白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

カジノについて/内田樹より

2014-11-04 13:18:37 | 文化
「「実は、身内にかなりのギャンブル依存症がいます。優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは給料日に競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
 ――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
 「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。米国の禁酒法時代を見ても分かるように法的に禁圧すれば、逆にアルコール依存症は増え、マフィアが肥え太り、賄賂が横行して警察や司法が腐敗する。禁止する方が社会的コストが高くつく。だったら限定的に容認した方が『まし』だ。先人たちはそういうふうに考えた。酒も賭博も売春も『よくないもの』です。だからと言って全面的に禁圧すれば、抑圧された欲望はより危険なかたちをとる。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
 ――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
 「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。競馬の出走表を使って高校生に確率論を教える先生はいない。そういうことは『何となくはばかられる』という常識が賭博の蔓延を抑制している。賭博はあくまでグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民が生業としてやるものじゃない。法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまりに無自覚だと思います」
 ――安倍晋三首相は、シンガポールでカジノを視察して、日本の経済成長に資すると発言しました。経済を活性化する良策ではないですか。
 「賭博は何も生み出しません。何も価値あるものを作り出さない。借金しても、家族を犠牲にしても、人から金を盗んででも、それを『する』人が増えるほど胴元の収益は増える。一獲千金の夢に迷って市民生活ができなくなる人間が増えるほど儲かるというビジネスモデルです。不幸になる人々が増えるほど収益が上がるビジネスである以上、そのビジネスで受益する人たちは『賭博に淫して身を滅ぼす人』が増大することを祈ることを止められない。国民が不幸になることで受益するビジネスを国が率先して行うという発想が、僕には信じられません」
 ――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
 「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。一番儲かるのは戦争と麻薬です。人倫に逆らうビジネスほど金になる。でも、いくら金が欲しくても、あまり『はしたないこと』はできない。その節度が為政者には求められる。その『さじ加減』については先人の経験知に謙虚に学ぶべきですが、安倍政権には節度も謙虚さも何も感じられません」
 「為政者の本務は『経世済民』、世を治め、民を済うことです。首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実に目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」
 ――でも、安倍内閣の支持率は一定の高さを保っていますよ。
 「メディアは選挙になれば『景気を何とかしてほしい』『経済の立て直しを』という『まちの声』を繰り返し報道してきました。国民は政党間のこむずかしい政策論争よりも民生の安定を望んでいると言ったつもりでしょうが、メディアはそれを『有権者は経済成長を望んでいる』という話に矮小化した。有権者は何より金が儲かることを望んでいるというふうに世論を誘導していった」
 「武器輸出も原発再稼働もカジノも『金が儲かるなら、他のことはどうでもいい』という世論の形成にあずかったメディアにも責任の一端があります。メディアはなぜ『金より大切なものがある』とはっきり言わないのか。国土の保全や国民の健康や人権は金より大切だと、はっきりアナウンスしてこなかったのはメディアの責任です」
 ――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、成熟した大人にとって、現実的な議論とは言えないのではないでしょうか。
 「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金をもっている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
 ――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
 「時間のかかる議論を『決められない』と罵倒してきたのは、あなた方メディアでしょう。『決められない政治』をなじり、『待ったなし』と煽ったせいで、有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
 ――ニヒリズムですか……。
 「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
 「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選りのけるくらいしかできない」
 ――私たちは政治とどう向き合ったらいいのでしょう。
 「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」」

http://blog.tatsuru.com/

中国で相続税導入をめぐる論議が活発化/WSJ

2014-11-04 12:21:21 | アジア
「 相続税を導入するか否かが中国で大問題となっている。

 中国政府は現在、相続税を課していないが、先日の報道をきっかけに政府は相続税を課し始めるのか、もしそうなら税率はどのくらいになるのか、といった疑問が渦巻いている。

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北京の高層ビル群 Reuters
 21世紀経済報道は9月27日に国務院(内閣)のLiu Huan研究顧問の話として、共産党の最高意思決定機関が中央委員会第3回総会で相続税の導入について検討すると報じた。

 それ以来、新浪のミニブログサービス「新浪微博」には相続税について100万件を超える投稿があった。仮想空間や地元メディアの間でこの話題があまりにかまびすしくなったため、Liu氏は1日、国務院参事室のサイト上の声明で、21世紀経済報道の記事は正しくないとし、会議の議題については何も知らないと伝えた。

 政府は2004年に相続税法(案)を策定したものの、これはまだ正式には施行されていない。財政省は08年、海外での経験を例に挙げて相続税の導入は社会制度の充実につながると発表した。その後も中央政府と協力しながら相続税の調査を続けている。

 内閣は2月に収入格差を縮小するための指針を説明する際、相続財産や不動産に課税することで富の蓄積という最も扱いにくい分野に切り込むつもりだ、と発言した。

 相続税の賛成派は、貧富の差が拡大していることを賛成の理由に挙げる。北京大学の調査では、12年には所得分布の底辺から25%の所得は全体の3.9%を占めるに過ぎず、上部から25%の所得は同59%に達した。

