1982年に上梓され、1995年に改定版が出されたフリッチョフ・カプラの「新ターニングポイント」のご紹介をさせていただいています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
ここに書かれていることがすべて実現すれば、理想的な社会が出来るに違いないと思います。
出来そうで、なかなか出来ないことですが、理念としての歴史は数十年ある、というのも、事実だと思います。
*****
(引用ここから)
有機システム論は社会科学、とりわけ経済学にもうってつけの基盤である。
今ほど経済のプロセスや活動を説明するのにシステム概念を適用することが求められている時はない。
なぜなら現代のほぼあらゆる経済的問題が全体系的な問題であり、デカルト的科学によってはもはや理解しえないからである。
システム論的視点からすれば、経済とは絶え間なく相互作用する人間と社会組織からなる生きたシステムであり、組織や人間はまたわれわれの生命を支える周囲の生態系とも相互に作用しあっている。
個々の生物同様、生態系とは自己組織化する自律したシステムである。
そのシステムの中では動物、植物、微生物、不活性物質が休みない周期で物質とエネルギーを交換する複雑な相互依存の織物を通して繋がれている。
これらの生態系では、線型的な因果関係はめったに見られない。
従って、そこに包括される社会システムや経済システム、およびテクノロジーの機能的な相互依存性を説明するのに、線型的なモデルを使ってもほとんど役に立たない。
あらゆるシステム・ダイナミクスの非線型的な性質を認識することが生態学的自覚の本質であり、全体系的な智慧の核心なのである。
こういった智慧は伝統的な無文字文化には特徴的に見られるが、悲しいことに、合理性偏重の機械化されたわれわれの社会ではないがしろにされてきた。
「全体系的な智慧」は、現代の生態学の見解と完全に一致する「自然の智慧」に対する深い畏敬の念に根差している。
われわれの自然環境は無数の生物が住む生態系からなっている。
これらの生物は同じ土、水、空気の分子を果てしなく活用しながら何十億年も共に進化してきた。
これら生態系の組織原理は短期間の線型的な企てに基づく、最近の発明に依拠した人間のテクノロジーの組織原理より優れたものとみなさなければならない。
さらに、生態系における自己組織化のダイナミクスが、基本的に人体におけるそれと同一だということを考えると、自然の智慧に対する畏敬の念はますます深くなる。
生きたシステムの非線型な相互関連性は、社会・経済システムの運営に二つの重要な法則があることを暗示する。
第一に、すべての構造、組織、制度にはそれに適した大きさというものがあり、いずれかひとつの変数――たとえば利潤、組織、GNPなどーーの極大化は必然的に、より大きなシステムの破壊を招くということである。
第二に、経済活動が自然資源のリサイクルに依拠すればするほど、それは周囲の環境と調和するようになるということだ。
我々の惑星は今や隙間なく人間に埋め尽くされているので、ほぼすべての経済システムは複雑に絡み合い、相互に依存し合っている。
今日のもっとも重要な諸問題は地球的な問題である。
人類全体の生存に関わる自己組織化の原理――中央集権化と脱中央集権化、資本集約型と労働集約型、ハードテクノロジーとソフトテクノロジーーーに関する選択なのである。
原子力を除き、われわれの使っているエネルギーのすべてのエネルギーはある種の蓄積された太陽エネルギーを表わしている。
木、石炭、石油、ガス、いずれを燃やすにせよ我々は太陽から地上に降り注ぎ、光合成によって化学的形態を変えられたエネルギーを使っているのだ。
こういった形の太陽エネルギーの大半は古来からのテクノロジーを使っていつの時代にも人間社会に利用されてきた。
太陽エネルギーの変換はいかなる大がかりな技術革新も必要としない。
古くから知られている農業や技術のプロセスを現代社会の活動にうまく統合していくだけでいいのだ。
太陽から来るエネルギーは地球全体に拡散しているので、中央集権的な太陽発電所などというものは無意味である。
