たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

生死と魂と感じ方 <魂は感じるものだから>と<人生相談 夫の冷酷さに恐怖>を読んで

2018-03-06 | 人の生と死、生き方

180306 生死と魂と感じ方 <魂は感じるものだから>と<人生相談 夫の冷酷さに恐怖>を読んで

 

今日は終日忙しくして、すでに午後7時半を回ってしまいました。30分後には法律相談の電話がある予定なので、30分以内に本日のブログを仕上げたいと思います。

 

まずは今日は裁判事件の書面作成をしていて、終わりそうになったとき、刑事事件依頼の電話があり、その打合せから被疑者接見で、午後の時間が奪われてしまい、その後会議に遅れて出席して、ブログを書くため事務所に戻りました。

 

さて、今日のニュースにもいろいろ取りあげるべき内容があったように思うのですが、簡潔に整理できそうもないので、先日の毎日記事から、私の関心のある生死と魂にかかわる紙面が気になっていましたので、それを取りあげることにします。

 

一つは<たたなづく魂は感じるものだから=河瀬直美>です。もう一つは<人生相談夫の冷酷さに恐怖=回答者・高橋源一郎>です。二人の記事はこれまでも何回か取りあげさせてもらっていて、とても気に入っているのですが、今回も東日本大震災で多くの方が亡くなり、すでに7年目を迎えることから、違った視点で人の生死を考える一つのあり方を示しているようで、重い問題ではありますが、簡潔に引用させてもらおうかと思います。

 

311日が近づく中で、多くの方が今なお、亡くなった家族への思いを深く、重く心にとどめられている様子をTV放映で見ていますと、人間の感情というものの強さ、家族への思いの深さを、改めて感じてしまうのです。

 

人の死に対する感情は人それぞれと思います。淡泊に見えても、心の中で強く思いを持ち続けている人もいるでしょう。亡くなったことを知ったそのときは激しい感情に揺り動かされて、嘆き悲しむだけだったのが、その後はできるだけ悲しみを思い出さないように記憶から遠ざける人もいるかもしれません。中には家族の死に対して激しい感情が起こらず、その後もさほどの思いを持たない人もいるかもしれません。

 

私は、ずいぶん昔に父を亡くし、最近になって姉を亡くしました。でも普段から感情をあまり出すのが好きでないこともあって、いずれの場合も激しい悲しみの思いはなかったように思います。その後も残念な思いはあっても、できるだけ考えないようにして、平静な心でいるのかなと思ったりもします。

 

とここまできて法律相談の電話ではいり、これが終わったのが930分となりました。少々疲れましたので、より簡単に終わらせたいと思います。

 

高橋源一郎氏は、次の質問に彼の経験を踏まえて回答しています。

<がんで医師から2年もたないだろうと言われ、5年がたちます。夫は何も支えてくれません。苦しくてつい夫に当たった時、「人は必ず死ぬんだ」と言われ、えたいの知れない恐怖さえ感じています。なのに、治療の経過を話してくれと言います。少しでも私の心に一緒に寄り添ってくれていればともかく、私の生の期限を知り何を思うのか。興味だけで聞かれても、嫌悪するばかりです。(50歳・女性)>

 

源ちゃんは、<両親が亡くなった際、いずれの時も、わたしは悲しくありませんでした。だから、わたしは、自分のことを、なんて冷酷な人間だろうと思っていたのです。>と、両親の死に対して、自分の冷ややかな態度を告白しています。

 

ただ、源ちゃんは、自分の幼い子が育ってきたある日、突然、父親の優しい視線が蘇り、<胸がつぶれるような激しい慟哭(どうこく)に襲われたのです。長い時間をかけて、ようやく悲しみにたどり着いた瞬間でした。>とも言うのです。

 

そしてこのことから、源ちゃんは<誰かを理解するために時間が必要で、ほんとうに理解できた時にはその対象となる誰かはもういない。わたしたちは、そのようにしか生きていけないのかもしれません。>と人それぞれの生き方があり、その生き方を理解するのは時間が必要というのでしょう。

 

私は時間も必要かもしれないけれど、そういう理解に至るのはある種の人生体験も必要ではないかと思うのです。それは年をとればできるということではなく、心の奥底に隠れているか、沈んでしまっている何かを、人間の神秘の力が宿るときとでもいうのでしょうか、そういう偶然は、生きているときに来る場合もあれば、来世にならないと来ないかもしれないと私は思っています。

 

でも源ちゃんの最後の言葉はすてきです。

<どう接していいのかわからない人たちに向かって、そのままでいいからと言えるような、その「往(い)き方」そのものが最後の贈り物になるような、死の迎え方ができるといいなって。>そうです、私もそう願っています。

 

もう一人の河瀬直美氏は、赤子に両親を亡くしたようで、<55歳で子供の居なかった老夫婦は親と縁の無かった赤子を養女に迎えた。>というのです。養父が亡くなった後、養母との二人の暮らしになったそうです。

 

その中でけんかも絶えなかったようですが、<晩年は口を開けばわたしに対する感謝の言葉を告げるようになり、「お前さえよかったらそれでいい」というのが口癖だった。腹を痛めて産んだ子でなくとも、これだけの愛情が注げるものなのだろうか。今となっては、その絶対の愛に守られた存在の自分を大切にしなくてはと、ことあるごとに思う。>と本当の愛情を注いでもらって過ごしたのだそうです。

 

その養母が亡くなって7回忌になる今、<いくら大切な家族がそばにいてくれたとしても、わたしが生まれた日のことを知るものはもういないのだ。そのことの寂しさを思う時、最期の瞬間、養母は彼女の実母に迎えられたのではないだろうかという感情がうまれた。>

 

そして養母と同じ命日にこの世を去った石牟礼道子さんのことを思い、<養母の部屋でぼんやりしていると、東の山から朝日が差して、まばゆいばかりの光がわたしを覆った。そのとき、魂はあるのか、ないのかというよりも、感じるものだからと言った石牟礼さんの魂をはっきりと感じた。そうして温かな涙をぼろぼろと流し続けた。>

 

魂は、感じる人が、その価値を享受すればいいのだと思うのです。それは自分が感じる何かに、ある人の面影をでしょうか。それこそその人だけの特権であり、残された人の矜恃かもしれません。

 

なにか脈略がありませんが、生死と魂について考えてきたなにかを二人から得たような気がしています。

 

今日はこれにておしまい。また明日。