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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人格形成の道と差別意識 <ジャカルタ・アジア大会 ・・ バスケ4選手、買春謝罪>を読みながら

2018-08-21 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180821 人格形成の道と差別意識 <ジャカルタ・アジア大会 ・・ バスケ4選手、買春謝罪>を読みながら

 

最近のスポーツ界、しかも最高峰のレベルで次々と噴出する不祥事ないし違法行為には驚かされます。「健全な精神は健全な肉体に宿る」といったのは誰でしたか。この言葉が空疎に聞こえてきます。

 

スポーツ基本法の前文でもなかなかいい表現が並んでいます。

<スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利で>あるというのです。

 

しかし、スポーツをやっていれば、当然に健全な精神が宿るなんてことは少し安直な考えでしょう。健全な精神は、スポーツに限らず、一人ひとりが自分で日々精進することで生涯をかけて取り組む課題ではないでしょうか。

 

私はさまざまなスポーツに取り組んできましたが、そうすることにより特別心の健全性が高まったなんてことはあまり考えたことがありません。クラブ活動で厳しいしごきや練習に耐えることで、鍛えられた、少し耐える力が生まれたとか、規律を大事にするとかは多少はありますが、それはスポーツだけが特権をもっているわけでもないと思います。

 

むろん私のような凡庸な人間と異なり、優れたアスリートは才能も豊かな上、自分を持続的に鍛えあげ、さらに能力をアップすることに秀でているトップクラスの人たちでしょう。

 

でも社会規範や世の中の基本的なルール、価値判断といったものについて、あるスポーツの社会の中で過ごす限りは問題にされなくても、一歩社会の中で一人の人間として向かい合ったとき、適切に判断し行動する健全な精神を培うような仕組みがあるわけではないでしょう。むろん、たいていのスポーツ組織はそれなりの指導をしていると思いますが、それによって実際に自らの精神を形成するのは、体力強化とは異なる別の意味で、一人ひとりが日々心を鍛えることが必要ではないでしょうか。

 

今朝の毎日記事<ジャカルタ・アジア大会「代表の自覚なかった」 バスケ4選手、買春謝罪 裁定委設置、処分へ>は、日本のスポーツ界がこれまで重要な何かを欠いたまま、アスリートとしての能力強化に、またメダル獲得数を増大する方向だけに、進んできた氷山の一角がまた噴出したにすぎないのではないでしょうか。

 

記事によると事実の概要は次の通りです。

<ジャカルタ・アジア大会のバスケットボール男子日本代表の・・・・4人は試合直後の16日夜、日の丸の入った公式ウエアのTシャツを着用し、ジャカルタの歓楽街へ食事に出掛けた。食事後、2軒目の店を探す途中、偶然出会った在留邦人の仲介で女性とホテルに同行。1人当たり120万ルピア(約9000円)で買春し、17日未明に選手村に戻った。>

 

この件について、<4選手は「良くないことをしている認識はあったが、浮ついた気持ちだった。日の丸を背負うという自覚がなかった」と謝罪した。>

 

たしかに日本を代表するという自覚を欠いていたことは確かでしょう。その意味では、日本の国際的信用を失墜させたとか、東京オリンピック・パラリンピック開催にまた暗雲をもたらしたともいえるかもしれません。

 

むろんほとんどすべての代表選手は、それぞれの競技での入賞やメダルを目指して一心不乱で頑張っているのですから、こういった一部のアスリートの恥ずべき行為をことさら問題視するのはおかしいと思う人が中にいるかもしれません。

 

それこそ問題の本質を見誤る危険を感じます。

 

彼ら代表選手を誘ったのは、偶然であった在留邦人で、その仲介によりホテルで売春行為に至っています。

 

東南アジア諸国における売春はまだ相当広がっているのではないかと思うのです。わたしが30年程前、調査で訪れたときも、現地通の人が面白いところがあるからと、同僚たちとともに、タクシーの運転手の案内で豪奢な建物に連れていかれました。そこはどうやら売春宿のようなところでしたので、同僚ともどもサービスを辞退して帰りました。

 

当時、まだ日本人による買春ツアーも盛んだったようにおもいます。こういうサービスが日本人に受けると思っていたのでしょうね。それが現在でもはびこっていて、代表選手が味わったのでしょうか。

 

