白夜の炎

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ロシア代表団の見方

2011-03-23 14:30:08 | 原発
 佐藤優氏のブログ、「眼光紙背」から原発事故に関するロシア代表団の見方が紹介されている。

 彼らは実際に現地を訪問し、アドバイスを行ったようである。

 佐藤氏はロシア側の政治的意図があると批判的だが、私はたとえそうであっても批判はかなりあたっているのではないかと思う。

 ロシア代表団の座談には、日本側の官僚的で遅い決定。

 現場から遠い指揮官。

 判断力・決断力の欠ける責任者
、といった批判が見られるが、それらはなどは日本国内でも常々言われてきたことである。



 またとかく日本の原発技術は世界一と夜郎自大的世界に引きこもりがちな私たちのものの見方を正してもらう意味でもいいのではないだろうか。

 戦後の日本の原子力開発はアメリカから技術導入によって、それをまねることで出発したのは歴然たる事実だと思う。

 そんなことにはつゆふれず、とにかく日本製が一番、というような報道や宣伝が多すぎるように思う。

 世界から広く学び、批判を受け入れる姿勢がないところに今回の問題が生じたのではないだろうか。



 今回の原発の破局も、アメリカの原子力規制委員会代表が訪れたり、米軍の支援が本格化したり、そしてこのロシア代表団の訪問があった後に、次第に落ち着いてきたのではないだろうか。

 何よりも東電も、保安院も、政府も、その他の関係者も、みんな動転して何をどうしていいのか分からなくなった、というのが、テレビで事態を追っていた私の感想だった(まあ、私もテレビの前で呆然としていただけだが)。

 アメリカやロシアの専門家の判断と決断力のおかげでようやく日本側も落ち着いたように感じられる。


 このように書いて来ると、日本側の専門家という人々が、まあとても「大人」とは言えないレベルにあるなと感じられて誠にさみしい気持ちになってくるが、しかし私の感じたところは、ここに書いたとおり。

 このような「姿勢」、といったことも含め、私たちには多くのものが欠けているとまず自覚しないといけないのではないだろうか。

 技術や勉強だけでは、危機には対処できない、ということのようだ。

 極めて優秀で、体力精神力抜群で、果断な決断力と的確な判断力を持つ人間、そういう人間でなければ重大な問題に関する責任者になってはいけないということだ。


 
 また指揮するべきところが現場から遠すぎるというのは、昔から-それこそ戦前の戦争に際しても-いわれてきたことである。

 有名な例では旅順攻略戦がどうにもならないこう着状況に陥った時、児玉源太郎が現場を訪ね、事実上指揮権を乃木希助から取り上げて決着をつけた。

 その時まず指摘したのが、司令分゛前線から遠すぎる、ということだった。

 これが適切な比喩になるかどうかわからないが、日本のトップというのは、なるべき仕事をせず、なるべく危険を避け、ほとんど実務に通じていないけれども権限だけはほしい、ということに過去なりがちだった―極論ですが、あえて。

 これまた古い話だが―ここのところ龍馬伝など明治維新前後の話が多いのでご愛敬で聞いてください-勝海舟はアメリカからかえってきたとき、幕閣から日本とアメリカの違いを聞かれて、「アメリカでは地位が上の人はそれなりに見識があるように思われるところが、日本と違うところだ」と答えたというが、その弊害は今も変わらないかと感じられる。

 実際上がいったん凡庸で、実務に暗く、人間関係と、形式主義になれた人物になれば、その下がそのような人物で歴代後続するのは避けられない。

 朝鮮戦争の時韓国軍の初代参謀長となった白将軍の回想録を読むと、米軍と日本軍の違いがよくわかるが、米軍は指揮官が一番働き、よく前線を視察し、兵士の実態を常に自分の目で把握している。

