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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

スマホ考 <くらしナビ・ライフスタイル スマホで心も視野も狭く?>を読んで

2018-05-18 | 心のやすらぎ・豊かさ

180518 スマホ考 <くらしナビ・ライフスタイル スマホで心も視野も狭く?>を読んで

 

スマートフォン、スマホはいつの間にかどこでもそれを見ている人を見かけることが普通の風景になったように思います。

 

私自身は長く縁のない生活をしてきましたので、いまもってなくてはならないものにはなっていません。ただ、携帯からスマホに昨年暮れようやく変えたのは、打算的理由で、電話がかけ放題で低料金というプランにのっただけです。これはやはり便利です。経済的にもメリットが大きいですね。それにかけた時間や相手先、逆にかけられた相手先・時間が記録されているので、とても重宝します。

 

以前の携帯は家族内の発信目的だけに使っていましたので、逆にほとんど携帯しないのが普通となり、ときにどこにいったかわからない状態が多かったように思います。

 

スマホは買ってみて、アプリなど結構おもしろいものがあり、IPadのときのようにほんの1ヶ月くらいは多少使ってみましたが、すぐに飽きてしまい、ほとんど電話以外では使わない状態です。IPadのときは囲碁ゲームにはまって、待ち時間などではよく使っていましたが、囲碁ゲームの最近の出来具合は知りませんが、当時はあまり賢くなかったと思います(たぶん実質初段未満レベルではなかったでしょうか)。

 

むろんSNSとか、ツイッターとかにも関心がないのと、私には親指で動かすのがどうも趣味に合わないのと、ブランドタッチでタイピングしていないと、どうせさえ働かない頭脳がストップしてしまいそうですから、スマホのタッチパネルは滅多に触りません。

 

と私の偏見的視点を持ちだしたのは、いまなおスマホ利用者の意識がわかっていない立場で、毎日記事<くらしナビ・ライフスタイルスマホで心も視野も狭く?>について、考えるわけですから、その見解の狭量さを事前に承知いただきたいためです。

 

ここでは<電車や駅の構内で迷惑な行為>のひとつとして、<「歩きスマホ」をとりあげ、マナーの問題として言及していこうという意図のようです。

 

まず、電車内でスマホ利用者とのトラブル例を取り上げています。

<今年4月、東京都杉並区の男性会社員(29)は通勤中、JR中央線の電車内でスマホゲームに熱中していた男性に手荷物を当ててしまった。次の瞬間、男性はスマホから目を上げ「いってえな! お前、何ぶつかってんだよ」と激高。胸ぐらをつかまれ、戸惑いながらも「すみません、すみません」と謝って、場をやり過ごした。>

 

梅田啓祐記者は、このトラブルの背景を電車内空間の特殊性と、スマホ利用者の心理から専門家の発言を引用してアプローチしています。

<人間の行動心理に詳しい公立鳥取環境大の小林朋道教授(動物行動学)は「一般的に電車内は逃げ場のない閉鎖空間。乗客は不安、警戒、攻撃意識などの心理が働くので不機嫌になりがちだ」と説明する。特に、他人からの危害を避けるために本能的に確保する1メートル程度の空間を「ボディースペース」と呼び、この空間に侵入されると、防御意識や警戒心は高まる。>

とまず、ボディースペース内では心理的バリアが働いていることを指摘しています。

 

そのうえで、スマホの利用時はいいが、離れると、特殊な心理状態が警戒心・不安感を増大するといった見方をされています。

<小林教授は「スマホは、のめり込んでいる間はいいが、一旦離れると不安や警戒といった意識を増幅させる。その意味では迷惑行為の要因といえるのかもしれない」と見る。>

 

でも上記の事例では、スマホ利用者にとっては、のめり込んでいる恍惚?状態を妨害されたことに激高しているように思います。むろん、ボディースペースでの警戒心が増幅した面もあるでしょうが、それ以上に、利用妨害への怒りではないでしょうか。

 

その意味では、ボディースペース論はいいですが、ボディースペース領域は電車内、とくに混んでいる場合にはバリア機能が働きにくい、換言すれば、スマホ利用で熱中するに適した環境ではないのですから、みずからリスクをまねていると意識することこそ重要ではないでしょうか。

 

