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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

シェアエコとリスク <相互扶助と市場 シェアエコが社会変容迫る 井手英策>を読みながら

2018-08-28 | 心のやすらぎ・豊かさ

180828 シェアエコとリスク <相互扶助と市場 シェアエコが社会変容迫る 井手英策>を読みながら

 

先日物別れに終わったケースで訴状を書き上げ、今月末には訴状提出を予定していたら、相手から示談書が送られてきて、一件落着となりました。印刷していなかったので紙がムダにならなかっただけでなく、印紙代なども含め費用を削減できました。

 

と思いつつ、別の訴状を書き上げ一段落です。裁判なんかしなくてすむ社会が望ましいのでしょうけど、おそらく縄文時代は?ですが、弥生期、遅くとも古墳時代には裁判による解決が求められてきたのでしょう。日本書記に記載されている十七条憲法では、百姓が次々と訴訟を提起していて、官僚が業務に真剣に取り組んでいないと、解決できなくなるような趣旨の条文がありますね。ここで百姓といっても農民と限定するより庶民一般のことを指すのでしょうか。

 

そんなわけですから、裁判による解決はそのやり方は変わっても、いつの世にもなくならないものなのでしょう。それでも江戸時代には、ムラ社会が相当程度独立して、自立的な共同体を形成し、司法行政立法をある範囲で行っていたのだと思われます。その意味では幕藩体制も、武士のいないムラ社会の独自性を認め、農民を中心とした武士以外の工商などの人々が経済的にも文化的にも豊かなコミュニティを形成できていた部分があったのではないかと思うのです。

 

入会林野や水利秩序は、そのような共同体だからこそ、独自に維持し経済的にも成り立っていたのではないかと思うのです。竹林や雑木林などをうまく利用して優れた製品・商品を作り上げ、農業社会と両立するようにうまくやっていたのではないかと思うのです。

 

ところで、そういったムラ社会を成り立たせていたのは五人組といった幕藩体制の制度的裏付けもあったと思いますが、相互扶助の精神が自然に強い絆で結びついていたのではないかと思うのです。

 

しかし、現代の都会生活はもとより、江戸時代から続くムラ社会も、多くはすでにそういった相互扶助の結びつきが形骸化し、弱体化していると思われるのです。

 

長々と前置き綴りましたが、今朝の毎日記事<相互扶助と市場シェアエコが社会変容迫る 井手英策>を読みながら、シェアエコの急速な広がり(というより私自身がほとんど実態を知らない)の中で、今後どうなっていくのか、TV解説では明朗な語りの井手氏の解説を読みながら考えてみたいと思うのです。

 

<シェアリングエコノミー(シェアエコ)>という言葉や取引は最近、よく聞きますが、実態はよく分からないというのが本音です。

 

昨日でしたか、中国のタクシー代わりのシェアシステムを利用した運転手が乗客を殺したといったニュースが流れて、これが2回目で、最初の時はあまり気にされなかったのが、今回はもう利用しないといった声が大きくなっていましたね。

 

さて記事ではその意味内容について<シェアエコとは、デジタルコミュニティーを利用しながら、モノ・サービス・場所などを多数者が交換・共有する仕組みのことだ。国外ではUberやAirbnb、国内ならメルカリ、minneなどが有名だろう。>と紹介しています。

 

ところで政府は成長を切り札のように次々と政策を手を変え品を変えてやってきましたが、どうもその成長がぱっとしないように見えるのです。いや株価が上昇している、賃金が上がっている、企業投資も増えていると政府は言うかもしれませんが、どうも作られた張り子の虎のように思えて仕方がないと考えるのは偏見でしょうかね。

 

トランプ旋風でアメリカの株価は上昇する一方ですが、どうも多くの白人層がその年金にしても賃金の一部にしても、株式投資に流れていて、多くが実体経済より株価が上昇することにのみ関心が強くなっていることが背景にあるように思えるのです。ま、日本の場合はアメリカに比べてそこは段違いですので、その分の心配はないですが。

 

それにしても政府はGDPの増加を水増ししようとしているのか、早ければ20年度にはシェアエコをこれに参入する方針と言うことで、井手氏は問題提起しているのです。

 

<GDPは1年間に生み出される付加価値、富の合計額だ。個人どうしの取引、中古品の売買、民泊などが除かれるため、算定の過小評価が問題となっていた。>こういった取引も付加価値とみることはできるわけですね。

 

しかし、井手氏は統計の基準改定にはさまざまな要素を考慮して慎重であるべきとしています。

 

統計の精度を高めるというとき、GDPには社会的に好ましくない要因が含まれているが、この扱いは検討しなくてよいのか。

 例えば、車の渋滞によってガソリンが消費されれば、GDPは増大するが、環境は破壊され、通勤時間も増える。また、ギャンブルやアルコール消費のための支出は、必要不可欠な支出と区別できない。いずれの例でも、GDPの増大と同時に、公害やワーク・ライフ・バランスの劣化、治安の悪化、暴力といった社会的なコストがつきまとう。>

