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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

流木の由来(2) <九州豪雨の写真集>などを見て考えてみる

2017-07-08 | 災害と事前・事後

170708 流木の由来(2) <九州豪雨の写真集>などを見て考えてみる

 

今朝も当地は長閑な一日の始まりでした。まだ早暁前に、昨日と同じヒヨドリの幼鳥が鳴いているのです。それで目覚めたようです。昨夜は七夕の夜にちょうどよい?ほぼ望月の輝きが一杯でした。ただし寝るには眩しいぐらいで少し閉口しましたが、ま、たまにはいいでしょうか。でも満月は暦では明日ですか。昨日は空が晴れていた分、輝き方がさえていたのかもしれませんが、今日は曇天のようですので、どうでしょう。

 

さて、今日もいつものように花の苗を買ったり、いろいろ作業をしていたら、もう6時です。今日のテーマはまだ考えつきませんが、とりあえず、昨日、流木の由来について、ちょっとみた流木の形状・外観から、切り捨てされ山に放置されたものが多いように感じたことから、ぞの前提でその角度から問題点を少し追求しました。

 

しかし、かえってTVニュースを見たり、いまウェブ情報の写真を見ていると、どうも流木には根っこが残ったままのものが多く放映の画像にあったように思います。この写真ではその点はよくわかりませんが、他方で斜面崩壊が随所で起こっていることがわかります。そうすると、当然立木の状態で土石流のように押し出されることになり、下流に流されることにもなりますね。

 

その意味では、流木の主たる要因は斜面崩壊で立木が押し流されたといってもいいかもしれません。ただ、これら映像や写真は、まさに断片的なもので、現在はもっぱら被害者の救出、救助が先決ですので、今後全体像を専門家チームでしっかりと調査してもらいたいと思います。

 

とはいえ、まだ流木にひっかかっています。切り捨て間伐で山の中に残置されている木は、それが大雨で押し出されるおそれがあるだけでなく、その木があることによって山地に余分の負荷がかかりますし、保水性も落ちると思います。斜面崩壊の一因になる可能性もあるでしょう。

 

とはいえ、斜面崩壊の要因としては、こういった切り捨て間伐で放置されている木の問題はさほど大きいとは考えにくいのではと思います。立木があることによる重量が問題だと思っています。枝打ちがされたり、間伐が適切にされていると、残った木は幹は太く、枝も張り、地面に根を張るというのが当てはまるように思うのです。ところが枝打ちをしていないと、枝がどんどん太くなり、木の重量も大変なものになるでしょう。枝打ちをしていないようなところだと、間伐も適切にされていないので、密集はしていますが、しっかり育っておらず、隣り合う木が邪魔して大きく育たず、上には伸びても、また幹の太さはある程度合っても暖かいので成長するものの年輪の幅がある、あまりしっかりした木に育っていないことが少なくないのです。

 

むろん根はさほど張りませんし、土壌も薄っぺらでしょう。保水力もわずかかもしれません。屋久杉なんかを見ていると(もう四半世紀前ですからいい加減な記憶ですが)、根の張り方が違う印象をもちました。

 

さて、<斜面崩壊・地すべり>をちょっと参考にさせてもらいますと、<斜面崩壊とは,斜面表層の土砂や岩石が地中のある面を境にして滑り落ちる現象です.>

 

で、斜面崩壊の要因について、<土塊を斜面傾斜の方向へ動かそうとする力は,その土塊の重量が大きいほど,また,斜面傾斜が急なほど,大きくなります.雨水が地中に浸透するとその水の重さ分だけ土塊の重量が増して,崩壊を起こそうとする力は大きくなります.大雨による崩壊の場合,斜面の傾斜角が25度よりも小さいとほとんど崩れません.>といった指摘がされています。むろんこのメカニズムについては、この情報の中にもより詳しく記述がありますし、研究論文などはより科学的な分析が行われていますので、さらに詳しく知りたい方はそういった文献を見ていただき、私の粗雑な考えは横に置いてもらってよいかと思います。

 

ところで、斜面崩壊の要因については、自然的な条件(今回の異常豪雨はまさにそれですね)に加えて人為的な条件を考える必要がありますが、このウェブ情報では、

 

<人為的な条件では,道路建設などにより斜面下部が切り取られているところ,斜面の上方で大規模な地形改変が行なわれたところ,斜面内に道路建設などの人為作用が加わっているところ,樹木が伐採されそのまま放置されている斜面,などです.全くの山奥は別と して,斜面崩壊の発生には人為的な要因が多かれ少なかれ関係しています>と指摘されています。

 

私が指摘した切り捨て間伐の樹木についても取り上げていますね。しかし、今回私が指摘した枝打ち・間伐をしていない樹木の問題は取り上げていません。この情報は、林業自体の影響について特に検討することを主題としていないためと、基礎的な知識の提供と言うことから、オミットしたのではないかと思っています。

 

たしかに、今回の被害拡大は、むろん異常な桁違いの集中豪雨が主たる要因であることは確かですが、二次的に被害拡大をもたらし要因の一つに、流木があったと思うのです。

 

