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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

記録の破棄と民主制の基礎 <南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か>などを読んで

2017-03-17 | 行政(国・地方)

170317 記録の破棄と民主制の基礎 <南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か>などを読んで

 

朝目覚めると、高野山に連なる雨引山の山の端には薄紅の広がりが、そこ先には半透明のだいぶ満ちかけた月が、ブルースカイが広がりに映えていました。

 

もう3月中旬を過ぎ、桜のつぼみもにわかに活気を感じさせます。そういえば桜、月といえば西行ですが、今日はなぜか親鸞の和歌を思い出してしまいます。あの強靱で比叡山の荒修行をこなし、新潟に遠島処分になっても耐え抜き、さらに真宗に対し排外的な関東で布教を続け、晩年は京で、『教行信証』の完成に向け執筆に専念し机に向かう姿からは、和歌のたしなみなど考えられないようにも思うのです。

 

でも、生まれ育った環境でしょうか、9歳の時慈円に入門を申し出て、一夜待てといわれたとき、歌ったという、次の和歌は宗祖伝説のようでもあり、真実でもあるように思えます。

 

明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは

 

さて、今日もいろいろ書類づくりや資料入手に出かけたり、打合せがやっと終わると、もうすでに3時を過ぎています。高齢になると、というか、若い頃も、仕事をしているとあっという間に時間が経ち、一日が終わり、一月も過ぎ去り、そして一年も、十年も光陰矢のごとしです。そして過去の失敗や成功、無駄な時間つぶしを嘆いていると、それこそますます変なことになりそうです。

 

そういえば、最近うつ症状を訴える人が多くなったように思うのですが、以前見たBS報道では、うつは進化の結果、人間が必然的に発症する病気といった話しでした。最初は魚類が敵の攻撃から逃げるために扁桃体が生まれ、そのセンサーで神経がフル回転して猛スピードで逃げるのに役だったそうです。天敵にたいする神経細胞の進化でしょうか。次は海馬という記憶する器官が、さまざまな天敵の恐怖・不安を記憶することにより、扁桃体の反応が過敏になってきたというのです。さらに言葉を獲得したことにより、人の話や動物の仲間の話(コミュニケーションはいろいろでしょう)で余計に反応が過敏になったとされています。

 

そして現代社会の競争と格差の拡大、持続的なストレスは、扁桃体自体が反応疲れで機能しなくなり、神経細胞全体が萎縮し、無気力になってしまうというのです。このうつ状態を防ぐ、あるいは緩和するには、進化の過程で失った機能を回復する必要があるとのこと。

 

それは進化をあえて採用しなかった、縄文人的な生活をいまなお営む、アフリカのハッザ民族の生活様式が参考になるというのです。それは狩猟生活を主として、収穫物はすべてが平等に分配する、そこには支配者も特権階級もいないのです。そして将来の心配や不安がなく、今日のことを大事にそれ以上のことを考えたりしない生き方で満足しているというのです。

 

とはいえ、縄文人的生活様式や、ハッザ民族の生活をまねるわけにもいきません。そこにある価値観や生活様式の基本的な要素をなんらかの形で参考にすることでしょうか。平等と公正さ、隠し立てしないこと、仲間の中に秘密はないということ、これをどう現代の中で生かせるかは、検討課題でしょう。

 

さて、そろそろ前置きを終え、見出しの課題に入ろうかと思います。最近話題のそれぞれの重要な事件、いくつか共通する問題を抱えているように思います。とりあえず「記録の破棄」それが民主制の基礎を危うくしているということを感じています。

 

毎日記事<南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か 陸自保管、1月判明>のPKO問題や、<国有地売却 協議記録、大阪府も空白>、<国有地取得 財務省、交渉記録廃棄 衆院予算委で認める>などの森友学園問題、<東日本大震災6年 原発事故と国策>で見られる協議会などの非公開のうえ、議事録の一部削除や黒塗りなどです。

 

民主主義というものが張り子の虎的な意味でしかないのであれば、国の存立も危ういでしょう。トランプ大統領や朴大統領の言動、施策に国を挙げての非難が起こるのは、ある意味では民主主義という理想への期待の裏返しかもしれません。

 

先にあげた三つの事件は、氷山の一角ですが、いずれも国家のあり方に係わる重大な問題といってよいと思います。その意味で、議会が、あるいは司法が、それぞれの立ち位置で、検討してよい問題だと思います。

 