 

さらに根本的な問題をも取り上げます。経済の過大評価の危険性ですね。

<ケインズの言葉を現代風にアレンジすれば、「あなたがお手伝いさんと結婚すれば、GDPは減少しますが、提供されるサービスは変わりません」ということだ。>これはわかりやすくてケインズも思わずにやりとするかもしれませんね。

 

GDPと幸福との関係、その指標を多様化することと指標を変えることの違いを指摘しつつ、井手氏は根本的な問いかけをしています。

<なぜ僕たちはこんなにGDPを重んじるのだろう。それは、所得が減り、貯蓄ができなくなった瞬間に、将来不安に直面する社会を作ったからだ。>と。

 

ただ、井手氏が断定的に述べる<僕たちの暮らしの根本には消費がある。消費できなければ、生存はままならず、自己顕示欲も満たせない。>このフレーズの消費とは極めて多義的な意味を含んでいるように思います。ケインズの消費ともひと味違う気がするのですが。

 

<ケインズはひとつ重要な見落としをした。それは、みんなが必要と感じ、相互扶助的に満たされてきたニーズだ。>このニーズは消費には含まれないものなんでしょうね。

 

井手氏はこの相互扶助的ニーズについて<僕らの税で政府が提供するサービスはまさにこれである。初等教育、警察、消防など、個人を超えたすべての人びとが必要と感じ、相互扶助的に提供しあってきたものがあり、これを政府が吸いあげて財政システムが生まれた。>と指摘しています。

 

こういったことは江戸時代のムラ社会ではすべて村の中で自治的に行われてきたと思うのです。むろん現在の農村社会でも消防では一部になっていますが、とても自立的とは言えませんね。

 

ここで井手氏はシェアエコがこの相互扶助的な部分の一部を代替するような将来性を考えているのでしょうかね。

<シェアエコもまた、経済取引と相互扶助が結びついたものだ。地域コミュニティーが弱っていく半面、ネットには次々と新たなコミュニティーが生まれた。これを媒介として、泊まる場所、移動手段、生活用品といった、だれもが必要としつつも、身近な者どうしでなければ交換・共有できなかった財・サービスが市場に解放された。そして相互扶助的である分、市場よりも安価に商品が売買される。>

 

こういったサービスにはたしかに相互扶助的な一面があると思いますが、それはかなり薄められた、ある意味で相互扶助とはほど遠いものではないでしょうか。ある種大きな枠組みで相互扶助という言葉を使うことができるとしても、それは本来の意味での相互扶助を超えていませんかね。ま、政府がGDPの枠組みに入れ込もうとするのと同じ危険があるように思えます。

 

他方で、井手氏が指摘するように従来の制度では対応できなくなっている問題

<出生率の低下、所得水準の下落、格差の拡大、どれも世界的に起きている現象だ。この歴史の峠をどうやって乗り越えるのか。>はいずれにしても新たな考え・発想が必要でしょう。

 

<生活保障の再構築に加え、ここでは市場の姿が変わっていく事実に注目したい。>というのは理解できます。しかし、

<眠っていたモノ・サービス・場所がデジタルコミュニティーをつうじて発掘され、安値で売買される。絶対的ニーズや相対的ニーズとも違う、だれもが必要とする生活ニーズを埋める新しいかたちだ。>というのは、はたしてこういった問題に対処できるほどのシステムでしょうかね。そのリスクはまだ図りかねています。それに「デジタルコミュニティ」という仮想空間で生まれてくるその感覚は、空疎で内実の乏しいものになりかねないおそれもあります。

 

むろんデジタルコミュニティはほんの糸口で、そこからすぐれた豊穣の世界を形成していく可能性もあるでしょうけど、私はいまのところ、懸念の方が大きいように思えるのです。

 

人が相互扶助を本質的に求め、そこから得られる満足感を大切にする本質をいまも備えているのであれば、より根本的な取り組みを期待したいと思うのです。

 

ちょうど一時間が経過しました。今日はこのへんでおしまい。また明日。

 


独り居と孤独 <ヘンリー・D・ソロー著今泉吉晴訳『ウォールデン 森の生活』>の「独り居」を読みながら

2018-08-27 | 心のやすらぎ・豊かさ

180827 独り居と孤独 <ヘンリー・D・ソロー著今泉吉晴訳『ウォールデン 森の生活』>の「独り居」を読みながら

 

最近、朝とか夜、朝焼けに染まる高野の山々を見たり、夜空の星に包まれた漆黒の森を見ながら佇んでいると、悠久の自然の中に溶けてしまいそうになります。ま、半分冗談ですが。

 

今日はとくに書くテーマも浮かばず、またいつもの才蔵頼みにしようかと思いつつ、古今東西の事柄や日々の思いをクールに歌い上げるように展開する、そして若くまた老獪さも備えたようなソローの文章に久しぶりにつきあってみようかと思うのです。

