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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自然農その2 <『自然農という生き方』>を読みながら

2018-07-07 | 心のやすらぎ・豊かさ

180707 自然農その2 <『自然農という生き方』>を読みながら

 

川口由一さんの自然農については、すでに相当数の書籍が発刊されているようです。今回取り上げる『自然農という生き方』は、文化人類学者で環境運動家で、大学教員でもある辻信一さんとの対談形式で、川口さんの生き方、考え方を自然農というものの意味を明らかにしつつ話されています。

 

辻さんとは20年くらい前に一、二度お会いして話をしたことがありますが、カナダ西海岸のクイーンシャーロット島のハイダ民族などカナダ先住民などの調査研究もされ、カナダでは環境問題の第一人者といってもよいデイビッド・スズキ氏についても詳しい方です。スズキ氏のお嬢さんがたしか12歳で、国連か、あるいはアースサミットで演説して有名になりましたが、カナダではお父さんがとても有名です。

 

話を戻すと、川口さんの自然農法については、以前ブログで取り上げましたので、2回目になるかもしれません。この書籍の発刊が2011年ですが、私はその前頃に川口さんの自然農を学ぶために、彼が全国各地から参加者を受け入れて、農法の解説をしたり、参加者の実施を指導する学びの場、三重県の名張まで出かけていました。また彼の自宅や自宅そばの自分の田畑での研修にも参加して、身近に彼の話を伺うこともしました。

 

2年ほど自然農を実践したものの、仕事が忙しくなったこともあり、自然農による稲作は頓挫してしまいましたが、川口さんの思想はいまなお私の心に生きていて、いつか再びやってみたいと思っています。

 

さて本書では、川口さんの子供時代から化学肥料を大量投与する戦後日本の農家が辿った道を農家の跡取りとして同じ道を歩んでいた時代にも触れています。

 

彼がこういった慣行農法を断念した契機は、芸術家になりたいという気持ちが背景にあったかもしれませんが、体調不調となったことが大きかったと思います。農薬の危険性はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が話題になっても、わが国で問題になったのはかなり後ですね。川口さんは有吉佐和子の『複合汚染』に影響されたそうです。

 

有吉佐和子は和歌山が生んだ偉大な作家ですね。私は和歌山に来てから彼女の著作を読み出したのですが、どれも感銘を受けます。それがどれも多様な視点、立場なのですね。アプローチがとてもおもしろいのです。『日本の島々、昔と今』なんかは漁民の話や島の古書店で見つけた書籍から、どんどん話がひろがっていくのですね。

 

また横道にそれました。川口さんは自然農ということについて、極めて明確な理念を持ち、体系的な理解とともに体験的に取得した知見で、自らの考えを貫こうとされているように思えます。

 

それは類似の農法とは峻別する考えであり、生き方なのです。無肥料・無農薬は基本ですが、さらに農といえば耕作が必須とされている常識を覆し、耕作をしないのです。不耕起なのです。

 

耕作はラテン語では文化の語源といわれていますが、それくらい古代から地球上では耕作することが文化の根源にあり、人間の素養でもあったのかもしれません。しかし、川口さんは、耕作すること、耕すことは生態系の環境を壊すものとしてやりません。

 

耕すことによって土の中に生成している土壌環境、土壌生物といった生態系を壊すというのでしょう。天地返しといった農業の基本とされる耕すことは、昔は人力、さらに馬力あるいは牛力で、現在は機会化で、絶対不可欠なものとして農家であれば当然のこととしてやっています。しかし、彼はやりません。

 

彼が作っている田畑に入ると草も繁茂しています。耕起していないのですから、きっとかちかちになっているのかなと思ったら、意外と柔らかいのですね。土壌生物が人間に邪魔されず、土を豊かにしているのでしょう。

 

対談の一部を引用しましょう。

「現行の農業では、外からいろいろ持ちこまないと食糧を手にできません。肥料、農薬、機械、機械を動かす石油、それらを作り用意するのに必要な資源とエネルギーの消費・・・。あるいは食べものの安全性、大地の荒廃、土の流失、土や水や空気の汚染、ビニール、資材のゴミといった問題を招いています。また、有限にして大切な物を浪費し、地球生命体を損ね破壊し、生命圏を汚染し、そして自然界の秩序を乱し壊して、危険な状況に追いやっています。実って得られるエネルギーから、持ちこむエネルギーを差し引くと、マイナスになる。それが自然界生命界に限りなく多くの返済不可能の負債を増やし続けています。自然農とは、そうした問題を決して起こさない、持続永続を可能ならしめる栽培の仕方です。」

