松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月9日 イエメンビザ、ダメ・・ 3  

2014年03月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

このナンバーはパキスタンでこしらえたもの。ラワルビンディのホテル前にあったオートバイやの人が
2003年11月ごろ鉄板に印刷?してくれたもの、だから日本のナンバーのようにでこぼこがない。。


前回2008年南アフリカからガーナに船で渡した。サハラ砂漠をぬけて走ってきた時「もう死ぬ」覚悟した
朝から晩まで砂嵐のような強風・・道が消えてヘルメットの中に砂が入り目にも入ってきた・・。モロッコカ
サブランカについたとき・・目は見えないほどになってしまった。帰国してすぐ白内障の手術を終わらせた。
今回はそのにがい経験をしたのでスキーに使うむかしむかし使っていたゴーグルを出して持ってきた・・が。

2014年3月9日日曜  はれ 21℃   22℃
オマーンで行きどまりになった。これから先どうするか。きょうイエメン大使館に「ビザ」申請に行った。
もしかしたら・・いまく、いくかなーと期待しながら一時間ほどねばってみたが、結局・・最後は日本大
使館の「レター」が必要だと・・イエメンで断られた。

もう日本大使館に行っても「退避勧告を出している日本政府「レター」書いてくれないことは最初からわ
かっていたので直接イエメンに大使館に来たのだ。


おみやげ屋で珍しいものを売っていた

日本大使館に行ってもなんの役にたたない・・しかし近くだったので日本大使館に寄ってみた。当然のご
とく「レター」は「発行はできません」と・・ドバイの大使館でも聴いていたので「そうですか」・・
「なんのお構いもできませんで・・」と自分で捨てセリフをはいて日本大使館をあとにした。

さーこれからことをどうする・・船でどこかの国へ送るのか・・飛行機で近くの国に送るのか・・考えな
ければならない。イヤーまいった。ホテルに戻る・・使うお金がなくなった。ATMと銀行を聞いてきの
う歩いた港に近い繁華街の商店街まであるく。

3カ所のATMでカードを使っておそろうとしたが・すべてダメだった。海岸に出たところの「インデア・
バンク」はOKと聞いて行ってみるが13:30であるが休憩・食事の時間に入って16時30分から開
いて20時30分までと・・銀行前に座っている手配しみたいな地元の人が教えてくれる。

きのうに比べ欧米人の姿が多いなー・・・港には世界一周?大型観光船がついている・・その観光船から
のお客らしい・・きょう、あした停泊するらしい。この観光船にわたしのオートバイも積んで近くの港ま
で乗せてほしい・・本当にそう思う。

すぐに下ろせるだろうと出てきたのが間違っていた、のどがかわいてきた・・残りわずかのお金でジュー
スを買って・・近くにマーケットで肉を買ってすべてお金はなくなった。

ドバイのお金600円ぐらい・・「このお金で買うのかい」もしかしたらたらお金足らないかも・・
「そうだ」ステーキ肉は600g以上あるなー。半分でもよかったのになー・サービスしてくれたのだろ
うかバングラデシュの人が・・。

まったくお金を下ろせなくてホテルに戻る。1時頃出て3時過ぎに戻ってきた。洗たくをすませて、4時
近いころから晩飯に入る・・銀行が開く・・夕方4時半過ぎたら銀行に行ってみようと考えていたが・・
ビールが入ると・・まぁ、下ろすのはあしたで「いいや」になった。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月8日 オマーン・首都マスカット 2  

2014年03月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

泊まってるホテル
ホテルから港まで歩いてみた・・マスカット市内

2014年3月8日土曜 はれ 
午後から歩いて近くを観光めぐり・・といっても港までの歩き・・しかし見たことのない風景
・・・白い建物は太陽に照らされて・・さらに真っ白に光っている。婦人の洋服店ばかりが街
に並んでいる・・

ふーん・・女性の優先の社会なのかな・・ほとんどは女性の洋品店・・「テーラー・・レディ
ース」みたいなこと書いた看板が目立つ。バザール・みたいな場所についた。


女性の洋服店ばかりが目に付く

門構えが二つある・・・左から走って見ると・・暑かったのが涼しくなった。アーケードみた
いな造りにっなっている。肉屋はなかったが・・商店街がところ狭しと・・続いていた。イス
ラエルの城壁エルサルム内を感じさせる・・(それほどの規模ではないが)狭い通路・・が続
いていた。

イスラエルの城壁内の商店街を思いださせる、今日は金曜で休みのなのだろうか

狭い出口を出ると港・・海に出た。港にはでかい観光船フェリーが停泊している。イエメンが
ダメなときこの船でどこかの国に運んでもらえないかなー。




岩山と岩山に挟まれた中にあるマスカット市内

ホテルに戻ろう・・行きも帰りも細い道なのにかなりのスピードで走って来る。歩道がないか
ら危ないなー。ホテルに戻ってビールを買いに行く。昼間値段は聞いていた・350mもロン
グ缶500mも同じ4ドル=420円の値段だと・・ドバイより安いと思っていたら逆に・・
アー高いなー。