 

それは原文にあたってみていませんが、佐渡谷重信訳だと「孤独」という見出しで、今泉吉晴訳だと「独り居」となっている部分です。

 

ま、ソローのこの著作は、ボストンから少し離れたところにあるコンコード村郊外のウォールデン池のそばで、たしか2年くらい一人暮らしをしたときのエッセイですね。その間独り居として暮らす中で感じ経験した日々の様子を繊細な感覚で綴っていて、どの部分を読んでも何らかの影響を受けるように思います。

 

以前も、なんどか取り上げたような記憶がありますが、今回は「独り居」にしたいと思います。

 

彼にとっては暴風雨も自然との対話と感じるのでしょうか、心静まるかのように?受け止めているようにさえ感じられます。

「春と秋には長い暴風雨がやって来ました。暴風雨は朝に始まり、午後も一日続きました。家に閉じ込められた私は、びゅー、びゅー、ざあざあいう絶えまない暴風雨の激しい音を、心地よく楽しみました。」

 

私も暴風雨や雷など、自然の脅威と言われているものは、それを見て感じるのが好きです。以前、東京湾に面した谷間地形の崖上に済んでいましたので、海風、潮風がもの凄い勢いで自宅の窓をたたきつぶさんばかりにぶつけてくることがありました。それが少しは畏怖を覚えつつも、自然の猛威の素晴らしさを感じる絶好の機会と思い見ていました。

 

その代わり潮風のせいで、建物全体の痛みが早く、結構修繕費がかかりましたが・・・窓ガラスは強化ガラスだったせいか、びくともしませんでしたので、私の暴風雨とのご対面は安全地帯でのそれですから、ほんとの意味での自然の脅威に包まれるとはいえないでしょう。

 

それに比べ、ソローの場合は、簡易なたしか丸太で適当に建てた掘っ立て小屋の様なちっちゃな部屋といっておかしくない、方丈の小屋でしょうかね。すきま風という名の寒風も、平気ではいってくるでしょう。暴風雨だと小屋ごと飛ばされるほどの揺れになるのではないでしょうか。冬山で嵐に遭いテントの中でおびえているに等しい状況にもかかわらず、ソローの心意気は高揚しているのです。

 

ソローは森の中の一人生活と孤独について、明朗に語っています。

「私は独り居が寂しいと感じたことはなく、ほとんど孤独感にさいなまれもしませんでした。」と。

 

とはいえ、ソローも最初のほんの一瞬、不安や寂しさを感じたようです。

「森で暮らし始めて数週間経ったころのこと、私は近くに人がいないと、豊かに健康に暮らせないのではないか、と不安になったことが一度あります。ほんの一時間ほどでしたが、ひとりでいると、気分がおかしくなるのではないか、と思えました。」

 

それはすぐに変わるのです。

「私は、自然の社会には、雨という温かな、やさしく力になってくれる仲間がいることに気

づきました。私は、雨の滴の一粒一粒に、雨の音のすべてに、そして私の家を包む雨の情景のどこにも、限りない、言葉で言い尽くせぬ親しみと友情を感じました。自然のすべてと雨のすべてがひとつになって、空気と同じように私を抱いてくれると感じました。それと共に、私が勝手に思い描いた、近くに人がいたらいいという考えは消えました。」

 

それは雨だけではもちろんありません。あらゆる自然を構成する仲間がソローの伴となっているのです。

「森のマツの針のような葉も、私への共感をもってゆっくりと聞き、伸びて、私の友人になりました。私は自然の社会に、気の合う、いわば血縁関係の近い仲間がいるのがわかるようになり、人々が粗野で不毛だという自然の景観や場面も、親しみをもって見るようになりました。私にとって、血縁が近く人間的に感じられる仲間は、必ずしも人ではなく、村人でさえありません。今の私は、自然のあるところならどこでも、初めての場所だとは感じないでしょう。」

 

彼は人と触れ合うことを拒むわけではありません。人はもとよりあらゆる自然の訪問者を大事に扱うのです。ただ、人にはそれぞれ独自の原理があり、彼のそれとはかなり異なることを多くの場合独白していますが・・

 

ただ、人との付き合いについては、ソロー流のシニカルな語りで次のように述べています。

「私たちの社会と社交は、つまらないものになっています。私たちは、人に会う時間が長すぎ、多すぎて、会う人に伝える新しい価値を身に付ける暇がありません。日に三回、食事のたびに人に会い、考えが硬くなった自分と同じ古いチーズをまたしても噛み、話の種にしようと四苦八苦します。私たちは、こうした社交のつまらなさをしのぐために、早い話がいらいらしてケンカにならないように、エチケットと呼ばれる規則を作らねばなりませんでした。」

すごいですね、エチケットに対する痛烈な批評でしょうか。

 

