190109 心に届く判決とは <在韓被爆者訴訟 手帳認定判決 元徴用工、証言伝わった>などを読みながら
元徴用工をめぐる話題は、いろいろあるようですが、最近では日本企業に賠償請求を認めた韓国大法院の判決とそれに基づく資産差押執行が大きく紛糾?し、話題となっています。判決文を見たことはないですが、賠償理由自体よりも、日韓請求権協定の請求権放棄規定の効力と国際法上の解釈が話題になっているように思います。ネットを少し見てもちょっと偏った見方で議論しているようにも見えて、心に響くような意見はあまりないようにみえます。
今朝の毎日は<元徴用工訴訟で資産差し押さえ 政府、韓国に協議申し入れへ>で、客観的事実を淡々と報道しています。
他方で、一面と最後の紙面で別の徴用工の裁判を取り上げていて、この判決文には驚きました。
まず一面で<元徴用工に被爆者手帳認める 長崎地裁、朝鮮半島出身に初>とありました。
<戦時中に長崎市の三菱重工長崎造船所に徴用されて被爆したとして、90代の韓国人男性3人が、長崎市と国に被爆者健康手帳交付申請の却下処分取り消しなどを求めた訴訟で、長崎地裁(武田瑞佳裁判長)は8日、原告3人全員について市に手帳交付を命じる判決を言い渡した。>
ここでは徴用工の賠償請求問題は関連づけられていないので、この方がそういった請求をしているかどうかは明らかではありません。他方で、被爆者健康手帳申請が却下されたため、訴訟で取消を求めたのですが、元徴用工の方々は大変悲惨で厳しい状況を経てきたことが理解できます。
それは<在韓被爆者訴訟手帳認定判決 元徴用工、証言伝わった 高齢化、転換促す>の記事で取り上げています。
<1944年7月ごろ、同造船所に徴用され、鋼板の接合部に熱した鋲(びょう)を打つ「カシメ」と呼ばれる作業に従事した。昨年6月の尋問では、車椅子で長崎地裁に入り、爆心地から約5・5キロの寮で被爆した時の様子を「突然、空が真っ赤になり、ドカーンという音がしてガラスがガラガラと割れた」などと証言。「ブタや犬の餌のようなものを食べさせ働かせておいて、今になって『本当に徴用されたのか』『本当に被爆したのか』と言うのは人間のやることなのか」と語っていた。>と。
また<もう一人の原告、〓漢燮(ペハンソプ)さん(92)は昨年夏に脳梗塞(こうそく)で倒れ、代わりに電話に出た長女が「父の長崎での苦労が認められ、本当にうれしい」と話した。〓さんは寮の食堂に向かっている時に被爆し、とっさに地面に伏せたが、腰を負傷。支援者らには腰のえぐれたような傷痕を見せながら「原爆を受けたことは事実」と訴えていた。>というのです。
では判決は、却下理由について、どう判断したのでしょうか。
<解説在韓被爆者訴訟 元徴用工判決 証言重視の審査促す>で、行政による通常の判断方法について、被爆という異例な事件であることに加えて、70年の時の経過を考慮したことです。
<原告の証言は基本的に申請段階から一貫していたが、長崎市は部分的に他の資料と整合しないことや、証拠や証人がないなどの理由で却下した。>というのですから、これは行政としては一般的な方法として支持されるでしょう。
しかし、<判決は、被爆からの時間の経過などを踏まえれば、本人の記憶がある程度薄れるのは仕方なく、関係者の死亡などで証言や証拠が得られなくても、本人の証言の「中核部分」に信用性があれば被爆者と認められるとする従来より踏み込んだ判断を示した。>というのです。
こういう判決文はどのような証言をとりあげ、こういった中核部分を構成させたかも含め、一度読んで見たくなります。元徴用工の方の証言やその姿勢に真摯なものを感得したのかもしれません。
私が最初に医療過誤訴訟を担当したケースで、看護記録など診療記録との矛盾があるにもかかわらず、当該医師の誠実さといった人格を取り上げて信頼できるとしたあまりに情緒的な判断をされたことがあります。この場合当該医師の具体の証言内容を取り上げて判示理由に言及するのであれば、勝敗にかかわらず、納得できるというか、理解できることがありますね。むろんこの医療過誤訴訟は、判決前に大きな金額の和解案まで裁判所が提示したにもかかわらず、(最初で最後の)敗訴でしたが、まったく納得できない内容でした。
<原告代理人の中鋪(なかしき)美香弁護士は「援護を必要としている人こそ手帳を申請する。行政は判決を重く受け止め、姿勢を変えるべきだ」と訴える。【樋口岳大、今野悠貴】>と指摘していますが、この裁判所のような見方をしてくれるといいですね。
おそらく控訴され、その場合高裁がどう判断するか注目したいです。
今日はこれにておしまい。また明日。
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