私はもちろんスマホなんてものをいじりませんし、長い間、電車、とくに混み合った電車に乗ったことがありませんが、首都圏にいる頃は、日々体験していましたので、そういうとき心も柔軟にして文庫本を半折りにしたり、新聞紙も細かく折りたたみ、体が接触していてもわずかな空間を利用して読んでいました。当然、電車の揺れで横に縦に体が振り回され、読むのを中断されるのはやむなしと思っていました。他方で、電車の揺れで新聞紙を他人に当てるような混み具合だと、読むのも断念していました。そういえばまだイヤホンで音楽などを聞くようなスタイルは少なかったように思いますね。だいたいすし詰めのときは足も宙に浮いていましたね。おそらく30年以上前の話ですが。

 

記者は次にあるアンケート結果を取り上げています。

<鉄道事業者でつくる日本民営鉄道協会が毎年実施している「駅と電車内のマナーに関するアンケート」によると、2017年度は迷惑に感じる行為の1位に「騒々しい会話・はしゃぎまわり等」、2位に「座席の座り方」、3位に「荷物の持ち方・置き方」、次いで4位に「歩きながらの携帯電話・スマホの操作」がランクインした。>

 

歩きスマホ、自転車や車に乗りながらのスマホなどなど、スマホの利用の仕方は以前から問題になっていますが、上記の電車内などでは当然の結果でしょうか。

 

この結果に対する識者の見解を披露しています。

<関西学院大の阿部潔教授(公共圏論)は「実際の被害よりも特定の振る舞いに対する不快感が主な要因となっている。歩きスマホも含め、『公共の場を皆で支える』という意識が薄まり、匿名の他者に対する共感が持たれにくくなっている」と指摘する。>

 

公共空間における自分の振るまいが他者にどうような影響を与えるか、それが不快感を与えるかどうかについて気づかない、あるいは心遣いができない人が増える一方、公共空間における所作やマナーに対する意識が高まっているという両面から問題がクローズアップしているのかなと思っています。

 

あるきスマホの問題は、単なるマナーの問題にとどまらないことはすでに多くの関連事故が発生していることからたいていの人は意識しているでしょう。しかし、視覚障害者の立場に立つと、とても危険であることがより理解できます。その意味では障害者に対する配慮を欠いた行動といってよいでしょう。

 

<全盲の人にとっては切迫した迷惑行為といえる。社会福祉法人日本盲人会連合(日盲連)の総合相談室長、工藤正一さん(69)は「私自身はすでに光を失ったが、通勤時に家族と歩いていても怖さを感じる」と訴える。視覚障害者は、白杖(はくじょう)や点字ブロックを頼りに進むため、歩きスマホの人と一度ぶつかってしまうと方向感覚が瞬時に失われる。立ち止まっているわけにもいかず、誤った方向に進めばホームから転落する危険性もある。日盲連の中には白杖を折られたという会員もいて、熱中気味の歩きスマホに強い危機感を抱いている。>

 

私自身、当地に来る前まで、視覚障害者の後見人として対応していましたが、それはとても不便で、公共空間を利用しているとき、前方を確認せずスマホに夢中になっている人がいることを想定しただけで、身震いするでしょう。

 

記者は<阿部教授は「自ら被害者になるだけでなく、加害者になる可能性があることを十分認識してほしい。公共の場に身を置く際には『すみません』の一言でもいい。声をかけ合うなど他者との共生の作法を身につけることが単に物理的なものにとどまらない『バリアフリー』につながる」と話している。>というのです。声かけはたしかに一つの手段ですが、スマホ夢中者にそんな余裕があるでしょうかね。

 

スマホを・・・ながらで利用したいのであれば、音声入力とか、体に装着できるものを利用して、周囲に対する気配りができる状況で使ってもらいたいものです。

 

さらにいえば、スマホを利用することにより失っている時間、心がありませんかと、自分の心と向き合ってはどうでしょうかと言いたいように思うのです。

 

そんな高齢者の話は知らん、というスマホ愛用者の声が聞こえてきそうですが、ま、双方の考えの違いを理解しつつ、問題点を改善する努力をしたいなと思うのです。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


今森流里山を学ぶ(1) <『今森光彦の心地いい里山暮らし12月』>を読みながら今森流を楽しむ

2018-05-17 | 心のやすらぎ・豊かさ

180517 今森流里山を学ぶ(1) <『今森光彦の心地いい里山暮らし12月』>を読みながら今森流を楽しむ

 

