goo blog サービス終了のお知らせ 

たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

まちづくり考(その1) 心豊かさと光と闇の狭間

2016-11-17 | 心のやすらぎ・豊かさ

161117 まちづくり考(その1) 心豊かさと光と闇の狭間

 

日々衝撃的なニュースが新聞記事、TVやウェブサイトを賑わっています。今朝の毎日では和歌山県かつらぎ町という田舎の建物内で、近年では異例の1.1万本(末端価格20億円)の大麻栽培工場が暴力団幹部によって営まれていたことが発覚。千葉県四街道市では特別養子縁組を営利目的で行ったある疑いで強制捜査。枚挙に暇がないオンパレードです。このような違法行為を追求するのも報道の役割ですが、新聞自体のあり方として気になるところです。

 

いまアメリカ大統領選でほとんどのマスコミの偏向的報道が問題にされていることとは異なるものの、わが国のマスコミも他の媒体との競争激化で、このような社会の異常現象を次々と追求することがその役割であり、何か慢性病のような意識で受け入れる購読層が広がる、マスコミ社会と国民の状況は、相互の信頼性の基礎を失う危うさを感じることがあります。新たな基軸を切り開く必要があるように感じるのは私だけではないでしょう。

 

そんな中、昨日の地方版で紹介された「ダライ・ラマ14世 高野山大130周年記念、仏教講演会」の見出しでの記事は少し気持ちが和らぎました。ラマ氏は参加者からの「今、幸せですか」との質問に「私自身、世界に生きる70億人の中で、安らかに生きている一人」と回答し、松長有慶・高野山大名誉教授(元学長)はラマ氏のことを「心豊かな人はこういう幸せな顔をされています」と指摘したそうです。民族およびご自身の多難な迫害を受ける中、「心豊かな」人であることを、人にとって最も肝要なことと指摘されているようにも感じました。

 

そして今朝のやはり毎日ですが、「ひと」欄で、「小沢英之さん=ニュージーランドの空を世界遺産に」と銘打って、彼が「ニュージーランド南島の町・テカポで旅行会社を営む。夜、自ら運転手兼ガイドとして案内するのは、山上の天文台。天の川が天頂を彩る美しい星空を肉眼と望遠鏡で楽しむツアーを企画し、世界中から年間2万人を呼び込む」と取り上げています。仕事のない田舎町で、開発計画が持ち上がったとき、住民の誰もが声を上げ中、その貴重な星空を抱き光害のない夜を持つ魅力を訴えて、一人反対したというのです。幸いにも、不景気で計画が挫折し、美しい星空は残り、観光資源として、世界自然遺産を目指している夢のある話しです。

 

私自身、長く東京に住み、深夜まで働き飲み、新宿や銀座のネオンサインの中で日々を送っていた頃、ちょっとした縁で、日弁連の熱帯林違法伐採調査に参加することになり、ボルネオ島サラワク州の奥地に入ったことがあります。もう四半世紀も前です。そこは電気がもちろん通っていません。日が沈むと漆黒の闇です。外へ出ても歩くのもおぼつかない。星空の明かりが頼りでした。でも、その星空のきらめきは、荘厳であり、輝きは心打たれるものがありました。次々と流れ星が夜空を駆けていきます。

 

何よりもその静寂さと闇は、自分の心というものと何か対面している思いにさせられました。闇というのは一面恐ろしいと感じるものの、実のところ、自らの心と対面、対談、あるいは安らぎを感じる場ではないでしょうか。あるいは自然というものとをより鮮烈に意識でき、人の心の表現を磨いてくれるのではないでしょうか。

 

能因が、そして後をおった西行が、さらに芭蕉が、それぞれ歩いた東北の旅は、その後の日本人の心の形成に強い影響を与える和歌や俳句を生み出したと思います。彼の思い・表現は、なにかその闇のとも関係するように感じるのは私だけでしょうか。西行が多くを歌った月こそ、そのような研ぎ澄まされた心によって生まれたのではないでしょうか。

 

話しは少しずつ脱線していることを意識しながらも、闇の世界に言及してみました。むろん光は、人類が発展してく重要で欠くことができない要素です。しかし、とくに都市は光にあまりに光に依存していないか、それが心の脆弱性につながっていないか、気になっています。

 

で、表題に戻って、「心豊かな」人こそ、まちづくりの目標であり、要諦ではないかと感じています。では「心豊か」とは何か、簡単に表現すると誤解を生じかねないし、また、安易な理解は混乱のもとになるようにも思うのです。

 

少しその外形的な枠組みを考えてみたいと思い、約10年前、日弁連シンポの中で、私なりにこのキーワードを隠れたテーマに、30人くらいの委員と共同作業で報告書をつくりあげました。400頁くらいですが、シンポ参加者や関係者に配布しただけで、日の目を見ないまま、他の報告書同様、歴史の大きな流れの中に忘れ去られていくものの一つとなっています。

 

この報告書をまとめた一人として、このブログを通じて、できるだけこの内容を紹介していければと思っています。構成は私が考えましたが、詳細に分類した箇所は全国から集まった個々の委員の責任で書いたものです。私の考えとも異なる部分が当然あり、自分なりに著作権に配慮しつつ、取り上げてみたいと思います。

 

まだこのブログのリンクの仕方も含め、よく分かっていないので、わかりやすい形で表現できるのに時間がかかりそうですが、少し時間をおいて書いてみようと思います。

 

今日もこれから終日出かけるので、この辺で終わりとします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