私は当時、東南アジアの辺鄙な農村で、買われた若い女性が日本に連れてこられて、高額の借金のかたに全国各地で売春行為をさせている事件などを取り扱ったことがあったり、新宿周辺の路上で立ちんぼしている各国からやってきた女性が売春をしていて捕まった事件などを扱ったりしていました。

 

いかに多くの日本人男性が安易に女性をお金で買って性交している現実に直面して、恥ずかしく思いました。また東南アジアなどに出かけて同じことをやっている日本人男性の多さにも嫌気がさしました。

 

それが現在でもなお当たり前のように通用しているのかと思ったのです。それが「代表の自覚なかった」で済ましている意識に現れているように思うのです。

 

日本人として、というより人間として、いかに恥ずかしいことをしているかを自覚して欲しいと思うのです。

 

むろん現地の彼女たちも貧困の中で、また女性差別の社会で生きていくのが厳しいため、売春行為をしている人がほとんどだと思います。その現状を変えることこそ、私たち日本人が考え、行動することではないでしょうか。お金を出して助けているといった侮蔑的な見方は妥当しないと思います。

 

以前、『帝国の慰安婦』をとりあげたことがあります。ソウル高裁は、名誉毀損罪で著者のパク・ユハ教授に罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を言い渡し、パク氏は上訴中だと思います。強制かどうかの議論はあるとしても、戦時中の出来事として、売春が公に認めれていたことは日本政府も認めていると思います。

 

おそらく東南アジア諸国でも同様の行為が行われていたのではないでしょうか。

 

戦後すでに70年が過ぎた今なお、普通に、日本人に買春を勧誘する状態があることに、私たち日本人はもっと意識を改めても良いのではないでしょうか。

 

むろん「健全な精神」をリードするべきスポーツマン、アスリートは、模範を示して欲しいですね。男女平等社会への道を。

 

今日は久しぶりに6時前にブログを終えました。また明日。

 

 


簡単ではない認知症ケア <フランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」>を読みながら

2018-08-20 | 医療・介護・後見

180820 簡単ではない認知症ケア <フランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」>を読みながら

 

今日はたまたま、2つの介護施設を訪ねました。一人は私が保佐人をしている男性の入所する民間の特養、一人は後見人をしている女性の入所する別の特養。いずれも病気で一旦入院した後、老健に入所し、その後に現在の施設に移りました。病気の影響で、いずれも発語力が弱っていますが、男性の方は徐々に歩けるようになり、会話も少しずつ会話ができつつあります。女性の方は発語といっても聞き取りが容易でなく、簡単な言葉がやっとというところでしょうか。

 

それでも私がこのブログで連載して紹介したユマニチュードを少しでも自分で試そうと思うのですが、まったくできません。だいたい触れること自体が簡単ではないのです。自分の母親なら、私のことをもう分からなくなっていても、触れることは簡単ですし、ユマニチュードを意識してなくてもでてきていました。しかし、他人となると、手に触れることも躊躇します。女性に対してもですが、男性でも、私が触れたら、何をするのかと怒られそうです。

 

男性の方は発語することが簡単ではないですが、私の話はだいたい理解できていますので、言葉を発するのをしばらく待っていると、少しずつ言葉になって出てきます。なにか話したいけど、病気の影響でなかなかスムーズに言葉がでないのですね。それをじっくり待つのも大変ですが、頑張っています。おそらく介護職の人からすると、そんなの当たり前と思われるかもしれません。

 

女性の方は、なかなか言葉を発するのがさらに大変で、結局、私がいろいろ話して、相づちを促したり、希望を聞いたりして、なんとか会話を引き出そうとしますが、たまに会う程度ですので、なかなかスムーズにはいきません。それでも私と話すのは嫌ではないと、一応話してくれます。ま、目の前で嫌とは言えないでしょうけど、それでもしばらく会話につきあってくれました。

 

そんな私の悪戦苦闘?とまで行かなくてもユマニチュードのいろはも実践できていない私にとっては、イヴさんの話はやはり心を打たれます。いつか少しでも実践できればと思うのです。

 

さて今朝の毎日記事<そこが聞きたいフランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」考案者 イヴ・ジネスト氏>を読み、再び、イヴさんの話を取り上げたいと思います。

 

イヴさんの次の言葉は正鵠を射ていると思うのです。

<認知症の人が家族を認識できなくなると、家族は愛する人を失ったような悲しみに襲われます。しかし、その人の中に、子や夫、妻を愛した感情は残っています。92歳で亡くなった母は、私が息子だと分からなくなっても、息子を愛する気持ちを忘れることはありませんでした。>