自分の袋を持って行ったが・・だめ。自分では部屋まで運べない・・レストランのスタッフが
部屋まで運んでくれるシステムになっているようだ。部屋まで運んでくれた・・黒いビニール
袋に入れようとしたら・・

「ノーノー」外に出て見つかったら「つかまる」と「両手を交差」して真剣な顔になった。そ
うなのか・・ドバイよりゆるやかだと思っていが・・違った。きびしいアルコールの取り締ま
りのようだ。


結構買い物には女性も出歩いてる・・パキスタンではあまり見かけなかったようだが・・。

晩飯をおわったころ電話が来た。きのうホテルまっで引っ張ってくれた男の人からだった。
あした迎えに行くと・・「ソーリ・ツモロウ、モーニング9時からイエメン、エンバシイ」
に行くから。

よかったら9時にホテルに来てほしい。つうじたかどうか・・・。そのあとまた電話が来た
「女性の声・・日本語だ」「ハロー」「マツオサンですか」わたしは「スワダ」と言います。
わたしはオマーンに来て34年になります・・

「じゃいま35歳ですか」と「チャチを入れる」・・実はマツオさんが「オートバイで来て
おられる」と聞いたので地元の人を紹介したいと・・「ありがとうございます」「そうです
か」「こちらこそあってもらえればうれしいです」

きのう車でホテルを探してくれた・・・ブラザーから「はなし」を聞いたとスワダさん・・
友達から友達へまわりまわってわたしのところへ電話が来たようだ。


商店街を抜けると海に出た・・大きな観光船も数隻とまっている

一旦切ったあと、ふたたび電話が入った・・「あさって10日午後5時半に迎えに若い人が迎
えにいきます」・・「ありがとうございます」。もしイエメン入国が出来なくなった場合・船
か飛行機で一番近い国に送ることになる。

それらの情報を「日本語」で願ってもなく聴き出せる・・イヤー渡りに船とはこのことだろう
・・こんなうれしいことはない。気持ちがす―と楽になった。

ドアーをトントン・・どうした・・ホテルのスタッフだった。「背の低い」、ほら・・そのマ
ネージャーから「果物の差し入れだ」・・どうしたものか。それよりもっと宿代を安くしてほ
しいもだ。

しかしありがたいことだ・・こんなには喰いきれない・・運んできてくれたスタッフにリンゴ
・オレンジを差し上げた。ひとつづつ(けち)


海岸べりには観光客用のテラスが・・

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月7日 オマーン・首都マスカットについた  

2014年03月08日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オマーンの首都マスカットへの標識

2014年3月7日金曜   くもり・・ぽつぽつと・・雨・すぐに晴れに21℃  25℃
どこの街かわからない町で泊まった・・きょうはオマーンの首都・マスカットに向かう。朝・・
オマーンの安ホテルを検索して・・ホテルの予約をすませよう、としたクレジットカードを読
み切れず・・予約できなかった。


泊まっていたサッカーユニバースの選手たち

まぁいいや・・現地で探してみよう。8時には出たいと考えていたが9時・・10分前になった。
ホテルに泊っている「ユニバース」フットボール(サッカー)の選手たち・・高校生だろうか。
いっしょに写真をとって出発。

首都マスカットまで約200キロ、3時間を見ている到着は12時ぐらいだろう。100キロ
イーブンで走る・・・普通は110~120キロで走っているが荷物が重いので抑えている。
まわりの車は120~140キロで競争するように走っている。スピード標識は120キロの
表示。

<ドバイを征するものは世界を制す>
ドバイに比べて走りやすい・・ドバイはほとんど立体交差になっていて一本間違うともう・・
元の道に戻れない。ロータリーとかUターンする道がないのである。リラックスして走れるの
は1年以上かかりそう・・


朝方ぽつぽつと雨が降ってきた・・すぐに晴れわたった。

むずかしい道路だった。今まで世界の首都ロンドン・パリ・ニューヨーク・モスクワ・メキシコ
など走ってきたがイラン・テヘランにつぐ一番走りにくいドバイになった「ドバイの道を征する
ものは世界を制する」そんな感じ。

一本道の整備された2車線・道路。途中結構、道路拡張工事が進んでいた。地元の車がどんどん
130・140キロぐらいで吹っ飛ばして走っていく。意外と早くついたな・・11時前だ。
オマーンの首都マスカット・・に近づいた。


スタンドで地元の人が話しかけてきた・・「ホテル街まで連れて行って」・・

もうすぐ200キロ・・定期の給油。スタンドで地元の人がオートバイに近付いて「写真OK」
か、人柄のよさそうな子供といっしょ・・「どこから来た」・・話が進む。これ幸いと「ソーリ」
「マイ・デスカウントホテル」を探している。