 

環境農業といった考え方も世の中、ある程度浸透してきましたが、エネルギー問題を含め上記で川口さんが指摘する問題に真摯に向き合っているとはいえないと思います。

 

そして農地という土地と環境の問題にとどまらず、人の心身にとっても、その指針を川口さんは言及しています。

「心身の健康は、生きていることの意義の基本となるものです。また生きていくために必要な食べものを自分で育てることによって、生きている基本の喜びがもたらされます。また、たくさんのいのちたちが生かし生かされ、殺し殺され、生まれ死ぬ、いのちの営む姿を目にする田畑での日々から、生きる意味を悟ることになります。」と。

 

生きること、死ぬことの意味も語っています。

「生きものとしての定めをも悟ります。すべては絶対なる定めのなかの生き死にです。生まれるも死ぬも無目的のなかで、親から子へといのちは巡っていく。終わることなくです。四七億年前の地球の誕生も、数百万年数十万年前の人類の誕生も無目的であり、宇宙の存在そのものも、目的なき存在であり、今も明日も無目的です。自然農の田畑にもその姿が現れます。いのち自ずからの無目的の営みのなかで生まれ生かされ、今を生きて、明日に死んでいく。生かされ死なされていくという生命界のゆるぎなき秩序ある営みを知り、「ああ、そうなっているのか、そしてこの私も:・」と気づく。生きている、生かされていることがわかれば、存在そのものの怖れ、虚しさ、悲哀から、生きる意味へ、意義へ、悟りへ、やがては生きる覚悟へ、そして安定、安心へ、さらに喜びへ、感謝の思いへとつながります。」

 

うまく要約できないので、多く引用してしまいました。今日はこの辺でおしまい。また明日。


米映画にみる恋愛 <歌手・高橋真梨子さん 母との確執解け ようやく愛語れた>を読んだ余韻

2018-07-04 | 心のやすらぎ・豊かさ

180704 米映画にみる恋愛 <歌手・高橋真梨子さん 母との確執解け ようやく愛語れた>を読んだ余韻

 

今朝は午前中、山林の林業作業現場を見学して、豪雨を懸念していたのがさほどのこともなく、スムーズに終わったのはいいのですが、汗だくだくで帰ってきて、何件かの検討中の和解案が輻輳している中、電話相談や来客対応で余計ややこしくなり、いつのまにか7時になりそうです。

 

とくに話題も見つからず、昨夜見た映画「メッセージ・イン・ア・ボトル」について少し触れてみようかと思います。この映画はいつだったか見て、とても感動し、録画していましたが、見る機会もなく、忘れそうになっていたのですが、たまたま先日の記事で思い出し、暑さをしのぐ意味もあって見ました。

 

その記事は、629日付け毎日夕刊記事<人生は夕方から楽しくなる歌手・高橋真梨子さん 母との確執解け ようやく愛語れた>です。高橋真梨子さんの歌声を聞くと思い出す友人がいます。というかその友人が好きなCDを毎日のように聞かせてくれたので、自然と親しむようになったのです。

 

それは司法修習時代、京都修習したときですから、40年くらい前ですね。彼はぼんぼんで、スカイラインを乗り回していたので、私たち悪友は居住場所から修習先の裁判所まで送らせる役をやらせていたのです。おとなしく素直な彼は従順に仲間4人くらいでしたか、それぞれの借りているところまで車で行ってくれました。その彼がいつもかけていたのが高橋真梨子さんのCDだったのです。

 

私は当時、さだまさしと中島みゆきくらいしか聞いていませんでしたので、全然違うイメージの高橋真梨子さんの歌は飛んでいるような、明るくはつらつとしたイメージを感じていました。といっても私の好みではなかったので、彼の車に乗るとき以外は聞いたことがありませんので、忘れていました。

 

私は彼の結婚式に出席したりしましたが、仕事が忙しくなると、つきあう機会もなく遠のいていました。彼は優秀で大手の渉外事務所に入所し、海外で活躍していました。ところが、ある日がんで亡くなったことを知ったのです。葬儀ではまだ幼いお子さんとすてきな奥さんがしっかりした姿を見せていました。

