まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

1013 眼の黒い内vs老いては

2015-10-13 17:37:35 | ふと思ったこと

自分の子は何歳になっても、子供は子供で変わらない。もうすっかり大人でも、子ども扱いして嫌がられることもある。剰え(あまつさえ)、子供に何か言われると、何を!と向きになることだってありうる。立派に大人になった我が子を子供とみなして腹が立つ。

老いては子に従えと言われるが、わざわざこういう言葉が存在すること自体、そうもいかない様相が世の中に遍く在るからではないのか。
他人とのお喋りに自らの唇に乗せるこの言葉も、いざ自分の子を前にすると、ついつい「まだまだお前たちには」とか「俺の眼の黒いうちは」なんて根性が頭を擡げ(もたげ)たりする。

一方、親が「もう俺はダメだな、耄碌(もうろく)しちまった」など言おうものなら、子供の方も慌てて?否定してきたり。要は、親父風を吹かせる鼻持ちならぬ相手には「打倒、理屈と権威主義」みたいに抗ってくるが、弱々しく萎えきった親の姿も見ったくない訳で ... 。

我が子と同年齢の他人の若者。人にもよるが大抵は歴とした(れっきとした)もんだ。小中学生だって凄いのは居る。ところがである。
我が子となると、おむつしてた頃からズーッと知ってるからね~。

いずれにしても、ちゃんと耄碌はする(してる?)わけだから、少しずつ小出しに自分で認めてしまうことだね~、年取ったって。
自分自身の指摘なら他人から言われた訳じゃなし、認めりゃストンと腑に落ちる。これって、夫婦間でも同じことだった筈。

いきなり弾き返さずに、相手の言葉を一度は受けて、相手も自分も腑に落ちる。そんな「応じ方」って、あるものだ。

++老いては
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