 

そうですね、私の母親も私を認識できませんが、人への優しい気持ちは残っていて、息子に対する愛情のように誰にでも接するのです。以前徘徊していた頃は、お世話になったおまわりさんには心を込めて接したそうで、癒やされるといわれとのことでした。

 

イヴさんは<認知症は、介護する家族をより深い人間に成長させてくれる贈り物だと考えています。>とまさに至言を述べています。

 

ではイヴさんが考案したユマニチュードとは何でしょうか。

<ユマニチュード(humanitude)は、人間らしさを取り戻すことを意味するフランス語の造語です。具体的には400を超えるケアの技術があり、それらは、「見る・話す・触れる・立つ」に関するユマニチュードの四つの柱=1=を基に考えられています。>

 

この四つの柱は以前もブログで詳しく紹介しましたが、おさらいの意味で、解説を引用すると

<正面から、同じ目線の高さで、長く見つめる▽優しく、歌うように、ポジティブな言葉で話しかけ続ける▽手のひら全体で、ゆっくり、包み込むように触れる▽1日に計20分は立つ時間を作り、患者が寝たきりになるのを防ぐ--という基本技術。これらを組み合わせて相手とコミュニケーションをとる。>

 

とても簡単そうで、すてきな内容です。実際、イヴさんが行った場面がNHKで放送されたことがありますが、それを見るとほんとに衝撃を受けます。でも簡単ではないですね。

 

どのようにしてユマニチュードが生まれたのかについて、体育教師だったイヴさんが40年前にフランスの介護現場を見たときの衝撃が契機だったそうです。

看護師に腰痛になる人が多い、その対策を任されたのです。

<患者は「重たい荷物」と同じで、移動させるため多くの看護師が腰痛に苦しんでいた>というのです。現在の日本でもそういう状況がのこっていないでしょうか。

 

イヴさんは<私が学んできた体育学では「動くことが健康である」というのが大前提でしたから、強い疑問を感じました。そこで私は、寝たきりの患者を起こすことを決意しました。>

患者との関わり方を大変革したのです。

<亡くなるその日まで、人間として他者から見つめられ、触れられ、話しかけられ、自分の足で立つべきだと考えたのです。それを実現するために、同僚とともに患者との関わり方を見直し、さまざまなケアを試行錯誤しながら生まれたのが、ユマニチュードです。>

 

イヴさんは認知症患者の拒否反応や暴力的・理解不能な行動について、それには必ず理由があると強調しています。

<認知症の方の視点で考えると、患者の抵抗のほとんどは自然な「防御」なのです。>人間が本来備えている防衛本能から生まれたものと言うことでしょうか。

 

具体的には<認知症は新しい記憶を保つことができなくなる病気です。進行すると、自分がいる場所や、人の認識ができなくなります。認識できる視野も狭まり、すぐ隣で話しかけられても気づきません。そんな状況で、オムツを替えると言って、突然、知らない人の手が下着をはがそうとしたらどうでしょうか。知らない人から手をつかまれたら? 怖く、不安なはずです。>

 

最近、厚労省は介護ハラスメントの調査を始めるとのことですが、介護職員の被害状態を把握することは大切ですが、その前提事実も丁寧に調べないと、バランスを欠くことになりかねません。

 

最近は拘束はいけないことということで、物理的な拘束はあまりないと思いますが、他方で、向精神薬の処方に依存して増大していないでしょうか。私がいろいろな施設を訪ねるのですが、ただ机の前でじっとなにかを見つめている高齢者がほとんどのように感じることがあります。

 

イヴさんはこの点について、<現状では多くの場合、こうした行動・心理症状を薬で抑えようとします。認知症者への薬物の過剰な処方が世界的に問題になっています>と指摘しています。他方で、

<ユマニチュードは薬を減らす上でも大きな成果を上げています。パリのある高齢者専門病院では、ユマニチュード導入前(2005年)と導入3年後(08年)の比較で、抗うつ薬や抗不安薬といった向精神薬の処方が88%も減りました。>

 

薬に頼らない介護のあり方こそ、今後目指す方向ではないでしょうか。そうすると、薬でおとなしくなっている患者が動き出したり、話したりすると、介護職員が足りない現状でますます対応できなくなると非現実と批判する人もいるでしょう。

 

