白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

原発事故による異常/鳥や昆虫

2013-07-09 10:46:06 | 放射能

「原発事故で鳥類や昆虫に異常も 日米研究者ら指摘

2013年7月9日 10時31分

 【シカゴ共同】東京電力福島第1原発事故に伴って放出された放射性物質が、生物に及ぼす影響について考える国際分子生物進化学会のシンポジウムが8日、米シカゴで開かれた。日米の研究者らが、ツバメなどの鳥類やチョウなどの昆虫に異常が起きている可能性があると指摘し、さらに詳しい調査の必要性を訴えた。

 米サウスカロライナ大のティモシー・ムソー教授は、1986年のチェルノブイリ原発事故後に、ツバメなどの羽毛の一部が白くなるほか、体に腫瘍ができるなどの異常が起きたと報告。」

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013070901001266.html

升添氏に賛成/問題は国会の「ねじれ」ではない

2013-07-06 18:38:55 | 政治
「ねじれ国会、どこが問題でしょうか?

 選挙の時期が異なる二院制を前提にする以上、両院のねじれは当然です。

 政権側は、そのことを与件として国会運営をする知恵が必要です。国会運営が順調にいかないことを制度のせいにするのは簡単ですが、基本的なことを言えば、与党の国会対策とは、野党の言い分を聞いて法案の円滑な審議を行うことです。そういった努力を欠いた国会運営をつづけていては、長期政権の展望は開けません。

 国会がねじれていれば、野党の言い分を聞かざるをえないので、与党の暴走を抑えることにもつながります。

 私が厚労大臣のときに、多くの法案を成立させ、懸案の様々な問題を解決できたのは、ねじれ国会のおかげだと言ってもよいほどです。

 政官業が癒着し、自民党の族議員が改革に反対する中で、野党の建設的な批判は、守旧派の族議員と対決する武器として、大いに役立ちました。

 その武器を活用して、改革を進めることができたのです。参議院で野党から建設的な提案がなされたことが何度もあり、それを修正案や付帯決議に反映させ、より広い国民の利益になる法律を成立させることができました。

 衆議院のカーボンコピーと揶揄される参議院ですが、その意義は「再考の府」として大所高所から、衆議院で十分な審議が尽くされなかった問題について議論するところにあります。

 参議院選挙の焦点は「ねじれ解消」ではありません。問われるべきは、経済や社会保障、そして、外交です。

 また、この国の「かたち」をどうするか。統治機構についてわずか4条しか書かれていない憲法についても、地方自治の章を大幅に加筆し、中央と地方の関係について規定しなおすべきです。

 道州制、連邦制の導入についても議論し、その関連で二院制のあり方も俎上に載せることが可能となります。アメリカ上院のように、参議院を地方の代表者からなる国会の場として改革することも、新しい政治のあり方の一案となるのではないでしょうか。」

http://www.huffingtonpost.jp/yoichi-masuzoe/-_18_b_3549082.html?utm_hp_ref=japan

変質者が作り上げた日本の芸能界/ジャニーズとAKB

2013-07-06 16:57:51 | 文化
 ジャニーズの創始者で今でもトップであり続けるジャニー喜多川氏と、おにゃんこ・AKBで少女アイドル路線を確立した秋元氏はともに変質者だ、というのが私見である。

 ジャニー氏についてはかつてNYTも取り上げたほど有名であり、かつて事務所にいたタレントの告発もあるところからよく知られているとおり。

 小児・男児性愛者であることは明白である。

 なおジャニー氏は敗戦後日系人であることから、通訳として進駐軍の一員として日本に入ってきたとの事。

 あの時代米兵相手のいかがわしいサービスが横行した時代にビジネスの基礎-人脈を築いたと想像される。

 秋元氏はそれほどはっきりとはしていないが、おにゃんこもAKBもロリコン少女趣味のビジネス版であることは明白だろう。

 彼自身の性癖は不明だが、結婚した相手がおにゃんこの人気アイドルの一人であり、その他にもいろいろなうわさが飛び交った。

 さてこの二人以外を考えると、演歌界で相変わらず暴力団関係のうわさが絶えない。というよりも芸能界全体である(You Tubeで暴力団家計を検索すればすぐ出てくる)。