「私たちは郵便局で人に会い、社交界で人に会います。そのうえ夜にも、暖炉の前で人に会います。私たちは、わざわざ寄り集まって暮らし、邪魔し合い、ぶつかり合い、つまずき合います。私の考えでは、私たちは社交のために互いに尊敬できなくなっています。社交を少なくすれば、大切なことを伝え合う、心を込めたコミュニケーションができるでしょう。」

彼が大都会ともいえるボストンから離れて生活することにした理由かもしれませんね。

 

で、ソローは何を大切に思ったのでしょうか。

少し長いですが、この文章も意義深く感じてしまいます。

「一度死んだ人が生き返るとしたら、蘇る場所や時間を選びはしないでしょう。どこでもいつでも同じで、たまたま蘇ったその場所と時間に、素晴らしい経験ができたと喜ぶでしょう。人は、たまたまめぐり合った場所と時間に応じて、すべての感覚が心地よく働くのを経験するのです。」

 

「私たちが一生の聞に重ねる経験のうちで、人々が高く評価する経験の多くは、本当の暮らしから見れば、見てくればかりでたいした経験ではありません。高い評価は私たちの心を乱し、気を散らすばかりです。」

 

「そうではなく、私たちのすぐ近くにあるあらゆるものと物事に、私たちの暮らしを作る本当の力が働いています。私たちのすぐ近くで絶えず働く、素晴らしく壮大な法則に触れる経験こそ大切です。私たちは、自分で雇った職人が近くで働いているのを見ると、ありがたいことだと親しく感謝の言葉をかけます。でも、じつは、本当に私たちのために、すぐ近くで働いているのは、私たちを生み出した創造者たる神というべき職人の手です。」

 

ここでソローは、多彩な表現を使って独り居の大切さというか、孤高の荘厳さのようなものを自然の多様なありようとともに語ってくれていますが、いまの私にはうまく的確にとらえきれません。ま、秋の夜長に、この一冊があれば豊穣の心持ちを方丈の空間で味わうことができるのではと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。

これから警察に接見にでかけ、そのまま帰りますので、今日は早めにブログを書き上げました。

また明日。


高野山100年を生きる <添田清美著『高野山に生きて97歳』>などを読みながら

2018-08-22 | 心のやすらぎ・豊かさ

180822 高野山100年を生きる <添田清美著『高野山に生きて97歳』>などを読みながら

 

宗教家というのは精神肉体を鍛え、超高齢になってもお元気で信徒を導くだけの生きる力を発散している、なんてことは必ずしもないのでしょうね。いや、私が狭い経験で知っている限り、高僧といわれる90歳を過ぎ100歳前後の方で、そのような活き活きした姿を目にしたことがないので、お目にかかりたいとは思いますが。

 

弘法大師空海ですら62年で入寂したのですね。長生きした法然(79年)、親鸞(89年)の終末期はどうだったのでしょうね。それほど快活であったようには見受けられないのですが。

 

むろん、貫首とか門跡、神職や司祭は、100歳前後の超高齢でいらっしゃると、存在すること自体にありがたさを感じる人が多いのでしょう。

 

ところで高野山の最高齢の僧職はどなたでいくつなんでしょうかね。

 

和歌山放送ニュース記事<高野山最高位に静大僧正 金剛峯寺で昇進式>では、

<高野山真言宗総本山・金剛峯寺の第519世・寺務検校(じむけんぎょう)執行法印(しぎょうほういん)に、清涼院の住職、静慈円(しずか・じえん)大僧正75歳の就任が決まり、金剛峯寺できょう(2/22)、昇進式が行われました。>とあります。

 

「法印」が最高位ということのようです。でもまだ75歳とお若いですね。

 

で、<金剛峯寺座主(ざす)の中西啓宝(なかにし・けいほう)高野山真言宗管長84歳がきょう、辞令と緋色の僧衣の目録などを交付しました。>

 

管長は84歳なのですね。いずれにしても、現代の長寿社会では、お二方ともまだまだこれからという印象を受けます。とはいえ100歳前後の僧侶の方はいらっしゃらないのかしらとふと思うのです。

 

そんなとき見出しの書籍『高野山に生きて97歳 今ある自分にありがとう』を最近、通読しました。タイトルがいいですね。昨年97歳の添田清美さん(ご存じない方ですが、さんの方が似合っていると勝手に思ってしまいました)の著作で、生まれが41日ということですから98歳になられています。高野山100年を生きると題しましたが、ま、この方は100年を優に超えて高野山を快活に生きられるのではないかと思うのです。

 

その添田さんの書かれた文章が美しいのです。とても清らかで、仏さんのような?(むろん私は仏を知りませんが)優しい言葉遣いです。ほんとに97歳の高齢者が書いたのかと、疑うような失礼な気持ちになってしまいました。よくある代筆ではないかと・・まったくの誤解ですね。

 