 

その後、なぜか高橋真梨子さんの歌が心に届くようになってきたのです。それでもTVなどにはあまり出演していなかったのでしょうか、あるいは私自身があまり見ていなかったのでしょうか、その声を聞く機会は少なかったと思います。でも聞くたびに彼のことが思い出されます。誠実で素直な彼でした。私は失礼な話ですが、弟分のような感覚で当時はつきあっていたように思います。その素直さは法廷弁護士には向かないかもしれない?でも渉外弁護士だと能力を発揮できるかもしれないな、なんて思っていましたが、きっとハードな仕事で神経をすり減らしていて病気に気を配る余裕がなかったのかもしれません。

 

ところで高橋真梨子さんの心が洗われるような歌、そこには大変な経験を克服しつつ、歌われ続けていることがこの記事に書かれています。

 

<艶やかながらどこか憂いのある独特の歌声がファンを魅了する。日本人で初めて、米クラシックの殿堂・カーネギーホールで3度目の大ホール公演を成功させたこともある実力派だ。

 今年でレコードデビュー45年。ベテランの域に達した心境を尋ねると、「幾つになっても現役でいたい。やめたいと思ったことは一度もないんです。いつか『その時』が来るまで一歩一歩大切に進んでいきたいですね」と答えた。>

 

でも重度の更年期障害だったんですね。

<過去には数カ月間、活動休止に追い込まれ、「寝たきり」にもなった。その時、献身的に介護をしたのがヘンリーさんだ。「彼がいなければ私、今ごろどうなっていたのかなあって」。最近は自宅での日光浴が日課でもあり、楽しみでもある。「おばあちゃんみたい?」。夫婦水入らずで過ごす、至福の時--。「この人と結婚して良かったって、いつも思うんです」>

 

その彼女が映画と歌に触れている部分があります。

<何度も繰り返し見た米映画「メッセージ・イン・ア・ボトル」から着想を得た「雲母(きらら)の波」を、6月に発表した最新アルバム「Katharsis」(カタルシス)に収録した。いわく「映画を見ると歌詞が浮かんでくる」。大好きな映画の冒頭に美しい波打ち際のシーンがある。「キラキラ光る波しぶきを『雲母』ととらえて歌詞にしたんです。私にとっては情景がとても大切なんです」>

 

そう高橋真梨子さんも「メッセージ・イン・ア・ボトル」に感じるものがあったのだと思ったのです。米映画の恋愛ストーリーは、画像的にとか、人物の動きに惹かれるものが多いのですが、そのストーリー展開にはどうも無理があるといつも感じるのです。この映画もそうです。それは映画ゆえの余白というか、そこが豊穣の中身なのかもしれませんが、私のような無骨者にはなかなか理解が進まないところです。

 

とはいえ、この映画はやはりいいですね。高橋さんが指摘している波打ち際の描写もいいですが、入り江と多様なヨット・ボートの配置具合、言葉で説明すると長くなりそうなので辞めますが、背景の自然や漁村のたたずまい、それと対比するようなシカゴ大都会、とてもいいです。

 

しかし、ボトルに入ったメッセージが恋の始まりの契機となるほど、その言葉から私には深い感動や魅力を、映画の中の聴衆ほどには感じないのは、私に問題があるのかもしれません。

 

おそらく主人公役のケビンコスナーが亡くなった妻のことを深く偲ぶ気持ちが私には理解できないのかもしれません。その亡くなった妻の作品や道具などにこだわる姿勢も今ひとつ共感というか、ついていきにくいのかもしれません。

 

恋人役のロビンライトの豊かな表情や愛らしい表現も、なぜケビンコスナーの朴訥な姿勢とそのメッセージの内容から生まれるのか、今ひとつぴんとこないのです。

 

ケビンの父親役のポールニューマンがとてもすてきな触媒というとおかしな表現ですが、少なくともいい仲人的役割を演じたように思うのです。

 

無理矢理押し込んだ内容のブログになりましたが、たまにはこういうのもありかと思っています。

 