オマーンの首都・マスカット市内に入る

ホテルのある場所まで引っ張って・・」と頼むと快よく「OK」の返事。彼のあとをついてゆく。
途中止まったところで彼の「ブラザー」の運転する車が後ろに来た。彼はこれからフレンドにあう
ので弟にホテルを探してもらうとのこと。

「ソーリ・ビックホテル」「ノー」「スモール・スモール・デスカウントホテル」とお願いした。
結構走ってホテルについた・・ワンナイト120・65$・・6500円ドバイに比べれば、まぁ
しょうがない料金だろう・せっかく連れてきてもらったのだ。とりあえず5泊予約した。


地元の人にひっぱてもらいホテルについた・・自分で探すのは苦労するので助かった。
まだホテルの名前は読めない・・・

「おかげで助かりました、ありがとうございました」。彼たち兄弟は「オートバイ・車」販売店とか
言ってたなー、あした迎えに来るといってたが・・12時になっている。

海岸特有のカラッとした明るさは南米や南アフリカに似ているのかな・・雰囲気はパキスタン、ネ
パールだ。部屋に荷物を入れてさっそく洗たくだ。ジーパン、などしばらく洗ってなかった上着も
いっせいに手洗いする。洗濯を終えてすっきりした・・。

今晩の晩飯の買い出し・・すぐ前がマーケットで助かった。トマト、キュウリなど2,3日分の買
い出し・・ステーキも買った。値段はいくらか安いかなー。ビールの買い置きも残り少なくなって
きた。


ホテル前近くにあったスーパーで食料を買いだした

さっき引っ張ってきてくれたブラザーにアルコールショップ店を聞くと近くにあると・・教えてく
れた。その雰囲気からするとドバイに比べてオープンなのかもと推測できる、楽しみだ。

きょうはフライデーイスラムは日本の日曜日。あした土曜も休みの会社が多とか・・。オマーンに
入って・・明るくて、こんな国とは思っていなかった。実際のところ・・へー「こんなきれいな国
だったのか」と自分のイメージとはずいぶん違う・・と感じている。
やっぱり来てよかった。(メーター42658)


走っているとき・・このビニールケースに入れた「アドレス」や「地名」を書いてとなりの人に見せて道を聴く・・


ドバイで買った・・バリカンで刈り取り自分でトコヤをやった・・短くすると気持ちがいい

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月6日 ドバイからオマーン本土へ  

2014年03月08日 | 赤道直下と陸路国境148か所

ドバイからオマーン本土に向かって走る・・ドバイのホテル前で地元の人に重いトランクを載せて
もらい出発・・したつもりが・・。

3月6日木曜  はれ 21℃  25℃  21℃
8時20分ホテルを出発・・きょうはオマーン本土まで走る・・きのうグーグルマップで
確かめた・・D88~D85~・・しかし5分もしないうちにわからくなった・・せっか
く85を見つけたのに・・手前から左に入ってしまった・・・走りに走って、ジャスト
1時間・・なんとスタート地点に舞い戻ってしまった。

オー出てきた・・「フジャーラ」の標識

さ振り出しに戻った・・ー今度は大丈夫・・予定どうり走っている。また流れに乗って走
っていたらアリャー・・本線から外れた―。もう元には戻れない・・・止めて聞いて・・
走って停まって聴いて聞きまくるがどこをどう走っているか・・まったくわからない。

もういいや・・きょう中にはオマーンにはつかないかも知れない。目的地まできのう調べ
たら223キロ3時間と出ていた。サルージャーに向かって走っている・・まぁ・・この
辺からでも行けるだろう・・6人目か7人目の人に聞いた。

オレについてこい、途中からはまっすぐに走ればいい。途中クラクションを鳴らして・・
「ありがとうございました」。もう信じるしかない・・走りに走った。国境に近いフジャ
ーラについた・・給油しながらオマーン国境へ道を聞く。

オマーン・の標識がでてきた・・

途中の町では果物、じゅうたん、などおみやげやの店が並んでいた・・その先には岩山が
でーんを居座っている

Uターンして右に走れ・・ありがとう。うん・うん・・国境だな・・道の真ん中に建物が
建っている・写真をとる、たしかに国境だった。

UAEアラブ首長国連邦の出国はスタンプだけで「OK」スタンプを押すのさえ面倒みた
いなしぐさ・・。さー今度はオマーン入国・・前回飛び地で入国をすませているので気は
楽だ。


出てきた・・国境・アラブ首長国連邦建物だ・・

地元の車のうしろについて並んでいたが、あっちの方へまわって手続きを。トラックとか
貨物の手続きは別の場所だった。年寄りの人・・中年・・窓口にいた。おそらくささいな
ことだろうと思うけど納得いがいかないようだ。

最後のオマーンの入国検査・・手続きを終えて・・無事入国

ここはオマーンの国境を振り返ってみたところ


きょうは首都・マスカットまでは無理だ・・ホテルのあるところまで・・走ってみよう

二人は延々とみんなに聞こえる声でさっきからあれこれ言い争っている。こっちは急いで
いるのだ・・話はあとにして仕事を早くかたずけてくれーの気持ちだ。二人のやり取りを
聞きながらトラックの運ちゃんたちも苦笑いして待っていた。