一般に、林業分野でも治山事業が行われて、以前ほどではないですが公的財源が相当額投じられてきました。ただ、その治山事業の内容は、林野庁の<治山事業の事業体系>を見ても、具体的なイメージをつかむのは容易ではないですが、たとえば岡山県の<平成 29 年度治山事業の事業区分と内容>という一覧を見ると、その右端の欄に工事種類が記載されているとおり、まさにダム(堰)や土留め工といった一種の土木工事です。

 

むろんこういった治山工事を行うこと自体は、必要性が高いと思います。ただ、国家政策で始めた拡大造林制度で全国各地の山がスギ・ヒノキ・カラマツなどの針葉樹にした後のアフタケアが適切になされないでいるため、これらの木が伐期を迎えながら、上記述べたような斜面崩壊に脆弱な状態にあると思います。

 

そういった危険性を除去することも、また広い意味での治山機能を強化する、あるいは脆弱さを緩和することになると思うのです。現在の治山事業としての土木事業には問題も少なくないと思っています。それだけに重点を置くのではなく、枝打ち・間伐・そして搬出といった作業について、治山的機能を評価して、より国家予算を投じることに意味があると思うのですが、どうでしょうか。

 

今回の被害拡大が流木による部分を経済的評価した場合、流木の流出を防ぐ事業に費用を投じることで、その分被害減少することができるといった、かなり難しい判断ではありますが、そんなことが考えられないか、少し頭を痛めています。

 

昨日の付録です。またいつか続きを書いてみたいと思います。

もう一つの話題を取り上げようかと思いましたが、今日も結構忙しく過ごしてしまい、ちょっともう一つ書き上げる元気がなくなりました。今日はこれでおしまいです。



流木の危険と由来 <九州豪雨 被害拡大、死亡7人に・・>などを見聞きして

2017-07-07 | 災害と事前・事後

170707 流木の危険と由来 <九州豪雨 被害拡大、死亡7人に・・>などを見聞きして

 

今朝も日の出前に目覚め、とはいえ読書するほどの元気もなく、音楽を聴きながらうつらうつらして、5時半頃にようやく起き出しました。九州の豪雨被害はどうなっただろうと思いつつ、当地は穏やかな朝を迎えています。

 

横になっていてずっと鳴いている声がヒヨドリらしいのですが、どうも普段と違う、でもほんと目の前にいるような感じで長く鳴いているのです。それで窓の外を見ると、庭のフェンスの上にとまって、幼鳥がしきりに鳴いているのです。そこから少し離れたところに成鳥の親鳥らしいのが心配そうに見つめながら、下の方に滑空したりして、忙しく動いています。餌をねだっているのか、よくわからないうちに、2羽ともどこかに行ってしまいました。

 

どんよりした曇り空ですが、風もほとんどなく、お湿り程度の雨もなく、ほんとにのどかな朝です。北九州の人たちは、生きた心地しない状況だったと思いますし、避難所にようやくたどり着いても不安でしょうね。といって、原発被災者や東日本大震災の被災者の人に比べれば楽というのもなんですが、そういう心持ちも大事かなと思うのは不謹慎でしょうか。私は厳しい状況になったとき、いつも思うのはもっと苦しんでいる人がいるというのが、支えになることが少なくないのです。そういう私のいる場所、いやどこでも災害は起こっておかしくないのですから、常に心しておく必要を改めて感じます。

 

今日のブログの話題を何にしようかと考え出したのが、もう6時半をとっくにまわっていました。2つの打合せと、法務局での登記官との協議、それにこれらの記録整理をしていたら、いつの間にか時間が過ぎているのです。長く仕事を休んでいたせいもあるのかもしれませんが、タイピングも少しずつスピードアップしているのですが、昔の感覚にはほど遠い感じです。ま、頭も老化現象があらわれているのでしょうかね。

 

そんな余分なことばかり書いていると、ご老人の特徴と言われそうです。本題に移ります。

 

毎日朝刊では<九州豪雨被害拡大、死亡7人に 北九州市5万人避難指示>といったような記事が掲載されています。これを取り上げたのは内容と言うより写真です。<多くの流木で家屋などが被害を受けた>様子を撮影しているのです。

 

そしてTVのニュースでも、流木が、それも長大の流木が膨大な量でうずたかく堆積している様子が映っています。で、たしか気象専門家の話だったと思いますが、これだけ長い流木の丸太が大量に流されるというのは、それだけ洪水量が桁違いだったからだといった趣旨の発言だったと思います。

 

それはこういった流木が大量の水で川に流されると、橋をふさぎ、途端に人工のダムができあがるわけですから、小さな河川だといっぺんに堤防を越えて周辺に大量の水が流れ込むことになるでしょう。また、橋の構造が簡易であれば破壊されてしまうでしょう。護岸も巨大流木が流圧を受けて衝突すれば、ひとたまりもないかもしれません。

 

流木はきわめて危険な破壊物質になり得るわけです。むろんそれには大量の降水量が流木に破壊力を与えているといっていいと思うのです。

 