ちょうど一時間となりました。顛末も内容もないしまりのないおわりかたとなりました。また明日。


補足

ここでなにを書こうと思っていたのか、ちょっと思いだし、少し補充することにしました。

米映画をそれほど見ているわけではありませんが、恋愛物語は結構多いように思いますが、それがコミカルに描かれる場合と、割合真剣なものとして描かれる場合と、ま、他の類型もあるでしょうけど、とりあえずこの2つのパターンが結構多いように思うのです。その中で、後者はまさに生死というか、死がほとんど関係しているのではと思うのです。恋愛当事者のどちらかが死ぬ、そのことによってより恋愛の深さを表そうとしているように思えるのです。

 

しかし、ですね、その恋愛の心の通い合い、言葉の触れ合い、そのものは逆に、深みを欠いているというか、どうして恋愛に至るのか、わたしのような無骨者にはよく分からないというのが感覚です。とはいえそのストーリー展開や背景描写の見事な点などさすがハリウッド映画(これに限らないのでしょうけど)と思うのです。そういえば昔LAのハリウッドまで出かけたのですから、結構、映画が好きだったんですね。


タクシー運転手 NHK <地球タクシー「バルセロナを走る」>を見ながら思うこと

2018-06-16 | 心のやすらぎ・豊かさ

180616 タクシー運転手 NHK <地球タクシー「バルセロナを走る」>を見ながら思うこと

 

四半世紀以上前だったと思いますが、外国人向け法律相談を東京弁護士会でやっていた頃、インド人の方が相談に訪れました。相談内容はまったく覚えていないのですが、その職業を聞いて当時驚いた思いが残っていました。たしか最初はインドではタクシー運転手をしていたということでしたが、よく聞いてみると、私と同じ弁護士でもあるというのです。そしてインドでは弁護士としては生活が成り立たず、ドライバーになったというのです。

 

当時のわが国の場合司法試験合格者が年間500人くらいで、弁護士になるひとが大半とはいえ、まだまだ引く手あまたで、仕事は結構合ったと思います。それで国によっては弁護士も大変なんだと驚いたのですが、それから30年近く経ち、最近の弁護士も少々似たような傾向になりつつあるのでしょうか。

 

とはいえ、わが国ではタクシー運転手はたいてい大手企業の社員になっているのではないでしょうか。個人タクシーもそれなりにいますが、自分の自由な運転スタイルといった方はかなり希少な存在ではないかと思うのです。もっと自由なスタイルでやればいいのにと思うのですが、大手タクシー会社と似たような感じに見えるのはあまり乗らないからそう見えるのでしょうか。

 

外国などでタクシーに乗ると、その国によって違いはありますが、結構、自由にいろんな話をしてくれました。ま、外国人と言うこともあるのでしょうか。

 

たとえば、ナイアガラフォールのたしか1kmくらい上流にあるラブキャナルは、大量の有害汚染土壌が発生し、健康被害を訴える人も大勢出て、当時のカーター大統領が緊急事態宣言を発令し、その後アメリカの廃棄物処理法を劇的に変える契機となった場所でわが国でも著名です。そこに四半世紀前私ひとりで訪れ、タクシー運転手の案内で、アメリカEPAが国家的権威をかけて汚染浄化対策を講じた後の状況を聞いたり見たりしました。

 

その運転手は地元出身で、政府は安全宣言を出し、浄化対策を講じた土地を分譲地として売り出したけれども、誰も手を出す人がいないとのことでした。ま、地元の情報などいろいろ話してもらいました。タクシー運転手との有意義な時間をもてました。

 

あるときはカナダの場所は忘れてしまいましたが、地方都市まで電車で行き、無人駅をおりると 一台のタクシーしかなく、それに乗って街の案内をしてもらいましたが、カナダではたいてい助手席に座らされた記憶があり、そのときも横に座って、あれこれ楽しい話題を提供してくれました。中身はすっかり忘れてしまったのですが、友人とドライブしているような感覚にさせてくれました。

 

これがロンドンのタクシーだと、あおのでかい・ゆったりした車で、むろん後部座席で、ほとんど会話をした記憶が残っていません。たまたまかもしれませんが、座り心地はいいですが、話しづらい雰囲気でした。

 

ともかく海外でいろいろタクシーに乗ると、日本での雰囲気との違いをいつも感じていました。

 