入国「ビザ代35ディハム1000円は前回飛び地と同じ・・支払いはクレジットカード
だった。13時30分オマーンに入った。


「入国申請書」「わかりません・すみません・よろしくお願いします」問題なかった。

海岸に出た青い海・今までの道路とは違ってすがすがしい気持ちになってきた・・アーい
いな、気持ちまでリラックスしてくる。給油しながらホテルを聞くと27キロ先にあると
・・。

30キロ過ぎて本線に入ろうとする車がある隣に寄せて「ソーリ・・ホテル」は・・「あの
・・」説明しようとした」が「あんた連れて行ったよ」日本語で言ったら「首をななめにふっ
て」「カモン」と青年は走りだした。

結構走って静かなホテルについた。これじゃホテルのある所を説明しているより「引っ張っ
た方」が早いわ。ひとりではたどり着けない場所だった。やさしい青年だった・出かけよう
としていたのに、すみませんでしたね・サンキュウ。

なにをつくっているのだろうか「ヤシの木」でグランドの広さぐらいに仕切られた畑が続い
た。あーきょうは走りぱなっしだったのでホテルについてホッとした、15時半。ありがとう。

「ワンナイト・ハウマッチ」「15」・・ドバイのお金を出そうすると・・ちょっと待って
「150ディハム・4500円」とUAEのお金でも大丈夫だった。アー一泊、4500円
ドバイに比べると天国にきたみたいに感じる。

フロントの人は日本語を勉強している若いスタッフ。あなたの部屋は「ニイニイイチ・221」
と日本語で話した。オートバイに近付いてきた人はパキスタン、インドの人がホテルのレスト
ランで働いているひとだった。

シャワーを浴びて・・チキンを注文した。ドバイを出て道に迷ってたどりつけないかもと・・
一時どうなるのか・・と心配だったがどうにかオマーンに入ることができた。気持ちもなんと
はなしに晴ればれとしてきた。

身体の調子もかわりなし・・連続8時間走ってきたが・・そんなには疲れを感じない・・クスリ
(ビール)のお陰だろう。。これまでは連続12時間~14時間とかコーラだけで走ってきたこ
ともある。

少しはそれに近い状態になりつつあるのかな・・。しかしきょうは220キロのところをまわり
に回って400キロぐらい走ったろうか7時間かかった。でもたどりついてほんとによかった。
短い時間だが冷蔵庫に入れたビールのうまいこと。

ホテルについて・・ニワトリ半分700円を注文・・うまかった。キュウリ、トマト、玉ねぎは
常備2,3日分買い置きしている。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月5日  

2014年03月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所

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オートバイのナビ・・「中東エリア」を買いに行く.日本で23000円だったがここでは1万円ぐらいだった・・
ガーミン「中東遍」は日本で買わなくてよかった。

(どうも写真が行間に張りつけができなくてうまくいかないですなーごめん)

<

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月4日  

2014年03月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所

ドバイにある日本大使館(ドバイは総領事館・大使館はアブダビにあるらしい)
道に迷ってなかなか着けなかったがハンガリーのライダーに大使館までひっぱてもらいホッとした
靴屋さんでずれてきたシートを縫い付けてもらった・・。

(*写真の貼り付けが思うようにうまくいかないですなー・・。)

ドバイにある日本大使館(総領事館)へ
2014年3月4日火曜  はれ 22℃  23℃
きょうはドバイにある日本大使館(総領事館)に行ってイエメンのビザについて聞いてみよう
・・朝9時半にホテルを出た・・領事館は「ワールド・トレードセンター」の中にある。

着いたのは13時だった。メトロだと10分ぐらいの距離・・なのにまいった。ホテルを出て
きのう見た地図に沿って走ろう・・ホテルを出たところの裏道・・曲がりくねって・・渋滞し
て・・ようやく出た本線。

どんどん走るがどこに向かって走っているのか・・わからない。あっちを走りこっちの道を走
って・・いったいどこを走っているかわからない・・いったん止めて聞くが・・まったくわか
らない。行く先は「ワールド・トレードセンター」と停まるたびにとなりの車に聞くが・要領
を得ない。

オートバイが追い越しざま「ピピー」と鳴らして走り去る。そのまま走っていると右側に停まっ
ていた。お互いに路肩に止めて、ジャパンマツオとあいさつ。ハンガリー出身の人だった「お
ーブタ・ベスト・・」「そうだ」手短に話をして、「マイ、ワールド・トレードセンター」に
「行きたい」んだ。

と自分のことを話した。「OK」オレについてこい・・Uターンして10分ぐらいでセンター
に連れて行ってもらった。「オーサンキュウ」それにガーミンのお店のある所もメモしてくれた。
アーたすかったー・・よかったなー。ありがとう

日本大使館・・今回もイヤな情報だった。領事館についたのは11時55分・・大丈夫かいな・・。
エレベーター28階へ。手荷物など検査を終わり領事館に入った。受付ナンバーを受け取る16
番。

