松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月10日 地元マスカットの人と交流ふたつ 4  

2014年03月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

<午前中>バイクショップの人・・ここマスカットについたとき・・ホテルを探してひっぱてくれた人
お店のウインドウに「日本・JAPAN・松尾・matsuo kiyoharu」と頼まれてサインしてきた。


<午後>は日本人女性「スワーダ」さんの紹介で地元の人の家に招待してもらった。


2014年3月10日月曜   はれ   昼39℃ 
きょうは地元の人との交流になるのかも・・午前中バイクショップの店にいって夕方から
日本人女性スワーダさんの紹介で地元の人の家へ招待されている。9時にバイクショップの
人を待つ・・

なかなか現れないのでフロントから電話してもらった。もうすぐつくとのこと。そういえば
ホテルのスタッフはレセプション・レストラン・掃除する人たちすべてインド人のようだ。

バイクショップの人が9時半に迎えに来てもらった・・「ソーリ・名前忘れた」「アリです」
もう一人は「モハメッド・・」さんと紹介した。渋滞でなかなか進まない・・アリさんは途中
テイラーとか書いてある「縫製屋」に寄った。

これは「日本製」ライダージャケットだと話しながら・・新品なのに袖の部分マジックで止め
る部分が「はがれて」しまっている。そこを縫いつけるために寄ったのだ。日本「komine」の
マークがついている。

いつまでも大事に使っている縫製屋さんの日本製ミシン

「ジャパン・ノーグッドだね」と言うと笑っている。アリさんのお店についた。海のそば・・
リゾートのしゃれた複合ビルの二階にあった。その前にきのうから現金を引き出しが出来ずに
いた・・二人に見てもらって入口にあるATMの操作をした。

おお・・シャシャと機械がお札を数えている・・OKのようだ。これまでは「・・NO」と・・
カードだけが戻ってきていたのだ、自分のお金でも操作して出てくるのは嬉しい・・。





ヘルメットをプレゼントしてもらい・・申し訳ない気持ち・・すみません・ありがとうございました

アリさんのお店は大きくはないがガラス張りの最新のお店らしく・・新鮮さを感じる。なんか
カチカチ云わせながら何かを振っている・・なんと机の上にべっとり赤インクが飛び散ってし
まっている、赤色のサインペンの中身がべたべた・・と。

わたしにサインペンで「ウインドウ・ガラス」に名前サインしてもらうために「出が」よくなる
ように振っていたのだ。今度はブルーのサインペンを持ってきた。

入口ウインドウガラスに・・「日本・JAPAN・松尾・matsuo kiyoharu」と大きく書いた。女性の
お客さん二人づれ・・手袋を買った。「オートバイに乗るの」・・「ノーノー」そういえば女性
がオートバイに乗っている姿は見たことがないな・・車は結構運転してる女性は見かけるが・・。

自転車に乗るとき使うのかな。実はヘルメットの中にあるインナーの部分が古くなって時どき飛び
出してくる。



で・中身だけ取り換える「部品はないですか」と聞いていた。サイズはこの感じとヘルメットを
かぶった。中身だけは売ってない・・と、そうだろうなー。いっしょに来たモハメットさんが
「これをあなたに差し上げます」と「I pad」を使って日本語に翻訳してわたしに見せる。

「ノーノー」・・そんな受け取ることはできない。ウインカーに手をかける破れて引っかかって
いたのでサイズがちょうどいい手袋を買った。

12時を過ぎた・・ガーミン・ナビで「戻るホテル」を入れてもらった。帰ろうとすると二人が
「ヘルメットを持って行け」「プレゼント」と手渡された。ほうとうにいいんですか・・なにか
申し訳ない・・すみませんです、ではいただきます。

飛行場に向かっている・・うん「ナビ」は反応してないな・・・逆方向に走らなければならいのに。
ペトロールスタンドで・・確かめる。この先でU―タンしろ・・やっぱりそうだ。

ホテルは「マトラmutrah」だ、「マトラ」「マトラ」の標識を目指して走る。ドバイよりはずーっ
と走りやすい・・来たことがある信号まで来た。

よしよし・・ああーっ右に入るのを出来ないで「行き過ぎたか」・・アレーいつの間にか目の前の
泊まっているホテルを通りすぎてしまった。まぁいいや港まで出てみよう。港に出て休んでホテル
に戻った。