そんなとき偶然、今朝NHKBSで<地球タクシー「バルセロナを走る」>を見ました。男女⑷,5人くらいの運転手の方が登場するのですが、それがそれぞれとてもほがらかで、しかも言葉に力があるのですね。生き方もとても心豊かさを感じさせてくれました。

 

あまりにいい言葉が次々とでてきたので、私の記憶量を超えてしまい、いま思い出せません。だいたいそれぞれ自由な服装をして、自分の時間を大事にしながら、生活をエンジョイしていることがよくわかります。だいたい仕事に誇りをもち、楽しんでいます。

 

その中で、ある男性の運転手が言った言葉が心に残ります。たしか今を大切にして満足しているというような話だったと思います。そして過大な望みを持たない、ま、足るを知るでしょうか。仕事でも、男女でも夫婦でも、衝突やけんか・トラブルになるのは、相手によりなにかを求めすぎるというのです。大事なのは相手をリスペクトする事だというのです。そうだ、と思いながらも、難しいことをすらりと本気で話す彼にリスペクトしてしまいました。

 

彼はイスラム教徒で、ほとんどのイスラム教徒は相手をリスペクトして、暴力を振るうようなことはないというのです。たしかに世界中に多くの信者がいて、キリスト教に次ぐというのですから、そうでなければ各地だ問題が起こるでしょうね。

 

ある男性は犬好きで、犬を連れて散歩するそうですが、ひょいと取材中に訪れた芝生で犬を連れた二人の若い女性に近づき、2匹のわんちゃんとすぐに仲良くなって手なずけていました。タクシー運転手の自由さを感じさせる一瞬でもありました。

 

といって経済的には厳しいのは日本とそう変わらないようです。しかし、宵越しの金はもたない?国民性なのか、貯金をするよりいまの生活を楽しむことに重点を置いているようで、それが陽気な一面にもつながるのでしょうか。

 

このバルセロナは40数年前に訪れていますが、タクシーの車窓から見える風景で覚えているのはほんのわずかでした。ただ、人々の陽気な様子はなんとなく記憶の奥底に残っているような感じです。

 

そろそろ一時間となりましたので、この辺でおしまいとします。また明日。

 

 


旧交を温める <久しぶりの上京を契機に人との交わりを楽しむ>

2018-06-12 | 心のやすらぎ・豊かさ

180611 旧交を温める <久しぶりの上京を契機に人との交わりを楽しむ>

 

今日は連日の会議の隙間で、時間をどう使うかをある意味試された感じでした。すでに午前130分を過ぎてしまい、今日も一日遅れのブログとなりました。

 

昼間ちょっとした時間をとって、ブログを書こうと一瞬思いましたが、旧交を温めることに重点が移り、結局、一日が過ぎてからのブログとなりました。むろん十分に酔っ払っていますので、今日もどういう展開になるかわかりません。

 

ともかく時間を有効に使うために、久しぶりの上京で、できるだけ人に会うことを心がけつつ、恩義にもこたえることも一つの課題でした。

 

ただ、なんとく選んだ電車がJRでなく、ロマンカーでしたので、いろいろな思い出がよみがえってきました。通過駅の多くに思い出がよみがえってきました。たとえば町田では熱い議論を重ねたこと、川崎・生田の開発案件、百合丘でもマンション開発案件が思い出されました。そういったことは次々と思い出される車窓風景でした。

 

とりわけ思い出すのは、小田急線の高架・複々線工事でした。この環境アセスメントについては最高裁まで争われ、私自身現場調査したり、小田急へのヒアリングをしたり、あるいは環境法の教科書で原告適格論や具体的な侵害性を取り上げたことがあり、これ一つ取り上げるだけでも大変さを感じます。とここまで書くのに、酔っぱらっているせいか、一向に進みません

 

このままでは終わりそうもないので、フラフラの頭を抱えながら、なんとか今日の課題をおわらせようかと思います。

 

そうですね、中身にはいらず、経過だけを淡々と描いてバタンキューで寝ることになりそうです。

 

今日は5つの会談?を短時間にセッティングしました。まずは日弁連会長との面談です。会長は研修所同期の友人でしたので、ハードなスケジュールで疲れていないかと励ましと、これから元気でやっていってもらいたいとエールするために会いました。彼はスポーツマンですので体力には自信があると思いつつ、会議の連続で移動も車なので、歩く時間がないとこぼしつつ工夫していました。たまたま袴田事件の裁判所の判断があるということで、忙しい会議の合間に、私との私的な事や日弁連の動きをめぐる雑談に付き合ってもらいました。これから2年間の長丁場ですから、元気に積極的に動いてもらいたいと思いながら、楽しい1時間を過ごすことができました。