自分の番が来た①イエメンのドバイにある大使館の場所を知りたい ②サウジアラビアの大使館も
知りたい。と女性係官に口頭で頼んだ。わかりました「資料をコピーします」・・・。

時間はかかったが資料をつくってくれた・・イエメンに滞在している日本人に対して「退避命令」
を出している・・ので入国はむずかしい・・と。日本大使館の「レター」がないと入れない。
イエメンが「日本大使館のレター(日本人であることの証明書)」が必要と言ってくる。

<滞在中の日本人には今イエメンから「退去命令」を出していると・・>

その場合「大使館」として「レター」は出せないと話す・・したがってイエメンには入れないと男の
係官が説明にきた。

イラン、パキスタン・アフガニスタンなどビザ申請・・いつもそうなのだけど「大使館に行く
(寄る)といつもいい情報を聞いた(得た)ことがない・・」まぁ大使館員も自分の身の安全・・
民間以上に政府機関だから上から言われたことは守らなければならないことなのだ。

情報は情報として受け止めるがいつも・・今回も大使館に来なきゃよかったなーと思う。でないと
世界など走れないからねー。

さーホテルに戻ろう、今13時さてどうなるか。走る前に戻る道を充分聴いてはいるが・・やっぱ
り・・わからない。戻って聞いて・・走って聞いて・・聴いて聞いてもわからない・・パトカーや
宅急便のオートバイにも聞いた・・たどりつかない。

この近くだろうと教えてくれた場所についた。最後は路地裏に入っていく道なのだ・・。どうにか
路地裏の見たことのある商店街に来た・・。

よし・・この道だ・・着いたホテルに、メトロで10分ぐらいところを2時間かかった。オートバイ
のシートカバーがずれてきた、オートバイを止めている前の食堂の人にシートを見せながら・・修理
してくれるところはないか・・と聞いてみた。

近くにあると・・初日から顔を見たことのある青年・・が「こっちあると」ついてこい。歩いてついて
いく・・おれがやっている「お店だ」と途中彼が経営してる縫製の仕事場にも寄った。

男3人の職人さんがミシンを動かしていた。靴屋さんについた・・修理もやっている。縫製の青年が
「こうこう」縫い付けてと注文してくれた。人のよさそうなパキスタン・ペシャワール出身のおじさん
・・縫製の青年は「いくら」かと値段まで聞いてくれて・・最後まで面倒を見てくれるその気持ちが
うれしうかった。

そのあと彼は自分の会社に戻るから・・ありがとう。修理が終わった・・15Dhs=450円。その親
切はありがたかった。あしたでもいいかなと思っていたことが思いもよらず・・あっとゆうまに解決
した、ありがたい。

ホテル前にある肉専門店で・・370g・270円のステーキを買ってさっそく焼いて晩飯とする。
海外にでると安い肉を食べられる・・わたしにはこれも旅の楽しみでもある。日本では毎日まぐろの
赤身を喰っている。ワンパック500円の赤身を20個ぐらいに切り分けて。

ひとつひとつはサイコロ・・親指の半分ぐらいをサランラップでつつみ冷凍室に入れて保存・・毎日
つまみにして喰っている。日本にいるときは肉はまず食わない・・ときたまオーストラリア産100g98円
とか安い時には買って焼いて食べる時もある。

最近はそれも出てこなくなった・・ので、高くて食べる気がしないのである。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月3日  

2014年03月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所

トコヤ代ここらあたりは450円~600円ぐらいだろうか・・。自分で刈るためにバリカンを買った
5200円ぐらい

3月3日月曜  はれ  22℃
トコヤで使うバリカンを探しに行った。日本から持ってきたバリカンはユースホステルで
「バーン」と吹き飛んだ・・200ボルトの電圧のせいだと思われる。使えなくなったの
で処分した。

これからのこと考えてきのう床屋によって「電動バリカン」を売っているお店を教えてほ
しいと聞いていた。きょうその店にくわしく道順を教えてもらおうと寄った。きのうもい
たバングラデシュの青年が・・仕事中にもかかわらずバリカンのお店まで歩いて案内して
くれた。

そこには大型しか残っていなかった・・トコヤに戻るのかと思ったら・・途中の街かど
「ここで」「テン・ミニッツ・10分待て」と言ってトコヤに戻って行った、どうゆう意味
なのかわからない・・戻る途中の店にバリカンらしいのも見かけた。

ひとりで行って値段を聞いたら「30・210円」と話す、だいぶ安いな。待てと言われた
「街かど」に戻ってもまだ来ていない。トコヤに行くとバングラデシュの若い青年はいない
・・どうした。

いま食事に行ってると・・きのうのおやじさん。「30・210円」の「バリカン」があっ
たと話したら「ノーノー」「だめだ」「ニセモノだ」みたいなことをゆう・・すぐ壊れると首
を横に降る。