3時を過ぎている・・5時半に日本人女性スワーダさんの知り合い宅に向かうことになっている。
シャワーを浴びて待つ。

若い人二人が迎えに来てくれた・・。オートバイの写真をいっしょに取って知人宅に向かう。
このうちの一人は昼間ヘルメットをプレゼントしてくれた弟さんだった。そういえば似てる
夜になってまわりはわからない・・原っぱみたいな場所まで来た。スワーダさんもBMでやってきた。

スワダさんの車に乗り込んだ・・はじめまして。これからうかがう家はゴルフ場の中にある。
ゲートは携帯で開けてもらっている。玄関には夫婦が出てきてくれている。ハーレーのオートバイ
もある、カバーを外して見せてくれる。

はじめまして・・日本から来ましたバイクの松尾です。ご主人はサミールさんカタール出身、見る
からにその顔は実に実業家の顔。日本でもそんなに多くは見かけない男がほれるうそつけない顔だ。

奥さんは眼科の先生、マリヤさん・・コロンビア出身。両親はコロンビアで産婦人科をやっていると。
子供は3人中学校、小学校二人、立派な造りの家。これまでの「旅のこと」を簡単に聴かせてほしい
・・と通訳のスワーダさんから言われていた。


サミールさん宅で

スワーダさんも若く見えるな・いつくだろうかきれいな人だ・・・オマーンに来て34年になると
電話で聞いた。今年2014年4月には日本・広島で「平和について」、奈良・京都・東京そして
新潟では「ロボットの役割・・人間への影響」を新潟大学でのフォーラムを計画しているときら
きらさせて話してくれる。

全国から募った日本に興味を持つ大学生達がメンバーの“学生フォーロムStudent Forum”のひと
たち15人らしい。スワーダさんはそのグループのデレクター。

わたしはパンフレットは日本から持ってきている・・子供たちも集まったところで・・ みなさん
に配って・「世界の果て」の「写真」の説明しながら・・「スポンサーは」「どこがよかったの」「
気に入らな国はあったの」いっしょに聴いている若い青年3人19才~22才はスワーダさんの仲間たち。 


全部で34人ぐらい日本語を勉強していると学生は話す。サミールさんは1953年生まれと自分で
話したが60才にはとても見えない、違うのではないかと思うほど若々しい。趣味で海に長く潜っ
ているからだろうとその理由を話す・・いやいやサミールさん44,45代に見える、奥さんもお世
辞抜きで若い。

食事になった・・しゅうまい地元料理、やわらかい肉・・なんて言ったっけ中国の・胃袋を膨らませた
なんとか・・ダック?最後の方に出たがうまかった。

お皿がいくつもあって・・・うまかったー(ビールがあればなー・・なんて失礼な)ごちそうさまでした。

お手伝いさんはフィリッピン出身とか・・てきぱきとこれまた手際よく・・二人は柔らかいなんともい
えない・・いい表情の顔を見せている。サミールさんは会社でもトップから一番下で働く人でも差別せ
ずに平等に運営していると・・話す。

家庭でもその言ってることを実践している、その考えがまさにお手伝いさんにも伝わっているのだろう。
眼科医の奥さんは白内障の手術は世界でも優秀の人でコロンビアから最近表彰されたとスワーダさんが
おしえてくれた。

食事を終えて居間で雑談談義・・海釣りなどもやっているがこれからオートバイでスペインまで走る
計画をしている・・一日1000キロを計算していると話す。

ここでついに松尾の出番やってきた・・自慢話・・わたしの場合「最初・朝の内は元気で120キロ
130キロで走るぞ」と勢いで走るが2,3時間が限度・・

午後になると疲れてだんだんスピードが落ちていつの間にか100キロ以下になる。結局は500~
600キロ止まりでおしまい。

最初から100キロイーブンで走った方が連続走行10時間~12時間走れる。ここ10年間以上の経験
はいい道でも普通1日のトータルに直せば200キロを3時間かかっている、これがわたしの目安。

1日600キロが限度ではとアドバイス。わたしの場合一日二日の旅ではないので連続三日間か四日間走
ればそこで休みを取る。疲れを持ち越さないように走っているとも話した。