 

次は私が発起人の一人となった、葬送の自由をすすめる会の会長をねぎらう会談を期待していましたが、残念ながら突然のアポで、会長が別の用事でもう帰ってくるかと思いながらも次の予定がつまっていたため、結局は会えませんでした。でも、最近になって活動を支えている中心人物の一人とお会いして、最初のいきさつから、20年近い顛末の一端を話して有意義な会談をもつことができました。

 

そして次は、私の恩師に久しぶりの挨拶にあがりました。愛宕山の麓で緑に囲まれたいい環境は変わっていませんでしたが、近くに超高層ビルが立っていて、タクシーで行ったからいいものの、歩いて行ったら道に迷うところでした。恩師は90歳を過ぎ、今なお現役で活躍していますが、残念ながら、昔私がお世話になっていた頃の元気はつらつとは言えませんが、それでもある業者の倒産状態をV字回復させた実績を語るときの、目線は力強いものが感じられました。日弁連会長室より広い部屋で一人にらみをきかしている様子は、隣室ではたらく職員たちにはいい緊張感を与えていると、昔を思い出させてくれ、お年を召した今もさすがと思う次第です。

 

その後、友人の事務所を訪れました。ちょっと早すぎたので、友人は会議中で、若い修習生を相手に、知ったかぶりの高説をついのたまわってしまい、ま、年寄りの無駄話を若人は心優しく聞いてくれました。

 

また友人とは30年以上の付き合いがありますが、あるとき入ったばかりのうら若き女性事務員Iさんも20年近く経過してベテランらしいてきぱきした動きを垣間見せて、顔は依然とあまり変わらない若さを保ちながら、この事務所に花を与えている印象でした。私の友人以外、弁護士もスタッフも全部変わってしまっていましたが。

 

その後友人に連れられて、昔なじみの料理店を訪れ、料理人の味わい深い料理の数々と、洗練された酒を二人で飲みかわし、旧交を温めました。女将さんが見事に会話に入り込み、懐かしい話題を堪能でき、素晴らしい時間を過ごすことができました。


そうそうだいじなことをわすれておりました。友人のお嬢さん、なんどかわが家にきて、うちの兄弟をお姉さんのようにあそんでくれたかわいい子だったのが、いまは医学部の学生で、わがこと同じ道を歩んでいることを知り、お互い、驚きつつ、喜び合ったのでした。

 

その後、公益事業を担うメンバーと待ち合わせて、東京駅・銀の鈴で落ち合う予定でしたが、彼らがよく理解してなく、もう少しではぐれるところでした。スマホのおかげで、新幹線改札口を確認でき、無事最終の出発前に乗り込むことができました。

 

そしてメンバーはみなさん上機嫌で、プロジェクトの見通しが相当実現できる見込みができたと、新幹線の中ではその内容で盛り上がりました。

 

内容に触れたいところですが、すでに酔いかげん?がかなりの状態ですので、この辺でおしまいとします。また明日。そろそろ軌道修正しないといけませんね。

 

613日仕事再開ながら、少し時間が空いたので、誤字脱字などがあまりに多かったので、今回は訂正しました。


今森流里山を学ぶ(2) <市民が作った都内の里山>と『今森光彦の心地いい里山暮らし12月』>とを考えてみる

2018-05-23 | 心のやすらぎ・豊かさ

180523 今森流里山を学ぶ(2) <市民が作った都内の里山>と『今森光彦の心地いい里山暮らし12月』>とを考えてみる

 

今朝、懐かしい風景がTVで放映されていた。東京都内にある里山、谷戸(やと)と呼ばれ、ちいさな里山の谷間にあって、その山からの清水を利用して水田耕作が行われているのです。BS3の里山シリーズがついに東京都にやってきたのです。

 

この場所は、私が四半世紀以上前に訪れたときは開発計画に晒されていて、豊かな生態系の生息地がなくなる危機に瀕していました。ここを愛する地元の有志が立ち上がり、単に開発に反対するのではなく、保全する計画を代替案として提示して、多くの市民参加を得て、行政と協議しながら里山保全計画を練り上げ、実行していくのです。