実のところそういったものは、そもそも不経済である。
もっとも効果的なソーラーテクノロジーとは地域の共同体が使う小規模な装置であり、多種多様な仕事を産み出す上に、環境に及ぼす効果は穏やかである。
この歴史的な転換に乗ずるのに、いかなる技術的飛躍も待つ必要はない。
われわれにもっとも必要なのは、太陽エネルギーの可能性についての正確な情報と、太陽の時代への道を切り開くことを可能にする社会・経済政策である。
太陽エネルギーへの転換の主な障害は、技術的なものというより政治的なものである。
再生できない資源から再生できる資源への転換は、石油会社を世界経済における主導的な立場からひきずり下ろすし、彼らの機能の根本的変化を迫る。
「太陽の時代」への滞りない移行は、我々が社会の一員として目先の個人的利益より、長い眼でみた社会的利益を優先できる場合にのみ可能となるだろう。
「太陽の時代」への道とは、持続可能な社会への移行である。
持続可能な経済は化石燃料によってではなく、ソーラーヒーティング、太陽光発電、風力、水力、バイオマスなど、直接、間接さまざまな形の太陽エネルギーによって推し進められることになろう。
原子力は経済社会環境が抱え込む大きな負担ゆえに、徐徐に姿を消す。
太陽光発電によって、世界中の家主が電力の消費者であると同時に電力の生産者にもなる。
中央集権的なエネルギー生産は少なくなり、それゆえ混乱も少なくなる。
それは民主的な政治制度ともなじみがよい。
地域自立をより重視する新しい持続可能型産業の中央離れが進むにつれ、大都市志向が逆転する。
物質的富の蓄積が最重要ではなくなると、富者と貧者の格差が狭まり、それにより多くの社会的緊張が消えるだろう。
こういった予測はいかにも理想的に聞こえるかもしれない。
しかし新たなる1000年に向かう今、ますますはっきりしつつあることは、未来はーーいやしくもそれがあるべきだとするならーー全地球が相互に結ばれた、エコロジー的に思慮深い、持続可能なコミュニティーの世界であるということだ。
(引用ここまで・終)
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ここに書かれていることがすべて実現すれば、理想的な社会が出来るに違いないと思います。
出来そうで、なかなか出来ないことですが、理念としての歴史は数十年ある、というのも、事実だと思います。
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(引用ここから)
有機システム論は社会科学、とりわけ経済学にもうってつけの基盤である。
今ほど経済のプロセスや活動を説明するのにシステム概念を適用することが求められている時はない。
なぜなら現代のほぼあらゆる経済的問題が全体系的な問題であり、デカルト的科学によってはもはや理解しえないからである。
システム論的視点からすれば、経済とは絶え間なく相互作用する人間と社会組織からなる生きたシステムであり、組織や人間はまたわれわれの生命を支える周囲の生態系とも相互に作用しあっている。
個々の生物同様、生態系とは自己組織化する自律したシステムである。
そのシステムの中では動物、植物、微生物、不活性物質が休みない周期で物質とエネルギーを交換する複雑な相互依存の織物を通して繋がれている。
これらの生態系では、線型的な因果関係はめったに見られない。
従って、そこに包括される社会システムや経済システム、およびテクノロジーの機能的な相互依存性を説明するのに、線型的なモデルを使ってもほとんど役に立たない。
あらゆるシステム・ダイナミクスの非線型的な性質を認識することが生態学的自覚の本質であり、全体系的な智慧の核心なのである。
こういった智慧は伝統的な無文字文化には特徴的に見られるが、悲しいことに、合理性偏重の機械化されたわれわれの社会ではないがしろにされてきた。
「全体系的な智慧」は、現代の生態学の見解と完全に一致する「自然の智慧」に対する深い畏敬の念に根差している。
われわれの自然環境は無数の生物が住む生態系からなっている。
これらの生物は同じ土、水、空気の分子を果てしなく活用しながら何十億年も共に進化してきた。