先日、田中陽希のグレートトラバースを見ながら室内ジョギングを終えて、クーリングをその後に放送される「里山」を見ていることを書きました。それぞれ映像に流れる人や生態の動き、それを育む周りの自然の息づかいに長い歴史と心遣いを感じることができます。

 

そんな中、いつも里山の風景が見事に切り取られた写真が登場します。今森光彦氏撮影のものです。さすが里山を愛し自らつくり・あるいは再生している細やかな息づかいを十分に感じさせてくれます。

 

今森氏については、以前昆虫や花などの撮影をされている写真家かと思っていましたが、その活動範囲がとても広いですね。木村伊兵衛賞や土門拳賞を受賞しているのですから、写真家としては別格の存在でしょう。ところが、タイトルの著作によるとペーパーカット作家も名乗っているようで、この著作でも撮影されている作品はまさにプロですね。

 

それだけではないのですね。今森氏は日本各地はもちろん、世界各地で里山はもちろん生態系豊かな土地を訪れ、生態系を育む生息地・生育地としての里山をトータルに理解されている数少ない専門家(生態学者とも違う、里山保全者?といった新たな分野を切り開く人でしょうか)ではないでしょうか。とはいえ私も多くの里山保全の活動や教育を行ってきた人とは30年くらい、いろいろお会いしてその知見を教授いただいきましたが、今森氏はちょっと違う印象です。ではどう違うか、まだ一度もお会いしたことがありませんが、テレビや著作を見ながら、読みながら、少し学んでいこうかと思うのです。

 

ところで、今森氏はオーレリアンの庭といい、Aurelian Gardenとも読んでいますが、後者は軍人皇帝時代のローマ皇帝の名前とか、でも前者がギリシャ語で黄金を意味し、金色の蛹にたとえられ、広い意味でチョウを愛する人たちのことを言うことで、これを採用しているようです。たしかに今森氏なら前者の意味だとわかります。英訳するのが間違いでしょうか。

 

さて本題に入るとして、まだこの本をぱらぱらとめくっただけで読んでいません。読みながら、少しずつ学ぼうかと思うのです。もしかし将来、私の終の棲家?なるものの一つのヒントになるのかななんて甘い考えもありますが・・・

 

今森氏は、23年前に、比叡山の裾野に広がる仰木地区にある堅田丘陵の一角、ひろさ千坪の休耕田をアトリエ用地として取得したようです(著作からはそのように読めました)。

 

ただ、休耕田とはいえ、農地として農地台帳に記載されていると、非農地として農業委員会が認定しない限り(これは簡単ではないですね)、転用目的の所有権移転ということで、農家要件が厳しいので、今森氏はそれに該当するとは思えませんから、農業委員会の許可を得ることは困難かと思います。ただ、平成20年の農地法改正以降、貸借の規制緩和が進んできましたので、貸借なら可能性はあるでしょうね。あるいは他の便法を使われたのか、ま、こういった法的詮索は、里山の美しさを帳消しにしますので、この程度にして、先に進みましょう。

 

アトリエとその周辺の環境というタイトルで、おそらく敷地および周辺環境を平面図上に作画されたものが掲載さています。

 

ここを舞台にして、一年、12ヶ月の四季の変化を描きつつ、その今森流里山の形成過程の一端を示し、また多様なそこからの果実や、生き物の姿をふんだんに登場させて、楽しませてくれます。

 

アトリエは背後にため池がある少し高台に設置したようです。敷地の区画がはっきりしませんが、ため池から見た場合、アトリエがあり、その左側には雑木林が広がり、アトリエの前庭には多様な区画で仕切られたガーデニングエリアを大きく2つくの区画にして、その先に水田を配置するといったところでしょうか。

 

ため池と水田はいわばラムサール条約の湿地に匹敵する環境ですので、これらが連続していることにコリドーとして有効な機能が働くでしょう。大きく広がっている雑木林は野鳥や小動物の住処、隠れ家になるわけですから、捕食されないような場所を確保しつつ、えさの多い水田やため池に容易にアクセスできる位置関係を作っていますね。

 

薪置き場と腐葉土置き場を雑木林とガーデニングエリアの境界線上においていますが、腐葉土は供給源としては雑木林の落葉や枝葉ですので、それを腐葉土にしてガーデニングエリアで土壌肥料として提供するという絶好の場所ですね。

 

蒔き置き場は普通、ストーブや炉の近くに置くと思うのですが、なにかそこには深謀遠慮がありそうな、今森氏の知恵が働いているような気がします。それは著作を読むことによりわかるのかなと期待しています。