 

場所はあきる野市の一角にある横沢入、担い手は<西多摩自然フォーラム>です。私も最初の頃、何回か活動に参加したものの、その後は場所が遠かったこともあり、仕事も忙しかったこともあり、活動からは遠のき、幽霊会員でいたと思いますが通信は長い間送ってもらっていました。

 

NHKの放映で横沢入と名前が出てきたので、すっかり様子が変わり、整備され、いまでは幼稚園児でしょうか幼子が水田耕作を楽しむまでになっているのかと思うと、感慨無量です。これまで多くの担い手がたいへんな努力を重ねてきて、また今後も、さらに苦楽を重ねて行くのでしょう。ただ、見知らぬさまざまな人がコモンズのような生き物と人の触れ合いの場を作るために協同している姿は、とてもすがすがしく感じます。当時のメンバーはすでに高齢者の域に達して、自分たちの孫の世代と一緒に楽しんでいるのではないかと期待しています。

 

さて、今森氏の里山づくりは、彼個人の着想で、自分流の生き物と人の世界を作り上げているのですから、それも興味深いです。

 

今回もその概略を追ってみたいと思います。

 

今森氏は「土手を見習って」と、彼の庭造りの模範として、土手を取り上げています。都会ではすでに土手を見ることがなくなっていると思います。いや、田舎でもあまり見かけませんね。むろん、土手を河川の堤防敷と捉えれば、それはコンクリート堤防出ない限り、多摩川や荒川など大都会を流れる大河川にもあります(隅田川とかはまさにコンクリート護岸ですね)。実際、荒川の堤防敷は調査結果があり、多様な生物が生息、生育しています。

 

しかし、今森氏がいう土手は、昔の小川のそれでしょう。そこは野草の宝庫ですね。私も小さい頃よく遊びました。それが本来の土手でしょう。この種の野草を識別することに長けた人は、次々と名前を言い当てることができますが、私の場合は右から左、すぐ忘れるので覚えないことにしています。

 

小川は灌漑用の水路として利用されてきた長い歴史があると思います。その意味では多くは人工で作られたものが少なくないでしょう。それでも昔の手掘りで作られた土手は、農薬や殺虫剤も散布されず、生き物の天国だったと思います。

 

今森氏は、「生き物たちが快適に暮らせる庭。そんな理想郷をつくるときに、やはり、真っ先に考えるのは、草地のことだろう。」と断言するのです。さすがですね。そしてカラスノエンドウなどの「雑草でさえも、草地がないと生き残れないのである。」と雑草をも当然、仲間にしています。

 

今森氏のいう土手は、田んぼの土手です。圃場整備が行われた田んぼにはない土手です。毎年人の手によってあぜづくりが行われて生まれる土手です。私も自然農を通じて、川口由一氏に教えられ、完全ではないですが、それなりのものを作りました。大変でしたが。

 

もう一つ紹介しておきましょう。今森氏は「動物たちウェルカム」と評して、農家にとって獣害による農作物被害を意識しつつも、「土手は、シカが毎日歩いて小道をつくってくれたい、畑の土は、イノシシの仕事で、耕さなくてもサクサクの状態」と半分苦笑いを込めて、ウェルカムとのたまわっています。

 

私はイノシシやイタチに荒らされたり、サルまでやってきたりする環境にいましたが、動物は基本、好きですので、できれば共存したいと思うのです。といってエサをわざわざあげるつもりはありません。といって欲しいのなら、食べない柿など農作物を少しくらい食べるのは仕方ないことと思っています。

 

里山暮らしというのは、そもそも彼ら動物の生息地だったところが少なくないのですから、彼らが元気でいることも大事でしょう。とはいえ、おいしいタケノコを土の中に隠れている段階(これが美味しい)で鼻のきくイノシシが掘り返して見事に皮だけ残して、しかも大きな穴を開けてしまうのには、参ったと思うこともありますが。

 

それら動物や植物、野鳥などとの出会い、触れ合いこそが里山暮らしを楽しむ余裕であり、秘訣ではないかと思うのです。

 

次はもう少し今森流里山づくりの内容にはいっていければと思います。

 

一時間が経ちましたので、このへんでおしまい。また明日。