 変質者と暴力団。

 「あまちゃん」は好きだけど、子供に薦められる世界ではないね。

カフカ『変身』の読み方

2013-07-03 11:45:01 | 文化
「「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年6月号

文学にみる障害者像  フランツ・カフカ著『変身』  佐々木正子

ある朝グレゴールザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹のとてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。

こんな唐突な書き出しではじまるフランツ・カフカの『変身』という小説は、毒虫になった息子に対して、家族がだんだんと疎ましくなっていく様を、日常の暮らしを通して描いてゆき、そして衝撃の結末を迎えるという小説だ。

カフカの小説は『城』にしろ『審判』にしろ非常に難解なものが多いが、この『変身』は、難解さも、あいまいさもなく、実に分かりやすい小説だ。難解なところといえば冒頭の一行「ある朝グレゴールザムザが不安な夢から目覚めてみると…」の設定だろう。だが、作者はそこをなぜなのかと追求せず、虫になったグレゴールと家族との暮らしの描写を実に巧妙にくりひろげ、息もつかせずラストの結末まで、一気に読者を導いてしまうのだ。

しかし不思議なのは、会社勤めをしていた若い健全な肉体をもった青年が、ある朝起きてみたら、理由も無ければ原因も無く、突然自分が身の毛もよだつほど恐ろしい「毒虫」に変わっていたというこんな不条理な事が起こったのに主人公はそれほど驚いたり、嘆いたりしていない。これがもし作者がホラー小説を意図して書いたとしたら、その毒虫がどれほど不気味な姿かたちをしているかを克明に描き始めるであろうが、そんなことは一行も描かれていない。さらに興味深いのは、虫になった自分をこう描いているところである。

まず彼は下半身をベッドの外へ乗り出してみようと思った。彼はまだ自分の身体の下半分を見ていなかったから、どんな格好をしているのやら見当もつかなかったのだが、さて、それを動かしてみる段になると骨が折れた。じつに動作がのろくさかった。とうとう彼は腹をたてて、無分別にも力いっぱい前のほうへ身体を投げ出した。ところが方角の選び方がまずかったとみえて、ベッドの脚へしたたか打ちあたり、ひりひり焼け付くような痛みを感じた。この失敗で下半身がひじょうに敏感なことをおしえこまれたわけだ。

これはまさに障害をもっている我々が日常いつも体験している感覚ではないだろうか。
障害者として生まれ、不自由な生活をおくっている我々も、考えてみれば、日常の暮らしの中では、自分の身の上がなぜこうなったのかを考えたり、ことさら不幸であると思うことなどあまりないが、物を持ち上げたり、何かをやる動作の中で自分の意思の通りに動いてくれないわが身にくやしい思いをすることはしばしばであり、まさにカフカが書いた小説の主人公グレゴールの体験している状況の通りなのである。

その毒虫になった息子について家族もまた、なぜそうなったのかという原因を探ったり、医者に見せようという方向に進むのではなく、この息子とどう接していけばよいのかという日々の暮らしの苦悩を小説は描いていくのである。
それは別の視点に置き換えると、突然痴呆(現 認知)症になった老人や、重度の障害者を抱えた家族の姿を描いているようにも感じられて、身につまされる思いである。

読み進む中で、はっきりと見えてくるのは、虫になったグレゴールのことを家族が「もう彼は自分たちと同じ人間ではない」ということを認識していく姿だ。「障害者も健常者も同じ人間だ」というのが実は幻想で「障害者も人間ではあるけれど別の世界の人間だ」という健常者の本音を、カフカが変身を通して描いているように思われてならない。

