iwao's diary

BlogをAmebaへ転居しました。
こちらも当分残しますけど、更新はありません。

バッテリー

2009-10-27 | FIAT

中古車の宿命ですが、消耗品は、早めに交換が必要です。PANDAも購入早々にワイパーゴムの交換を行いましたが、やはりバッテリーも交換することになりました。輸入車はよくバッテリーの突然死が起こりますが、転ばぬ先の杖対策です。と言うのも、前回のトウバー装着作業終了後にバッテリーが上がりましたし、最近、セルを回すときに若干苦しくなり、時計が0:00にリセットされてしまう現象が発生したこともあり、もう寿命と判断したのです。早速、ネットで該当のバッテリーを検索しました。

Maseratiで利用したことがあるバスケスさんで購入です。SMF550-66という密封型のメインテナンス・フリーのタイプです。

ベルトを固定している13mmのナットを緩め、バッテリーを外します。マイナスの端子側は、ワンタッチで外れるタイプでした。プラス端子側は、10mmのナットを緩めます。写真は、新しいバッテリーを台座に取り付けたところ。この後、排気穴の左右の赤いキャップを外して、プラス端子、マイナス端子の順番に取り付けて完了です。


パンダのシッポ

2009-10-24 | FIAT

今日は朝からPANDAにシッポ(トウバー)を取り付ける作業をすることにしました。と偉そうなことを言いながら、実は、同じ町内のお友達にお願いして、取りつけてもらうことにしたのですw 友人は、元整備士さんなんで、本当に助かります。ありがとう!F君。。。感謝、感謝

これが、設計図です。先ずは、①のバーをバンパーを外して取り付ける作業から始めます。③のナットは、変な形をしていますが、これには訳があって、フレームの中に仕込む仕掛けなんですね。(作業中にわかりました)

作業用のマットを敷いて、準備OKです。ちなみに車庫前のベンツは、友人のです。

バンパーと、左右のリアフェンダーの裏側のカバーを外しました。バンパー上部はトルクスネジを使ってとまっていました。

バンパーを外して現れたバンパー受けを防水のコーキングを剥がして取り外します。

バンパー受けを取り外したところです。オレンジの筋がコーキングの跡です。

ちゃんとトレーラー用電源を取り付けるカプラーが出ていました。これに専用の電源コードを取り付ければ簡単なんですが、今回のパーツは、汎用の電源コードだったので、カプラーでワンタッチとはいきません、、、まぁ、この配線を生かせば、割と簡単じゃん~とこの時は思ったのですが、、、

③のナットは、バンパー受けを外して現れた丸い穴から中に入れます。

再度、バンパー受けを①のバーと一緒に取り付けてから、剥がしたコーキングをやり直すために、ホームセンターでシルバーのコーキング剤を買ってきました。

③のナットです。ナットに斜めに付いている棒は、ナットの位置決めと締めこむためについています。

トランクルームのカーペットをめくり、穴を隠しているカバーをめくると、さっきナットの棒がここに現れます。ちなみにフレームナンバーも反対側のこの場所に打刻されています。

 

バンパー受けと①のバーを一緒に取り付けたところ。黒いバーが内側に入り込みます。

同じく下から見た状態。ここにスワンネックと電源ソケットがくっ付きます。

コーキングを行います。って言うか、行ってもらってますw 自分は撮影班www

スワンネックを仮付けした状態。パンダの尻尾です。

さて、これからが、大変でした。電源ソケットの加工です。

7穴のソケットへの配線をネジで取り付けます。その前に、配線に半田をつけて固めているところ。この作業を行うことで、ネジでの取り付けがしっかりできるようになるんだそうです。(友人の受け売り)

そして、トレーラー用のカプラーの配線にテスターをあてて、方向指示器、尾灯、ブレーキランプ、バックランプの配線を確認します。

が、、、どれも電気が来ていません。???取り扱い説明書を見ると、トレーラー専用のヒューズを発見、確認したらヒューズが入ってませんでした。

再度、ヒューズを取り付けて確認しましたが、まだ、電気が来ていない。??? またまた取り扱い説明書をめくって調べたら、なんと、トレーラー用の電源を専用カプラーから取り出すには、専用のコンピュータに入れ替える必要があるんだとか、、、

↑この原因、Webで調べたら と書いてありました。なるほどね。

最近のヨーロッパ純正配線では、トレーラーのプラグを差し込んだ時に、「トレーラーがつながれた」と車両が認識するタイプがあります。これは、車側ソケットのブレーキ、ウィンカー等の灯火にパルスが常に流れており、「抵抗」がかかると認識するものです。トレーラーのプラグを接続することによって、トレーラーの電球が抵抗となり、車側がトレーラーが連結したと認識します。
※パルスを出している灯火は車両により異なります