でも、イヴさんが指摘するように、薬漬けとはいいませんが、薬に依存することで、医療費負担が増大するのを防ぎ、その代わりその費用を介護職員の費用に充てる転換こそ求められるのではないでしょうか。それこそ、患者も、家族も、そして介護職員や施設も、行政もすべてがウィン・ウィンとなるかもしれません。

 

人の尊厳は、接し方によって維持されるという、イヴさんの考え方、その具体的なケア技術を学ぶ必要を改めて感じています。

 

一時間を過ぎました。この辺でおしまい。また明日。

 

 


米訴訟の巨額賠償の行方? <賠償命令トヨタに267億円 シートに問題>+補足

2018-08-19 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180819 米訴訟の巨額賠償の行方? <賠償命令トヨタに267億円 シートに問題>

 

アメリカがあらゆる分野で世界をリードしたかのように思われた時代があった、そういう意識を抱いた日本人は戦後長い間いたように思うのです。むろん、異なる見方をしっかり抱いていた人もいたと思いますが少数派だったと思います。

 

それでも80年代後半には経済大国日本を引っ張る意気のいい人たちは一時的にアメリカを超えたと思ったかもしれません。ともかく一時的な浮き沈みがあっても、やはりアメリカをいい意味でも悪い意味でも先導者として見てきた日本人が多かったように思うのです。

 

トランプ政権となってアメリカファーストを政治・経済・軍事などあらゆる領域で言葉通りに実施しようとするようになり、本気で日本の,日本人の立ち位置を考えなければならないようになったと思う人が以前より増えてきたように思うのです。

 

とはいえ、元々、アメリカ自体が様々な考え方で成り立っていて、振り子のように見える形で大きく振れていたように思うところもあり、現在もそれが少し際立っているだけかなと思ったりしています。

 

余分な前置きが長くなりました。実は高野山金剛峯寺の主務総長の母親が昨年97歳で書かれた著作を読み、高齢者の鏡のような語り口で、この内容を紹介しようと思ったのですが、手元に置いてなく、別の機会にしようかと思います。

 

で、話変わって本題の毎日記事<賠償命令トヨタに267億円 シートに問題 米州裁>をとりあげたいと思います。自動車メーカーに製造物責任を追及する訴訟では267億円くらいの巨額賠償を認めるケースは60年代以降の、あの著名なラルフネーダー氏を筆頭に、膨大な事例がありますから、驚くに値しないのですが、ふと気になりました。

 

まず事案を記事から見てみましょう。

<米テキサス州の裁判所の陪審は17日、同州で起きた追突事故を巡る訴訟でトヨタ自動車の高級ブランド「レクサス」のシートに問題があったとして、計約2億4200万ドル(約267億円)の賠償金を乗っていた夫妻に支払うよう、トヨタに命じた。米メディアが18日までに報じた。>

 

事故はよくある追突事故です。

<原告の夫妻が2016年に「レクサスES300」の後部座席に子供2人を乗せて走っていた際、追突された。衝撃で前の座席が後ろに倒れ、5歳と3歳の子供が大けがをした。>

 

追突事故ですから、むろん追突車両運転車に責任があるのが普通ですね。ただ、この事故では、上記で指摘されているように、「衝撃で前の座席が後ろに倒れ」た結果、後部座席に座っていた2人の幼子が大怪我をしたというのです。

 

この記事で、よく分からなかったのは、前の座席が後ろに倒れた結果、どのようにして後部座席のチャイルドシートに座っている子供のどこに当たって、どのような傷害を受けたのかです。むろん前の座席が後ろに倒れること自体、欠陥があったと見られるでしょう。でも後部座席に座っている幼子に大怪我を起こすということは、車の中で寝るように、シートが完全に倒れてしまったと言うことのように思えるのですが、そのようなことがあるのか、気になったのです。

 

前のシートの欠陥について、<原告側は、トヨタが前の座席に座る人の安全性を高めるために、後部座席の安全を犠牲にしたと主張した。>というのみで、どのような欠陥かは明らかでありません。

 

陪審の判断とトヨタの会見とはずれていると思われるのですが、この記事からはさっぱりわかりません。

<陪審は、シートに問題があり、それを原告側に知らせなかったのは、重大な過失と認定した。

 米メディアによると、トヨタは「(大けがは)設計や製造の欠陥によるものではないと確信している」とコメントした。>

 

それで少し英文記事を探したのですが、詳細な記事を掲載したものをみつけることができず、とりあえずDALLAS NEWSの<Jury awards Dallas family $242 million after finding Toyota liable for children's injuries in crash>が少し詳しく掲載していたので、これを参考にしてみたいと思います。

 

被害車両は2002 Lexus ES 300で、20169月に高速道路上で停止中にHonda Pilotに追突されたのです。その際、前部座席が2つとも、後部座席にいた幼子2に倒れ、その結果、頭蓋骨に多発性骨折と外傷性脳損傷の障害が残ったというのです。

 

で、このシートの製造上の欠陥については、どのような技術的欠陥かについて、原告代理人も、法廷文書も、記事からは、具体的言及がありません。評決文を見ればわかるのかもしれません??

