張する映画は、今の時代の信念の潮流をつくっているものを集約して表現しているのだろう。

時の潮の流れの、、潮のいきおいの強さが、ガイアーー魂としての地球ーーと共振し、ガイアを呼び起こしているのだろうか、、いや、、ガイアを呼び起こしているから、時の流れをつくることに成功しているのだろうか。。

音楽と映像のくみあわせは、ちょっと意図的でくどいようにも思ったが、それはさておき、こういう映画を広めつつ、仲間意識をもって生きるのは、すばらしい人生だ、という考えに落ち着いた。

登場人物に共通するのは、物質でもあり、魂でもあるこの世界、、その見えつ隠れつする、物質と魂のあわいの様相をじっと見据えるまなざしだ。
つまり、ガイアを見据えるまなざしである。


むかしは自分(達)の理想郷を望むことは、自分(達)が属していない世間に対抗し、肩で風切って歩くことだった。

それに比べて、今の若いひとたちは、なんと成熟していることだろうか!

こんなに思想性にみちた映画を、落ち着いて、興奮も逆上もせず、秘密めかせもせず、日常の中で上映して、その思想を世間に広めていくことに成功しているんだ。。

じつに大人だ。

これが“今”の、あかぬけたスピリチュアル(スピリチュアリティー)なんだあ。。といたく感心したのだった。


主催しておられたのが、自然育児のサークルの方だったので、映画館には、乳幼児を抱いた若い父母の方がたが多かった。

画面近くの客席は椅子でなく、床にタオルをしいて座れるようにあつらえてあったので、おさな児をともなった若いご家族方の、砂浜でくつろいでいるようなリラックスしたシルエットが、映画の映像に勝るとも劣らないメッセージをたたえて、ひじょうに美しく、印象的だった。

よいひとときをありがとうございました。
どうぞ、またお声かけてくださいね!



ガイアシンフォニー五番公式HP

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