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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

地盤リスク <NHK 「大地震 あなたの家はどうなる?・・>を見て

2017-04-10 | 災害と事前・事後

170410 地盤リスク <NHK 「大地震 あなたの家はどうなる?・・>を見て

 

今朝もどんよりした夜明け前。ただ、霧が晴れてまだ日が昇っていないけど、高野の山々が再び美しい稜線をさらしてくれます。空海さんは、どこからこの広大な紀州半島の山の中に、高野の平かな場所を見いだし、そこに聳える八峰の山々に気づいたのでしょうか。いつも木に掛かる一つです。私は天野の明神さんが犬を使って導いたなんてことを信じるタイプではないのです。空海さんは、役行者の後を追って、金剛山系を、あるいは和泉山系を、そして吉野・大峰山系を渉猟する中で、遠くに連座する高野になにかを感じたのかもしれないと、思ったりしています。むろん水銀など高価な鉱物が産出する場所と言ったこともありえたかもしれませんが、まだまだ謎解きには時間がかかりそうです。

 

さて、今日もいつの間にか、8時に近づき、最近、業務時間の6時に終わったためしがない状況に唖然とします。長く毎日が日曜と感じつつ、農作業や林業もどきにうつつをぬかしたり、月20冊以上の読書三昧を続けていたのが、いつの間にかブログを書く余裕もなくなりつつあります。

 

仕事が忙しく収入が増えるというのであれば、それなりにうれしいですが、なにか作業に追われて、一向に余裕が生まれない状況で、収入の方はどうも相変わらず縁がなさそうです。

 

とはいえ指の具合も少しずつ回復基調にあるので、もう少ししたら、字数を増やしてみようかと思いますが、書き始めの段階で疲れ切っているため、一時間程度で今日もまとめたいと思っています。

 

さて本題ですが、「地盤リスク」、最近よく話題になります。私自身は20年位前から長くこの問題に関わってきて、素人ながら、地質専門家、地盤工学専門家などからいろいろ教えを受けながら、各地の開発案件に係わってきました。

 

それであるとき、地盤工学会のメンバーと一緒に研究する機会に誘われ、合宿などを繰り返した後、「役立つ 地盤リスクの知識」の出版まで共同作業をしたことがあります。実際の作業は東日本大震災の前におおむね終わっていたと思います。震災直後にメンバーの中には現地というか各地を調査に入って、リアルな映像を見ることが出来たとともに、こうやって現場で地道に作業している人がいるから被害の実像が専門的な視点で見ることが出来るんだと感じた次第です。

 

また余談が長くなりましたが、NHKドキュメンタリーが昨夜、見出しのテーマで放映されました。

 

私なりに建築の危うさ、地盤の危うさを、これまでさまざまな事例で検討してきましたが、この番組で放映された内容には目から鱗・・の内容がいくつかありました。

 

いくら昭和56年度以降に建築された建築物は、耐震基準に適合しているからといって、地震に対して安全とはいえないことは、ちょっと地盤のことを知っていれば理解できます。地盤調査がいい加減だと、たとえば液状化現象が生じた場合に耐震基準適合は意味をなさないでしょう。柱状図では軟弱地盤でないとされていても、ボーリングコアを見ないとその柱状図が適切に実際の地質を反映していない、偽装されたものだと、意味をなさないことになります。

 

そういえば、森友学園の土壌汚染の例で、柱状図だけでなく、ボーリングコア自体が開示されたのでしょうかね。それを見れば、少なくともボーリング箇所(多くは当該開発地で3箇所か4箇所しかやっていません)の地質状況は分かるはずですね。

 

それはともかく本題に入らないといけないですね。番組では、粘土質の土層は一般に軟弱ですが、その層の深さ、厚さによって、地震の揺れの影響が違うということが実験の結果分かったということです。いや、実際は、熊本地震で、従来、安全と言われていた地域で大変な揺れが発生し全壊した家が集中する箇所があったことと、その余震調査が行われ、その地震による揺れの特徴が分かったという希有な発見となったようです。

 

粘土層が厚ければ厚いほど、軟弱なのだから、揺れが酷くなると思うのは自然ではないかと思います。ところが、実験結果では、深さ20m5m10mを比較すると、その順番で揺れがひどくなるのです。興味深い深さ10mの振動幅の巨大化のメカニズムはよく分かりませんが、実験結果とおそらく熊本の被害地の状況が適合するのでしょう。

 

そしてハザードマップが最近普及しつつありますが、この作成自体は望ましいですが、旧来の知見に基づいて作成している結果、実態に合わない状況が現れています。熊本の事例では、川に近いところはたいていは氾濫原で軟弱地盤が多いことが一般に言われてきました。それでハザードマップも川沿いを地震の揺れが大きい危険箇所としています。しかし、実際に揺れが大きかったのは川沿いではなく、そこから離れた場所でした。

 