私なりに一つずつ、簡単に問題を検討してみたいと思います。南スーダンPKOの日報記録の問題は、まず<昨年9月に日報の情報公開請求を受けた同省は、派遣部隊とCRFで文書を探しつつ、統幕にも意見照会をした上で「廃棄して不存在」として同12月に不開示を決定した。>防衛省はどこにもないとしていたのですね。

 

不開示決定直後でしょうか、<稲田朋美防衛相が再探索を指示し、同月26日に統幕での保管を確認した後、陸自内でも保管されていることを把握したが、同省は2月7日から電子データの開示を始めた際にも「陸自にデータは保管されていない」と説明し、>と不自然な状況が判明していました。それが今回、<これまで防衛省が「廃棄したので存在しない」としていた陸自内で、日報の電子データが保管されていたことが分かった。>

 

陸自内での情報管理の問題もあるでしょうし、防衛大臣への報告の虚偽性も問題になるでしょう。そして日報の内容自体が問題であったことがこの隠蔽の背景にあったとみてよいのではないでしょうか。

 

<日報には、昨年7月の政府軍と反政府勢力との大規模な衝突を「戦闘」と表現する記載があり、野党が国会でPKO参加5原則が崩れていたのではと追及。稲田防衛相は「法的意味で戦闘行為はなかった」と説明していた。>ことがもんだいとなりました。この稲田防衛相の説明が憲法解釈として子供じみた内容であるか、ご本人気づいているのでしょうか。おそらく陸自内でも稲田防衛相に日報を提出すれば、説明できなくなると怖れていたのではないかと考えます。稲田氏は南スーダンを訪問していますが、現地の状況について、PKOから説明を受けていたか、分かりませんが、対応した派遣部隊の責任者はこの人になにをどう説明するかは、人を見て取捨選択したと思われるのです。

 

稲田氏は、国会での防衛相としての対応、今回の森友学園での対応を見る限り、とても防衛というわが国にとって機密性の高い、そして冷静な対応と機敏で統一した判断を求められる分野のトップとして、自衛隊員の信頼を得ているとは言いがたいように思えます。

 

日報という、現場で作業をしている人たちにとっては最も重要な報告、それも戦闘行為が間近で行われている現場の緊迫の中で書かれたものであるにもかかわらず、それが一旦は開示されず、開示された記載内容も、国民の信頼を得るような説明でないだけでなく、現場の自衛隊員の苦悩を理解しないような安直な説明では、とてもPKOのメンバーはやりきれないでしょう。

 

私は本来、南スーダンへのPKO派遣は、日報等に基づき、かなり早い段階で撤退すべきだったのではないかと思いますが、それはまだ事実関係がよくわかっていないので、結論めいたことは保留したいと思います。ただ、今回撤退が早まったのは、稲田氏の答弁や日報隠しという、陸自本部の対応に、現場で作業継続の意思を喪失したのではないかと愚考します。

 

命を賭して危険な南スーダンでの作業をしてきたのに、その報告ですらまともに取り上げてもらえないとしたら、やるせない気持ちにならないでしょうか。この点は少し脱線しましたが、要は、日報という最も重要な報告を廃棄したといった説明で隠蔽する体質こそ、シビリアンコントロール、引いては民主主義を根底から崩してしまいかねないと思います。

 

いかに「国際平和支援法」とのレッテル貼りをしてPKOの派遣基準を法律上明確にしたとしても、事実認識の基礎である、日報を隠蔽し、かつ、日報の記載内容を我田引水的に曲解するのであれば、法律はあってなきがごときものとなり、現場の自衛隊員の苦労や苦悩も報われないものとなるでしょう。

 

次に森友学園問題ですが、どんどんエスカレートする籠池発言の話しは脇に置いて、行政はさまざまな人と対応することを予定しており、その際、刑事法上の問題だけでなく、行政手続法を含め個々の行政法における許認可などの折衝に疑問がもたれないよう、また、公正で公平な取扱を担保するために、個々の面談記録をきちんと記録し、請求があれば開示して国民の審判を仰ぐことこそ、ハッザ民族の公正さに近づくのではないかと思うのです。

 