 

そういえば私は、子供の頃手伝いで(昔は子供は手伝いをするのが当たり前でした)山から木を運んできて、薪割りをよくしていたことを思い出します。いまはチェーンソーで、あっという間にカットできますが、斧を担ぎ上げ、集中して、一本一本、割っていく作業はきついですが、うまく割れると気持ちのいいものです。

 

草刈りは、当地にやってきて、一時は草刈り三昧の日々を送っていましたので、今森氏の草刈り姿をみて懐かしく感じます。といっても今森氏のように刈払機は基本使わず、大鎌という長さで言えば柄と刃で1.6m以上あったでしょうか。それでどんどん刈っていくのです。

 

以前たしかロシアで刈払機を持った人と、大鎌を使う人とで、どのくらい早く草を枯れるか競争するゲームが放送されていましたが、どちらが勝ったでしょう。後者でした。むろんさまざまな条件次第で、結果は変わりますが、一般的には刈払機の実力は大変なものです。私はエネルギーの消費、排ガスの臭い、刃がこぼれたり、跳ね返ったりして怪我を負う危険など、いくつかの理由で大鎌を選んできました。最大の理由は当時はタイピングがほとんどできないくらい振動に対応できない状態でしたし、静かな環境で草刈りするといろいろもの主にふけることができ、「沈黙の豊かさ」を味わえる心地よさでしょうか。

 

さて今日は今森流里山のスタートラインにも立てなかったような感じですが、今後折り合いを見て続きを書こうかと思います。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


里山考 <百名山一筆書きにみる奥山と里山を考えてみる>

2018-05-14 | 心のやすらぎ・豊かさ

180514 里山考 <百名山一筆書きにみる奥山と里山を考えてみる>

 

わが家のバラの木の一つ、昨年植えた中の一本で、昨年は一輪なんとか咲いてくれました。それが今朝見ると(しばらく前からどんどん増えていたのに驚いてはいたのですが)、もう20輪以上が大きく咲いているのです。黄色いバラです。花はそれぞれ特徴があって華やかであったり、小粒で花蓮であったりして、どれもいいです。でもバラはやはり華やかですね。

 

以前、カナダ・ビクトリア市で行われているガーデンツアーに参加したことがありますが、それぞれの個性的な地形に個性的な家を配置し、その周囲に見事な花園を展開させているのです。それを一般に一定の日、解放するのですね。私も友人と一緒にあちこちを回りましたが、とてもすてきな花園、イングリッシュガーデンが多かったように思います。

 

でもやはり日本人でしょうか、野に咲く花がなんともいえません。それらは長い年月かけて営々と続けてきた農作業などによって生まれたものなんでしょう。

 

田中陽希のグレートトラバースを見た後、体をクーリングするのに、続く番組「里山」はとてもいいのです。さすがNHKと思います。

 

里山とは、おそらく30年近く前に、本格的に関わるようになったような記憶です。当時、各地はバブル景気でゴルフ場開発が全国展開し、地域の里山が壊されていく状況でした。そんな中、各地で次々と里山保全運動が起こったり、ゴルフ場反対運動が起こったりしていました。私も友人が反対運動のリーダーだったことから、毎晩のように相談を受け、アドバイスの当時はファックスでのやりとりだったように思います。

 

他方で、里山保全活動にも関わるようになり、泊まり込みの炭焼きに参加したりしていましたが、仕事が忙しくてとても郊外の里山まで出かける時間がとれず、途中からは名前だけの会員になってしまいました。それでも彼らの里山保全運動は開発計画に対し、生態系保全を測りながら適切な里山管理を対案として提示して、協議会形式で民主的かつオープンな議論で、開発調整を図っていたかと思います。

 

90年代にアメリカで制度化し普及したHabitat Conservation Planningは、わが国ではなかなか日の目をみませんでしたが、それと代わるような地域固有の取り組みが各地で行われてきたと思うのです。

 

90年代初頭、いや半ばくらいまでは、里山といっても行政サイドは法制度がなかったこともありまともに取り合わないようなところも少なくなかったと思います。

 

その意味では、奥山(ま、陽希さんが次々と踏破するようなアンタッチャブルな山ですね)もまた長く開発からは縁がなかったですが、スーパー林道など道路開発、リゾート開発が進捗し、陽希さんが登るような頂は別ですが、奥山も相当開発されてしまうようになりました。