これら生態系の組織原理は短期間の線型的な企てに基づく、最近の発明に依拠した人間のテクノロジーの組織原理より優れたものとみなさなければならない。
さらに、生態系における自己組織化のダイナミクスが、基本的に人体におけるそれと同一だということを考えると、自然の智慧に対する畏敬の念はますます深くなる。
生きたシステムの非線型な相互関連性は、社会・経済システムの運営に二つの重要な法則があることを暗示する。
第一に、すべての構造、組織、制度にはそれに適した大きさというものがあり、いずれかひとつの変数――たとえば利潤、組織、GNPなどーーの極大化は必然的に、より大きなシステムの破壊を招くということである。
第二に、経済活動が自然資源のリサイクルに依拠すればするほど、それは周囲の環境と調和するようになるということだ。
我々の惑星は今や隙間なく人間に埋め尽くされているので、ほぼすべての経済システムは複雑に絡み合い、相互に依存し合っている。
今日のもっとも重要な諸問題は地球的な問題である。
人類全体の生存に関わる自己組織化の原理――中央集権化と脱中央集権化、資本集約型と労働集約型、ハードテクノロジーとソフトテクノロジーーーに関する選択なのである。
原子力を除き、われわれの使っているエネルギーのすべてのエネルギーはある種の蓄積された太陽エネルギーを表わしている。
木、石炭、石油、ガス、いずれを燃やすにせよ我々は太陽から地上に降り注ぎ、光合成によって化学的形態を変えられたエネルギーを使っているのだ。
こういった形の太陽エネルギーの大半は古来からのテクノロジーを使っていつの時代にも人間社会に利用されてきた。
太陽エネルギーの変換はいかなる大がかりな技術革新も必要としない。
古くから知られている農業や技術のプロセスを現代社会の活動にうまく統合していくだけでいいのだ。
太陽から来るエネルギーは地球全体に拡散しているので、中央集権的な太陽発電所などというものは無意味である。
実のところそういったものは、そもそも不経済である。
もっとも効果的なソーラーテクノロジーとは地域の共同体が使う小規模な装置であり、多種多様な仕事を産み出す上に、環境に及ぼす効果は穏やかである。
この歴史的な転換に乗ずるのに、いかなる技術的飛躍も待つ必要はない。
われわれにもっとも必要なのは、太陽エネルギーの可能性についての正確な情報と、太陽の時代への道を切り開くことを可能にする社会・経済政策である。
太陽エネルギーへの転換の主な障害は、技術的なものというより政治的なものである。
再生できない資源から再生できる資源への転換は、石油会社を世界経済における主導的な立場からひきずり下ろすし、彼らの機能の根本的変化を迫る。
「太陽の時代」への滞りない移行は、我々が社会の一員として目先の個人的利益より、長い眼でみた社会的利益を優先できる場合にのみ可能となるだろう。
「太陽の時代」への道とは、持続可能な社会への移行である。
持続可能な経済は化石燃料によってではなく、ソーラーヒーティング、太陽光発電、風力、水力、バイオマスなど、直接、間接さまざまな形の太陽エネルギーによって推し進められることになろう。
原子力は経済社会環境が抱え込む大きな負担ゆえに、徐徐に姿を消す。
太陽光発電によって、世界中の家主が電力の消費者であると同時に電力の生産者にもなる。
中央集権的なエネルギー生産は少なくなり、それゆえ混乱も少なくなる。
それは民主的な政治制度ともなじみがよい。
地域自立をより重視する新しい持続可能型産業の中央離れが進むにつれ、大都市志向が逆転する。
物質的富の蓄積が最重要ではなくなると、富者と貧者の格差が狭まり、それにより多くの社会的緊張が消えるだろう。
こういった予測はいかにも理想的に聞こえるかもしれない。
しかし新たなる1000年に向かう今、ますますはっきりしつつあることは、未来はーーいやしくもそれがあるべきだとするならーー全地球が相互に結ばれた、エコロジー的に思慮深い、持続可能なコミュニティーの世界であるということだ。
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