 

原告代理人は、後部座席の人を犠牲にして、前部座席の保護を意識的に優先していた旨主張して、トヨタの責任を追及しています。

 

そのようにいえるかは気になるところです。前部座席が追突によって、後部座席まで倒れた場合、それで追突による大きな身体損傷を回避できるか疑問だと思うのです。たしかに頸椎へのダメージを緩和させ、むち打ち損傷のおそれは軽減するかもしれません。しかし、後部座席まで倒れてしまったら、それはかえって別の損傷をうけるおそれもあるでしょう。

 

この事案では前部座席に座っていた両親の怪我は問題になっていないようですので、後部に倒れることは追突されたとき通常発生するむち打ち損傷を回避できるのかもしれません。

 

しかし、いくらなんでも、追突のとき後部に倒れてしまうようなシートは安全性の見地からも前部座席車の保護のためになるとはおもいませんし、トヨタもそのような設計をしていたとはとても思えません。

 

たしかに一定の高級車は、たいていシートのリクライニングや前後、高低の移動が自動でできる構造になっています。その装置が衝撃で壊れた可能性があるのではないか、その点の安全対策が不十分であったのではないかと勝手に推測しています。

 

もう16年前の古いタイプですから、現在では大きくモデルチェンジしていますので、このような安全性を欠く車両はないと思っています。

 

とはいえ、障害の程度がよくわかりませんし、介護の必要性がどの程度かよくわかりませんが、この障害慰謝料として9840万ドル、それに懲罰的賠償額として14360万ドル、合計金24200万ドルの賠償責任をトヨタに認める評決を下したのです。

 

前者も日本の基準が妥当かは別にして、よほどの治療が必要であっても、このような高額の賠償責任は認められません。治療や介護に要する合理的な損害を認定するのですね。なにが合理的かが問われるかもしれませんが、損害の公平な分担という考え方を妥当とすると、アメリカの場合少し異常かなと思ってしまいます。

 

懲罰的賠償はある程度わが国にも導入されてもいいのではないかと思いますが、アメリカの賠償額が異常に高すぎますので、参考にはならないでしょう。

 

ただ、追突者の運転手も責任が認められていますが、トヨタが95%で、運転手は5%というのはどうも強いもの、お金持ち、あるいは外国メーカーということで、なにか異様な判官びいきのような印象を感じてしまいます。

 

トヨタ側は、評決の結果を尊重しつつも、後遺障害については異常な追突事故による特殊事情であって、デザイン・製造上の欠陥がないとの立場を崩してなく、別の記事では上訴するといった指摘もありました。

 

どうも内容がはっきりわからない中、適当なコメントになりました。私も相当数追突事故のケースを扱っていますが、不思議な事件ですね。同型車両に同様の欠陥が見つかっていれば、評決もある程度、合理性があるように思えるのですが・・・

 

そろそろ一時間が過ぎました。今日はこれにておしまい。また明日。

補足

 

ちょっとこのケース気になって、評決文なりを入手できないかと少しだけネットサーフィンしたのですが、

担当弁護士のホームページでは次のような事件名を含んだ記事が自信たっぷりに掲載されていました。

Dallas Jury Returns $242.1 Million Verdict in Toyota Product Defect Trial

 

ところがこの事件の評決文か裁判文書を探したのですが、どうもProtect Order(秘密保持命令)が下されているのではないかとおもいます。それらしいケース名で調べたら、でてきませんでした。

 

他方で、<MEMORANDUM OPINION>としては、証拠開示請求をめぐって繰り返し当事者間で争われた上で意見が述べられているのが見つかりました。ま、アメリカのトライアルでは証拠開示論争が映画並みに激しく争われるようですね。

 