 

潮目が変わったのはいつ頃でしょう。それは保全活動の成果もあったかもしれませんが、どちらかというと開発エネルギーなり、景気後退による需要減の力が大きかったように思えます。その意味では、里山保全の法制度は、残念ながら実効的なものがないに等しいでしょう。

 

他方で、里山を意識し、大事にする心を持つ人が増えてきたように思えるのです。だいたいNHKの番組で「里山」と題したものが連続で放映されたり、いつくか特集が組まれたりすること自体、多くの人の共感を得ていることの証ではないでしょうか。

 

地域の人がなんでもない里山の生態系景観が、多くの人に心の癒しをもたらすことは最近ではよく知られたことでしょう。ゴルフ場の整備された芝生や樹林には、自然生態系との共生とはかなり異質のもので、これで自然を満喫できていると感じるゴルファーの方たちとは見方が違うでしょうけど。

 

昨日のブログでリスクを話題にしたとき、なんのためにテーマにしたの書いているうち忘れてしまい、書き終わってからふいと気づいてしまう、このブログですが、今日もそんな感じになっています。昨日はほんとは北朝鮮を含むとてつもなく巨大なリスクに対して、感度が低くなっている、あるいは敏感になりすぎている、そういう観点を掘り下げようと思ったのですが、これは別の機会に回します(といっていつになることやら)。

 

で、今日この里山を取り上げたのは、まだ思い出せないのですが、維新の前後にわが国を訪れた異邦人たちが驚愕した、日本人が心豊かでやさしく幸せを満喫する姿は、一体どこからくるのかという点でした。満足できる回答はありませんが、里山と農産物を直接生産する場である農地を一体的に取り扱い、仕事と遊びが混在するような、言い換えれば、仕事を楽しみながらできるような働き方ができたのは、里山と農地とそして共生する生態系が織りなす世界ではなかったのかと思うのです。

 

NHK里山シリーズは、そういう現在も大切に生かされ続けている里山を見事に描写して、そこに生きる人たちや多様な生物の息づかいを見せてくれています。

 

都会で暮らす人は、クモやヘビ、蛾やハチなどいろいろな生物が登場すると、怖いと思うかもしれません。しかし、それこそ豊かな生態系を形成する仲間であり、重要な構成員です。無農薬の田んぼに入れば、蜘蛛の巣だらけです。ちょっと見上げればトンボが舞い踊っています。草刈りしているとマムシやシマヘビ、ジムグリなどと遭遇します。ハチもぶんぶんやってきますし、ま、生き物天国ですね。

 

そういった仲間たちがいるから豊かな生態系が形成できるわけで、これからも賢いおつきあいをして、日本らしい里山文化、村社会を残していければと思うのです。

 

さてテーマの目的は・・・?ま、今日はこの辺でおしまい。また明日。

 


歩く権利を踏まえて <わが国のコモンズ的利用形態を考えてみる>

2018-05-02 | 心のやすらぎ・豊かさ

180502 歩く権利を踏まえて <わが国のコモンズ的利用形態を考えてみる>

 

私はこれまで多くの先人からさまざまな知見を学んできたように思います。きちんと自分のものにできないまま、いまは田舎でのんびり暮らしに日々をおくっているわけですが、ま、それも人生かと思うのです。

 

このブログも日々何をテーマに書こうかと、思いつきで決めているわけですが、ふとそういった先人の知見を思い出しながら、時折記憶の範囲で書いてみるのも一興かと思うのです。

 

亡くなられた平松紘氏との交流も短いながら、有益だったように思うのです。20年くらい前にふと手に取った『イギリス 緑の庶民物語』に魅了され、あるときからなんどかお会いするたびに話に花を開かせた記憶があります。その後いろいろ著作をいただいたのですが、お礼するまもなく突然他界され、残念な思いです。

 

同じようにイギリスのナショナルトラスト制度などに強い関心を持たれ、話すといつまでも語り続ける木原啓吉氏でした。私が事務局となって呼びかけた集まりに快く参加していただき、熱心な討議の一員になってもらいましたね。また、ある狭い仲間の集まりが終わって東京に帰る電車の中で一緒になり、ずっと話し続けたり、別の機会では翌日の大会原稿を徹夜で書き上げる真摯で熱情あふれる姿は思い出深いです。木原氏も物故者となられて久しいですね。

 

