Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

本当か?「単騎、千里を走る」・・・

2006-02-13 04:45:32 | 研究:「ダンディズム」
<添付画像:yahoo ムービーより引用>

 久しぶりに映画館に出かけた。
しかも、邦画をみたのである。
なにを隠そう、高倉健さんを見に行ったのである!

「単騎、千里を行く」・・・
もとい、
『単騎、千里を走る』・・・
邦画をめったに見ない我輩、まして映画館に行ってみるなど、その昔の健さん映画「八甲田山」以来の出来事である。

だから、しつこく解説してみるから、またまた長文にお付き合い頂きたい!

中国との合作映画との事、最初から多くを期待しなかった。たぶん、中国の壮大なる風景と、70歳も半ばになる元気でカッコいい「初老の高倉健さん」を見るために、映画館に入った。

結論として、期待しなくてよかった。

「羊頭を掲げて狗肉を売る」とは、まさにこの映画のために用意された言葉であった。
映画のタイトル「単騎、千里を走る」?
とんでもない。
この駄作映画にもったいない、過分なタイトルではないか!
三国志の英雄、「関羽」が啼くぞ!いや、笑うぞ!
そして健さんが、あまりにも可哀そうだ・・・

確かに、中国・雲南省のロケで見る風景は、すなわち哀調・愁眉・淡麗・遠大・・・ 嗚呼、我輩これを表現仕切れる語彙が無さ過ぎる・・・
そこに高倉健を立たせたら「様になる」こと、請け合い、、、。

そこで!高倉健さんフアンの方は是非、人気blogランキング、お開き頂きたい!

しかし、たったそれだけのことであり、あとは何もない。
何もないだけなら、我慢もしよう。
しかし、大きな問題が残る。
判りきっているものの、我が敬愛する永遠の二枚目俳優高倉健殿は、大根役者にて長い台詞を喋らせてはいけないし、演技をさせてはいけない。映画画像の中に健さんを引き立たせる「名脇役」が存在しなくてはならない。
しかし、今回の中国映画は、ものの見事にそれを裏切ってくれた。
健さんに、喋らせた。慣れない演技を、させてしまった。
中国側の役者には、ホンモノの役者は配備されておらず、健さんの相方に(正確には相方ではないが、彼女しか出演していない!)、これまた色気のない大根女優の「寺島しのぶ」をあてがっておるではないか。中井貴一は一度も姿をみせず、単なる「声優」の出演だから、健さんの引き立て役にもならないし、、、。すでに触れたとおり、唯一(二人か?)、中国人の「ちび餓鬼」と「現地ガイド役」が出演するけれど、この相方を活かせほど健さんは役者ではない。

結果、恐れ多くも、健さんに「一人芝居」をさせてしまった。

もっと工夫して、年老いた健さんの魅力を引き出し、なんとか『大切』に使ってほしい。中国映画界に任せてはならず、日本人の感性の世界で工夫しなければならない。
加えて、
いささか気合の抜けた最近の中国映画界の「傲慢さ」を感じ、「怠惰さ」すら透けて見える。
かれこれ10~20数年前か?、ようやく国際化された当時の中国映画には、もっと優秀な作品があったはず、、、。
ロケ現場はすばらしく、これだけの「背景」が整っておれば、いくらでも壮大且つより完璧に納得できる映画的展開は可能。にもかかわらず、我輩の物差しを充ててみると、どうも手抜きをしたとしか考えられない。きょうび、1時間48分の上映時間はあっけなく、ハリウッド作品などの事例を比較するに、もう少し長くてもよい。上映時間3時間も珍しくなく、とことん納得いくまで撮りまくり、メリハリ付けて、とうとうと流れる大河映画にしてほしい。もっと詳細に現地住民との係わり合いを描くか、映画の中の「仮面演劇(すべて京劇の土台となった田舎芝居であるが)」の歴史背景や経緯等を煮詰めてほしいし、日本に於ける父と息子の確執なりを、もっと哲学的に、劇的に、遠大に、微細に、描いてほしかった。
手を抜くな!支那大陸の流行映画監督は、今や天狗になってしまい、映画制作の手を抜いているのか?もっとしっかりした土台の脚本を創らんかい!
行き当たりばったりの「演出・脚本」は、勘弁してほしい。この脚本は(雲南省の壮大な風景を省けば)まるで安物の香港映画に等しいではないか。