さっきの店には大型のバリカンしかなかったので小型を売っているお店を教えてほしい・・
すぐ近くらしい・・言われた店を探すが見当たらない。商店街の人が隣だと・・小型電気製品
の店・・「ジジガガー」頭を刈るしぐさですぐわかった。

「USA」はいいぞ・・おまえは「ジャパンか」すると「パナソニック」のバリカンを出して
くれた。充電式で手ごろな大きさだ。「ハウマッチ」・・180を175ディハムに負けて約5
200円。

充電すればコードなしで3,4時間使えると・・ドイツ製ではなかったが・・まぁ日本製なら大
丈夫だろう。しかしドイツ製はどうして信頼があるのだろうか日本も信頼される製品をつくって
ほしいものだ。

そういえばアフリカで40年以上も使っているトラックを見た。なぜこの「トラックがいいのか」
と聞いてみた「いまでも」「部品」がいつでも手に入るからとドライバーは言ってたなー。そうな
んだーわかるなー大事に使う気持ち。

まったく小さい八百屋さん、肉屋さんが並んでいる。ホテル前にも肉屋さんがある。きのうもち
ょこっとのぞいた。よし・・きょうは買ってキャンプのガスで焼いてみよう。牛肉のかたまりを
切ってもらい270グラム・210円のステーキを買った。

オートバイのバニアケースからキャンプ用のガスとコンロをとりだして時間は早かったが焼いて
食べた。火災報知がならないように窓を開けて換気扇をまわした。コンロは新品でガスの火力も
勢いがいい・・

フライパンを熱く熱く熱すれば、肉はくっつかないし油はいらない。これまでの旅のキャンプや
自炊で油などつかったことがない。まわりをジュジュっと焼けば出来上がり、4分もかからなかった。

もちろん中身は赤身が残っている。これがうまいんだ・・久しぶりの肉。わたしはケチャップだけ
でOK・・うんうん、やわらくて、うまいうまい。ホテルの高さも肉の安さで少しはいやされる。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月2日 

2014年03月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所

ドバイについたあとすぐにホテルに行けると思っていたが・・とんでもない・・3時間もかかった

3月2日土曜 はれ 
朝・・海の近くなのか少しひんやり・・2泊した岬のホテルを8時10分スタート。
来た時と同じで途中から強風になってきた・・オートバイは450キロあるので飛
ばされることはないだろう・・しかし怖い。

スローでエンジンふかしながら国境につく9時5分。帰りの国境手続きは簡単だった。
オマーン側・アラブ側すんなり30分かからない9時27分に通過。ドイツのツアー
客もバスで帰るところ・・運転手はパキスタン人。

採石場は山をそっくり削り採っている感じで、ほこりが立っている。建設ラッシュな
ので忙しそう・・しかしこれからもビルをどんどん造って本当に大丈夫だろうか・・
ビルそのものを売り出しているし、街の中心の商店街も閉めているウインドーをよく
見かける。

ドバイ以外は苦戦すると思われる。目指してきた「○○○」の街に入ったが途中から
標識がなくて行きすぎたようだ。路地に入って地元の人に「ドバイ」の道を聞く。

右に折れてUターン・・「まっすぐに行け」「ありがとう」。今メーター184キロ
・・ハイウェイに入る前に給油しよう、これまで200キロをめどに給油してきた。
信号待ちで隣の小型トラックにタンクを指さして「ソーリ・ペトロール」・・

この「信号を右に」・・と前を開けてくれた。サンキュウ。スタンドはすぐにあった
が並んで混みあっている。店員が「こっちへ」と誘導してくれた。13リッター660円
・・リッター50円位か・・。

行く時も同じぐらいだった・・大体この値段なのだろう。日本だと約2000円ぐらい
払っていたので3分の一の値段か。すぐにE311に入った、すこぶる立派な道路で4
車線・・トラック80k、車120kの標識が建っている。

走っていると「クラクション」を鳴らして走り去るマイカー・・助手席の女性の笑って
いる顔がチラッと見えた。きのう遊覧船でいっしょだったフランス人若夫婦だった。お
返しに「ピピー」


きのう地図を見ながらホテルまで道を頭にたたき込んだ・・つもり。飛行場を過ぎて右に
入る・・エアーポートストリートをまっすぐ行くとホテルにつく。いつも同じことだけど
地図と実際はまったく違ってくる。地図で見る飛行場が見えてこない。

適当なところで右に降りてみた。どこをどう走っているのやら・・下りてまた登って・・・
反対方向へ走っているようだ。スタンドに入り込んでタクシーを頼もう。



今12時ジャストになった・・店員さんにアドレスを見せる・・タクシーを呼んでくれ・・
「DIRA」デェラはすぐそこだから・・「Uターンすれば」「デェラ」すぐわかる・・
まぁ、行ってみるか。

Uターンする場所など出てこない・・途中幹線から降りて「エアーポート」は「どっち」
に・・2回めでどうにか、エアーポートストリートに出ることができた。よしこの道をま
っすぐだ。