左からスアダさん。奥さん、サミールさん

ところでわたしはイエメンのビザがとれなくていま困っている。ドバイにはもう戻りたくない・・
オマーンからどこかに脱出したいのです。いちばんはエチオピア・・あとは送り賃が安い国だったら
どこでもいい。

スワーダさんに話したら・・サミールさんも何か手伝いしましょうと言ってくれてますよ。さっそくどこか
に連絡を入れてくれた。スワーダさんもあした連絡を取って見ると・・気持ちの落ち着きが出てきた。

10時を過ぎた。帰り際ハーレーのエンジンをかけてくれるが・・どでかい音にまわりの家から苦情がきそう。


お世話になりました。帰りも三人の学生さんに送ってもらった。勉強中なので仕方ないが車の中でも
たどたどしい日本語でしゃべってくる。帰りは30分でホテルにつく。

きょうはありがとうございました3人にお礼を言って別れる。シャワーを浴びて11時半ベッドに入る。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月9日 イエメンビザ、ダメ・・ 3  

2014年03月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

このナンバーはパキスタンでこしらえたもの。ラワルビンディのホテル前にあったオートバイやの人が
2003年11月ごろ鉄板に印刷?してくれたもの、だから日本のナンバーのようにでこぼこがない。。


前回2008年南アフリカからガーナに船で渡した。サハラ砂漠をぬけて走ってきた時「もう死ぬ」覚悟した
朝から晩まで砂嵐のような強風・・道が消えてヘルメットの中に砂が入り目にも入ってきた・・。モロッコカ
サブランカについたとき・・目は見えないほどになってしまった。帰国してすぐ白内障の手術を終わらせた。
今回はそのにがい経験をしたのでスキーに使うむかしむかし使っていたゴーグルを出して持ってきた・・が。

2014年3月9日日曜  はれ 21℃   22℃
オマーンで行きどまりになった。これから先どうするか。きょうイエメン大使館に「ビザ」申請に行った。
もしかしたら・・いまく、いくかなーと期待しながら一時間ほどねばってみたが、結局・・最後は日本大
使館の「レター」が必要だと・・イエメンで断られた。

もう日本大使館に行っても「退避勧告を出している日本政府「レター」書いてくれないことは最初からわ
かっていたので直接イエメンに大使館に来たのだ。


おみやげ屋で珍しいものを売っていた

日本大使館に行ってもなんの役にたたない・・しかし近くだったので日本大使館に寄ってみた。当然のご
とく「レター」は「発行はできません」と・・ドバイの大使館でも聴いていたので「そうですか」・・
「なんのお構いもできませんで・・」と自分で捨てセリフをはいて日本大使館をあとにした。

さーこれからことをどうする・・船でどこかの国へ送るのか・・飛行機で近くの国に送るのか・・考えな
ければならない。イヤーまいった。ホテルに戻る・・使うお金がなくなった。ATMと銀行を聞いてきの
う歩いた港に近い繁華街の商店街まであるく。

3カ所のATMでカードを使っておそろうとしたが・すべてダメだった。海岸に出たところの「インデア・
バンク」はOKと聞いて行ってみるが13:30であるが休憩・食事の時間に入って16時30分から開
いて20時30分までと・・銀行前に座っている手配しみたいな地元の人が教えてくれる。

きのうに比べ欧米人の姿が多いなー・・・港には世界一周?大型観光船がついている・・その観光船から
のお客らしい・・きょう、あした停泊するらしい。この観光船にわたしのオートバイも積んで近くの港ま
で乗せてほしい・・本当にそう思う。

すぐに下ろせるだろうと出てきたのが間違っていた、のどがかわいてきた・・残りわずかのお金でジュー
スを買って・・近くにマーケットで肉を買ってすべてお金はなくなった。

ドバイのお金600円ぐらい・・「このお金で買うのかい」もしかしたらたらお金足らないかも・・
「そうだ」ステーキ肉は600g以上あるなー。半分でもよかったのになー・サービスしてくれたのだろ
うかバングラデシュの人が・・。

まったくお金を下ろせなくてホテルに戻る。1時頃出て3時過ぎに戻ってきた。洗たくをすませて、4時
近いころから晩飯に入る・・銀行が開く・・夕方4時半過ぎたら銀行に行ってみようと考えていたが・・
ビールが入ると・・まぁ、下ろすのはあしたで「いいや」になった。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月8日 オマーン・首都マスカット 2  