従来、地質調査はボーリング調査が基本で、費用もかかり周辺への影響もあり、開発現場はともかく一般的な調査としては使えないかと思います。そのため上記のような地形的特徴とか簡易な診断基準で揺れの大きい地域を推測していたのではないかと思うのです。

 

ところが、最近の振動調査では、器具の名前を確認できませんでしたが、振動計のようなものを地盤上に置いてその下の地層がもつ揺れの程度を診断することが出来るようです。もしこのような器具を広範囲の調査で利用できれば、より地盤のリスクを事前に予測できることになるでしょう。

 

当然、それは地価にも影響することになりますが、希望通りの家を新築して快適な生活を送ろうとしても、最も肝心な地盤が揺れにもろいところだと、砂上の楼閣になりかねないのですから、それこそこのような調査結果を宅地建物取引における重要事項説明事項として必須のものにしていくことも検討されるべきではないかと思うのです。

 

熊本地震で自宅の全壊状況を目の前にして、いかに悲しさと喪失感で放心状態になってしまうか、誰もが共感するでしょう。でもそれは私たちが住んでいる家、周辺の家も、自信をもって安全といえる人はそう多くないとおもいます。

 

ようやくはじまったハザードマップが不完全な物であるかは、私自身、洪水被害に係わるマップのいい加減さについて手直しを求めたことを以前ブログで書いた記憶がありますが、地震の揺れに係わるハザードマップも同じです。私たち一人一人が、自らの体験や知見を基に、それを鵜呑みにするのではなく、しっかり批判的に見ていく必要があると思うのです。

 

これで一時間ちょっと過ぎたようです。今日はこれでおしまいです。


災害時の福祉とは <福祉避難所 102市区調査 専門員、配置困難7割>を読んで

2017-03-15 | 災害と事前・事後

170315 災害時の福祉とは <福祉避難所 102市区調査 専門員、配置困難7割>を読んで

 

高野山の方から黒々とした雲が伸びてきてこれは雨雲だと思いきや、紀ノ川当たりから和泉山脈にかけて薄青色の空が広がっていて、どちらの勢力が強いのかしらと思いながら、夕方になっても雨模様にもならなかったので、どうやら後者に軍配があったようです。

 

そして今日も打合せなどで時間がとられ、いつの間にか夕方になっています。もう一件、相談を予定しているので、はたしてブログを書ける余裕があるかしらと思いつつ、隙間をぬって、見出しの記事に関連する内閣府のガイドラインを読んで、少しは書けるかもと思いつつ、タイピングを始めています。

 

さて見出しの記事、「福祉避難所」の整備・運営などに課題がある状況を取り上げています。東日本大震災の際、とくに福島第一原発事故付近の病院や特養施設など、支援を特に必要とする人たちが取り残されていたことが話題になったことを思い出します。というか災害があると、多くのいわば自力で避難できないような災害弱者といわれる人たちが取り残される危険性が高いことはだれでも容易に分かります。

 

他方で、福祉施設や病院に入所している人については施設職員がそれでもできるだけの対応をしてくれるでしょうが、自宅で療養していたり、障害や病気を持ちながら施設や病院の空きをまつために待機している人、その他幼児や妊婦、高齢者・認知症の人など大勢は、必ずしも支援の手がとどく対象に入っているとは限りません。おそらく漏れている人が多数ではないかと思うのです。

 

その意味で、毎日記事が取り上げた福祉避難所および関連する情報の調査結果は、災害時の福祉的配慮がほとんど対応できていないのではないかと感じるモノです。

 

ところで、内閣府は平成28年4月、「福祉避難所の確保・運営ガイドライン」について、ほぼ同じタイトルの平成20年6月のものを改定・修正して発表しています。東日本大震災の教訓を考慮して作成されたとしています。

 

この新ガイドラインにも福祉避難所の定義が書かれていますので、引用します。

 

「主として高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者(以下この号において「要配慮者」という。)を滞在させることが想定されるものにあつては、要配慮者の円滑な利用の確保、要配慮者が相談し、又は助言その他の支援を受けることができる体制の整備その他の要配慮者の良好な生活環境の確保に資する事項について内閣府令で定める基準に適合するものであること。」(災害対策基本法施行令第20条の6第5号)

 

対象となる要配慮者のうち、「その他の特に配慮を要する者」については次のようにガイドラインで記載されています。

 

妊産婦、傷病者、内部障害者、難病患者等が想定される。

 

福祉避難所で受け入れる対象者の範囲が相当広いことがうかがえます。いずれにしてもそれぞれ災害時に自力で避難することが容易でない人たちであることは理解できます。一般の避難所ではさまざまな支障があり、そこで滞在することに困難となることも想定できるので、このように対象を広げることにとくに異論はありません。

 

問題は、毎日記事が見出し記事以外でも、取り上げているように、この福祉避難所の指定を含む体勢がほとんど進んでいない状況です。

 