渋滞でいっこうに進まない・・・オートバイはこれが困るんだ・・・ちょこっと走って停
まる、そのたびに「足元」を見て「たちごけ」をしないように気をつける。もうそろそろ
着くころだ、銀座みたいに「きりっ」としたビル街になってきた。

路肩に止めて一息しながら聞いてみよう。タクシーに聞いてもわからない・・バイク宅急
便に聞いてみた。一つ目ロータリー左、一つ目シグナル右・・つきあたりが「ホテル」の
ある通り。ありがとう。

ぴったりそこについたがホテルは・・「後ろの方にある」とレストランの人が教えてくれた。
一通なので歩いてホテルに「マイ、オートバイ」「パーキング」は「ノー」あぁー「ないのかー」。
止めた場所に戻ったところにホテルがあった。

300ディハム9000円ホテル前にオートバイは止められるとレセプション。6000円の
ホテルをキャンセルした。予約する時パーキングのこと聞いておけばキャンセル料なしでよか
ったなのになー。


安いホテルだと思って飛びついたらこのありさま・・こんなにお金がかかるんじゃ・・ドバイ、
もうダメだ・ギブアップ・この国から出ることにする。あした3月3日まで泊ってオマーンの
本土の首都「AL AIN」に向かおうと思った・・

よく考えてみると9000円のホテルってもしかすると安いかもしれないな・・・。東京でも
サウナやゲストハウスは3000円~4000円以内で泊れがホテルはまぁー安くても6千~
1万円はするだろう。

そう考えてみると9000円は普通と考えるべきなのではないかと考え直した。そうとらえる
と気が楽になってきた。ホテルの前にある食堂でチキン・カレー300円を持ち帰りで注文・・



第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・で泳ぐ・・3月1日

2014年03月03日 | 赤道直下と陸路国境148か所

岬の観光船に乗った・・半日4500円

3月1日土曜   はれ 温度計見れなかったがきのうと同じ22℃23℃ぐらいだろう

7時前からネットを見て・・8時半朝食はバイキング。9時にクルージングに出発。
観光用の小さい港・・1日観光と半日観光の船に別れる。結構観光客が多い。

1時間ぐらいで島の入江に入っていく・・波はない。予想した灰色の山に囲まれた
波静かな湾・・あっちにもこっちにも観光船が走っている。かたまっている観光船
・・なんとイルカいるらしい・・そのために船が群がっている。

木造の観光船・・木製でハンドル操作・・左手で・・

イルカは3頭・・ぐらいで泳いでいた。湾の奥にすすんで古城の跡みたいな島に近
付いた。2,3隻停留している。となりの船から救命具を着けた観光客が飛び込んだ
・・どうしたものかと見ていると続いて泳ぎ始めた。



インド人は家族連れ・・かわいい赤ちゃんといっしょに・・

自分たちの船にはインド人子供3人含めて3組、フランス人2組。パキスタン1組
全部で14人乗っている・

こっちの船にもシュノーケル、水中メガネなど船員が持ってきた。フランス人若夫婦
、先に水着姿の女性が泳ぎ始めた。フランス人65歳とか言ってた、おじさんが水着
用意をしてきている。


フランス人は夫婦・・度胸があるなー・・

よーしとパンツ一枚で泳ぐことにした。最初冷たく感じたがなれれば全然平気。こり
ゃー気持ちがいい。底まで見える透明の海・・島に泳ぎ着いて30分ぐらいだろうか
戻って船に上がる。

あがる前にフランスの若夫婦といっしょの記念写真をとった。何度か冷たい飲みもの、
バナナ、りんごを配っていた。イルカを何度か見物して港に戻ろう・・。

あと少しで港に着くとゆうとき・・エンジ・トラブルでストップした、動かない。
うしろから引き揚げてきた観光船にえい航・・とおもいきや小さい観光船のため。
そのあとの観光船・マレーシアの人たちばかり20人ぐらい乗っていた船にえい航
されて港についた。


波静かな入り江の海で半日を過ごす・・

観光船に乗っている人たちはすぐさまレンタルカーと思われる車に乗っておそらくド
バイ方面に戻るものと思われる。マレーシアの人たちも港に止めている車に乗り込ん
でいた。

きのう来るとき帰りの車が多かったのは観光船帰りの人たちだったようだ。ホテルに
戻ったのはフランス人若夫婦と3人だけだった。あした3月2日はドバイに戻ろう。

ドバイのホテル3月2日3日4日200・D/6000円を3月1日朝方メールで
予約した。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・・オマーンの飛び地khasab岬へ走る・2月28日

2014年03月03日 | 赤道直下と陸路国境148か所

きのう買ったばかりのビール20本・ウィスキー12キロ追加、35キロは重いなー・・シャルージャの町から岬へ出発
途中から右に入れば・・ハイウェイに。ハイウェイに入る道を行きすぎてUターン、今
度は大丈夫だ。おおー素晴らしい道になった。ちょっと走ったばかりで砂漠になってき
た・・