イギリスのコモンズというか、ある種共同利用なり共同所有のあり方を異なるアプローチでお二人が研究されてきたように思うのです。

 

その中で、今日は歩く権利を中心に、少し書いてみようかと思うのです。それは多少、田中陽希の日本百名山一筆書きに影響されているのかもしれません。彼は歩くという単純ともいえる行為を通じて、それだけで多くの感動や共感を得ているのではないかと思うのです。いや、それに値する行動だと思います。たしかに大谷翔平の二刀流は桁はずれた能力であり、偉大ですが、陽希さんのやり遂げた行為も十分賞賛に値する行為と思います。

 

この歩くという単純な行為は、人間にとって本質的な、人間であることのよって立つ根拠ではないかと思うのです。むろん障害や病気で立てない人は、自分の足で歩くことができないかもしれませんが、別の形で歩くことを常に希求するでしょう。その歩くことの価値を「歩く権利」は庶民の立場にたって法制度化したもので、それは現代的にも将来的にも意味のあることではないかと思うのです。

 

陽希さんは、歩く行為を通して、日本の多様な自然を体感し、またTVを通じてその一端を紹介してくれました。それだけではありません。彼は、自然が持つ多様な豊かさ、脅威をも、その微細な自然の一部を通して歩くという形での自然との接触により、つぶさに表現してくれたように思うのです。

 

舗装路と林道の感触の違い、いや広葉樹林と針葉樹林の地層の違い、湿原や湿地と岩場の違い、沢沿いの岩場と絶壁のような岩場の違いなど、それぞれの対象に応じて足の運びやストックの使い方など、あるいはアイゼンの使用などを通じて、私たちに歩くことの深みを感じさせてくれているように思うのです。

 

そして近世以前、イギリスを含む西欧の庶民も、日本の庶民と同様に、歩くことが唯一の交通手段であったとき、その歩く場所が限られていたのです。特定の貴族や富裕層が大土地所有で、庶民は限られた空間でしか歩くこと、そして自然を享受することができなかったわけです。

 

そこで立ち上がった庶民が訴えたのは、イギリス国土(UKでしょうか)を自由に歩くことができる権利だったのです。それは庶民にとって余暇を楽しみ、人生を楽しむために不可欠の事柄だったのです。それだけ歩くということは、多様な自然と触れ合う貴重な事柄だったのです。そのような考え方は、北欧でも別の表現で確立しています。たとえばスウェーデンでは「アッレマンスレット」とか、フィンランドでは「ヨカミエヘンオイケウス」とか。

 

ではわが国には似たような制度はなかったのでしょうか。入会権がそうだというかもしれませんが、私は似て非なるものと思っています。コモンズの場合は似ているかもしれません。私もイギリスでいくつかのコモンズ利用しているところを訪ねましたが、これまたわが国の入会権(実際は多様ですので一概にはいえないでしょうけど)とは同じではないように思った次第です。

 

話を戻して、歩く権利に近いものはあるか、というと、役行者や空海は自由に闊歩していますね。しかし彼らのような全国各地を修行僧のように渉猟することは庶民の歩くこととは異質のものですね。西行や芭蕉のように自由に各地を歩けたのも、時の権力者の庇護があったからかもしれません。

 

では庶民が自由に歩くことができたか、おそらく困難だったと思うのです。わが国では庶民の歩く権利といった自然を堪能したりするための意識が生まれなかったのではないかとつい思ったりしています。これは誤解ではないかとも思うのですが、はっきりしません。

 

近世で歩いていた人は、ほとんどがなんらかの行き先に目的を持っていたのではないかと思うのです。名目とはいえ、伊勢参りや出雲参りなどもそのひとつでしょう。

 

ただ、かすかに庶民の歩いた痕跡と思えるのが里道です。里道は全国各地に幅広く縦横に山であったり谷であったり、農地であったり、至る所、寸断されたり、破壊されたりしつつも、いまだ各地に多くの痕跡にとどまらず、今も利用されているところがあります。

 

こういった里道の復活再生によって、歩くルートを、そして地域の歴史と風土の復活と絆を見直しても良いのではと思うのです。カジノIRといった問題の多い施設づくりに邁進する現政権や一部地方の動きは、庶民の立場とは隔絶した位置に立っているように思えて仕方がないのです。

 