たとえば、ウェブサイトで各地の情報をとろうとしたら、なんと改定前の平成20年版をどうどうと掲載しているものばかりがでてきました。内閣府の周知徹底がどの程度のものかこれでもわかります。

 

むろんガイドラインを新基準に合わせて策定することで足りるわけではありません。しかしそれすらできていないということは、実際の福祉避難所の整備や専門家の配置、多様な期間との情報共有、訓練といった基本的な作業も行われていない可能性が大であることも見えてきます。

 

毎日記事が指摘している福祉避難所の指定が進んでいないことも問題ですが、専門家の配置は当然それ以上に進んでいないことも問題です。元々ガイドラインの基準が要配慮者10人に1人の割合ということ自体、ナンセンスとはいいませんが、多様な種類の要配慮者の特性に応じたものでないのですから、この基準に適合する専門家の配置があっても、災害時に福祉避難所が有効に働くと考えることはできません。

 

障害者といっても知的障害の程度や特質によって、それぞれ専門的対応が異なります。身体障害の種類や程度でも同様です。これを一派一絡げで扱うような基準でいいとは思っていないと誰もが考えるでしょう。おそらくガイドライン作成にあたっても、その点は理解しつつ、災害時に各種専門家を個々に集合させることは現実的でないことを考慮したのかもしれません。むろん最悪の事態を考えれば、そうでしょう。しかし、災害と言ってもいろいろなレベルがあるわけで、この最低基準さえ満たさない状況を改善することはもちろんのこと、ガイドラインで取り上げられている多様な専門家が相当数確保できるよう事前に検討し準備することこそ大事ではないでしょうか。

 

また、要配慮者の台帳を整備することも一つの措置のようですが、災害発生前に、できるだけ要配慮者の氏名・住所・年齢・特徴といったことだけでなく、その配慮事項を、たとえばチェックシートなどで申告してもらい、台帳として整備しておくことも検討してよいのではと思うのです。

 

そして誰が誰かがわからないのが災害時の混乱状況でしょうから、要配慮者にはできるだけマイナンバーかそれに代わる個人識別カードのようなものを携帯してもらうことも混乱回避の一つではないかと思うのです。

 

災害時の有効手法とされる、トリアージは、この福祉避難所や一般の避難所において、要配慮者向けに簡便な基準で代替することも大事でしょう。

 

問題はそのほかたくさんあると思いますが、自宅にいたり、外出中の要配慮者が福祉避難所にきちんと避難できる手法が検討されていないと、福祉避難所ができても、専門家がはいちされいても、意味がありません。まずは福祉避難所までのルートや運搬手段を確保することが大事でしょう。といっても当該ルートのどこかで災害があれば、途端に行き着くことができなくなるでしょう。その意味で、福祉避難所やルートをできるだけ事前に周知徹底するとともに、災害時に支障がないかの情報提供も随時行われないと意味がないでしょう。

 

と個人的な思いを書き連ね、折角のガイドラインの内容の紹介もしないでここまできました。もう帰る時間となり、またいつか(これが多いのですが)ガイドラインの内容を踏まえて議論してみたいと思います。


災害を思う <東日本大震災6年・復興の検証 防潮堤>を考える

2017-02-24 | 災害と事前・事後

170224 災害を思う <東日本大震災6年・復興の検証 防潮堤>を考える

 

今日もほどよい暖かさを感じる朝でした。夜明け前に起きて着替えるときも肌寒さで緊張するという感じがなく、ゆったりと動作をすることができます。隣の梅林も満開状態で、初春を感じさせてくれます。最近は周辺を我が物顔にしているモズだけがあちこちと飛び回っています。滅多につがいも現れず、ほとんど孤高をいくという感じで、他の野鳥とは違う、外観のどう猛さが振る舞いにも現れているようにも感じます。

 

今日は午前中、一件、自己破産申立の一件書類を仕上げて、午後からはさっと法務局で調査して、ブログをゆっくり書こうかなと思っていたら、とんでもハプニングで、夕方近くまで法務局調査に時間がかかってしまいました。というのは少し古い時期の地目変更登記申請書類の閲覧だったのですが、まず利害関係の証明に少し手間取り、その後記録をさがすのに大変な時間がかかったのです。どうやら倉庫に置いてある膨大な記録の中に、あまりきちんと整理されていなかったのか、あるいはこういった申請が少ないのか、驚いてしまいました。

で、私の調査は、いたって簡単で、単に当該申請書類をカメラで撮影するだけですので、5分もあれば仕事完了です。

 

東京にいる頃、ときおり東京法務局に調査に行き、こういった調査を閲覧室でやっていましたが、ここでは大勢のいろいろな人がかなり広い閲覧室がいつも一杯になるほど、繁盛?していました。当地ではどこの法務局の閲覧室も割合のんきな雰囲気です。がらんとしています。そこが首都圏の不動産取引が世界水準でもトップクラスであるのと違うところでしょうか。