ともかく結局、この事件の核心である車の欠陥がどのようなもので、どのような障害をうけたのかは、わかりませんでした。これだけの裁判ですので、解説なり、いろいろ情報が今後でてくると思いますので、その機会にでも検討しましょうかね。




大畑才蔵考その21 <第2回大畑才蔵顕彰フォーラム>を終えて

2018-08-18 | 大畑才蔵

180818 大畑才蔵考その21 <第2回大畑才蔵顕彰フォーラム>を終えて

 

本日、かつらぎ総合文化会館「あじさいホール」で、110名の参加を得て、第2回大畑才蔵顕彰フォーラムが充実した内容で終えました。

 

第1部 基調講演では、前田正明氏(県立博物館 主任学芸員)による「紀の川中流域における井堰や用水路の歴史」では、現かつらぎ町の笠田、当時、桛田荘(あるいは賀勢田荘かせだのしょう)といわれた地域を中心に、中世から近世にかけて水利と農地利用のあり方が資料と絵図などでわかりやすく解説していただきました。

 

紀ノ川沿い、とくにかつらぎ町は降水量が少なく、水源を確保することが非常に厳しい状態であり、多くのため池によって田んぼへの用水を確保し、目の前に流れる大河・紀ノ川は利用できなかったことが示されました。

 

とくに地形的な説明はありませんでしたが、河岸段丘で、紀ノ川水位が低いこと、近世以前では技術的に大容量の河川流を堰き止めるような土木技術が確立していなかったことがあるかもしれません。さらにいえば、秀吉、さらには徳川政権による統一支配が確立するまでは、荘園支配で、紀ノ川に沿って横断的に荘園をまたぐような用水計画など想定外だったのでしょう。

 

他方で、ため池の築造や修復には、秀吉による高野焼き討ちを止め、高野山に21000石を安堵させた応其上人が成し遂げて、その17世紀初頭の新田開発に寄与したとされています。ただ、それ以前からこの桛田荘では北方の小高い山地を越えた先に北東から南西に流れる静川(現穴伏川)に井堰をつくって、山越えで低地に用水を供給し、相当程度の水田化が鎌倉末期ころから室町期ころまでに成立していたようです。

 

とはいえ、前田氏の説明では、穴伏川自体、小河川で水量が限られており、井堰から取水する用水量がわずかな水田でも足りない状態でしたから、簡易な分水装置を用意したり、自国を決めて分配するといった状態でしたから、とても優良な水田ではなかったようです。

 

それでも穴伏川に井堰をつくって、用水を確保することは、桛田荘と隣接する名手荘などと大変な水利の争いとなり、どんどん井堰を作る競争状態になったようです。

 

他方で、桛田荘は、穴伏川の水利権を先占していた立場を主張していたようで、左岸の水利を確保しつつ、名手荘などに一部、右岸からの用水を認める采配をしています。それは当時の水田耕作にとって主要な肥料であった芝草などの採取を名手荘などが入会権をもっていたと思われる山への立入採取を認めることで、和議したようです。

 

いすれにしても賀勢田の荘は、ため池、小河川の水利だけでは、優良な水田としては成立しなかったのでしょう。

 

その意味で、紀州藩として行った小田井用意水は、画期的な大量用水の確保だったと思われます。

 

ところで、前田氏は、小田井が供用される前の段階の、桛田荘東村について、明治期の一筆ごとの地図を踏まえて、地番ごとに照合して、小田井用水路の南方にも相当程度水田があったとし、小田井用水通水後には用水路の北方(標高の高い場所)、従前の田んぼより南方(低い場所・紀ノ川沿い)に田んぼが拡大したと指摘していました。これは素晴らしい言及だと思います。

 

小田井用水路の位置は、背ノ山のトンネル部分を除けば、おおむね当時変わらない流路となっています。小田井用水路より標高の高い位置に水田が増えたのはなぜかについて、前田氏は、従来の小河川用水により水田化していた箇所が小田井用水によりまかなわれた結果、文覚井(もんがくい)からの用水はその標高の高いところに利用されるようになったというのです。

 

この点は、才蔵自身が、たしか詳細な費用効果分析の中で、従来のため池や用水を、小田井通水により、必要がなくなり、別に利用できるところには利用し、そうでないところは田畑化して、小田井用水による田畑の減少をまかなったり、築造費用にあてることを考えていたことに相通じるように思います。

 