 新浪微博の利用者の1人は「政府は相続税を導入すべきだが、課税対象の下限をどこに設定して中間層に負担かけないようにするかが問題だ」と投稿した。

 全国人民代表大会(全人代)の代議員、Chen Su氏は議会に、相続税を導入すれば国民は巨額の納税を避けるために消費を増やし始めるので政府は投資に頼らなくてもくなると提案した。しかし、ネット上では大半の人が時期尚早として相続税に反対している。

 中国の土地法によると国民は既存の資産を70年間利用できるが、実際に土地の名義が登記されているわけではないため、これは政府が相続税を課す上で大きな障害となると別の新浪微博の利用者は指摘した。市街地の土地取引を統制する法律によると、住宅用地のリース期間は最長70年、産業用地のリース期間は最長50年。

 また、政府高官に資産公開を要求する枠組みを整えずに相続税を導入するのは不公平と述べる人もいる。中には相続税による収入だけでは既存の社会福祉制度の拡充には足りない、と懸念する人もいる。

 そのブロガーは「相続税を導入したいなら、わたしは反対しない。ただしその前にわたしはどのような便益を受けられるかを知りたい。医療費が無料になるのか。教育費が無料になるのか。あるいは年金がただで受けられるのか」と述べた。」

http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304676604579112623587769510

生きづらい中国で、美しく生きる人々 システムと個人の相互不信【後】/日経ビジネスより

2014-11-04 10:23:57 | アジア
「 前編では、中国で出会った「システムの不備」に纏わる話をあけすけに編集担当Y氏にしていたら、彼から「中島さん、なんだか最近、中国に取材に行くたびに、どんどん中国が嫌いになっていっていません? 私、今日はあまりの毒舌ぶりに正直いって呆れましたよ!」と言われて、どきっとしたことをお話した。

 中国では、公共の施設はすべてが管理する側の視点で設計されており、使う人がどんなに不便だろうが、そんなことは知ったこっちゃない、というほど使いにくい。障害者用のサービス(点字ブロックなど)もあることはあるが、ブロックは途中で寸断されていたりする。公共の乗り物を利用しなければならない人々は、いつもそのインフラに我慢しなければならない。

 でも、私はずっと不思議に思っていたことが2つあった。1つ目は「中国人はこのシステムにあまり頭にきている様子がないのだけど、どうしてだろう?」ということ。2つ目は「中国人のお役人はあんなに頭がいいのに、どうしてこんな使い勝手の悪い設計をするのだろう?」ということだ。

 地下鉄の自販機にコインやお札が入らずモタモタして焦っていても、私はこれまで後ろの人からせっつかれたことは一度もない。以前、中国人の若者たちと地下鉄に乗ったとき、コインが詰まってしまって自販機が動かなくなったことがあった。みんなして昔のテレビみたいに機械をドンドンと叩いてみたけれどダメ。駅員を呼ぶことになったのだが、私だったらこの際、いつも思っている自販機に対する不満のひとつも言ってみたくなるのだが、若者たちは一言もいわず、素直にコインを返してもらっていた。

 ということは、「もしかして、みんなこの使い勝手の悪いインフラに満足しているってこと? そして、そもそも、どうしてお役人はこんな設計をするの?」と思った。

「修正は不可能、自分だけでも生き残ろう」

 今回の中国での取材では、私はそんな疑問も友人に問いかけてみた。すると友人はこう言った。

「そうじゃないですよ。ある程度知識を持った人たちは、この巨大な国で今のシステムを直すことはほとんど不可能に近いとわかっているから、あきらめているのです。それ以外の人たちは、大概こんなもんだろうと思って、何も考えていないかも。ほとんどの中国人は海外に出たこともないし、海外と比較してみたこともないから……」

「それに、日本人には信じられないでしょうけど、これでも昔よりは数段よくなっているんですよ。荷物検査機だって、みんな意味がないとわかっています。でも、文句を言ったって仕方がない。あそこにいつも3人くらい係員がいるでしょ。理屈から考えて彼らは必要ないんですけど、それを追求していったら、彼らだけでなく他にも不要になる仕事がたくさんある。意味がなくても既得権益があってそれを糾弾できない」

「つまり、どんなに優秀な人でも、自分がこの巨大な国を建て直そうという気持ちにはなかなかなれない。直していくのは膨大なエネルギーと予算と努力、大勢の人の理解が必要だからです。だから、壮大なシステムを元から直していく、なんていう正義感や使命感を持つのはあきらめ、“自分だけはここから抜け出そう”と思うんです」