 

で、こういった申請書類は、第一次資料でとても重宝します。いま話題の豊中や豊洲などの土地売買でもそういった第一次資料がほとんどまな板にのっていないので、ある意味想像の域を出ない状態が続いていて、私も多少書きましたが、新聞報道などですので、なかなか実態が明らかにならず、隔靴掻痒の気分になります。

 

その点では、今日の法務局調査は、非常に貴重なデータが入手でき、待った甲斐がありました。手書き部分は誰の筆跡かとか、現況調査や写真で当時の土地の状態が分かります。その他登記申請書類は事件処理においては必須の入手材料なので、多少の手間はやむを得ないのです。

 

関係のない前置きが長くなりました。さて、見出しの件、いつも気になりながら、簡単には書けないな、と思いながら、膨大な報道を垣間見てきました。今日あえて書こうという気になったのは、特別な意味はありません。いつかは書いておくテーマの一つと思うので、きっかけ作りの意味でも、一歩でも前に踏み出す程度の気持ちで取り上げました。

 

私の災害に対する気持ちは、鴨長明のような感覚とは違うのですが、割合、淡々としているのではないかと思っていますので、誤解を招く可能性もあり、事実認識も新聞記事のしかも断片程度しか知らないわけですから、安易な発言は避けるべきと思いつつ、一歩踏み出してみようかと思います。躊躇の気持ちは少しは伝わったでしょうか。

 

今朝の毎日記事は、<東日本大震災6年・復興の検証>というテーマで311に向けて毎年行っている一連の記事の一つでした。<「消防団員の命守る」 自動水門、重い維持費 岩手220カ所、更新費含め年8億円>という見出しで、自動水門の「功罪」というか必要性とその維持費が取り上げられていました。

 

あの大津波の際、<水門や陸閘を閉鎖したりする中、岩手県では団員90人が津波により死亡。うち、閉鎖作業中だったのは48人にも上った。宮城県でも84人、福島県でも24人が命を落とし、宮城では11人が閉鎖作業中だった。>というのです。これは驚きでした。

 

津波の襲来から逃げ遅れた人が多かったでしょうが、彼らは津波の恐怖に耐えて、あえてその大津波が押し寄せてくる防潮堤に向かい、水門や陸閘(りっこう)を閉鎖する作業を行っていて、亡くなったのですから、その職業意識の気高さや勇気に頭が下がります。

 

その意味で、そのような消防団員の悲惨な死亡を二度とださないために、自動で水門が閉まる装置は、多くの人の思いで達成できたのでしょう。高い防潮堤とともに。その分、水門・陸閘も巨大となるでしょうし、自動装置も費用がかかるでしょう。建設費は国負担でも、維持費は各地域で負担するため、今後の維持費に加えて更新費が大変な金額になるというのです。

 

他方で、<防潮堤事業費1.4倍 1.4兆円「資材、人件費高騰」>と、防潮堤の事業費がどんどん増大しています。<東日本大震災で大きな津波被害が出た岩手、宮城、福島3県では、震災前に延長約165キロだった高さ5メートル以上の防潮堤が、約300キロに増える。>と被災地だけでも巨大かつ長大な防潮堤が作られるわけです。しかも<防潮堤の整備対象は昨年9月時点で、青森県から千葉県までの太平洋沿岸で計677カ所に及ぶ。>というのですから、トランプ流の国境の壁ほどの長さには及びませんが、その容積の巨大さでいえば負けていないのではないかと思うのです。

 

その高騰の原因についても不思議なデータが指摘されています。<資材価格を調査している一般財団法人経済調査会によると、生コンクリートは震災前に比べ、東京で7%上がっているが、仙台市は1・6倍、岩手県宮古市では1・8倍になっている。また国交省によると、12年度と現在の公共工事の労務単価を比較すると、被災3県では55・3%上昇しており、全国(39・3%)よりも上昇率が大きい。>となぜか被災地がとくに高騰しています。適切な費用管理ができてきたのか、発注側、受注側にしっかりした管理体制があったのか、気になるところです。

 

このような防潮堤事業について、毎日記事は<高い防潮堤「良かったか」 行政に不満の住民も 宮城・雄勝>と疑問を投げかける住民の声を拾っています。

 

<「住宅は高台移転するのに、いったい何を守るために造るのか」。自宅を流されたすずり職人、高橋頼雄さん(49)は憤る。「地域性や住民の意見を考慮せずにやってしまった。海が見えなくなったら、もう古里ではなくなっちゃう」。仮設住宅で同居する母の自宅が再建されれば、自分は雄勝を出ていくと決めたという。>といった調子です。

 