ところで、なぜ流木がそんなに多いのか、不思議に思いませんでしたか。朝倉市が被害に遭っていると言うことだけだと、ぴんとこなかったのです。朝倉市といえば三連水車など、筑後川近くの平坦な平野のイメージでした(不正確ですが)。その後のニュースを見ていると日田市が被害を受けていることがわかりました。筑後川の上流部支流に位置するのが日田市で、林業の盛んなまちとして有名ですね。日田林業の歴史を見ると、民有林が95%を占めており、民有林比率の多い西日本でも傑出している印象です。

 

それはともかく林業が盛んなことと、流木が多いことは関係するかですね。いや、そもそも氾濫の原因となったり、家屋やインフラ破壊の原因となっている流木はいったいどこからどのようにして流れてきたのでしょうか。これはいま災害救助が一番なので、今後の調査にまたないといけないと思いますが、それが気になっています。

 

なかには山体崩壊といった状況で、スギ林でしょうから、斜面地と一体になって川に押し流された木も大量に見られるニュース放映もありましたから、立木が流木になったのもあるでしょう。これらは根ごと流されていますので、流木の形状を見ればすぐわかります。

 

しかし、いままで見た写真やTVニュースでは、それほど目立つものではありませんでした。むしろ造材というか、一旦伐採した後、一定の長さでカットされたものが大半のように見えました。ただ、気象専門家が指摘したように、長い丸太が結構多くあったように思えます。気象専門家は流されるほどの水量に注目していましたが、私はその長さにむしろ注意がいきました。

 

おそらく10m以上はある長さです。こういった長さで市場向けに造材(切断)することは普通ないわけです。だいたいは、34mくらいが多いと思います。むろん最近は加工用に超尺を必要とする方式もあるでしょうが、日田がそういった生産地かはいまよくわかっていません。

 

流木がほとんど枝葉もなく、皮もむけています。皮は氾濫流に流される中で削られる可能性が高いと思いますが、枝葉がないというか、きれいに切られている状態からすると、そこには人の手が入っているとみたほうがいいのかと思います。

 

すると、長尺の丸太として流木になっているのは、伐採現場の土場で置いておいたものとか、市場で競りにかけるために積載されていたものとか、ではないと、今のところ見ています。

 

ではどこにあったのか。それは山に切り捨て間伐で放置された大量のスギ・ヒノキである可能性をいま疑っています。民主党政権時代に始まった林業再生プランで搬出間伐(補助)事業が増大していますが、それまでは市況が悪化する中で、市場までもっていくと採算が合わないため、間伐のために伐採するけど、その山の中に捨てておくものです。これが全国各地に大量に残っていますし、現在も行われています。

 

それが治山の観点からは、とてもリスクが高いと思っていました。むろん切り捨て間伐でも簡単に木が下に転げないように、伐採後の置き方を工夫していますが、粗雑に扱うところ、人もいて、必ずしも適切になされてばかりいません。むろんこの流木の由来がこういった切り捨て間伐の木が主体だとは断定できませんし、これからの調査(すると思うのですが)に期待したいところです。

 

そろそろ一時間です。ま、今日は注意喚起の一つとして取り上げました。これでおしまいです。


高層ビルの危険 <ロンドン火災「釜山、上海と似る」>などを読んで

2017-06-21 | 災害と事前・事後

170621 高層ビルの危険 <ロンドン火災「釜山、上海と似る」>などを読んで

 

今朝は久しぶりの雨。とはいえ小糠雨程度でした。予想ではかなりの降雨量が各地で発生するような予報でしたが、当地はほんのおしめり程度でした。これでは田んぼや畑をもつ農家にはとても恵みの雨とはいえないでしょうね。

 

わが家から見る近景はスギ・ヒノキ林、中景は谷底に広がる柿畑と棚田状のわずかな田んぼ、そして谷から上る丘陵部には低層の住宅地、その手前は白壁の蔵のある瓦屋根の家が点在しています。そして遠景は高野の山々から西方に和歌山市近くまで延びる低山が連なっています。

 

なによりいいのが、高層ビルがないことでしょうか。当地にも数えるほどですが10階建て程度のビルないしマンショが数えることができるくらい、ほんのわずかにあるくらいです。この紀ノ川南岸になるとそういった高層建築物もなく、まさに農業振興地域らしい風景となります。そこになにか住宅地・商業地・農村としても、安らぎを感じるのは私だけではないのではと思うのです。

 

消防署も小さいのが市役所そばにありますが、高台に多少大きめのがあり、それ以外に地域によっては地元で消防団が作れ、消火活動の補助的役割を担っているようです。時折消防車のサイレンが鳴りますが、大過なくきているように思えます。いわゆる木造密集地域がありますが、それぞれの長年の注意で、大きな火災にはなっていないようです。

 

さて今日は、もう6時をすぎてしまいましたが、報道ニュースを見ても、加計学園問題や豊洲市場問題などがいつものように賑わっていて、ちょっと食指が動かず、何日か前の日経アーキテクチャの記事を思い出し、見出しのテーマで書いてみようかと思います。

 

この<ロンドン火災「釜山、上海と似る」>の記事では、<英国のロンドン西部に立つ高層公営住宅で614日午前1時ごろ(日本時間14日午前9時ごろ)に大規模火災が発生した。24階建て(120戸)の「グレンフェル・タワー」は最上階まで炎に包まれた。>とされています。