2014年03月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

泊まってるホテル
ホテルから港まで歩いてみた・・マスカット市内

2014年3月8日土曜 はれ 
午後から歩いて近くを観光めぐり・・といっても港までの歩き・・しかし見たことのない風景
・・・白い建物は太陽に照らされて・・さらに真っ白に光っている。婦人の洋服店ばかりが街
に並んでいる・・

ふーん・・女性の優先の社会なのかな・・ほとんどは女性の洋品店・・「テーラー・・レディ
ース」みたいなこと書いた看板が目立つ。バザール・みたいな場所についた。


女性の洋服店ばかりが目に付く

門構えが二つある・・・左から走って見ると・・暑かったのが涼しくなった。アーケードみた
いな造りにっなっている。肉屋はなかったが・・商店街がところ狭しと・・続いていた。イス
ラエルの城壁エルサルム内を感じさせる・・(それほどの規模ではないが)狭い通路・・が続
いていた。

イスラエルの城壁内の商店街を思いださせる、今日は金曜で休みのなのだろうか

狭い出口を出ると港・・海に出た。港にはでかい観光船フェリーが停泊している。イエメンが
ダメなときこの船でどこかの国に運んでもらえないかなー。




岩山と岩山に挟まれた中にあるマスカット市内

ホテルに戻ろう・・行きも帰りも細い道なのにかなりのスピードで走って来る。歩道がないか
ら危ないなー。ホテルに戻ってビールを買いに行く。昼間値段は聞いていた・350mもロン
グ缶500mも同じ4ドル=420円の値段だと・・ドバイより安いと思っていたら逆に・・
アー高いなー。

自分の袋を持って行ったが・・だめ。自分では部屋まで運べない・・レストランのスタッフが
部屋まで運んでくれるシステムになっているようだ。部屋まで運んでくれた・・黒いビニール
袋に入れようとしたら・・

「ノーノー」外に出て見つかったら「つかまる」と「両手を交差」して真剣な顔になった。そ
うなのか・・ドバイよりゆるやかだと思っていが・・違った。きびしいアルコールの取り締ま
りのようだ。


結構買い物には女性も出歩いてる・・パキスタンではあまり見かけなかったようだが・・。

晩飯をおわったころ電話が来た。きのうホテルまっで引っ張ってくれた男の人からだった。
あした迎えに行くと・・「ソーリ・ツモロウ、モーニング9時からイエメン、エンバシイ」
に行くから。

よかったら9時にホテルに来てほしい。つうじたかどうか・・・。そのあとまた電話が来た
「女性の声・・日本語だ」「ハロー」「マツオサンですか」わたしは「スワダ」と言います。
わたしはオマーンに来て34年になります・・

「じゃいま35歳ですか」と「チャチを入れる」・・実はマツオさんが「オートバイで来て
おられる」と聞いたので地元の人を紹介したいと・・「ありがとうございます」「そうです
か」「こちらこそあってもらえればうれしいです」

きのう車でホテルを探してくれた・・・ブラザーから「はなし」を聞いたとスワダさん・・
友達から友達へまわりまわってわたしのところへ電話が来たようだ。


商店街を抜けると海に出た・・大きな観光船も数隻とまっている

一旦切ったあと、ふたたび電話が入った・・「あさって10日午後5時半に迎えに若い人が迎
えにいきます」・・「ありがとうございます」。もしイエメン入国が出来なくなった場合・船
か飛行機で一番近い国に送ることになる。

それらの情報を「日本語」で願ってもなく聴き出せる・・イヤー渡りに船とはこのことだろう
・・こんなうれしいことはない。気持ちがす―と楽になった。

ドアーをトントン・・どうした・・ホテルのスタッフだった。「背の低い」、ほら・・そのマ
ネージャーから「果物の差し入れだ」・・どうしたものか。それよりもっと宿代を安くしてほ
しいもだ。

しかしありがたいことだ・・こんなには喰いきれない・・運んできてくれたスタッフにリンゴ
・オレンジを差し上げた。ひとつづつ(けち)


海岸べりには観光客用のテラスが・・