たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

地域・子どもにあった教育の自由 <NHK 廊下は走るもの>などを見ながら

2018-01-09 | 教育 学校 社会

180109 地域・子どもにあった教育の自由 <NHK 廊下は走るもの>などを見ながら

 

廊下は走ってはいけないは私も子どもの頃にこんこんと言い聞かされたように思います。その廊下は運動したり喧噪な会話を避け、ただ移動のための手段として位置づけられてきたのでしょうか。学校のこの分野の指導ガイドラインを見たわけではないのですが、なにかそんな指針が書かれていそうな気がします。いや、教師や管理者である校長・教頭もそんな意識ではないでしょうか。

 

でも今朝のNHKおはよう日本では、生徒全員が懸命になって廊下を駆け巡っています。教師もそれを応援しています。一定時間に何周廊下を駆け巡るかを生徒一人一人が廊下に張られた個人カルテみたいな成績表、というか双六のような図に毎回の回数を書き込み、運動量の増減を自分で管理しているのです。

 

雪国では降雪が1mを超えとてもグランドは利用できず、そうなると運動不足になる子とは必至でしょう。苦肉の策とは言え、企画者(校長?)の柔軟な発想のたまものですね。もし廊下を走るような、それも全員が走るようなことをしないと、多くの小学校では代替する運動の機会を提供できないのではと思うのです。

 

高校生くらいになると、自分で雪かきしてグランドを利用できるように整備することがある程度までできるかもしれません。私も高校時代わずかな雪だとやっていました。でも降雪量が半端でなく、小学生では無理というものですね。

 

話は違いますが、カルガリー大学の研究室に在籍していた頃、学内に冬季オリンピックが開催されたときのアスリート施設が残っていて、体育施設内でのランニングコースもあり、あまり利用しませんでしたが、これはなかなかいいものでした。ダウンタウンでは多く延びるが暖房の効いた廊下で通じていて、コリダーの利用も多様です。

 

で元に戻って、廊下自体、その地域や人の特性に合わして多様な利用を考えて良いと思います。休み時間にクラスを離れて談笑したり議論したりする広場的空間にもなりえるでしょう。小学生のディベートは海外の先進国では普通でしょう。他方、雪国の場合にランニングによる運動機能の強化・維持は有効でしょう。

 

ある札幌から転校した小学4年生が登場し、たしか決められた時間に5周しかできないのを悔しがっていました。いろいろアドバイスをもらい、もう少しのところで6周到着の少し手前で〆切の鐘が鳴りましたが、その向上心と熱意に満足した様子でした。こういう小さな競争心、負けず魂、努力の姿勢は、きっと彼の体力、それに精神力に大きな成長をみいだすことができるのではと思うのです。この小学校の取り組みには気持ちのいいもので、NHKの取材もよかったです。

 

ところで、日曜日NHKの人体シリーズでは、「」を取り上げていたのを見た人も少なくなかったかと思います。私は録画していて昨日見ました。それで関連してこれからこのテーマにも少し触れようと思います。

 

この番組に登場したアスリートや体力のある人が、いずれも骨折を相当数経験しているというのです。しかもトップクラスの自転車レースの選手まで。

 

でこれらの骨折の多い人は、外観的には筋肉質で健康そのものですし、骨も若い方ですので見えないものの若々しいものと思いがちです。ところが違ったのです、いずれも70代、80代の骨の細胞になっていて、すかすかになっているのです。

 

いずれも筋力を鍛え、骨も頑丈そうに見えるのですが、意外や骨は日々新陳代謝を繰り返し、スクラップアンドビルドを継続し、数日で別の骨成分になるそうです。骨は一人の人間で200パーツ、細胞で言えば何百億くらいあるのでしょうか、大変なものです。数日前の自分は今日の自分ではないかもしれないわけですね。私は時折、そういう自分を考えていますが。

 

骨自体が独自のメッセージを体全体に与え、カルシウムが不足していると破壊してそれを放出して体内に供給し、その一歩でどんどん増やしているそうです。その骨のシステムを動かす名前は失念しましたが、どんどん作りなさいというアクセル役の細胞と、つくるのを抑制するブレーキ役の細胞があって、それがうまくバランスがとれているといいわけですね。

 

ところが、自転車レースの選手にはアクセル役がはたらかず、ブレーキ役だけが主に働き、どんどん骨の成分がやせ細っていって、老化でもろくなってしまうそうです。同じ「廊下」でもこの老化はあまり多様性がないかもしれません。

 

下手なだじゃれは置いておいて、なぜそうなるかについては、骨に刺激がかかっているかで、骨のアクセル機能が働くことに関係するそうです。

 

マラソンやジョギング、ウォーキングでも地面との接触で足の骨に大小異なりますが相当の衝撃がかかりますね。それが骨の健康な成長に有効に働くそうです。その意味で、いくら一生懸命自転車を乗って筋力アップに勤めたり、自転車こぎの機械を使って運動量をアップしても、骨そのものの老化を進行するのを抑制できないということです。そのため骨折も多くなるわけです。

 

ところで、なぜこの話題を提供したかというと、私の子どもも割合、骨折が多く、不思議に思っていました。それなりに運動をしていています、特別自転車を乗り回すこともないのに、信じられないほど骨折を繰り返していました。

 

私自身は、幸か不幸か骨折の経験がありません。体が特別上部というよりどちらかというと弱い体質だと思いますが、骨折はしたことがないのです。干物が好きで小さな骨でもばりばり食べるので、その勝海舟か吉宗が好んだ?という貧相な食べ物が割に合っているからかなんて思っていましたが、刺激によって骨は成長するというか、ブレーキがかかっても適当にアクセルをかけて割合強い骨を形成してきたのではないかと思うようになりました(検査していませんので実態はわかりませんが)。

 

で思い当たるのは、小学時代、これは廊下を走るのがダメなのと同じかそれ以上に禁止されている遊びをずっとしていたことを思い出しました。それは階段をどのくらい上から飛び降りることができかという競争です。怖いですし危険ですが、割と跳躍力があったので、いい加減な記憶ですが、たぶん仲間の中で一番高いところから飛び降りて自慢していたように思います。そのとき足が受ける衝撃は相当なものでしたが、地面の反発力に対する骨の力は強くなったことは確かです。先生に見つかったらお叱りどころか職員室行きだったかもしれませんが、当時はおおらかでしたか。

 

そういえば跳び箱も得意にしていつもトップを争うほど高さを競っていました。着地は砂場ですので、たいした衝撃ではないですが、踏切地点での衝撃はかなりのものですし、跳び箱に着いた手が受ける衝撃も相当なものだったように思います。

 

こんな遊び、相撲も含め、もしかしたら私の骨が多少上部に見える基礎だったのかもしれません。これは適当な推測以外のなにものでもないですが、学校教育のあり方において、施設の多様な利用を検討してもらいたい思いから書いてみました。私の経験は蛇足以外の何者でもありませんが。


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