一年前の記事では、<海と暮らせる 石巻・雄勝波板地区に完成 住民と協議、元の高さに /宮城>として、<高さは住民と協議して震災以前と同じ海抜4・8メートルにとどめ、階段や展望部には住民自ら加工した地元産の雄勝石(玄昌石)を埋め込むなど、なじみやすい形に仕上げた。5月にも近くの高台に自宅を失った住民が移り住む防災集団移転団地が完成予定で、住民らは「安心して海とともに生きられる」と喜んだ。>とあり、<市雄勝総合支所によると、波板地区の防潮堤は当初、比較的頻度の高い100年に1回の津波(L1)を考慮し海抜6・4メートルで計画していたが、周囲に住宅や幹線道路がないことから、既存の防潮堤に地盤沈下した分の1・1メートルを上積みし、元の4・8メートルとした。>と住民との協議の結果で元の鞘に収めたようです。

 

私自身、基本的な考えは、防潮堤はできればなくし、どうしても必要な箇所でもできるだけ必要最小限度にとどめるのが望ましいのではないかと思っています。津波が来たら逃げることが基本ではないかと思うのです。むろん津波発生箇所によっては逃げる暇がない地域もあるでしょうし、一定の間隔で一定の高さの津波は必ずやってくるところもあるでしょう。

 

万全を期して、千年に一度の津波にも対応できるだけの防潮堤が必要なのか、それは最後は地域で決めることだと思いますが、地域相互で意見が違うとか、復興予算の期限に間に合わさないといけないとか、そういった理由で、防潮堤の高さや規模が一律的に決められたのだとすると、大きな禍根を残すのではないかと思っています。

 

現在計画され、どんどんつくられている防潮堤は、海辺の景観、地域の特性、住民の古里への思いを完全に崩壊させてしまうおそれがあるように感じています。海への出入りは、水門や陸閘という狭い空間だけになり、その生活空間は海とは完全に遮断された閉塞した場所になるのではないかと危惧します。いくらきれいに整備され、新しい建物が建ったとしても、海との触れあいをもてない、閉ざされた空間では、本来の海浜の豊かさを味あうこともできない、まるで都会的空間になってしまいかねません。

 

そして水門・陸閘の閉鎖も、自動制御で行われるのであれば、ますます人との絆が失われることになるでしょう。消防団員の死は二度と起こって欲しくないという気持ちはわかります。しかし、亡くなった彼らは、地域のため、仲間のため、家族のため、一人でも救いたいと思い、必至に命をかけてその閉鎖作業を行ったのだと思います。

 

そのような郷土や地域の仲間を愛する気持ちは、海との繋がり、海への愛着から生まれてくるものではないかと思うのです。巨大になればなるほど、人の手による作業は困難となり、自動制御になるのも当然ではないかと思います。規模を小さくして、人の手で開け閉めでき、周囲の人が誰でも開け閉めできるようなものであれば、よりその水門なども身近なものになるでしょう。

 

消防団員の死者がなくなるようにするために、他のさまざまな手法を考えたのでしょうか。巨大な防潮堤ありきではなかったのではないでしょうか。

 

その建設費・維持費などの膨大な費用は、復興ということで惜しみなく支出されてきましたが、ほんとにそこに住んでよかったと思う人が何人いるでしょうか。

 

うまく整理できませんが、今日も時間となり、いつかまた検討して見たいと思います。


火災と日本人 糸魚川大火災を少し考えてみる

2016-12-24 | 災害と事前・事後

161224 火災と日本人 糸魚川大火災を少し考えてみる

 

方丈記には当時の災難のいくつかを取り上げており、時折読み返しています。むろん火災もリポーター風に次のように総括しつつ具体的な様子もリアルに表現し、治承3年(1179年)4月に発生し暴風に煽られて京の都の3分の1を灰燼にした大火災を取り上げています。

 

「風烈しく吹きて、靜かならざりし夜、戌(いぬ)の時ばかり、都の巽(たつみ)より、火出で來りて、乾(いぬい)に至る。はてには朱雀門・大極殿・大學寮・民部省まで移りて、一夜(ひとよ)が中(うち)に、塵灰(ぢんかい)となりにき。」

 

 興味深いのは、最後に、彼流の人生訓というか、皮肉というのか、述べていますね。木造で密集した京で家を建てるのに贅を尽くしたり悩むことを意味のないこととでもいうのでしょうか。

 

「人の營み、みな(皆)愚かなるなかに、さしも危き京中の家をつくるとて、寶を費し、心を悩ますことは、勝れてあぢきなくぞ侍る。」

 

といっても日本人は、その後もずっと密集した中でせっせと家を建て続けていますね。江戸時代は、「火事とケンカは江戸の花」と言われるほど、方丈記の指摘を無視するように、大名屋敷や町屋も競うように豪華なものを作り続けています。何度も大火にあいながらも。しかし庶民はどちらかというと鴨長明と似通った感覚で?、長屋暮らしで、家財道具もほとんどない状態の暮らしをしていたようです。

 