フランツ・カフカは、1883年7月にプラハで宝石商を営むユダヤ人家庭の長子として生まれている。18歳でプラハ・ドイツ大学入学、法学博士号を取得した後、ベーメン王立労災保険局に勤務。勤務態度の真面目さと礼儀正しさには定評があったようだが、知人によると、彼の印象について、「いつもガラスの向こうにいるように感じた」と述べている。
実はカフカは幼い時から厳格で強靭な父親を恐れ、家族と交わることをせず、自分の殻に閉じこもりがちだった。その兄をいつも支えたのが末の妹オットラだった。オットラには兄フランツに無い決断力と実行力があった。兄が父に反対されている小説執筆に悩んでいると、自分の部屋を仕事場として使わせた。カフカの短編の多くはオットラのところで居候中に生まれている。

また、カフカは常に女性を求め続けた人でもあった。カフカは婚約という正式な形をとった女性はフェリーツェとユーリエの2人だが、それ以外にも3~4人と恋愛関係になっている。そしてジャーナリストのミレナとの激しい恋。その恋に破れ、1924年6月3日、結核の悪化によりウイーン近郊のサナトリウムで死去。そのカフカの晩年数か月を共に暮らし、最期を看取ったのが21歳のドーラという女性である。

41年の生涯の中で、カフカはいつもいつも女性に恋をした。だが、女性と正面から向き合うような現実が来ると、逃避してしまうのだ。まして家庭を持ち、日々の暮らしを営む“結婚”を恐怖していたのではないだろうか。だから好きになって婚約しても、自分から破棄してしまうのである。そしてまた恋をする。その恋に苦悩する中で小説を書き続けたのである。

彼の小説執筆は仕事から帰ってから深夜にかけて行われていたようだ。この『変身』はカフカ29歳の時の作品である。
カフカの亡くなった後、ドイツは、あのナチスがユダヤ人を大量虐殺していく道へと進んで行ったのだ。ドイツ人でもなければ、正当派ユダヤ人でもない自分。誇り高く強いドイツ人を求める社会の中にあって、価値を認められない自分という存在。「自分は普通の人達とは別の人間だ」という疎外感、作品の多くが「社会から疎外された状況の人間」を主人公として書かれていることを思うとカフカの心の不安が見えてくる。そんな自分に唯一手を差し伸べてくれる女性という存在。そこにひたすら安らぎを求めていくカフカ。まるで太宰治のようでもある。

しかし、そんなカフカの小説がなぜ多くの読者に支持され世界的にも評価されるのか。それは彼の作品が、気高さと優しさに満ちているからではないだろうか。それはカフカが、自分を疎外する社会と人々を恨むのではなく、むしろその人たちに愛されたい、その人たちを愛したい、そのカフカの思いがすべての作品に貫かれているからだ。

この『変身』のラストシーンにも家族を思う気持ちが痛いほど描かれているのだ。毒虫になった息子が死んだ朝、なんと家族は勤め先に休暇届けを出してそろって郊外に出かけるのである。だが、そのラストシーンをカフカはこう描いて小説を終えている。

やがて3人そろって家を出た。もうここ何ヶ月もいっしょにそろって外へ出たことなどなかったのだ。彼らは電車に乗って、郊外へ出かけた。ほかに相客のない車室には、暖かい陽射しがいっぱいに差し込んであふれている。3人はすわり心地よく座席へゆったり背をもたせかけて、将来への希望などをいろいろ語り合った。(中略)

3人でそんなことを話し合っている間にも、ザムザ氏とザムザ夫人とは、だんだん生き生きと快活になってくる娘の方を期せずして眺めやりながら、この娘にもかわいそうに一時は頬から血の気がすっかり失せるほど苦労をさせたが、どうやら最近はまた豊満な、美しい娘ざかりの姿へ立ち戻ってくれたものだ、という感慨がほとんど同時にめいめいの胸に湧き上がってきた。すると夫妻は言葉すくなになって、お互いのまなざしだけで暗黙の了解をとりかわしながら、ひとつ、これからは娘のためにりっぱな男を見つけ出してやらねばなるまい、と考え込んでいた。