困ったものだ。
何故に訳の判らない「中国映画」に健さんを起用するか!こんな映画に健さんを出してはならない。
すでに70才も半ばになる高倉健さん。いまだに素晴らしく様になり絵になる男である。もっと大事に彼を使ってほしい。制作費が足りないのか?映画芸術の知恵が足りないのか?もっと壮大に雄大に、日本の誇る二枚目映画俳優・高倉健を使いこなせる映画監督はたまた演出家はいないのか?事ここに至って、あらためて日本映画界の冴えなさを痛感する「一作=駄作」が、この映画であった。邦画界は、ここまで地に落ちたか。いや、いまだにこの程度か?等と、嘆き悲しませる荒唐無稽の駄作であった。
失礼!
この作品、90%(以上?)中国映画であること、たった今、思い出した。
敢えて言う!
健さんの強さと弱さが描ききれていない、、、。それを成し得ないのは、中国映画だからであろうか?

気分を取り直して、
ロケ中の感想文?はたまた紀行文であろうが、健さんが本を書いている。
撮影した中国雲南省の風景は美しく、役者としてその場に立った高倉健さんの感性のページを紐解きたく、下記の「本」を読んでみたくなった。
旅の途中で

新潮社

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尚、今さら参加する気はないが、阪急旅行社が「ロケ地を訪ねる旅」のスケジュールを立てているので参照してみた。なかなか素晴らしいツアーのようだ。
* 阪急交通社の企画(「単騎千里を行く」ロケ地ツアーはこちらから)

  ------------(本文・了)----------------

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 PS:ところで、洋画封切映画の場合、数千円出して「映画のパンフレット」を販売しているのでコレクション的にいつも購入している。日本映画の場合、なぜか「カタログ」がないようだ。したがってパンフレット代わりに他のウエヴサイトから「添付引用」 し、「単騎、千里を走る」の映画ヴローシャーを作成した。時間と閑のお取いただける読者は、是非ご参照いただきたい。我輩の酷評に代わり映画会社の売り込みの意気込み等、伺えるかも知れない。ま、どんな前評判の映画でも、自から観ていなければ何も出てこない。
先ずは鑑賞すべし!
と、納得している。


 <以下、添付資料>
(封切映画のカタログだと思って、暇あらば、読んでみてください・・・)

『ご存知、高倉健さんの資料(復習)』
芸名 高倉健 (ウイキペディア紹介)

フリガナ タカクラケン
生年月日 1931年2月16日
星座 みずがめ座
出身地 福岡
血液型 A
身長 180cm
体重 71kg
ジャンル 俳優
デビューのきっかけ 1955年 東映ニューフェイス 第2期生に合格しデビュー



『以下、当該映画の紹介』

東宝邦画作品ラインナップ
中国映画のチャイナべシネマ
◆製作情報・クレジット
主 演 : 高倉健
出 演 : 中井貴一、寺島しのぶ
: チュー・リン、ジャン・ウン、リー・ジャーミン
監 督 : チャン・イーモウ
脚 本 : ツォウ・ジンチ
原 案 : チャン・イーモウ、ツォウ・ジンチ、ワン・ピン
文学企画 : ワン・ピン
プロデューサー : ビル・コン、チャン・ウェイピン、シュウ・ジェン
撮 影 : チョウ・シァオディン
美 術 : ソン・リー
録 音 : トウ・ジン
作 曲 : グォ・ウェンジン
編 集 : チェン・ロン
ラインプロデューサー : チャン・ジェンイェン
【日本編スタッフ】 :
プロデューサー : 森重晃、山田健一
監督顧問 : 降旗康男
撮 影 : 木村大作      
美 術 : 若松孝市      
録 音 : 斉藤禎一      
照 明 : 斉藤薫      
編 集 : 川島章正     
製作 : Elite Group (2004) Enterprises Inc.
製作協力 : 東宝映画
配 給 : 東 宝

