子供達が30代、孫娘は7歳。カミさんは今年還暦。で、私今72才。ちょっとしたことで、家族みんなが心配してくれる。
私も愈々そういう年齢、素直に聴こう。コロナ禍は継続2年。みんなで油断せず、怖がり過ぎず、乗り越えたいものだ。
<2021-3-2 0302>
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カミさんがメニエール治療のための検査入院する日、38度の熱があって、元気に起きられない朝8時半ころ?。
睡眠不足のはずの息子が出がけに私に声を掛ける。
「つらかったら、救急車呼びな。」
「ありがとう・・・ダイジョウブだよ。行ってらっしゃい。」と布団の中で細く答える。
息子がそんな優しい言葉をよこすのは私の発熱と食欲不振を知っているからで、気持は嬉しかったが、何だかその救急車が可笑しかった。
大体、救急車の要請ができる体力のある本人を、救急車に乗せて病院に運んでくれるはずもないだろう。
だが、息子は本気みたいだった。家族というのは、実は理屈抜きなものなんだね~。
息子は金曜の夜も、土曜の夜も、仕事場泊まりで昼飯抜きで仕事だった。そんな忙しい人間から心配してもらって、親子と雖も恐縮な話だ。
ところが、この救急車の話、私の親父が自分で電話して、駆けつけた救急隊員を道路まで出て行って「こっちこっち」と手招きして、隊員の「搬送が必要なのはどちらにいますか?」の問いに対して「私、わたし。」と答えたという。
これには救急隊員が「え”~?!」みたいな・・・。
たしかご近所の消防勤務の方が、別途タクシーかご自分の車で病院まで付き合ってくれたような話だったような記憶がある。
熱中症か何かで体調が悪かったのは事実だったようなのだが、何となくトンチンカンな親父が一寸恥ずかしい。でも、私の息子のような優しさが私の中にあったか?と自問すると、我が息子に比べ私はちょっと薄情な気もしてくる。
親父は塩分と揚げ物好きの高血圧・メタボ腹(ウシガエルのような膨らんだおなか)で、親父が寝そべってTVを観ていると、私の息子も娘も面白がって乗っかって遊んでいたほどだ。このお腹滑り台は、甥っ子や姪っ子の遊び場でもあったから歴史が長く、年を追って立派になっていった。逆に言えば、親父の体は多分うつ熱が起こりやすかったとも言えそう。
体調の悪化後では遅すぎるが、親父の救急車呼び出し事件?は、身体に大事(おおごと)なく済んだ。けれども好いた生活習慣が、やがて急な脳梗塞を引き寄せ、親父は言葉を失ったまま、病院で最期を迎えることになってしまった。
煙草をやめなかった親父は、それでも本望だったのだろうか?そういえば息子も、ど~も煙草をやめられそうにないでいる。タバコなんて一種の依存症、心配だ。息子も親父も、禁煙にトライしたこともあるけれど、成功はしていない。
いずれにしても、齢を重ねれば、たんなるカゼも、水分不足も、飲み過ぎも吸い過ぎも、食いすぎも食わなさ過ぎも何だって命を削る鉋(かんな)になりうるのだから、それぞれが自分の体の声に素直に従っていくしかないのだろう。
<2016-03-07 0307>
++++++++++++++++心配嬉し+
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2021.3.3 家族は近しい存在。それだけに言わなくてもよいことを口にしてしまう、自分の事を棚に上げて、ね。