 

私もTVでほんのちょっと垣間見ただけですが、すごい火炎でまるだタワーインフェルノの映画を見ているようなかんじになりました(中身は覚えていませんが)。わが国でもこの種の外観がすっきりした形の高層ビルが増えてきましたね。いやこのレベルではなく、2000年代ころからはこの2倍近い超高層ビルが林立するようになったと思うのです。

 

私自身は、若い頃は高いところが好きでしたので、高層マンショにも住んでみたい気持ちもありましたが、せいぜい10回程度のマンションに住んだくらいでした。90年代中葉以降は戸建て住宅しか住んだことがないのは、そういった高層マンションに興味がなくなったというよりは、その周辺に与える影響を考えると、戸建て住宅を選択することになったのかなと思うのです。

 

最初の感覚は、カナダ・バンクーバーで、当時、香港が中国に返還されるということで、多くの香港人・資本が海外に移民したのではないかと思います。その中でも、バンクーバーは割合、移民受け入れも寛容で、住みやすかったのではないかと思うのです。で、私がバンクーバーを訪れたのが94年でしたが、そのころ、建築ラッシュで、外装がガラス張りのような高層ビルが軒並みに建っていました。たしかに外観はきれいに見えるともいえますが、私自身は興味がそがれてしまいました。むろんバンクーバーはたしか5つくらいの市が大バンクーバー都市圏を作っていて、インフラなどを共同化していた記憶で、郊外はすてきな住宅街が広がってはいましたね。

 

私の友人の教授はカルガリーに住んでいましたが、バンクーバーは以前の面影がなくなり、地価も高くなる一方だし、あまり住みたいとは思わないといって、私と同じ思いを抱いていました。

 

で、余談を挟んでしまいましたが、本論のロンドンの高層ビル火災の原因についてはまだ事実関係が明らかになっておらず、ここでは建築専門家のいくつかの推論を踏まえて、考えてみたいと思います。

 

まず、防耐火技術に詳しい早稲田大学創造理工学部建築学科の長谷見雄二教授は、いくつかの推論を示しています。

 

長谷氏は過去に起こった<201010月に韓国の釜山で起こった高層ビル火災(38階建て高層雑居ビルの4階から出火、外壁沿いに上層まで延焼した)や、中国の上海で1011月に発生した超高層住宅の全焼火災(28階建て高層住宅の火災で58人が死亡、関連記事はこちら)と基本的に構図は同じだ。>というのです。

 

何がかというと、<「基準整備の立ち遅れ」や「工事現場の安全管理のずさんさ」という要因>です。それは<欧州ではきちんとした実験的検証をせずに、計算づくで基準をつくってしまう傾向>であるとか、<「施工の問題」や「複数部材の接合部などをどう扱うか」というような点を軽視し過ぎている>とかの問題です。

 

より具体的な指摘があります。<「断熱のある外装(外断熱工法)の防火基準は、火災対策からみた場合にあいまいな点>があり、それは<外装に火炎が侵入しないようにする処置の仕方だ。断熱材や空隙のある外装を建物躯体の外壁に施工する場合、火災で火炎が窓から出てくると、外装・躯体間に火炎が侵入して煙突のように火炎が広がり大問題になる。火炎が侵入しないようにする必要があるが、その処置が明確ではない。>

 

たしかに外装部から炎上が広がっているようにも見えます。しかも<隙間ができないようにしたり、火災で加熱されたときの変形が生じないようにする方法が、どんな外壁や窓枠でもうまくいくようにするのは、容易ではないのではないか。>と施工方法の困難さを指摘しています。

 

長々と引用しましたが、現在わが国も外観がきれいな高層ビルがどんどんできあがっています。そして従来、マンションなどでは内断熱が中心だったと思うのですが、外断熱の有効性が強調されるようになり、欧米の外断熱方式が採用される場合も増えてきたのではないかと思うのです。その場合に、上記のような指摘がわが国の高層ビルにも妥当する可能性も感じてしまいます。

 

もう一つの記事<ロンドン火災、外観形状も延焼の速さに影響か>は、現在は火災原因の鑑定業務などを手掛けるベルアソシエイツ(東京都大田区)の鈴木弘昭社長の見解です。それは形状の点でも、住居系ビルの場合はベランダが多いわが国ですが、事務所系だとまさにこの推論が妥当しますね。

 

<火災現場となった高層マンションは外観はほぼ角柱状で、外側にバルコニーなどの突起物らしきものが見られない。こうした建築物で火災が発生した場合、建物外側に生じた炎は外壁に沿う形で上階に昇っていく。その際、バルコニーなどの突起物があれば、上昇する炎にとって障害となる。炎は建物の外側に巻くような形で伸び、上階の開口部からはやや離れることになる。>というのです。

 

<建物の外側に障害となる突起物がなければ、炎は外壁に沿う形で上に伸び、上階の開口部に直接接することになる。開口部に耐火ガラスなどを用いて炎の室内への侵入をある程度防いだとしても、輻射熱で室内のカーテンなどが発火するケースは少なくない。そうして上階の室内にも延焼が広がり、火の勢いはさらに増す。>