砂漠と言ってもやわらかい砂ではなくて硬い石まじりの畑と言った方がわかりやすい。
エンジンの音がかわった・・そろそろリザーブに切り替えるときだ。ガソリン・ここで
はペトロールは街に出なければならないのだろう・・。


郊外に出るとすぐに砂漠地帯に・・7

ペトロール(ガソリンのこと)リッター55円ぐらいか
右に入ってすぐにペトロール・スタンドがあった。16リッター28ディハム=870円
・・リッター55円。前回は運送会社の人に入れてもらったので初めて自分で給油した。

本線に戻って走るのだろうと・・スタンドに来ていた地元の人に聞くとくわしく説明し
てくれているがわからない。戻らないで目の前の道を「走ればいいと」・・そうなんだ。


走りながら撮った途中の町の商店街

聴いてよかった・・てっきり戻ってと考えていた。国境まで100キロから50キロにかわった。
不気味な灰色の岩山が出てきた。国境(ボーダー)についた。アラブ首長国連邦(UAE)
の出国10分で終わり・・いいぞ。


不気味な砂漠の灰色の山が目の前に迫ってきた

13時10分オマーンの入国手続きに入る・・「名前とパスポートナンバー」以外は
「すみません」「わかりません」とひらがなで記入してOK」だった。ビザ代35デ
ィハム・・1000円UAEの通貨でかまわないと・・

次に別の場所で「○○持っているか」なんの意味なのか分からない。カルネ、港で受け取
った書類全部見せるが違うらしい。なにをいってもなにを聞かれてもわからない・・・。


アラブ首長国連邦の国境・・どこかの子供たちが駆け寄ってきた・・いっしょに記念写真

2400円払って何かの書類を作成してもらって最後は「OK」になった。なんとオマー
ンの入国だけで1時間かかった。まぁーこれまでも入国1時間・出国1時間・合計2時間
ぐらいはかかっていたので普通のことなので良しとしよう。14時12分オマーンに入国。


オマーン側に停車したところ・・この先で「ちゃんと入国手続き」しました「証明書」を渡して・・
オマーンに入国

あと50キロで目的地Khasab・ハサブ?。海岸線特有の曲がりくねった道は続く、あわて
る必要はない。帰りの車はひっきりなしに走ってくる。

二度ほど海岸から山の上に出てハサブについたようだ。町と言えない集落・・大きなロー
タリで道がわからなくなった。商店街にの広場に停まって聞いてみる。ハサブホテル・・
パキスタン人3人、インド人3人あっちの方・・と指さす。ありがとう。

ペトロールスタンドがある・はいって聞いてみよう。ホテルは「あそこ」と旗がたなびく
指さしたところにが「ホテル」だ。


オマーンに入るとほとんど海岸線を走る・・風が強くて怖さも感じる

「ソーリ・デスカウントホテル」スモールスモールホテルは。知っている「部屋がある」
「電話してみる」と親切だ。今4時、1時間あと5時にまた来いと・・「部屋をクリー
ニング」するからと。ありがとう。

その間町をひとまわり走ってこよう。小さい飛行場もある、飛行機が降りられるかと心配
するほどまわりは灰色の高い山ばかりなである。一度ホテルの値段を聞いてみよう。

おそらく一軒のホテル高いだろうな・・「ワンナイト・ハウマッチ」フロント女性「38
0を350にサービス」すると・・・わたしが300(9000円)にしてと合唱ポーズ。
マネージャーと相談して「OK」になった。ネットも部屋で使えるとのこと・・。

ドバイの半額だからと・・自分を納得させる。さっきのスタンドのおじさんにホテルを安
くしてもらったからとキャンセルをお願いした。「ノンプレグラム」と快い返事、すみま
せんでした。


ここが目的地・・Khasabハサブの岬・・何とも静かすぎる町・・だ。

泊まるホテルの廊下はピカピカ・・さすが立派な造りだこと。ホテルに入る前に国境でも
いっしょになったグループ・・よく聞くと3家族13,4人が旅に来ているフランス人
どの家族も同じような小学高学年。オートバイから荷物を下ろしているとわたしのことを
聞いてきた。

これまで112カ国世界を走って、これから1年半旅を続けるといつものように自慢げに
話した。それにしても、ひと家族4,5人でホテル代も高いのだろうに・・ ところであ
したはどこか行くんですか・・「クルージング」に行くと話す。

わたしもフロントで船の話をした。「半日150D・4500円一日9000円」あの家族
たちがいくのならきっと魅力のある所だろう行ってみよう。二度とは来れないところだ・・
4500円を予約した。

シャワーを浴びてネットを確かめて晩飯とする。きのうの残りのパン、チーズ、オリーバー、
トマトで充分だ。シャワーを浴びる間冷蔵庫・冷凍室にビールを2本。食事のあとネットを
見てメールを打ってきょうはおしまい。これまでホテルのネットはすべて無線で対応している。


ばんめしは・・きのうの残りで充分・・体調かわりない。