歩くことがそれだけで健康にいいことはすでに常識です。それを自然を保全し、自らの健康を保全、改善するために、歩く道を整備することはわずかな予算で多大な効果をもたらすように思うのです。道作りでは里道を利用したり、中には荒廃した、あるいは耕作放棄した農地、林地の提供を受けながら、多数の健康保持、いわば予防医学の手段として効果覿面ではないかと思うのです。その結果、無限大に増大する医療費や介護費といった財政負担の増大を押しとどめる効果は計算すれば容易に算出できるでしょう。

 

といった夢想的なことを考えながら、今日はこの程度で終わりとします。また明日。

 


脱引きこもりへの挑戦 <秋田県藤里町 ひきこもり、働く力>を読みながら

2018-04-21 | 心のやすらぎ・豊かさ

180421 脱引きこもりへの挑戦 <秋田県藤里町 ひきこもり、働く力>を読みながら

 

早朝、一筆啓上つかまつり候・・・と窓の外からリズミカルに何度も聞こえてきます。ヒノキの穂先なので、30m以上、50mくらいあるのでしょうか、スズメくらいのちっちゃな野鳥が止まって、しきりに高らかと鳴いています。でも私の視力ではメガネをかけても判別できません。

 

久しぶりに100倍ズームのビデオカメラを取り出し、その素顔をアップしました。やはりホオジロでした。古いカメラなので画素数も小さく、粗くしか見えませんが、それでも輪郭ははっきりしていますので、いくら私でも識別OKでした。しきりに体を動かして鳴き続けています。かわいいですね。

 

ただそのときすぐにホオジロの名前が浮かばなかったのです。だいたい頬が白いといえるのでしょうかと思ってしまいます。白い箇所は頬というより嘴の左右に縞状に延びているというのが形状だと思うのです。むしろ頬は黒ではないかと言いたくなります。ですから、マスクマンみたいに目の付近を含め黒色の縞模様の方が目立つのです。いつもホオジロと思い直すのに一呼吸必要です。ま、こんなど素人のような弁解は、バードウォッチャーはしないでしょうけど。40年くらい前から野鳥観察を始めたのに、一向に知識・理解が進まないのは素直さが足りないのか、イギリス紳士に学ばないといけないのか・・・

 

ところでものの見方は、固定観念を抱いていると、世の中の真相を理解できないままとなるでしょうね。とか、人間の世はいつも変わりつつあるのですから、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」といった風に、いつの間にか自分が見ている世界が違っていることに気づかないということもあるでしょうね。

 

秋田・藤里町はたしか白神山地を訪れたとき立ち寄ったと思うのですが、どうも記憶が残っていません。そこが今朝の毎日記事<縮む日本の先に地方はいま/7 秋田県藤里町 ひきこもり、働く力>で登場しました。

 

ひきこもりが増えている、それも高齢化している実態と、そのことを可視化、顕在化して、その原因を探り、解消に取り組む動きを追っています。

 

<10年近く前、秋田県藤里町の社会福祉協議会に勤め、高齢者宅を戸別訪問していた菊池まゆみさん(62)は、仕事をせず、昼から家で過ごす人々に気付いた。多くは男性。昨年度まで国が調査してきた「ひきこもり」は15~39歳だが、状態が長期化したのか、中年世代も目立つ。>と。

 

そこで<「外に出ませんか」。ショックを受けた菊池さんらはレクリエーションなどを企画したがうまくいかない。>そう簡単にいかないでしょうね。

 

<職につけない状態が長引き、結果的に孤立する人が多いことに気付いた。必要なのは交流の場より、きちんとした役割ではないか。>

 

たしかに職を得て収入を得る場をえることは大事でしょう。社会で生きているという意識を持つことができやすいのではと思うのです。他方で、交流自体もやり方に工夫があれば相当効果があるように思うのです。交流がだめで仕事場の提供といった選択にはならないと思うのです。でも菊池さんの積極的な対応策は次に述べるとおり功を奏したようです。

 

<さっそく、就労の情報提供として、ホームヘルパー2級の資格を取る研修のチラシを113人の家に投げ込んだところ、かつて外へ連れ出そうとした小玉栄さんが研修会場に現れた。>

 

<社協は2010年に自立支援施設「こみっと」を開設し、孤立した人々の家庭訪問を始めた。狙いは一人一人の力を最大限に引き出すこと。まずは社協運営の食堂で働くなどして、地域住民と交流。生活リズムを取り戻した後、町内や近隣の職場を紹介する取り組みだ。小玉さんも接客を学んだ後、社協でパートとして働くように。取り組みは成功し、113人は大半が新たな仕事を見つけた。>