というのは<97歳添田清美さんのお話>というタイトルで、ユーチューブでそのお声と話を聞くことができます。立て板に水ですね。なめらかな語り口、添田さんが終戦直後から守ってきた蓮華定院の宿坊に宿泊された方を前にお話しする声がみなさんを元気にさせてくれそうです。

 

毎日も今年116日記事<輝集人英語が得意な宿坊の名物お母さん 添田清美さん 高野山で語学力を発揮 /和歌山>で添田さんのことを取り上げています。

 

高野山に生まれ、戦前、東京女子大学英文科を卒業され、なんと国文科の瀬戸内寂聴さんの先輩で、戦後すぐ蓮華定院の住職跡継ぎに嫁がれ、以来、そこで高野山の厳しい四季を過ごし、重労働とも言える宿坊の世話をしてきたのですね。ご長男は現在の金剛峯寺主務総長である添田隆昭氏(70歳)です。

 

さて、著書からいくつか添田さんの言葉を引用させていただこうと思います。

 

「90歳を過ぎてしまっても、まだ悔いていることがあります。」

まるで北斎のような、気力と自己認識、そして探究心をお持ちのお方と思うのです。それが元気の源でしょうか。

 

「未完成だからこそ、成長を志す、そういう気持ちをいくつになっても持ち続けたいと思うのです。」

先の言葉に通じるものがありますが、生を限りあるものと自覚しつつ、最後まで自分の至らなさ、未完成さを認識できる能力というのでしょうか、それを伸ばそうというか、よりよくしようとする意欲こそ、認知症とか、体力の衰えを回避する有効な手段であることを示しているようにも思えるのです。

 

「死という自身の生の結末を含めて、人生を謡歌したい。」

死を怖れるのではなく、それを素直に、自然に受け入れつつ、生を、人生を楽しむ、謳歌することを日々、心がけていらっしゃることを学びたいと思うのです。

 

そしてすごく大事なことを自然に語っています。

「長く生きていて感じるのは、まずは感謝です。」

私は改めて、「謝」という言葉の意味を調べてみました。いくつも意味がありますが、2つに注目しました。

「1 わびる。あやまる。「謝罪/陳謝」」

礼を言う。「謝意・謝恩・謝礼/感謝・多謝・拝謝」」

まるで相反するような意味合いにもとれる謝ですね。添田さんは3の感謝の気持ちを日々持ち続けてきた方かなと思うのです。1もあるでしょうけど、感謝の気持ちを重視されて、その気持ちでつねに対処すれば、わびることは少なくてすむかもしれませんね。

 

誰にでも、苦手な人、うまくいかない人が世の中いますね。そんなときどうしましょう。

「反りが合わない人にほど、親切にする」

「まず自分から親切に尽くす。これでだいぶ変わってくると思います。」

まずは自分の心持ちを変えること、難しいけど、自然な言葉で語っています。

 

その他、97歳、すでに98歳になられた元気な添田さんの言葉は、心にしみるいい響きがあります。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。

 


スウェーデンの選択 <自然は誰でも享受できる><税金は喜んで払う><世界遺産で散骨><森林資源をIoTで>などを考えてみる

2018-08-03 | 心のやすらぎ・豊かさ

180803 スウェーデンの選択 <自然は誰でも享受できる><税金は喜んで払う><世界遺産で散骨><森林資源をIoTで>などを考えてみる

 

NHK関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」は今週からスウェーデンに入りました。これまでも私の知らないヨーロッパ各地を垣間見せてくれ、毎日楽しみです。

 

今週からスウェーデンを10日間旅するのですが、30年近く前の話を思い出し、少し触れてみたくなりました。

 

その頃、バブル全盛の頃でしたか、スクラップアンドビルドで、東京は日々様子が変わっていました。周辺だけでなく、地方に産廃が不法投棄される状況もよく報道で取りざたされていました。他方で、金余りの日本企業は、世界各地で不動産を買い占め、わが世の春を謳歌しているかのようでもありました。また、東南アジアをはじめ途上国の天然資源を買いあさり、自然破壊をする一方で、大量にわが国に輸入し、そして大量消費、大量生産、大量廃棄の異様な大循環を増幅させていたように思います。

 

そのころ、スウェーデンの日本大使館かに勤められていて、帰国されたお名前はちょっと失念しましたが、その方の講演がありました。そのエコロジカルな生き方、高い税金ながら高福祉を充実させ、安心して暮らせる社会を作っていくやり方など、示唆に富んだ話だったと思います。ただ、わたしはたしか人口900万人くらいの国だからできるけども、わが国では現実味がないという印象をぬぐえず、評価しつつ、日々の仕事の中で次第に薄れていったように思います。

 

その後、スウェーデンについてのさまざまな調査や研究が持続的になされ、時折意識しつつも、すぐに忘れてしまうことの繰り返しでした。

 