前田氏は、今日の講演ではとくに言及しませんでしたが、文覚井といわれる井堰について、その成立が上記のように13世紀後半以降と見立て、文覚が活躍した12世紀末から13世紀初頭ではないことから、文覚による築造には疑問をもっていると思われます。上記の水戦争の中で、文覚が神護寺を差配し、その名称を使えば、古い時代に権威ある人間が築造したと言うことで、対立者に納得させようとしたのではないかと愚見としては思っています。

 

余分な話が長くなりました第2部 対談では、

会顧問で元橋本市郷土資料館館長の瀬崎浩孝氏、前田正明氏、紙芝居で地元の歴史紹介をされてきた中本敏子氏により、「大畑才蔵ってどんな人?」が瀬崎氏の熱意あふれる解説もあり、結構、迫力がありました。

 

そこで中本さんが質問した大畑という姓を名乗ることができた、あるいはそのよう姓のいわれはという点は答えがなかったかと思います。

 

私も調べたわけではないので、根拠がありませんが、彼が根拠とした学文路(かむろ)は平地がほとんどなく、小高い山を段々畑として利用されていますが、おそらく当時からそうではなかったかと思います。ですから、大きな畑をもっていたということはないはずです。たしか才蔵日記にも彼の所持農地が暗示されていたと思いますが、わずかだったと思いますし、仕事の報償としてもらった田畑もさほど多くなく、それも洪水で流されたはずです。

 

ではなぜ大畑か、基本、畑が多い地域で、農地拡大に貢献していたから、藩から大畑という名前を授かったのではないかと勝手な想像をめぐらしています。

 

他方で、名主の役割を現在の区長なりと同列に扱うのは誤解の元になりかねないと思います。前田氏が指摘したように、当時の年貢は村請で、村の中で誰かが割り当てを納められないとき、5人組、最後は名主の責任になるわけですから、大変です。また、村は司法・行政・立法すべてを地域の中で担っていたので、その名主を含む役員は大変な仕事だったと思います。

 

才蔵はたしか10代後半から杖突という名主の補佐役をしていましたが、これは藩行政の地域事務を一手に引き受け、その農政に関する事務をやっていたはずです。そのため才蔵の農書の中で、税制についてのあり方を詳細に論じることができるのだと思うのです。

 

他方で、龍之渡井や伏越などについて、その農業土木技術が高く評価されていますが、才蔵の自筆の書には、その技術的な解説はありません。たとえば、より高度な技術を求められる通潤橋などについてはその技術書が詳細な絵図で示されています。ま、19世紀初頭ですから、100年以上後ですから、一緒にはできませんが。

 

川を渡す用水樋の発想送は、かなり古い時代からあったと思いますが、橋脚を川の中に用いない方法は、龍之渡井が初めてなのか、土台が岩盤であることに技術的困難性があるのか、私にはまだよく分かりません。

 

いつの間にか一時間が過ぎました。今日はこれにておしまい。また明日。


酷暑に勝つカレー? <おいしい夏 ホワイトカレーで免疫整え>を読みながら

2018-08-17 | 人間力

180817 酷暑に勝つカレー? <おいしい夏 ホワイトカレーで免疫整え>を読みながら

 

今朝は4時過ぎに目覚めてしまいました。さすがにまだ薄暗く、薄明の中で雲がぼんやり明るさを保っていました。それでも野鳥の声がすでにこだましています。なぜ目覚めが早かったか、やはりひんやりというか、寒さを感じたからです。しばらくたって温度を見ると22度でした。天気予報通りでしょうか。

 

それでも日中は30度を超えるとのことでした。毎日、酷暑、熱中症の話題に事欠きません。暑すぎると食欲もなくなるのでしょうか。他方で、今年は冷たい飲料水ボトルや氷菓といったものが品薄になるほど売れているそうです。

 

私は暑いときでも、できるだけ熱い飲み物を飲みます。朝はやはりホットコーヒーです。冷たい飲み物はできるだけ避けるようにしてきました。お腹を壊すといわれてきたのを墨守しているようです。

 

といっても、子供が幼い頃、氷を食べたり、氷菓ばかりをばくばく食べているのを注意していましたが、私の言うことを聞いてくれたためしがないのは親の力量のなさでしょうね。

 

子供はこども、私はわたし、無理強いはできません。とはいえ、私はおかげで、お腹を冷やさないためか?下痢をすることもなく、いたってお腹は調子がいいのです。夏がどんなに暑くても、熱帯調査時代を思い出し、あれにくらべれば楽なものと(暑い中冷えていないビールをがぶ飲みしたのを思い出します)、できるだけ冷たい飲料を少なくしています。