 

あのバルコニーの突起が外壁部からの炎上が上昇延焼するのを妨げる役割を果たすなんて、想像もしませんでしたが、滑らかな外壁線が容易に炎を上昇させるのを加速させるというのはなんとなくわかります。私の野焼きの経験からは、炎は基本的に上昇しますね。ただ燃焼物質がなければ炎自体は途中で空中で小さい火花となって飛び散る程度で終わります。でも燃焼する物質とかがあればどこまでも上っていきますね。

 

私はシュロの木で体験しました。偶然、近くあった高さ78mのシュロの木の根本付近に野焼きの火の粉が飛んでいき、あっと思った瞬間、木のてっぺんまで燃え広がりました。シュロの表皮は燃えやすいので黒焦げになりました。中身は燃えていませんでしたが。外壁部も外断熱方式で、一旦、一定の高熱になると、燃焼物質として最上階まで広がることを容易にするのかもしれません。

 

この点、<複数の報道によると、このマンションは外断熱方式だったという。外装材の継ぎ目と見られるラインで、炎が内側から外側に出るように上がっていた点は、そうした情報と合致する。>継ぎ目の問題という指摘でしょうか。

 

またこういう指摘もしています。<外装材自体は燃えなくても、熱によって断熱材が溶けてガスが発生し、パネルの継ぎ目から放出。それに火が付いて延焼範囲を急速に拡げたというメカニズムだったのではないかとみている。>

 

外観のよさはあっても、防火対策が的確にできていないと、高層ビルは、危険な建築物の象徴になるかもしれません。わが国の高層マンションについても言及がされてもよいかと思うのですが、いまのところそのような議論は見当たりません。

 

もう一時間を超えてしまいました。今日はこの辺で終わりとします。


洪水への備え <国交省 「洪水迫る」警告マップ浸水予想表示・・>を読んで

2017-05-22 | 災害と事前・事後

170522 洪水への備え <国交省 「洪水迫る」警告マップ浸水予想表示・・>を読んで

 

今朝は丑三つ時に目が覚めてしまいました。これは老人病の兆候かしらなんて思いもうっすら浮かびますが、くだらない考えが頭を駆け巡っているといつの間にか再び眠りについたようです。それでも目覚めが5時前で、少し早すぎと思いつつ、それなり体は元気そうなので、30分もしないうちに起きだしてしまいました。真夜中に鳥たちも元気なのがいるなと思いながらも、フクロウの声が聞こえてきません。昔京都に少し住んでいた頃、夜中に東山を歩いていると、よく聞こえてきました。フクロウの鳴き声はとても余韻があり、いいのですが、なかなかその後はそういう場面に遭遇しません。

 

さて今日も継続の仕事を簡単に終えて、本日のお題はなんて考えていると、もう5時になっています。最初は<女の気持ち 老前整理>という見出しに興味を抱き、方丈記の一節を頭に浮かべながら、我なりの整理状況を書いてみようかと頭をめぐらしていたのですが、ひょいと見出しの記事が目に入り、老後(死後処理)対策はもう少しのんびりやろうかと考え直し、こちらにすることにしました。

 

国交省「洪水迫る」警告マップ浸水予想表示 来年度にも>という記事からいろいろ連想ゲームのようなことになり、どのような内容になるかまだ見通しがついていませんが、とりあえず書き始めます。

 

最近の異常気象はこれまでの常識的な考えは通用しないように思うことがたびたびです。といいながら、これまでの「常識」的な時間雨量とか、連続累積雨量といった基準が、気象記録が残っているせいぜい100年か150年の間で起こったことをデータにしているに過ぎず、残念ながら地球の気候変動のダイナミズムには到底対応できませんね。

 

以前、いろいろな開発案件を取り上げて問題提起していましたが、その中でも洪水対策や土砂崩れ対策への不安が重要な要素の一つでした。というのは法的な安全基準が、政令等で決まっていて、時間雨量がたとえば60mmを前提にして(これは地域によって異なる)、集水域内の降雨量に対応できているかという設定で、公共下水道の本管や枝管まで十分受け入れるだけの排水管の敷設がなされているかといった数値基準で安全性がチェックされています。むろん十分余裕のある設計基準にしていますので、時間雨量が80mmなったら、あるいは100mmになったら直ちにあふれるということはあまりないと思いますが、降雨が継続していたり、保水力のない土地などだと、一気にあふれてしまいます。

 

現在の開発許可基準で、最近の時間雨量100mmを超えるような異常気象や、連続する大降雨量に対応できるかと言えば、相当不安な状況ではないかと思うのです。

 

これは造成地などの問題ですが、いまだ洪水や土砂崩れの予防が中心ではないかと思うのです。これに対し、河川の場合従前から水害訴訟で完全に洪水を防止できないということが行政も裁判所も明確に認めてきました。そして見出しの記事では、一定の氾濫を回避困難と受け止め、洪水発生を完全に食い止めるのではなく、その予防警報を早めに周知させ、回避させる現実策をようやくスタートさせたかと思った次第です。