今回知宏さんがスウェーデンを旅してさまざまな人と出会う中で、再び、まったく異なる国ですが、やはり参考にしてもいいのかなと思いながら見ていました。

 

軽い運動をしながら見ていて、メモもとっていませんので、記憶を辿りながら(情報が多すぎてすぐに忘れてしまいます)、そのうちのいくつかを取り上げてみようかと思います。

 

スウェーデンはとても広大な国ですが、人口は少ないですね。ですから知宏さんが駅の近郊を歩いていて、首都や観光地を除けば、滅多に人と会うこともない感じです。

 

どこだったか、森の続く中に湖があり、そこに一人の男性がたしか魚釣りをしていたのでしょうか、声をかけると気安く対応し、いまから自宅でパーティだと言って知宏さんを誘うのです。

 

彼は長年ためたお金で、郊外にホテルを建て、地域の再生に役立ちたいと言った希望を話したかと思います。その家族パーティでは、食卓に出たのは森の中などで自由に採取した果物やキノコでした?そういった食材がだされていたかと思います。そこで「アッレマンスレット」という言葉が突然出てきたのです。たしか関東弁護士連合会が90年代にスウェーデンの環境法典をはじめ環境規制を学ぶ中で、この言葉を象徴的に掲げていたか、あるいは私の記憶の奥底に刻まれたのか、ともかく懐かしい名前に遭遇したのです。

 

和訳すれば、自然享受権ともいうべきものでしょうか。日弁連が80年代に森林や自然破壊を守るために「自然享有権」を提唱しましたが、この「アッレマンスレット」は、開発に対抗する権利と言うより、個々人が自然の恵みを受けることができる生来的な権利・利益といった趣旨でしょうか。このような考え方は北欧ではそれぞれの国の言葉で認められています。

 

わが国では多少似通った言葉として、入会権がありますが、これまた多様ですし、やはり北欧の自然享受権とは相当違うように思うのです。

 

ともかくスウェーデンでは、だれもが森にある果樹や木のみ、キノコといった自然の恵みをとってもよい、また自然の中に立ち入っても良いことが認められているということが共通の認識であるようです。それは森や自然に対する考え方として、私たちも十分参考にして良いのではと思うのです。

 

わが国のように農地ばかりか、山林まで、異様なほど細分化され、またあちこちに散在するような土地所有形態となった今、このような考え方は容易に導入することはできませんが、意識改革もあってもいいのかなとふと思うのです。

 

話変わって、知宏さんが若い女子学生さん3人と意気投合し、彼女たちの健康的でのびのびした印象に魅入られたのか、彼女たちの借りている家に案内されました。とても広い居室で、たしか家賃が12万円で、3人で居住しているので3分の14万円を負担するだけだそうです。その3人は異なる地方からやってきて偶然一緒になったそうです。こういったシェアハウス的な利用、「コレクティブ」といった呼称だったかと思います。

 

そして一ヶ月の生活費は12万円弱とのことで、では家族からの仕送りも結構な金額かと思いきやまったくないとのことでした。それはすべて税金でまかなわれているというのです。たしか給付金が4万円(返済しなくても良い?)、奨学金が8万円(就職後返済)だったように思います。それで彼女らいわく、付加価値税でしたか高いですし、所得税もたしか50%くらいだったと思いますが、国民にとって全然高くなく、喜んで払うというのです。

 

日本の国税庁職員が聞くと垂涎の話でしょうか。たしかに負担した以上に、見える形で給付があればそれは嫌な負担とは思わないでしょうね。

 

他方で、両親とかは、子供に仕送りせず、自分たちの生活維持に使うことになる、まさに個人主義的な生き方の一つがここで現れているようにも思うのです。こういった考え方は国によって多少違うでしょうけど、西欧では割合多いのではと思うのです。

 

もう一つ、親子ずれが入れるコレクティブの賃貸用集合住宅にも招待されていましたが、きっかけは私が見ていないときにあったようです。ともかくその住宅は、若い親子が利用しています。母親と子だけの世帯もあるようですが、夫婦と子の世帯が普通のようであったかと思います。そこには幼いお子さんが遊べる部屋があり、そこには誰か必ず親が世話しているそうで、とくに担当がきまっていない雰囲気でした。そして紹介されたのは働く母親でしたが、彼女は仕事が遅くなって子供の食事や世話ができないとき、電話すると居住者の誰かが代わってみてくれるというのです。こういったコレクティブ住宅が人気を呼んでいるそうです。

 

それは子育てでも、親子でできなければ祖父母が世話するという日本的な対応ではなく、社会・国家が面倒を見るというスタイルとなっています。社会で育てるということでしょうか、さて虐待とか少ないといいのですが、おそらくそうではないかと思うのです。

 

他方で、祖父母はというと介護施設とか、高齢者施設に入居され、日本流の世代同居ということはないそうです。それは北米でも普通のような印象です。わが国ではそのような傾向はあまり見かけませんが、次第にそういうまったく関係ない人同士の共同住宅が増えてくるかもしれません。