公式サイト http://www.tanki-senri.com/

製作情報
クレジット 上映時間:1時間48分
ビスタビジョン/ドルビーデジタル

製作:Elite Group(2004) Enterpries Inc.
製作協力:東宝映画
配給:東宝

2004年11月19日 中国クランクイン
2005年1月10日 中国アップ
2005年2月15日 日本イン(秋田・男鹿半島ロケ)
2005年2月24日 日本クランクアップ
2005年4月20日 初号完成
2005年10月22日 東京国際映画祭オープニング上映
(ワールドプレミア)
2005年12月 中国公開
2006年1月28日 日本公開
(C)2005 Elite Group(2004) Enterpries Inc.

◆イントロダクション
張芸謀(チャン・イーモウ)×高倉健
2人の夢が、世界に羽ばたく。

それは、映画「君よ憤怒の河を渉れ」からはじまった。

 ある1本の日本映画が、文化大革命後の1978年に、中国で歴史的役割を果たすことになった。長らく、外国映画が上映されることのなかった中国において、外国映画の開放政策がはじまり、その記念すべき第1作となったのが、1976年に日本で封切られた高倉健主演映画「君よ憤怒の河を渉れ」(監督・佐藤純弥)だった。この作品は、当時ほぼ中国全土で公開され、高倉健の名は一躍知れ渡り、今日に至るまで中国では最も親しまれている日本人の一人である。そして、この映画を西安で熱い思いを胸に観ていた青年がいた。彼の名は、張芸謀(チャン・イーモウ)。そして今から15年前、北京で出会うことになるのだが、以来今日に至るまで、2人の友情は静かに、熱く育まれることになった。「いつか、高倉さんの映画を撮りたい」という張芸謀の願いを、高倉が受け止め、その願いは、いつしか2人の夢となったのである。

2000年夏、始動。

 張芸謀は、1987年「紅いコーリャン」で監督デビューし、同作品はベルリン映画祭で金熊賞を受賞。以来ベネチア映画祭で金獅子賞【「秋菊の物語」(92)、「あの子を探して」(99)で2度】カンヌ映画祭でパルム・ドール【「活きる」(94)】など、3大映画祭で数々の名だたる賞を受賞。また、エンターテインメント超大作「HERO」(03),「LOVERS」(04)で世界的な大ヒットを飛ばし、まさに世界が注目する映画監督としての地位を不動のものとした。その一方、永年の夢を実現すべく、遂に2000年夏に、高倉健と共に企画を水面下でスタートさせた。そして5年に渡るシナリオ作りを経て、遂に夢が現実となった。それが本作、「千里走単騎」(中国語原題―日本語読み:単騎、千里を走る)である。高倉健にとって「ホタル」(01年、降旗康男監督)以来、通算204本目となる。(外国映画への出演は、「ミスター・ベースボール」以来、5作目となる。)