 

それ自体は望ましい施策と思うのですが、いかんせん、現在整備整備されつつある情報自体、十分ではないように思うのです。たとえば<洪水マップ>がいつからでしょうか、少しずつ各地で整備されてきましたが、まだまだほんの一部の河川だけです。また、その洪水マップの精度もどの程度有効なものか、検証されてきたのでしょうか。さらにいえば、どの程度周知されているでしょうか。

 

以前fbで書いていたときに触れたように思いますが、ため池決壊によるハザードマップについて、住民説明会がありました。立派な図面ができあがっていて、それをコンサルト市役所の担当者が説明して、住民との間で意見交換が行われました。私が驚いたのは、その洪水マップは単純に地形図の標高を頼りに機械的にマップが描かれていたのです。たしかに標高は重要です。しかし、水の流れは地形の凹凸に影響しますし、狭い地域の中だと標高だけで水は高いところから低いところに流れるという公式が妥当しますが、広くなると、また人工施設などがあると、その流れが変化します。たとえば鉄道の高い法敷が下流方向に横断していると、単純な標高計算だけでシミュレーションすると大変な誤りが生じます。その意味ではAIの有効な活用が必要かもしれません。

 

と同時に、上記の予報は、一級や二級河川など主要河川について、まず行われることが予想されます。それ自体は結構なことだと思うのですが、現在の洪水マップでも、その主要河川に流入する無数の小河川は把握されていません。そして現在の異常気象はどこで局地的に発生するかまったく予想不能な状況です。しかも無数の小河川における地形データや集水量、そしてどのような氾濫状態となるか、ほとんど把握できていないのではないでしょうか。

 

こういった小河川からの流入水は、主要河川やその下流で氾濫のおそれが予想されたとき、樋門を閉じて、流入させないようにしていますが、そうなると、その流入できなくなった小河川の中で氾濫が生じ、場合によっては主要河川に溢水する危険も起こりえます。

 

自然は予想しがたいものです。それを少しでも過去のデータを踏まえて事前に危険予知して、周辺住民に回避行動をとらせることは重要な意義があると思います。それ自体はさらに徹底して、その洪水予想データの精度を現地に当てはめて合理性のあるものにしてもらいたいと思うのです。

 

ただ、そのような氾濫原の危険情報を事前に、それは土壌汚染情報のように、不動産取引の重要情報として開示する方向をもできるだけ早く検討してもらいたいと思うのです。

 

わが国の都市計画では「氾濫原」という用語が死語になったいるのではないかと思ったりします。たしかにほとんどの都市は氾濫原を埋め立てて発展してきたわけですから、いまさらそこは氾濫原だから危ないよなんて言うと、詐欺だとでも言われそうです。しかし、命の危機が生じる寸前に、危険情報を流すことも重要ですが、その土地を検討するとき、どのようなリスクがあるかを事前告知する必要性は極めて高いのではないでしょうか。

 

いや、わが国は災害列島であり、自然の災難は仕方がないと自覚している人ならば、それはいいでしょう。でも多くの人は取引情報を見て、過去の土地利用や災害の歴史なんかに関心を抱くことはあまりないでしょう。ハザードマップという言葉も、私自身90年代初め頃に知ったような気がしますが、いまだに多くの人の関心を呼ぶ対象になっていません。それは市民意識の問題かもしれませんが、行政の努力が最近までほとんど行われてこなかったこともあると思うのです。

 

今日は少し疲れたので、この辺で終わりにしますが、最後に一言あまり関係のない話題を取り上げます。

 

私が時折書いている大畑才蔵のことです。先日、ネットワークの総会が開かれ、2020年の没後300年を記念する事業を具体化すべく少しずつ進んでいます。その才蔵が手がけた事業の一つである、「小田井」の堰があります。これによって紀ノ川北岸を上流から下流まで大潅漑用水を開設し、水のない土地に大規模水田地帯として、吉宗藩主の紀州藩財政改善の一翼を担ったのです。

 

で、この小田井ですが、その手前(上流)の右岸も左岸も大きな氾濫原です。その氾濫原の下流に堰を設けると、下手をすると、さらに洪水が広がるのではと私はふと不安になりました。現在は堤防が出来、分譲地がたくさんありますが、当時は農耕地だったのでしょう。百姓にとって、冠水するとその年は不作になるわけで、相当不平不満が出てきたのではないかと思ってしまいます。そうだとすると、どうやってその不満を解消したのか、いや、なぜわざわざそんな場所に堰を設けたのか、そんな疑問が湧いてきたのです。

 

さらにこの小田井からの灌漑水は、小田井のある高野口町には一切恩恵がありません。ずっと下流の桛田荘(現在の笠田周辺)といわれた地域より下流域が受益地です。自分たちの農地を分けて(あるいは取られて)、なんの利益もないのに、彼らはよく協力したものだと、これまた不思議に思っているのです。紀州藩の絶対政権が一方的に取り上げたといった解釈は疑問です。才蔵は、この大規模事業を行う上で、いかに開削面積を少なくし、運ぶ土量を少なくし、費用対効果を効率的にするかを数値的に検討しています。そのような才蔵が百姓の気持ちを無視することは考えにくいのです。また、吉宗が少なくとも百姓に対して一方的な強制収容的な行為を行ったとは思えないのです。また、江戸時代の土地制度はそれほど単純ではなかったと思うのです。