ところが、国有地の売却を担当した財務局、財務省は、<国有地取得 財務省、交渉記録廃棄 衆院予算委で認める>のとおり、交渉記録を全部廃棄したというのですから、驚きを通り越して、いかに杜撰な処理をしていたのかを感じてしまいます。東京都も豊洲問題では似たような状況ですが、これほど酷くはないですね。東京ガスが提出した議事録は膨大だったと思いますが、民間企業であれば、当然、交渉記録を上司に報告する必要があるでしょうし、売買契約成立しても、契約前の段階、契約後の段階、それぞれ後日問題が発生することが少ないのですから、交渉記録こそ重要な証拠となり、それを一定期間保存するのが当然です。

 

まして国有財産を取り扱っている、国民の財産であるのですから、より慎重でなければならないし、申し開きが出来るように、交渉が公正・公平になされたことを裏付けるのは議事録ですから、きちんと記録し、上司に提出し、裁可を得て、また長期間保存するのが責務というか、義務ではないでしょうか。さらにいえば、議事録自体がいい加減でとられていた可能性すら疑いを抱きます。議事録作成基準など、きちんとしたマニュアルを用意しておく必要すら感じます。むろん、一定期間の(最低でも10年程度)保存期間も定めないといけないでしょう。

 

大阪府の小学校認可手続きについても、関連して問題となり、<国有地売却 協議記録、大阪府も空白 対財務局、1年3カ月>との記事では、わざわざ空白期間のある協議記録となっていること自体、意図的な隠蔽と言わざるを得ない状況となっています。

 

この問題と直接関連するわけではありませんが、先日の報道ニュースの中で、松井知事が、認可申請は性善説で対応しているので、資金計画について委員から適切な疑義が指摘されているにもかかわらず、税理士という資格を持った人の押印があるから、その計画は信頼できるものとしたかのような発言がありました。この発言を聞いて奇異に感じたのは私だけではないでしょう。

 

資格ある専門家の署名捺印があれば、その内容を信頼してよいというのはあまりに安易ではないでしょうか。税理士より一般にはその会計資料について信頼性があると言われる公認会計士ないしは会計監査法人が関与した会計不正事件は、最近、頻繁に問題になっています。むろん税理士も同様です。脱税事件に関与した税理士もいます。その数の多寡ではないと思います。税理士も、公認会計士も報酬をもらって、クライアントのために、仕事をします。むろん職務上の公正さを図ろうとするのは当然です。でも彼らの仕事には限界があります。クライアントが差し出した資料の裏付けをどこまでとっているかとなると、疑問が少なくないのです。

 

なぜ小学校の認可に当たって資金力の裏付けを求めるのでしょうか。当然、小学校は私学といえでも多くの児童の教育を担い、その将来に多大な影響を与えるわけですから、持続的な経営基盤の確立がないと認めるわけにはいかないでしょう。その審査は、実質的な検討が必要でしょう。単に税理士が作成した計画だからなんてことで、認可を前向きに進めるようなことがあっていいはずがありません。少しここも脱線してしまいました。

 

議事録の廃棄・隠蔽といった問題はさまざまな分野で問題となっていますが、やはり原発問題は極めて重大事ですので、これは取り上げておく必要があると思います。毎日記事・<<記者の目>東日本大震災6年 原発事故と国策>では、議事の非公開と議事録の一部削除、黒塗りという、最も重要な意思決定過程のブラックボックス化の中で、多くの被災者にとって重大な変更決定がなされたことを指摘しています。

 

話しは飛びますが、私がカナダで経験した環境アセスメントの公聴会(わが国とは異なり、いわば対審制的で、裁判審理に類似する手続きです)で、多くの印象的な出来事がありましたが、そのうちの一つは、徹底した専門家意見の根拠の解明でした。さまざまな基準設定があるとき、事業者側のパネルの一人が専門家の立場で意見を述べます。そのときその専門分野を明らかにし、その研究成果と直接関係しない部分の意見については、どのような根拠で述べているかを質されました。文献情報では直接、その基礎を裏付けるものではなく、最後はたしか、ある行政庁のある特定の職員からのヒアリングにより得た結果だと証言するまで追求された記憶です。

 

この記者の目は厳しく鋭いです。少々疲れてきましたので、内容はウェブ情報をご覧下さい。約1時間半書き続け、PCの休みなさいサインが頻繁に出ていますので、まだ終業時間ではないですが、ここらでお開きとします。

なお、今日仕事で、日弁連の新養育費・婚姻費用算定基準を使おうかと思い、以前書いたものに引用していたとそのブログをみたのですが、URLがありませんでした。それで日弁連のHPでさがしたのですが、すぐに見つかりませんでした。それで前に書いた12月5日付けのブログに追加しましたので、関心のある方はご覧下さい。