「千里走単騎」―息子への想いを胸に、独り、千里を行く。

 「千里走単騎」は、日本でも馴染み深い「三国志」に由来する、中国の京劇の演目である。後の蜀帝・劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子と共に宿敵・曹操の手に落ちるが、劉備への義理と誠を貫き通し、最後はただ独りで劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備のもとへ帰還するという三国志の中でも最も感動的なエピソードの一つである。今もなお関羽は、中国民衆の中でも人気の高い人物で、商いの神様としてあがめられている地方もある。映画は、この舞踊「千里走単騎」を巡って展開していく。
物語は、現代の中国と日本が舞台となる。主人公・高田(高倉健)は、余命いくばくもない民俗学者の息子の代わりに、京劇「千里走単騎」を撮影しに、中国の奥地・麗江市を訪れる。この旅は、高田にとって、永年の確執によって生じた親子の、埋めることの出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった。しかし、高田は、経済発展とは無縁の、雅やかな美しい麗江の街並みや大自然、素朴で誠実な住人たちとの出会いや人々の心情に触れることによって、自分の行き場のない想いが少しづつ癒されていくのに気づきはじめるのであった……。

人は、心と心の交流を求めている。

 「HERO」「LOVERS」とエンターテインメント路線で、全世界で新しいファンを獲得した張芸謀の新作は、高倉健とのコラボレーションの結果、「あの子を探して」「初恋の来た道」等を彷彿させる、心の触れ合いを描くヒューマンな物語となった「この映画は、一組の親子関係を描くだけではなく、人と人との結びつき、すなわち人類にとって普遍的なテーマを描こうとしている」と張芸謀は言う。なぜ、人間同士は穏やかな関係を結べないのか、お互い傷つけあうのか。人間は実は人との結びつきを求めているはずなのに。「情感、人生に対する想い、思いやり、反省、愛・・・人間関係にまつわる様々な魂の触れ合いを描きたい」。それは、現代中国の現状とも関係していると張監督は静かに語る。「中国において、いま経済発展が著しいが、特に都会において、お金やビジネスへの価値観が偏重される一方、人間と人間の結びつきや親子の絆がどんどん薄まりつつある。とても哀しいことだ」。この問題は、日本でもここ十数年顕著になってきている。映画「千里走単騎」は中国映画ではあるが、一方日本の観客にとって無縁ではない、リアリティーを持つ映画に映ることになるであろう。もしかしたらこの映画が、日本と中国の庶民がお互いをより理解し合えるきっかけとなるかもしれないのである。

日中最高スタッフ、結集、2人の夢を強力にサポート。

 プロデューサーは、ビル・コン。香港最大の映画会社「Edko Films」代表。「HERO」(03),「LOVERS」(04)で張芸謀監督とコンビを組み、アカデミー賞外国語映画賞をはじめ数々の映画賞を獲得、今最も世界が注目するプロデューサーである。本作が張芸謀監督と3本目のコラボレーションとなる。メインスタッフには、同じく両作品の撮影監督を担当したチョウ・シァオディン。録音は、張芸謀と同期生でこれが3本目の作品となるトウ・ジン。ほか張芸謀監督を支えてきた中国映画界の精鋭スタッフが集結した。

 本篇の約2割相当が日本での撮影となった。
 日本撮影パートは、張芸謀監督の強い要望もあり、高倉健主演映画を数多く撮影したスタッフが担当した。「鉄道員」(99)「ホタル」(01)でもコンビを組んだ、日本映画界を代表する監督・降旗康男。撮影は、「八甲田山」をはじめ多くの主演映画を撮り続けてきた、木村大作。ほかそれぞれ所縁のある日本映画を支えてきたベテランスタッフが結集、まさに日中映画界の最高峰の顔合わせである。

 日本パートには、中井貴一と寺島しのぶが参加。中井が扮するのは、高倉健演じる高田の息子・健一役。この親子は、長らく断絶状態にあり、健一が病に倒れたことが物語の発端になる。実は中井は声だけの出演で難しい親子の絆を演じることになる。そして、健一の妻・理恵役に寺島しのぶ。夫の心情を高田に何とか理解してもらおうとする健気さと、義父の苦悩を思いやる優しさ、繊細さを卓抜した演技力で表現している。

 製作は、Elite Group (2004) Enterprises Inc. 本作は、中国映画である。製作協力は、東宝映画。配給は、東宝。05年末、中国公開。そして、06年、日本公開が決定。