 またあるアメリカ海軍の将軍の第二次大戦中の日本海軍の弱点を尋ねたとき、兵器や技術ではなく「硬直した人事システム」をあげたという。

 海軍兵学校時代の成績が一生ついて回り、実際の指揮官としての評価が反映されなければ、それはダメな海軍になるだろう。

 そんなことが改革されずに、官僚組織や、その他様様々な組織に「受け継がれてしまっている」のではないか。

 今回を契機にそれが一掃されなければならないと思う。


 このロシア側の批判も、そのような批判の一つとして耳を傾ければよい教訓になると思うのだが。


 ちなみに、イズ)とはイズベスチヤのことであり、アス)とはロシア代表団、ウラジミール・アストロモフしである。

 またロシア代表団の子の座談の内容そのものは、"The Voice of Russia"(http://japanese.ruvr.ru/2011/03/22/47793818.html)によっている。


 「イズ)日本からの帰り、サハリンに立ち寄り、プーチン首相に日本の現状を説明されましたね。個人的な印象も含めてお話を伺えますでしょうか。

アス)日本の方々は、原子力発電所の管理について素晴らしい腕前を持っているにも関わらず、一番重要な時にコントロールを失ってしまいました。

 日本の複雑で硬直的な官僚的運営モデルによって、事故への対応が遅れてしまったのです。

 問題を検討する場所が、現場から離れれば離れるほど、政策決定は遅くなり、運営状況が悪化します。


 ロシア人にとっては5分で済んでしまうようなことでも、日本ではまず委員会を立ち上げ、会合を重ねることが必要で、しかも肝心な責任者は1人だけで、常に連絡を取れるとは限りません。

 副大臣より下の人と話しても、何も決定できないようになっているのです。


イズ)いま、政策決定のスピードが遅い、ということに触れられましたが、具体的な例を挙げていただくことはできるでしょうか。

アス)いくらでも挙げることができます。事故があって停電してから9日間、原発には電力が供給されませんでした。

 ロシアならば、即座に地面にコイルを伸ばして、予備発電機を投入したことでしょう。

 もしも放水ポンプをすぐに動かすことが出来ていたならば、最悪の事態は避けられていたことでしょう。

 日本の人々がなにも手をこまねいていたとは言いませんが、独自の官僚的政策決定が長引いている間に、原発は燃えてしまったのです。


イズ)どうしてロシアの専門家が日本に受け入れられるまで数日間かかったのでしょうか

アス)受け入れに時間がかかったのはロシア人専門家だけではありません。

 原子力調整委員会を代表していたアメリカ人専門家の受け入れにも時間がかかりました。

 その委員会は、アメリカ大統領直轄の委員会ですが、福島原発はアメリカの設計によってつくられたものです。

 日本側は、外国の経験や助言を活用することは、欠点をさらけ出し、自らをおとしめることになると考えていたようです。


 また日本国内の政治状況も、問題をさらに複雑化させました。現在、政権についている与党は、40年間野党の立場であって、運営することよりも、批判することになれてしまっていたわけです。

 さらに危機管理ともなればなおさらでしょう。

イズ)ロシアの専門家らによる助言を、日本側は受け入れましたか。

アス)最終的に日本側は、ロシア側からの助言、提言を受け入れました。

 ヘリコプターによって、上空から水を散布するなどということは全く意味のないことですが、我々の提言に従って、中止されました。

 またもう一つの例を挙げましょう。日本では放射線を懸念して、消防車を建物の50メートル以内には近づけないようにしていました。

 その結果、ホースから発射される水が拡がってしまい、意味がありませんでした。

 私たちは、ホースの先をディーゼルエンジンに近づけたうえで、建物の間近から発射するように提言しました。というのも、その作業に人は必要ないからです。日本側はとても驚いた様子で、一日中検討していましたが、最終的に我々の提言を受け入れました。

  また最も重要な提言としては、危機管理の責任者が、東京の本省ではなく、実際の現場である原発で指揮をとるべきだ、ということを申し上げました。

(3月22日「ロシアの声」日本語版HPhttp://japanese.ruvr.ru/2011/03/22/47793818.html」


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