この点、なんども紹介する維新時に来日した異邦人の目では、あまりにみすぼらしい庶民の家、なにも家の中にはないことを憂いつつ、火災で灰になっても庶民が翌日にはあっけらかんとして廃材などを利用して、新たな生活を元気に始めている様子が驚きとともに、彼らの西洋人にとって家や家財道具を重要視する姿勢が精神の豊かさを損なっているのではないかといった、若干の思いを吐露する人もいました。

 

それはともかく木造住宅の密集性は、少なくとも維新までは当たり前のことだったのだと思います。それは地震というものに対する備えの一面もあっったでしょうし、徳川時代における建築規制も影響していた面もあったでしょう。都市計画が整備されないまま、都市の中に無秩序に流入する人々の住む場所が適切に提供されず、もっぱら大地主・大家の提供する長屋でしか暮らせない状態であったことも影響するのかもしれません。

 

そのような状態は、その後に成立した都市計画法でも、一応の対策は示されたものの、戦前、戦後、大きな改善はみられないまま、今日に到っていると思います。むろん行政は、都市再開発法やさまざまな事業を通じて危険な木造密集地帯の改善に取り組んできたことは確かです。しかし、再開発事業が住民から歓迎される形で完成された例はさほど多くないと思います。個々の所有権や所有者・居住者意識を変えることは容易でなく、現実には今なお各地にこのような危険地帯が残っています。

 

もう一つの改善というか、密集地帯がなくなった要因は、多くは民間デベロッパーによる地上げなどで高層化が進んだ、昭和40年代頃から何段階かを経て、高度利用の要請が高い、首都圏などでは進展したのではないかと思います。

 

さてだらだらと前置きがいつものように長くなりすぎ、このあたりで本論に入りたいと思います。

 

まず、毎日の記事で気になったのは、糸魚川の大火災があった地域が木造密集地という点です。古い町ですので、当然というか、古い町並みとして残されてきたのでしょう。ところが、その次の記事では、「国土交通省によると、各地の木造密集地について、燃え広がりやすさなどを基準に『地震時等に著しく危険な密集市街地』が指定されている。今年3月末時点で16都府県で約4400ヘクタールに上るが、東京都など大都市が中心で新潟県には指定地区はない。」というのに驚きました。

 

それで実際、国交省の指定地域を確認すると、なんと和歌山県では橋本市とかつらぎ町の2市町しか指定されていないというのです。たしかに地震時等を一つのメルクマールにしていますが、この2市町では地震のおそれが高いとはいえないので、糸魚川の当該地域を含め新潟県に指定箇所が一つもないというのはどうしたことかと思ったのです。

 

橋本市は現在、当該指定地域を対象に都市再生整備計画を立てて実施していますが、その前提として、指定を受けたのかもしれません。

 

しかし、現在ある危機的状態という意味では、当該指定はできるだけ早期にすべきではないでしょうか。なぜか。

 

それは住民の意識の啓蒙に繋がるでしょうし、真剣に防災訓練や防災計画、まちづくりによる改善への検討がなされる共通の土壌になると思うのです。

 

次に、火災の原因は、「ラーメン店が火元と断定したと発表した。男性店主(72)が鍋を空だきしたことが原因とみられる。」ということのようですが、びっくりさせられたのは、その店主の発言では、「開店前、火をつけたコンロに鍋をかけたまま失念して近くの自宅に帰った。戻ってきたら炎が換気扇の高さまで上がっていた。」というのです。

 

もし店主が木造密集の危険地帯であること、それを近隣の住民間で常日頃話し合っていたら、このような事態を避けられた可能性があったのではないかと思うのです。

 

農村集落もまた、家々が密集していて、消防車などが入りにくい曲がりくねった狭い道路しかありません。その意味で、自然と住民間に防災意識があるように感じています。自分のところから発火すると、近隣に迷惑をかけるということが意識下に強くあるように思うのです。

 

その点、糸魚川の古い町並みは、雁木を残すなど町並みの保存には一定の配慮が見られるのに、長く商売してきたとみられる店主にその意識があまり強くなかったのか、残念に思います。あるいは高齢化の影響もあったのでしょうか。

 

この店主自体の問題よりも、私は消防体制がどうだったか気になっています。むろん報道だけでの判断では十分な裏付けを欠いていますので、ここではとりあえずの思いを述べておきます。

 

たしかTVニュースでちらっとだけ見たのですが、発火して間もなく、消防隊が駆けつけ、放水している様子が映像で流れました。まだ西側の道路沿いの建物(西側部分)には延焼していませんでした。東側や北側がどうだったかは分かりませんが、この初期段階では、さほど大きく延焼する様子はなかったようにも見えます。

 

そのためか、消防隊も放水器は一台だけだったように思います。それを見て、少しのんびりしているようにも思えました。

 