 

私もいま、関係する人が自立支援施設で働いていて、その施設長の人から誘いを受けて、一度覗かせてくださいと話しているのですが、なかなか腰が重くて、訪問していません。むろん別の同様の施設を訪問して、その仕事ぶりなどはまったく知らないわけではないのですが、施設に応じて特徴が有るでしょうから、より多くを学ぶ必要があると感じつつも、実践が伴っていません。

 

他方で、藤里町の社協では、<対応が一段落すると、社協は全町民を対象にした人材派遣事業「プラチナバンク」を始めた。「個々の力を最大限に」というコンセプトは同じで、住民の1割近い約320人が登録。ほとんどが高齢者だ。メンバーは自ら採取した山菜でアイデア商品を生み出し、東京で販売することも決まった。70代男性は「形になれば更に頑張れる。今ではライフワーク」と話す。>

 

シルバー人材センターは昔からありますが、このプラチナバンクは高齢者の頭脳・経験を生かして起業家になることを支援するようなイメージですね。それ自体は面白い内容ですが、事業家のノウハウ、経営管理、資金や販売管理など、こういった分野に、社協がどのような支援ができるのでしょう。私も社協のお手伝いを長くやっていましたが、そのようなノウハウを持つ人材がいるとは思えないといっては失礼ですが、その当たり他の外部機関との連携が必要な印象です。社協の職員はまじめで優秀で、他の関連する機関との協議も頻繁にやっている印象です。他方で、事業化となるとちょっと分野違いの印象を受けるのは、私が固定観念に固執している問題かもしれません。

 

<「意欲や希望さえあれば誰もが生涯現役」と話す菊池さん。一連の取り組みは注目され、視察が絶えない。小松田儀貞・秋田県立大准教授(社会学)は「厳しい人口減の中で、潜在的な人材の能力を引き出し、地方創生につなげた。マイナスをプラスにする事例が興味深い」と高く評価する。>

 

さらに<3月下旬、こみっとの関連施設に香ばしいにおいが漂う。小玉さんら113人の一部も関わったフランスの郷土料理・キッシュ作りだ。町特産のマイタケ入りで、売り上げも順調。いまや町を代表する名物料理となった。メンバーが巣立ったいま、その製造を高齢者へ引き継ぐことは小玉さんの大切な仕事だ。>

 

そうですね、シルバー派遣といった、ちょっと手助けもいいですが、高齢者の潜在能力はもっと高いと思うのです。それを引き出す仕掛け、工夫は、社協に限らず、自治体行政としても、本気で取り組む必要があるのではないかと思うのです。

 

趣味や芸事もいいでしょうけど、葉っぱビジネスで収入を得るために嬉々としている高齢女性たちの姿を見ていると(徳島・上勝町)、事業の提供もあれば、高齢者一人ひとりに、その隠れた知恵やひらめきを事業化できるような場の提供も考えていい時代ではないかと思うのです。認知症防止とか、医療費負担の軽減とか、マイナス面からの発想ではなく、もっとプラス思考で、地域の多様な資産の掘り起こしと、高齢者の生活の知恵、経験知を生かしてもらいたいと思うのです。

 

翻って、ひきこもり問題は、幼い頃からの家庭・学校での対応が重要であると思うのですが、それに十分意識的に対応できないまま、大人になり、年を重ねていった人に対しては、さらなる工夫が必要でしょう。

 

ユマニチュードで学んだことですが、常に人間として対応することは、一人ひとりに課せられた課題ですが、自治体行政としては、ひきこもりにある、あるいはそれに近い状態にある人を、<見る・話す・触れる・立つ>という基本的アプローチをひきこもり人に応じたあり方でケアする必要があるように思うのです。

 

ひきこもりといわれている人も、認知症とい言われている人も、ほんとはそのようなサービスを待ち焦がれるのではと思うのです。

 

<「ひきこもっていたと言われると違和感があります」。現在48歳になった小玉さんは振り返る。113人は知人らと交流がある人も多く、社協の取り組みに反発する親も少なくなかったが、新たな希望を見いだすようになったことは間違いない。「誰かに必要とされている感覚。悪くないですよ」。小玉さんはそう話した。>という小玉さんの話は意味深長です。

 

今日はこれにておしまい。また明日。