1万数千人も亡くなり、不明者も
信じられない数がいる大震災というのに
「私には※※しかできない」などという
僕にはサッパリ訳の判らない理屈で
ここぞとばかりにメディアに
シャシャり出る人たちがいる
(だいたいが歌手だ)
そもそも、「※※しかできない」と彼らは言うが
例えば、ゴミを片付けるとか、水を届けるとか
被災者の話し相手になるとか、汚れ物を洗うことも
全くできないというのだろうか
それでは、自分達の生活全般は
誰にやって貰っているのだろうか
全て他人なのだろうか
「~しか出来ない」などという理屈は
理屈にもならない、全くのお笑い種だ
第一、譜面も読めない三流歌手の歌を聞いたところで
屁のツッパリにもなりやしない
そして、だ
避難所の体育館で、落ち目の歌手が
「私には歌うことしかできないから」と
デカイ音量で歌謡ショーをやるのは
如何なものかと思うのだ
本当は、自らの起死回生のため
被災者を利用しているだけなのではないか
と、ひねくれ者の僕は思ってしまう
また、被災者のために芸能人が炊き出しを行うのはいいが
そのスタッフ全員に“自らの芸名”の
デカデカと入ったジャケットを着させ
炊き出しの後に、芸能リポーターから取材を受け
「私ら良いことしました」的なコメントを吐く彼らには
嫌悪感を抱くへんくつな僕なのだ
さらに、だ
被災者に対し「~しかできない」ことが
「ラブ注入」と真顔で言う
“ナンダカしんご”には
激怒以上に殺意さえ覚えた
僕は死刑には反対だが
ヤツは××刑にして貰いたい
さて、NHKで紹介されていたが
唯一、素晴らしいと思ったのは
太鼓の町として有名な岩手県陸前高田市で
勇壮な和太鼓を叩き被災者を励ました
愛知県の「転輪太鼓」の皆さんの演奏だ
高田市では多くの和太鼓奏者が被災した
そんな彼らに、力強いリズムに励ましを込め
奏者達は和太鼓を打ち鳴らした
和太鼓の町で生まれ育った人々の頬はみるみる紅潮した
そして「勇気を貰った。負けられねぇ」と…
これこそが本当の励ましなのだ
芸能人のアピールのための
“応援もどき”とは次元が違う
真剣さだけが相手の心を揺さぶるのだ
オフザケや功名心の輩の言葉では
人は奮起しない