181107 辺野古問題と政府の公正さ <菅官房長官の発言 正確な事実踏まえ説明を>などを読みながら
今日もある後見事件で病院付添を担当し、さきほど事務所に帰ってきました。ちょっと肉体作業もあって結構疲れてしまいます。
それでもまだこのブログを書くだけの気力が残っているみたいなので、今日も書いておこうかと思います。トランプ政権の是非が問われたアメリカ中間選挙は、国内の分断状態がそのまま票にでたようでして、下院が民主党、上院は共和党が過半数を握るという、ねじれ現象となりました。トランプ大統領は上院を勝ち取ったことで十分成果があったのでしょう、満足そうですね。だいたい現職大統領が政治運営を放って置いて、選挙区に入り浸りなんておかしいと思うのですが、なんでもありなんですね。アメリカの民主主義といっても、独立戦争を勃発させたときから、国民はもちろん、議員もさほどしっかりした議論を尽くしたといえる状態になったことはないのではと思うのです。
たまたま少し前、アマゾン配信の第2代大統領、“JOHN ADAMS”というTV映画を見たのですが、きちんとした議論をしていたのは弁護士である彼と、わずかな人たちであったように描かれています。実際もそうであったのかなと思っています。現在のアメリカ国民の様子や、議会の運営、公聴会なども相当な議論を尽くしてるように見えて、形式的に終わっているように見えるからでしょうか。
そのアメリカという大国のために、沖縄という素晴らしい人と領土を、戦争中から現在まで、その言うがママに、わが国は提供してきたのではないかとふと思うのです。わが国の矜恃は一体どこにいったのでしょう。
さて普天間・辺野古問題ですが、今朝の毎日記事、記者の熱い思いが語られていて、これを取り上げたいと思います。
私が普天間飛行場地のひどい状況を知ったのは90年頃が最初でした。その後普天間基地の危険を除去するためということで、辺野古基地の新設の話が取り上げられていた90年代後半、地元の反対運動の人たちの案内で、当時計画された海上基地周辺を船で視察したことがあります。その当時のことが、この記者の目という記事を読んで思い出しされたのです。
<記者の目普天間移設 菅官房長官の発言 正確な事実踏まえ説明を=三森輝久(熊本支局・元那覇支局)>は、菅官房長官の発言に対して事実経過を丁寧に説き、事実に反すると鋭く切り込んでいます。
菅官房長官の問題発言は次の点です。
< 「22年前(1996年)のSACO(日米特別行動委員会)合意で普天間飛行場の全面返還が決まり、地元の市長と知事の同意を得て辺野古への移設を閣議決定したという経緯があるわけです」「これはもともと地元と話して決めたことじゃないですか。日米合意以来、沖縄や政府の関係者が努力を重ねてきた。辺野古の工事も、地元知事の埋め立て承認をいただいて決まったことをやってきたわけです」>
辺野古移転は地元の了解を得て22年前に決まり、その後も一貫して地元の了解を得て計画・工事を進めてきたというようです。それをいまになって反対するのはちゃぶ台返しだとでも言っているように聞こえますね。
<しかし、実際はそうではない。菅氏が言う「閣議決定した」計画は、V字形2本の滑走路を備えた現行計画ではなく、その前身、辺野古沖2・2キロの海上を埋め立てて滑走路を造る当初計画のこと。この二つは似て非なるものだ。>そうです私が実際に見た地点は現在とはまったく異なる位置ですし、基地自体も似て非なる物です。
しかし、それ以上に問題があるといってよいでしょう。
<当初計画の起点は、日米合意後の98年、稲嶺恵一氏の知事当選にある。稲嶺氏は「苦渋の選択」として「15年使用期限」「軍民共用空港」の条件付きで県内移設を容認し、・・・名護市の岸本建男市長(故人)・・・は99年12月27日、15年使用期限や基地使用協定締結など7項目を条件に容認。政府は翌28日、「使用期限については米国政府との話し合いで取り上げる」などとして7条件を受け入れた形で移設方針を閣議決定した。>
つまり、期間制限付き、利用制限付きだったのです。将来にわたって沖縄に基地負担を継続させることに断固反対しつつ、普天間問題解消のため苦渋の選択をしたことを忘れてはいけないでしょう。その海上案ですら、アメリカで訴訟提起を含め多くの反対があって座礁したのです。