 

そのせいか、酷暑の夏も(今年も)、食欲がなくなるといったことはあまり経験したことがありません。いつも食欲があります。べつにウナギを食べたいとも思いません。ここで紹介しているカレーも好物ですが、夏ばて防止とか、健康のためとかで、食べたいとは思いません。

 

暑いときでも、氷の入ったような飲料は避け、生暖かいお水(水道水の水はまさにそれ、最初は暑いくらいです)でちょうどいいのですね。そしたらお腹も負担がなく、食欲が普通にでてくるんではないでしょうか。

 

とはいえ今朝の毎日記事<おいしい夏ホワイトカレーで免疫整え>では、ホワイトカレーが静かなブームということで取り上げられています。

 

<うだるような暑さで食欲が落ちるこの季節こそ、スパイスの利いたカレーを食べたい。最近注目を集めているのが、白っぽい色でマイルドな味の「ホワイトカレー」だ。ヨーグルトを使えば夏バテ防止にもなるという。>

 

この白色という色彩ではなく、白色を構成する食材とか、香辛料とかが有効なんでしょうね。

 

カレーの多様性とその効用という話になると、20年以上前に、カナダでの経験を思い出します。カナダ資源法研究所というところで席をおかしてもらっていたとき、後からインドの大学で准教授の職にあった人が隣の部屋にやってきて、知り合いになりました。彼は多くの論文をたくさん書いていましたが、彼の会話をきちんと聞き取れる研究員はあまりいなかったように思います。彼は、地方の、あるいは古いイギリス英語で、早口で話すのですが、別の言語のような語りなのですね。ま、私の英語は中身も話も貧弱でしたので、かれとはそれなりに通じ合いました。

 

そんなこともあり、彼に招待され、彼の家を訪れたのですが、そのとき私はひどい風邪で状態になり朦朧としていました。すると彼はインドから持参したカレー粉(相当な種類)を使って風邪を直すカレーを作ってあげようということで作り始めました。ところが、その料理の時間がとんでもないくらいかかり、私はいつの間にか寝入ってしまいました。

 

彼の声で目を覚ますと、テーブルにはカレーのお皿がのっていました。残念ながらどのようなものであったか、朦朧とした状態であったこともあり、一向に思い出せません。ただ、そのカレーを食べた途端に、体全体がじわっと生き返るように元気が出てきたのです。そうかカレーというのは薬にもなるんだと思ったのです。

 

長い思い出話になりましたが、毎日記事の方は、白さを売りにしているようで、<カレー関連商品の監修やメニュー開発などを手掛ける料理ユニット「東京カリ~番長」のリーダー、伊東盛(さかり)さん(49)に魅力を聞いた。「見た目にも新鮮で珍しい白い色、そして夏にぴったりの爽やかな味わい。一度食べたらクセになりますよ」>とのこと。

 

とりわけヨーグルト入りがいいそうですね。<数あるカレーの中でも、伊東さんが食欲の落ちる夏に薦めたいのがヨーグルトホワイトカレーだ。ヨーグルトが白さと酸味を加え、味に深みと奥行きを与える。体の免疫機能が整って夏バテ防止につながり、スパイスで食欲も増進するという。>

 

でも、子供にカレーを食べさせるとき、大人用の味だと辛すぎるので、ヨーグルトを入れることもあるんではないでしょうか。ま、真っ白にするほどはあまり聞きませんが。

 

ともかくレシピもいろいろ紹介されていますので、食欲不振の方は参考にされたらよいかと思います。

 

また思い出しましたが、熱帯地方に行っていて、カレーを好んで食べたという記憶はありません。むしろ、ある中国料理の店で出された食材は最高で、食欲がそそったことのみ鮮明な記憶で残っています。店といっても青空の下(夜食べるので星明かりのみ?)、新鮮な野菜や肉、魚を自分で選んで、これを作ってと頼むと、さっと作ってくれるのですが、これが見事な味なのです。食欲がそそり、いまもって、どこの有名料理店よりおいしいと思ってしまうのです。それはマレーシア領ボルネオの中央付近にあるへんぴな田舎町の小さなお店でした。セスナ機のような小型機か、船でないといけないところです。もう二度と訪れる機会はないですが、私にとっては熱帯の暑さに耐える体を維持してくれる料理でした。

 

今日はこれでおしまい。また明日。