 

この子育てにおいても、母親が子育てを担当するといったことはなく、夫婦が平等に自分たちの権利と責任?といった意識で、ともに担うという考えが普通のようです。ですので、共働きが97%くらいでしたか?ともかく両親とも働いている中、子育てのため、夫婦併せて480人の育児休暇が認められ、交互にとるようです。その間の給与も80%とか90%?ちょっとしっかり記憶していませんが、かなりいい金額でした。これもまた高い税金のおかげだそうで、皆さん、税金を払うことに嬉々としている?ような雰囲気です。

 

死後の世界はどうでしょうもついでに話すと、首都ストックホルムから電車で30分もかからないところにある、「スコーグスシュルコゴーデン」は現代の墓地としては唯一ではないかと思うのですが、世界遺産登録されています。

 

ここの礼拝場の建築様式もすばらしいですが、やはり森に囲まれた墓地、芝生の中に立てら得た墓標の様な塔、そして森に散骨され、自然に帰るなど、そのあり方は首都の墓地としてとても印象深いものです。木々の中で散骨される様子は、個々の遺骨・遺灰を問題にすることなく、自然への回帰を、森の民として望んでいるのかなと思わせるものです。

 

世界遺産での散骨というあり方も、とても象徴的です。

 

それはスウェーデンが森と湖の国であり、またバイキングを生んだ海に囲まれた国でもあるところに淵源があるのかもしれません。

 

ところで車窓から見る森は、それまでヨーロッパ各国の森とはまた一段と異なり、まさに平地に森が広がっています。知宏さんはある林業現場を訪れますが、わが国の普通の林業地と異なり、人はほとんどいません。SF映画に出てくるような大型ロボットのごとき最先端高性能林業機械があっという間に伐倒、造林、積込、運搬を一貫性をもって行っています。

 

私も最近日本で言う高性能林業機械の一つハーベスターの作業を見ましたが、従来通り、建設機械の土台にアタッチメントの伐採・造林機械を取り付けているもので、本来的な林業に特化したものではありません。移動部分はキャタピラで、どんどん森の中に押し進むといったものではないのです。ま、それでも一人がチェーンソーで伐倒、造林するよりは格段に早いことは確かです。

 

しかし、ホイールハーベスターと呼ばれ、車輪がたくさんつき、一定の段差や斜面にも対応でき、そしてキャビンは冷暖房付きで、しかもIoT機能が搭載されているのが北欧やEUではどんどん使われているのですね。(参考にコマツの<スウェーデンの森は、IoTの森だった>の末尾に動画がありますので、興味のある方はご覧ください。すごいですよ)

 

知宏さんが目にしたその機械も、わが国ではまだほとんど利用しているところがないのではと思われます。すごい勢いで長大木を伐倒したかと思いきや、立木当たらないように倒しつつ水平にして、IoTで入手した原木市場で求められている大きさを把握し、それに応じた長さ・太さにあっという間に裁断するのですね。

 

このような平坦に近い場所で膨大な森林があれば、こういった機械が有効に働くでしょう。

 

さて森林のもつ温暖化防止機能を発揮させようと、環境省・林野庁は林業生産の促進を図っていますが、日本の現状にあった対策が期待されるでしょうし、期待したいものです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


鉄道の旅 <関口知宏の鉄道の旅>を見ながら

2018-07-15 | 心のやすらぎ・豊かさ

180715 鉄道の旅 <関口知宏の鉄道の旅>を見ながら

 

俳優・関口知宏の鉄道の旅、平日の午前6時から1時間毎日放送していますが、これがなかなか面白いのです。私には母親の西田佐知子さんのイメージ(といっても顔の方はすっかり忘却の彼方ですが、アカシアの雨にうたれては忘れがたい歌です)と外見はともかくなにかもっていると感じる好青年で(再放送ですから、もう中年の域に近づいている?)、魅力を感じています。

 

いずれも再放送ですが、中国の旅は38,000km?でしたか、広大な中国を鉄道で一筆書きで走り抜ける壮大な旅でした。母親の清楚なイメージと、父親の柔軟で誠実な感じ、さらに祖父の堅物みたいなイメージをいくら足してもダブりそうにない、キャラですが、いいものをなにかもっているように思うのです。

 

だいたい、中国という多民族で多様な文化程度の中をどんどん入っていって、なんとか気持ちを通じ合うようになるのですから、なかなかです。彼が中国の鉄道に乗ったのは10数年くらい前でしょうか、車掌さんや駅員のかなりサービスというものが板についていましたね。私が最初に乗ったのは25年くらい前でしたから、乗車客に対するサービスという意識がほとんどなかったですね。

 

それはともかく、彼は大きな都市、小さな村、いろんなところで都会の中、村の中を歩き回り、畑で作業している人と会話をしては家に連れて行ってもらったりして、家族と食卓を一緒にしたりします。私が訪ねたボルネオの先住民の集落に比べれば、まだ文明化されていますが、それでも日本の戦前を思い浮かべるようなところもありました。