 

中途半端ですが、この程度にして、もう少し小田井の地形的意味合いや紀ノ川の河川形状の歴史的変遷なども勉強してから、この件については後日触れてみたいと思うのです。

 

今日はこの辺で終わりにします。


埋もれた文化の助っ人たち <災害と文化財 77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>を読んで

2017-04-16 | 災害と事前・事後

170416 埋もれた文化の助っ人たち <災害と文化財 77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>を読んで

 

昨日は天候の乱れに油断しました。春うららかな日和と思って洗濯物を珍しく外の干しで出かけていました。夕立ほどではないですが、雲行きが怪しくなったと思ったら、突風が吹き、細かな雨が落ちてきました。案の定、無残に乾いていたはずの干し物がびっしょりでした。これも天運ですから、と昔の人の心意気で受け入れることで心も安らかになります。

 

今日はほんとに穏やかな一日のようで、もうNHK囲碁トーナメントも終わりのんびり状態です。趙治勲名誉名人が負け戦をまるで関ヶ原の薩摩軍のごとく堂々と四目半で終着。午前中は庭いじりをして、また花の苗を100近く買ってきては植えて、少しは花園?に近づいてきたとまでは思いませんが、気分転換にはちょうどいい作業です。

 

庭いじりしていて気づいたのですが、庭の背後の斜面は高さが7mはありそうで、勾配も70度以上に見えます。間知擁壁ではないかと思うのですが、首都圏の政令都市などで制定している、最近の宅地造成法などの擁壁構造基準だと、高さが5m以下で勾配が65度以下となっているかと思うので、地方だから、あるいは古い時代だから、OKだったのでしょうか。それはともかく、その擁壁底部には枯れ草が伸び放題です。咄嗟にこの擁壁を降りてみようかと考えるところが私らしいところです。

 

私はカヌーイストの端くれですので、川を見るとどうやってカヌーで下ろうかとか、つい思ってしまいますし、海に出ればあの島の周りシーカヤックでのんびり回ってみたいとも思うのです。そして沢登りストというのはないでしょうが、崖を見るとどうやって登ろうかと思うのと同時に、どうやって降りようかとも思うのです。

 

昔、40年以上前、ダム開発調査のお手伝いをするアルバイトをしたことがあり、これは大変な作業でしたが、とてもいい経験になりました(今はダム開発反対の立場で動いているのですから不思議なものです)。そのとき、だれが言い出したのか、消防士の経験者がいたのか、ある高さ5mないし10m(このあたりの記憶はありません)のコンクリート擁壁をロープで降りる練習をしようという話になり、私も参加して、そのときはできた記憶です。そのときのアドバイスは、壁に直角に脚を向け、体は脚と直角に曲げるということでした。

 

それで今はやりのウェブ情報を探ってみたのですが、海兵隊からフリークライミングまでいろいろな情報がありました。しかし、最近の登山道具を使ったもので、ロープだけを頼りにするものは見当たりませんでした。これはやるしかないと、枝打ちように使っているぶり縄のロープを用意して、この後か明日でも挑戦してみようかと思います。失敗したら大けがもありうるので、そうしたら、このブログもしばらくお休みになるかもしれません。とはいえ、私もそれなりに慎重なところもあり、年寄りの冷や水と言われないように、危ないと思ったら辞めます。途中で引き返せないので、要は降り出しの瞬間が判断の分かれ目です。この成否は明日?でも報告しましょう。

 

さて、ここまで書くのに一時間近くを要したようです。実は我孫子の女児殺害事件について、容疑者が保護会会長で児童たちを見回る前線にいた人ということから、安全のあり方、リスクへの対処について書いてみようかと悩んでいました。ただ、この件は当分の間報道されるでしょうから、別の機会に譲りたいと思います。

 

で、時にはいい話をと思い、毎日記者・稲生陽氏が和歌山版で、連載している途中ですが、見出しのテーマを取り上げたいと思います。

 

わが国は自然豊かな国土をもっているとつくづく思うと同時に、各地で災害が頻繁に起こることも外国で生活していた経験から痛感します。首都圏で暮らしていると、とくに軟弱地盤の上で暮らしていたこともあり、頻繁に地震の揺れが襲ってきて不安な思いをしていました。カナダで滞在していた頃は、寒さは厳しいものの、地震や津波といった災害の危険をまったくといってよいほど感じたことがありませんでした。

 

そして災害が起きると、障害のある人たち、病気を抱えた人たちは、その他変化に対応することが苦手な人たちは災害弱者とでも評されましょうか、一般の人以上に大変な思いをされるでしょう。それでも最近はようやくこういった災害弱者に対する対応が徐々に整備される方向に一歩前進といったところでしょうか。

 

