たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

高野山100年を生きる <添田清美著『高野山に生きて97歳』>などを読みながら

2018-08-22 | 心のやすらぎ・豊かさ

180822 高野山100年を生きる <添田清美著『高野山に生きて97歳』>などを読みながら

 

宗教家というのは精神肉体を鍛え、超高齢になってもお元気で信徒を導くだけの生きる力を発散している、なんてことは必ずしもないのでしょうね。いや、私が狭い経験で知っている限り、高僧といわれる90歳を過ぎ100歳前後の方で、そのような活き活きした姿を目にしたことがないので、お目にかかりたいとは思いますが。

 

弘法大師空海ですら62年で入寂したのですね。長生きした法然(79年)、親鸞(89年)の終末期はどうだったのでしょうね。それほど快活であったようには見受けられないのですが。

 

むろん、貫首とか門跡、神職や司祭は、100歳前後の超高齢でいらっしゃると、存在すること自体にありがたさを感じる人が多いのでしょう。

 

ところで高野山の最高齢の僧職はどなたでいくつなんでしょうかね。

 

和歌山放送ニュース記事<高野山最高位に静大僧正 金剛峯寺で昇進式>では、

<高野山真言宗総本山・金剛峯寺の第519世・寺務検校(じむけんぎょう)執行法印(しぎょうほういん)に、清涼院の住職、静慈円(しずか・じえん)大僧正75歳の就任が決まり、金剛峯寺できょう(2/22)、昇進式が行われました。>とあります。

 

「法印」が最高位ということのようです。でもまだ75歳とお若いですね。

 

で、<金剛峯寺座主(ざす)の中西啓宝(なかにし・けいほう)高野山真言宗管長84歳がきょう、辞令と緋色の僧衣の目録などを交付しました。>

 

管長は84歳なのですね。いずれにしても、現代の長寿社会では、お二方ともまだまだこれからという印象を受けます。とはいえ100歳前後の僧侶の方はいらっしゃらないのかしらとふと思うのです。

 

そんなとき見出しの書籍『高野山に生きて97歳 今ある自分にありがとう』を最近、通読しました。タイトルがいいですね。昨年97歳の添田清美さん(ご存じない方ですが、さんの方が似合っていると勝手に思ってしまいました)の著作で、生まれが41日ということですから98歳になられています。高野山100年を生きると題しましたが、ま、この方は100年を優に超えて高野山を快活に生きられるのではないかと思うのです。

 

その添田さんの書かれた文章が美しいのです。とても清らかで、仏さんのような?(むろん私は仏を知りませんが)優しい言葉遣いです。ほんとに97歳の高齢者が書いたのかと、疑うような失礼な気持ちになってしまいました。よくある代筆ではないかと・・まったくの誤解ですね。

 

というのは<97歳添田清美さんのお話>というタイトルで、ユーチューブでそのお声と話を聞くことができます。立て板に水ですね。なめらかな語り口、添田さんが終戦直後から守ってきた蓮華定院の宿坊に宿泊された方を前にお話しする声がみなさんを元気にさせてくれそうです。

 

毎日も今年116日記事<輝集人英語が得意な宿坊の名物お母さん 添田清美さん 高野山で語学力を発揮 /和歌山>で添田さんのことを取り上げています。

 

高野山に生まれ、戦前、東京女子大学英文科を卒業され、なんと国文科の瀬戸内寂聴さんの先輩で、戦後すぐ蓮華定院の住職跡継ぎに嫁がれ、以来、そこで高野山の厳しい四季を過ごし、重労働とも言える宿坊の世話をしてきたのですね。ご長男は現在の金剛峯寺主務総長である添田隆昭氏(70歳)です。

 

さて、著書からいくつか添田さんの言葉を引用させていただこうと思います。

 

「90歳を過ぎてしまっても、まだ悔いていることがあります。」

まるで北斎のような、気力と自己認識、そして探究心をお持ちのお方と思うのです。それが元気の源でしょうか。

 

「未完成だからこそ、成長を志す、そういう気持ちをいくつになっても持ち続けたいと思うのです。」

先の言葉に通じるものがありますが、生を限りあるものと自覚しつつ、最後まで自分の至らなさ、未完成さを認識できる能力というのでしょうか、それを伸ばそうというか、よりよくしようとする意欲こそ、認知症とか、体力の衰えを回避する有効な手段であることを示しているようにも思えるのです。

 

「死という自身の生の結末を含めて、人生を謡歌したい。」

死を怖れるのではなく、それを素直に、自然に受け入れつつ、生を、人生を楽しむ、謳歌することを日々、心がけていらっしゃることを学びたいと思うのです。

 

そしてすごく大事なことを自然に語っています。

「長く生きていて感じるのは、まずは感謝です。」

私は改めて、「謝」という言葉の意味を調べてみました。いくつも意味がありますが、2つに注目しました。

「1 わびる。あやまる。「謝罪/陳謝」」

礼を言う。「謝意・謝恩・謝礼/感謝・多謝・拝謝」」

まるで相反するような意味合いにもとれる謝ですね。添田さんは3の感謝の気持ちを日々持ち続けてきた方かなと思うのです。1もあるでしょうけど、感謝の気持ちを重視されて、その気持ちでつねに対処すれば、わびることは少なくてすむかもしれませんね。

 

誰にでも、苦手な人、うまくいかない人が世の中いますね。そんなときどうしましょう。

「反りが合わない人にほど、親切にする」

「まず自分から親切に尽くす。これでだいぶ変わってくると思います。」

まずは自分の心持ちを変えること、難しいけど、自然な言葉で語っています。

 

その他、97歳、すでに98歳になられた元気な添田さんの言葉は、心にしみるいい響きがあります。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。

 


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