ところが、05年に計画の変更と言うより新たな計画案が登場し、それは<辺野古の米軍キャンプ・シュワブ陸上部を造成し、あわせて沿岸部を埋め立てて1本の滑走路を整備する計画に変更した。>上、<この時、政府は沖縄県や名護市に相談せず、了解を得ないまま米政府と合意した。そして15年使用期限などの7条件も雲散霧消した。>
つまり、沖縄にとって受け入れのための譲れない条件を外され、しかも沖縄の了解を得ずになされたのが現計画なのです。
三森記者の最後のことば<沖縄の人々が訴えているのは、米軍基地という重い荷物を、本土も一緒に負ってほしい、なぜ沖縄だけに負わせるのかという、根本的な疑問である。政府は正確な事実経過の上に立って説明を尽くし、その疑問に向き合わなければならない。>は、当然の内容ですが、政府はそんなことを承知の上で、トランプ政権に頭が上がらず、弱い沖縄の人たちに無理を強いることを平気でいるようです。私たちはそれでよいのでしょうか。
現在の大きな争点、埋立承認撤回をめぐる行政不服審査手続について、大きな疑義が出ています。この問題は今回が初めてではなく、以前から議論されてきたと思いますが、政府のあり方が問われていますし、行政不服審査法の立法趣旨が問われていると思うのです。
今日の毎日のもう一つの記事<アクセス沖縄県、承認撤回 防衛局、国交相に停止申請 「原告が審査役」の不思議 識者「正当性欠く」>です。
<米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設工事が再開したのは、防衛省沖縄防衛局長が申し立てた沖縄県の埋め立て承認撤回処分の執行停止を、石井啓一国土交通相が認めたためだ。国交相による執行停止は2015年以来。>
何が問題でしょうか。
<「国民の権利救済」が目的の行政不服審査法を使い、防衛省が請求して国交相が審査する奇妙さに加え、専門家からは「今回は3年前より正当性に欠ける」との指摘が出ている。【佐藤丈一】>
こういった点は環境アセスでも事業者が国の場合によく議論されることですが、とくに行政不服審査法という法制度自体が、旧憲法時代にはなかった、行政行為により被害を受けた国民の救済手段として立法化されたことから、今回の事態は腑に落ちない出来事です。事業者は防衛省という国の主要機関です。それが救済を求め、閣議決定をした内閣を構成する国交相の下、中立公正の立場で審査することなど到底不可能と言えるでしょう。仮にそういえなくとも信頼性を欠くといえるでしょう。
この手続の経過は次のようです。
<8月末、県が名護市辺野古沖の埋め立て承認を撤回し、9月末の知事選で移設反対の玉城デニー氏が大勝した。しかし防衛省は10月17日、「一日も早い普天間の全面返還を実現する」として沖縄防衛局長名で不服審査請求と執行停止を申し立て、石井氏が30日に執行停止を決めた。移設問題で同局長から国への不服申し立ては記録が残る05年以降で4回目。安倍政権では15年10月の埋め立て承認取り消しに続き3回目だ。>
今回の審査は、前回に比べてより問題性が高いと言われています。
<国交相は15年の埋め立て承認取り消しへの不服申し立てに併せ、「県知事に国政の重大事項を判断する権限はない」として県に代わって事務を行う代執行に向けた行政訴訟も起こした。岡田教授は「今回は訴える側と審査する側が内閣の一員で、国交相は防衛省の『代理役』として訴訟までやった。その立場で審査するのはあり得ない」と疑問を投げかける。>
防衛省が国であることから、そもそも埋立手続上特別扱いを受けていることから、別の問題も指摘されています。
<公有水面埋立法では、行政は事業者に「免許」を与えて工事を厳しく監督するが、国による埋め立てに対しては「承認」に過ぎず、指示や命令はできない。一方、沖縄防衛局長は今回、事業者として審査請求した。本多滝夫龍谷大教授(行政法)は「違法な工事が行われれば知事は免許の効力を制限できるが、国に対してそんな権限はない。特殊な地位にある沖縄防衛局長が事業者のように請求するのはどうしても理解できない」。>審査請求の前提たる、法的制限を課せられていない事業者・防衛省という立場で、この制度を一般の事業者と同様に請求権を有するか疑問視されますね。
沖縄辺野古問題、もう一度、最初から見直し、仕切り直しすることこそ、本土と沖縄、そしてアメリカとの将来に有益と考えますが、いかがでしょう。
今日はこのへんでおしまい。また明日。
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