車側のソケットにテスターで1本1本あたっても、全く反応がない事があります。これまた、上記の「しくみ」とあわせて、ブレーキ、ウィンカー、車幅灯、バック等の灯火に抵抗(トレーラーの電球抵抗)がかかっていないと、車側がソケットに電流をながさない為です。
なお、車両により、判定する灯火種類が異なります。

と言うことで、専用電源からの取り出しは断念して、一般的なリアランプから電源を取り出すことにしました。左右のリアランプを外して、カプラーにテスターを当てて、電源を調べます。ここで、また半田ごてが登場、細かい作業を行って、左右から電源を取り出し、念のため接続にカプラーを取り付けて、電源関係の作業は終了。再度、バンパーを取り付けて、お疲れ様って感じです。

ほぼ、丸一日かかりました。大変お世話をおかけましたF君。ありがとうございました。直接電源を引き込こんだので、実際にトレーラーを接続したときに、電圧の変化で、コンピュータがどう反応するかは課題ですが、それは、次回に考えることにします。

それより、作業終了後、バッテリーが上がっていたのが、当面の課題というか、問題です。そういえば、ちょっと前に時計がリセットされていたので、電圧が低下していたんだと思います。バッテリーは寿命かな、交換ですね。

のシッポです。


3750諭吉のスープラ

2009-10-21 | Car

TOYOTA2000GTを狙ったのなら、まぁ、そんなお値段なんでしょうけど、、、そこまでのオーラは、写真では感じられません、、、

パッと見、Newスープラって感じ。カーボンなんて変に使わないで、スチールとアルミとかFRPで、GTR並のお値段なら、少しはトキメキ感が出るかも、、、

 

 


唐人踊り遠征

2009-10-18 | ひとり言

今日は、滋賀県高月町まで行ってまいりました。唐人踊りの出演です。「第十六回・朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流大会・高月大会」というイベントに参加してきました。

パレードに参加し、途中数回踊りを披露、地元の人達も不思議そうに観ていました。。。まぁ、お面を被った変な格好ですからねぇ~

出演後、高月町出身の雨森芳洲の記念館「芳洲庵」を訪れ、ちょっと一服してきました。高月町は、この雨森芳洲の関係で朝鮮通信使ゆかりのまちということになるんだそうです。いい感じの落ち着いた町でした。

帰りの高速SAで見かけたユニークなサイドカーです。今日は天気も良くて、ハーレー系のサイドカーオジサンも多かったですが、このサイドカーは、異質な雰囲気。リアは2輪駆動なので、サイドカーとトライクを合体したような感じですね。

ひさびさにSZも見かけました

 


事前準備

2009-10-14 | FIAT

PANDAの登録を業者にしてもらったのですが、ナンバーが気に入らなかったので、希望番号を申請し、ナンバー変更を行ってきました。その時に、ついでに車検証に牽引可能重量の記載を依頼したのですが、「牽引可能なキャンピングトレーラ等の車両総重量計算書」を先ず書いてきてくださいということで、一旦戻って、準備に取りかかりました。PANDAの取り扱い説明書には、牽引可能重量が記載されていたので、それを車検証に記載してもらえるのかなと思っていたのですが、甘かったです。

Webで調べてみたら、計算してくれるサイトがあって、必要な項目を入力すると、面倒な計算書への記載をやってくれます。(結構便利)そのサイトには、すでにニューパンダのデータもありましたが、4×4はなかったので、メーカーに取り扱い説明書に記載のない必要なデータを問い合わせると、

 制動停止距離:50m 初速100km/h

 主ブレーキ制動力:8624N

 駐車ブレーキ制動力:2940N

というのが判明、それを入力していくと、ちゃんと計算してくれました。

サイトで計算済みのデーターを運輸支局でもらった計算書に写していくと、ちょっとそのまま書き写せない箇所もありましたが、ちょっと検算して、書き込み完了。それを持参して、再度、運輸支局に行ってきました。

今度は、スムーズに終了し、数十円の用紙代だけで、車検証への記載完了です。

業者さんに依頼すると、それなりに手数料がかかるかと思いますが、自分の場合も、結果的に2回足を運んだわけで、手間賃だと思えば妥当なんでしょう。

以前は、ヒッチメンバーの取り付けも改造申請とかが必要だったようですが、今は、不要なので、書類だけの審査でOKです。と言うことで、ヒッチの取り付けは、まだですが、とりあえずこれでPANDAで牽引する手続きは完了です。

実は、すでにパーツは届いていたりしますけどw 

運輸支局では、こんな懐かしい車もナンバーの登録を行っていました。