で、119番の一報があった後、消防署の指揮はどうだったのか、後日検証されることと思いますが、少なくとも次の点を検討すべきではないかと思うのです。当該発火場所が属する地域が木造密集地で延焼危険性の高い箇所であること、当日は午前5時過ぎから強風注意報が出ていたこと、南風であることも承知していたと思われること、そのような気象条件および延焼危険が高い地域への消防活動をどのように行うかについて、事前にどのような消防体制が必要かを検討していたか、その場合今回それにそって行われたのか、そうでなければなぜか、といったことです。

 

放水だけでは、道路側からだと、店の奥や裏側には届かない分けですから、高層ビル用放水車、あるいはヘリコプター放水などより有効な手法をとる可能性をも視野に検討する必要があったかもしれませんが、それはどこまでこれまで検討されてきたのかが気になります。

 

別の見方でいえば、江戸火消しは、放水で火事を消すのではなく、延焼のおそれのある建物等を壊して、延焼を防ぐ方法をとっていました。で、糸魚川の場合、そこまでの方法は事前に計画していたならば、選択手段として採用される可能性もあったと思いますが、現代ではそこまではなかなか無理かと思います。代替案として、たとえば延焼先を冷却する、放水して水浸しにすることも飛び火対策としては有効と思うのです。むろんこれも事前に計画して、所有者の承諾をとっていないと、その場ではなかなかできないでしょう。ただ、壊すよりはまだ水浸しなら、延焼防止の最後の手段としては理解される可能性があったように思うのです。

 

というのは、私自身、野焼きをやっていて、飛び火は遠くまで飛びますが、それが延焼する危険はありません。単なる火の粉は、飛んでいっても落ちる先がよほど燃えやすい状態出ない限り燃え移りません。野焼きの周りは田畑なので、その点、冬は凍結とまでいかなくても湿っています。昔、鎌倉に居住していたとき、隣家の豪邸跡が燃えて炎上し、高さ10数メートルまで火炎が上がっていました。広い庭には楓など広葉樹が一杯で燃え移ると大変だと思っていたのですが、樹木は水分が豊富なため、意外と燃えないもので、結局、建物だけ燃えたことを思い出しました。

 

ところで、糸魚川の場合は飛び火というか、燃えた木片といった燃える媒体自体が飛んでいったようですので、強風が大きな燃える媒体を飛ばしたことが延焼の要因でしょう。

 

あちこち話題が言ってしまいましたが、こういった木造密集地は、古い町並みとして、一方で歴史的景観価値があり、住民の連帯や絆もあり、それ自体、一方的に解消すべきとの論は必ずしも当てはまるとは思えません。他方で、今回のような延焼の危険が極めて高いので、その防災対策こそ、当該地域住民を中心に、市だけでなく県、場合によって自衛隊の助力を得てきちんとした体制づくりをすべきではないかと思うのです。


災害救助を考えてみる 最近の取り組みとある海難事故への対応

2016-12-16 | 災害と事前・事後

161216 災害救助を考えてみる 最近の取り組みとある海難事故への対応

 

今朝の毎日・くらしナビでは、「支援物資、物流業者との連携」と題して、「熊本地震では発生直後、支援物資の運搬が混乱し、避難所の物不足が深刻化した。事態の改善に一役買ったのは日本通運などの物流業者。プロのノウハウを生かし、滞っていた物資の流れをスムーズにした。熊本地震を教訓に、仕分けから配送まで災害時の支援物資の運搬について業者と連携を強化する自治体も出てきている。」として、物流の各業者と自治体が連携するさまざまな仕組みを紹介しています。

 

具体的には、地震に備え、物流業者と災害時の協力協定を結ぶ自治体がすでに150以上に増えており、内容も

    集積所などから避難所への物資の配送

    自治体が用意した物資拠点で物流業者が仕分けや管理を担当

    物流業者の施設利用(荷物の受け入れ・仕分け・配送全てを業者に依頼)

と、それぞれ提携対象について独自性を出しています。

 

このような災害救助の方法をより実効あるものにする動き自体は、救援物質の効率的で安全な配送という点で、評価できると思います。ただ、気になるのは、よく言われる需給のアンバランスというか、地域毎、拠点毎に、場合によっては特定の被災者によっては、必要な救助物資が来なくて、必要でない、あるいはすでに過剰な物資が配送されるといった問題の解消ないしは最小化について、どう配慮されているのか、災害時の連絡網・情報伝達手段との関係構築が迅速になされないと、インフラ整備はできても、結局、無駄になりかねないおそれも危惧します。

 

ITAIなどの技術とその安全確保がより進展して、災害時でも有効に機能するようになれば、そのような不安も軽減するのではないかと思います。

 

とはいえ、災害救助法の基本的要請を満たすには、さまざまな救助が十全でなければいけませんが、上記の取り組みはその一部に過ぎず、しかもあくまで物資の配送に止まっています。むろん、物流業者のノウハウやさまざまな人的物的な能力はたしかに高いものでしょう。しかし、被災現場では、その場で対応してくれる人に手作りが重要な役割を果たしていると思うのです。ボランティアの役割です。地域の社会福祉協議会などが災害の中でも活動できる状態であれば、これらを中核に、経験あるボランティア団体との連携が重要ではないかと思います。被災者の声をしっかり受け止める体制にはこのようなシステムの構築が不可欠ではないかと思うのです。