さて、いよいよ電車が行楽の目的地へ着いたとき、娘はいちばん先に立ち上がって、その若い肉体をしなやかに伸ばしたものだ。その美しい姿が、新しい夢と、善い意図をしっかり保障してくれるように夫妻には思われた……。
(ささきまさこ 「しののめ」編集長)」

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n311/n311014.html

慰安所を利用した兵士の証言

2013-07-02 18:47:15 | 軍事
「慰安所行った、でも話せない 元兵士「妻や子にも迷惑」

慰安所の行列に並んだ体験を語る男性。日本に残した恋人の存在が胸をよぎり、逃げ出したという=大阪府内

 【武田肇】旧日本軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。

 「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。

 太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」

 月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にする女性は朝鮮人だった。時間は10分程度。心の安らぎもないまま事務的に済ませて、外に出たという。

 慰安婦と日本語で会話を交わすこともあった。でも、「なぜ、そこで働いていたかは聞かなかった」。男性自身、死を覚悟する毎日だった。彼女らがかわいそうという感覚はなかった。「ぼくらも消耗品。自由を奪われたかごの鳥同士、同類相哀れむような感覚だった」

 心に閉じ込めていた記憶がよみがえったのは、5月中旬、日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長の発言をきっかけに、「慰安婦」問題が連日報じられるようになってからだ。慰安婦を思い、「残酷な人生や」と胸が痛んだ。
 「(当時)慰安婦は必要なのは誰だってわかる」と語った橋下氏に憤りが募った。「戦場を見てきたかのように軽々しく言ってほしくない」。だが、そんな葛藤も人前では語れない。「ぼくらが何を言っても世間にたたかれるだけ。それに話せば妻や子、孫にも迷惑がかかる」

 大阪府の元兵士の男性(93)も、橋下発言をきっかけに、慰安所の記憶を細部まで思い出した。日中戦争が始まって3年後の召集で砲兵になった。

 初年兵のとき先輩に慰安所に連れて行かれ、行列に並んだ。自分の順番が来る直前、小屋を覆うアンペラ(むしろ)から、慰安婦の女性が力なく兵士に組み敷かれる姿が見えた。ショックで逃げ出した。

 「故郷で待つ恋人を思い出して我に返り、純潔を守らんとと思った。それがなかったら、行っていた」
 兵士の強姦(ごうかん)を防ぐために慰安婦や風俗の利用が必要――。そう主張する人もいるが、経験から照らして疑問だと思う。「若い兵士の中には、慰安所で女性を知るとしんぼうたまらなくなり、強姦に走る者もいた」

     ◇
■聞き手に責任も
 「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)館長で、元NHKディレクターの池田恵理子さんは長年、元慰安婦や元兵士の証言を集めてきた。被害女性たちは1990年代になって支援者に支えられ名乗り出るケースが相次いだが、元兵士の圧倒的多数は「戦場の性」について正面から語らないままという。

 「加害責任の希薄さに加え、性的な問題を語るのは恥という意識も妨げになった。慰安婦問題が南京大虐殺と並んで政治対立の争点になると、タブー視する空気が一層広がった」

 元日本兵の体験を聞き取り、「戦争と罪責」(岩波書店)を書いた精神科医の野田正彰さんは、兵士らの沈黙には「聞き手」にも責任があると指摘する。「良心の痛みを伴う戦場体験を、戦後世代はどれだけ真剣に聞いてきただろうか。少数ながら、自分のおかした行為を証言してきた元兵士もいる。その勇気ある証言を社会がどう受け止めてきたかも問われている」」

http://digital.asahi.com/articles/OSK201306300117.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_OSK201306300117

この際共産党か社民党へ

2013-07-02 16:05:31 | 政治
 このままいけばあのろくでもない安倍政権が一気に改憲に向かって突っ走りそうだ。

 自民の改憲案は戦前復帰を目指す「トンデモ憲法」だ。

 この際、参院議員選挙は、目をつぶって共産党か社民党に入れよう。

 自民党の嫌がることを全力でしないと、日本の民主主義は破滅だ。