これに反し、物言わぬ、というか自ら救済を求めることが出来ない物の場合(生物もそうですが、ここでは物に限定)、救済する意識を私たちが抱かないと、埋もれたままというか、災害まではなんとか長い風雪を耐えて存在し続けてきたのに、災害によって存在したことすら分からないまま、自然と一体となるというといいですが、現実には消滅してしまうことが少なくないのが現状ではないかと思うのです。

 

文化はいろいろな物に体現されています。古文書や仏像、生活道具などなど。それらが解読、解析されることにより豊かな文化の営みを知ることができ、私たちの心の豊かさを育んでくれることも少なくないでしょう。

 

ところが、その豊かな価値に気づかなかったり、信仰の対象とか自分の物だからとかの理由で特定の人や団体だけの世界の中にあると、災害時救済されないおそれがあります。

 

毎日記事<研究者らがレスキュー 歴史の痕跡、後世に>によると、このような文化的危機の状況にいち早く気づき、文化財保全に立ち上がったのが<藤本清二郎・和歌山大名誉教授(76)=近世史=>です。藤本氏は、2011年9月の紀伊半島豪雨災害のとき、<発生5日後の同月9日、自ら呼び掛けて、博物館の学芸員や大学教員、歴史ファン、一般市民らとボランティア団体「歴史資料保全ネット・わかやま」を設立し、「文化財レスキュー」に着手した。>そうです。

 

「文化財レスキュー」というネーミングは、なかなかいい感じですが、文化財のみを対象としているわけではないそうです。文化財に指定されていれば、行政的には一定の対応が可能でしょうし、保全措置も予防的に行われてきたと思います。むしろ文化財に指定されていない多くの個人や地域の歴史・生活・文化を刻んでいる物こそ、埋もれた遺産ではないでしょうか。それらをも対象とするレスキューだからこそ、余計大変ですし、事前対策が必要となるでしょう。

 

藤本氏は、<「文化財は人間が生きた痕跡だ。可能な限り残していくことが文化の豊かさを生む」>と語っています。誠にその通りだと思うのです。

 

連載2段目<散逸する「地域の宝」 生活道具、混乱で誤廃棄>で指摘されている<「古文書は古くて汚いから燃やしたなどというケースが多い」。>というのも分かります。まだ蔵の中にねむっているときはともかく、災害で泥にまみれたり、かび臭くなったりしたら、それだけで要らない物になってしまうでしょう。

 

私自身、生兵法で古文書を少しずつ読んでいますが、とても大変です。たいした内容ではないですが、江戸期の譲渡書などであることが分かると、歴史教科書の見方が生々しく変わってきます。田畑永代売買禁止令をもって江戸幕府による土地譲渡禁止を金科玉条のごとくとらえて、所有権を完全に否定し、他方で、明治政府による西欧文化導入を通じて、地租改正によって地主の所有権を認めたとか、明治民法によって近代所有権が確立したとか、といった見方の一面性を感じることが出来ます。土地の譲渡書は、江戸時代を通じて相当流布していたと思うのです。それを地方の百姓たちが普通に取り交わしていたことが鮮明に映し出されるのです。

 

さて話を戻します。<紀伊半島豪雨の際、泥水につかった文書を保全・補修する「文化財レスキュー」に中心的に関わった県立文書館の藤(とう)隆宏・文書専門員(43)>さんの言葉も重要です。<古文書は行政の文化財指定を受けていないものが大半で、災害時にはさらなる散逸が懸念される。藤さんは「行政の目が届きにくい未指定の文化財をどう守るかが文化保護の大きな課題となる」と対応の必要性を訴えている。>

 

見出しの毎日記事<77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>では、上記の「歴史資料保全ネット・わかやま」とは別個の組織として、<「博物館や美術館は災害に遭った場合、早めに所蔵品の救助を要請して『助けられ上手』になろう。日ごろから連絡を取り合い、危機感が薄れないように努めてほしい」 >との考えで、<県内の博物館、図書館、歴史民俗資料館、各市町村教委などが参加する「和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議」(和博連)が<文化財の災害対策に協力して取り組もうと2015年2月に発足した。県内の77施設・組織が加盟するネットワークで、伊東史朗・県立博物館長が会長を務めている。>

 

<「東日本大震災や紀伊半島豪雨の際、文化財レスキューで問題になったのは、どんな品がどこにあるのかすら分からないことだった。情報を共有し、助け合える関係作りが急務だった」>

 

<和博連は発足翌年の16年2月、収蔵品のある59施設に対し、各収蔵品の品目や数量などをまとめたリストを作って事務局の県教委文化遺産課に提出するよう求めた。

 しかし、これまでに提出があったのは、「該当品なし」とした施設も含めて19にとどまる。未提出の40施設は主に小規模館といい、このうちの一つで県中部にある施設の担当者は取材に「専門知識のある職員がおらず、どこまでがリスト化の対象か分からない」と話す。>と、予防的措置には、人的物的に十分でない状況が分かります。

 

私も当地で「大畑才蔵ネットワーク和歌山」の一員として活動を始めていますが、才蔵に係わる資料を含め、橋本市郷土資料館には多くの文化遺産ともいうべき物があります。この才蔵ネットワークもなんらかの協力ができるよう働きかけをしてみたいと思います。