 

災害救助法の救助の種類には以下の内容が定められています。

    避難所、応急仮設住宅の設置

     食品、飲料水の給与

     被服、寝具等の給与

    学用品の給与

 

    被災者の救出

    医療、助産

 

     死体の捜索及び処理

     埋葬

 

    住宅の応急修理

    住居又はその周辺の土石等の障害物の除去

 

これらはそれぞれ現場の状況や救助の段階(時期)に応じて、担い手も変わってくるでしょう。それをトータルに的確にコーディネイトすることが中核の組織として要請されるでしょうから、上記の自治体の取り組みも、実際の被災時には、臨機応変の対応が求められるでしょう。

 

ところで、いままでのが前置きというか、今日書いてみたい事柄の前口上でしょうか。というのは、もう一つの事件に注目していたのです。今朝の毎日は、14日早朝に松江沖で遭難し転覆した漁船の捜索が続いていた中、船内の2人死亡が確認されたと報じられていました。この記事を見て、なぜか971月に島根県隠岐島沖で発生したナホトカ号の遭難・重油流出事件を思い出してしまいました。

 

ナホトカ号の船主は、ロシア最大手の海運会社で、元は国営企業でしたが、この船が老朽船で船体構造が2重でなかったことなどに事故の主要な原因とも言われ、また、航行ルートも予定外のものであり、重油流出が拡散し、被害を拡大したことも操舵などに問題があった可能性があります。その結果、ロシア側に多額の損害賠償責任が認められています。

 

ところで、当時、ロシア側がこの甚大な被害に対して、適切な対応をしたのでしょうか。日本側はともかく厳しい天候の中、救助・防護体制を不十分ながら行い、多くのボランティアが活躍したことが話題になりました。

 

そこでプーチン大統領のことを取り上げたいと思うのです。彼は97年には、すでに中央政府の一員となり、出世街道をひたすら駆け上がり、3年後には大統領になっています。そのロシア政府は、このナホトカ号事件に対して、一体、どのような誠実さを示したというのでしょうか。たしかにプーチン大統領は、東日本大震災の時、支援物資を送るなどして、日本からお礼に日本犬を送ったということもあります。これはどこの国でもそのような支援はしていますし、特段取り上げるほどのものか、あったとしてもパフォーマンスのようにも見えるのは偏見でしょうか。

 

ともかくナホトカ号事件のとき彼は大統領でもないので、とくに彼個人を責めるのはどうかと思うことは理解できます。しかし、今回の遭難事故は、彼が訪問した山口県のすぐそばです。安倍首相を4時間でしたか待たせた上、平然として交渉に当たるのも彼なりの交渉術なのかもしれませんが、身近で起こった遭難事故、しかもその現場はナホトカ号事件とさほど離れていない場所で、少しは心をくだいた発言があってもおかしくはないように思うのです。

 

2週間以上前から先発隊がいろいろ安全チェックなどしたようですし、周辺の情報収集は十分にしているはずです。自分の身の安全ばかりでなく、交渉する相手国の漁民の生命が危機に瀕しているという情報はすでに入手しているはずで、いつでも少なくとも支援の声くらいはかけられたはずです。

 

というのは、彼はロシア国内で88%の支持率を得ているといった評判で、しかもその一因として多様なパフォーマンスを演じていることが上げられています。それが単に自国民に対してだけであれば、巨大国家のトップとしてはあまりに狭量ではないかと思ってしまいます。

 

最近、よく引用されるプチャーチンは、約162年前、条約交渉のためフリゲート艦・ディアナ号で下田に訪れていた際、安政東海地震の津波で、船が大破したにもかかわらず、軍医を派遣するなどして被災した住民を救済し、幕府もその誠実さを理解し、領土問題も解決して日露和親条約の締結を成し遂げたとも言われています。

 

時代も状況も違うので、同じように比較するのはどうかと思いますが、プーチンの自国民を誘導する姿勢と、他国の大統領や首相に対する優越的な姿勢は、まるでリーマンショックをおこしたウォール街の悪し企業トップの態度と似ていないのか、気になります。

 

あまり新聞報道だけで人を酷評するのは、プーチン大統領がすべてのマスコミを自分のいいようにリードしているのと、また、他方で、トランプ次期大統領がほとんどのマスコミを相手にせず自分だけの意見を一方的にSNSなどで告知するのと、似たり寄ったりとも思いますので、人の批判はやはり天に唾するようなものと反省しています。

 

ただ、このトップ会談、なにか相互に思いやりの気持ちが表れているのか、中身はわからないものの、何度も繰り返し交渉してきたにもかかわらず、そういった人の思いやりといったものがうかがえないのは残念です。