 

智宏さんは母親の遺伝子でしょうか、歌唱力もあり、自然に中国の旅の中で詩をつくり中国の楽器で曲を奏でるのです。さすがですね。

 

作画力もなかなかで、ちょっとした情景を活写して、乗客の注意を惹いたりしています。歩き方が少し変わっていることから、女性みたいと子供にからかわれたりする場面もありました。そういったこともあまり気にしないようです。だいたい髪がぼさぼさのように見受けるのですが、学生ならまだしも、俳優にしてはどうかと思ったり、祖父や父親のダンディズムとも異なるセンスをもっているのかもしれません。それも中国、そして現在放映されているヨーロッパ編でも、人懐っこさを感じさせるのかもしれません。

 

さて大国・中国の旅を終えたと思ったら(再放送ですから別に旅が連続している分けではありませんが)、こんどはヨーロッパの小国ばかりを旅することになりました。最初のオランダから、ベルギー、オーストリア、いまはチェコになっています。

 

それぞれ1000kmから2000kmまでくらいの短い距離ですが、それでも変化があって、とても面白いですね。ベルギーでは3カ国語とか当たり前で、5カ国くらい話すことができる人がいるというのはよくいわれますが、実際のところは、地域によってフランス語圏とかオランダ語圏とかに分かれているようで、もっぱらその圏内ではその言語が話されるようです。むろん多言語を自由に話せる人も多いことは確かでしょうけど、それがすべてとか、当たり前とまでは言えないのかもしれません。

 

ヨーロッパの旅で目につくのは、やはり自転車をそのまま電車に乗り入れでき車内に置くことができることですね。私は20年以上前、マウンテンバイクをやっていましたが、いまもそうでしょうけど、当時自転車をもってそのまま電車に乗ることは想定外でした。それで折りたたみ式のものを購入して、遠出して電車に乗るときは、折りたたみ専用の袋に入れて担いで乗っていました。折りたたみ式だけなので、やはり選択肢が狭くなりますね。

 

それに比べ、ヨーロッパではどこでも自転車道路が走っていますし、電車の中に乗り入れ自由で、自転車大国ですね。健康志向と車フリーなんでしょう。ここは見習ってもいいのではと思うのですが、なかなか進みません。

 

話は変わりますが、ザルツブルクでは智宏さんはモーツアルトの生家を訪ねました。私は関心があまりなかったので(その音楽はすばらしいと思うのですが、生家にはまったく関心がわかない)、素通りして、岩塩でザルツブルクを反映させた方が作ったお城を拝見しましたが、智宏さんはさすがに生家を訪ね、しかも普段は解放していない特別の部屋に入り、モーツアルトが好んだコーヒー漉し?を見せてもらいました。飲んだのでしたか?忘れてしまいましたが、モーツアルトが作曲づくりのとき、10杯近く飲んでいたとかという話もありました。そうなんですね、天才もコーヒーの力を借りていた、失礼、その香りで少し休んでいたのでしょうか。

 

ウィーンではウィーンナーコーヒー?を出す本格的なお店に座って飲んでいましたね。そこは私も経験したような記憶がありますが、その先がまったく違いました。隣に座った人が自宅を案内するということになり、20分くらい車を走らせていった自宅は、なんとお城同然でしたね。すごい屋敷で、こういう不思議な体験はNHKも一役買っているのでしょうか。

 

ところで、こういった小国の旅ですが、車窓から見ることのできる風景は、日本と大きく異なっています。一つは、大規模農地です。国がいかに小さくても一区画の農地はおそらく1ha以上かるくある感じです。よくわが国の農家の平均的な農地規模が0.5haとか1haとか(ちょっと記憶がはっきりしません)の数字がだされることがありますが、それは名寄せ帳などで寄せ集めた農家一軒の所有面積です。しかし、農家が実際に耕作している一区画は大きいところで1030アールくらいでしょう。小さい区画だと、数アールから5アール程度はどこでも普通に見られます。それが入り乱れて、散在しているところが、零細分散錯圃という日本特有の耕作方式ではないかと思うのです。

 

ただ、東日本や圃場整備が進んだところでは、大規模化が相当できていると思いますが、旧来の方式はいまだ多くの地方で残っていると思います。

 

それは平坦地の多いオランダだけでなく、山林の多いオーストリアでも同じでした。山林でいえば、オーストリアの山林(取材では残念ながらここにまで足を伸ばす余裕がなかったのでしょう)は遠景で見る限り、傾斜角度もきつく、日本の山林とそう大きな違いを感じない印象でした。それでもオーストリアの林業の生産性が高いのは、長い時間をかけて生産環境整備したことによるのかもしれません。

 

そろそろ時間となりました。今日はこれにておしまい。また明日。