「2つ目の質問ですけど、高級官僚や偉い人たちは地下鉄やバスに乗ることはないから、関係がないですよ。ただ大勢の中国人をいかに管理しやすくするか、頭にあることはそれだけなんです。人々の利便性を考えたシステムにすれば、それだけ管理も複雑で面倒になりますからね。大事なことは、自分も既得権益側の人間になり、優位に立つことです。公共交通機関など一度も乗らなくて済むような…。そう思って努力するほうがずっと現実的だし近道ですからね。だから、一心不乱に猛勉強するしかないんです」

 日本人でも、私のような貧乏人が中国で暮らせば、“中国化”せざるを得ない。

人間的にも「上には上が」いるのが中国

 街にゴミをポイ捨てすることはないにせよ、もともと汚く使っているもの(トイレなど)を、あとに使う人のために自分だけはきれいに使おうとか、みんなももっときれいにしようよ、などと呼びかけるというような殊勝な気持ちにはなかなかなれない。心がすさみ、諦めてしまうからだ。だからつい日本と比較し、余計に中国を軽蔑したり、嫌いになってしまいがちになるのが日本人の心情なのかもしれない。

 だが、このような厳しい状況の中国で暮らしていても、そこに染まらず、きりりと立派に生きている中国人は大勢いる。前述したように、中国人の幅は日本人が想像できないほど広く、下には下がいるが、上には上も大勢いるのだ。

 それは、金持ちを指しているのではない。簡単にいえば、世の中をよく知り、礼儀やマナーを重んじ、教養があり、他人を思いやれるような人格者、とでもいったらよいだろうか。日本より遙かにひとに過酷な環境でありながら、その辺を歩いている庶民の中にそういう清廉な人、ちゃんとした人がいるのである。

 私もこれまで数々の「すばらしい中国人」に出会ってきた。現在も交流している人が大勢いるが、もう二度と会えない人もいる。

 大学の卒業旅行をしたときも、そういう立派な中国人に助けられた。四川省の大足という田舎を旅していたのだが、言葉がまったく通じず困っていた。そのとき、同じ町を観光していた上海人の若夫婦が声をかけてくれた。衣服は新しくはないが清潔で、言葉遣いもきれいな標準語。物腰もやわらかだった。日本人ひとりで旅していると知り、一緒に観光してくれたのだが、大足の史跡に詳しく、教養のある優しい夫婦だった。

「諦めない人」がいるからこそ

 その後も旅先で、何度か名もない中国人に助けてもらった。当時、日本人と中国人の間にはかなりの経済格差があったはずだが、彼らから見返りを要求されたことは一度もない。名前も覚えていないし、インターネットもなかったから今では連絡を取る手段もないが、いつも中国の街を歩くとき「あのとき出会ったあの人はどうしているだろう。元気かな?」と心の中で思っている。それ以来、日本に暮らしている自分も外国人には親切にしようと思ってきた。

 先日北京で知り合った中にも、前述の病院関係者とは異なるが、医者の卵がいた。彼女は中国の荒廃した医療状況を何とか改善したいと思い、別の大学で経済学を勉強したあとに一念発起して医学部に進学した。彼女の父親は日本に十数年間住んでいたが、やはり「母国の発展に尽くしたい」と帰国し、ある研究職に就いている。

 大きな流れにはなかなかつながらないが、さまざまな業界で「このままではいけない。中国をもっとよくしたい」と思ってがんばっている中国人もきっと大勢いるはずだ。逆説的な言い方だが、そういう人々がいるからこそ、さまざまな不備はありつつも今の中国はここまで発展することができたのだ、ともいえる。

 私が書いてきた本の中に出てくる中国人たちも、みな立派な人々だった。若者が多かったが、尊敬できる人ばかりであり、今も交流を続けている。はっきりいって知的面でも、人格的にも「私にはもったいない」と思うようなハイレベルな友人ばかりであり、実はときどきついていけない。

 彼らは日本やアメリカに留学するなど恵まれた家庭で裕福に育った人もいるが、中国から一度も出たことがない人や、内陸部の出身者もいる。必ずしも裕福に育った人ばかりではない。

 私の本に何度も出てくる王剣翔さん(24歳)は、私が生涯大切にしたいと思っている友人のひとり。奨学金を得て米国の有名大学の大学院で学んでいる秀才だが、幼い頃は家が貧しくて服が数枚しかなく、恥ずかしい思いをしていたという。でも、先日上海で再会したとき「私は中国人に生まれてきてよかった」と語っていた。

「貧しかったから、幸せのありがたみが分かる」

 なぜなら「貧しかった経験があったからこそ、親にも感謝できる。今がどんなに幸せか、そのありがたみもわかるから。最初から裕福で何でも持っていたら、そういうことはわからなかったと思う」からだという。米国には富裕層の中国人も多いし、奨学金で学んでいる中国人もいる。そこで世間を見るうちに、いろいろと感じることがあったのだろう。彼に会ったとき、たまたま私の母親が今度手術をするという話をしたのだが、そのことを覚えていてくれて、手術前にはお見舞いのメールをくれた。

 私はこれまでも、雑談のとき、彼ら本人に「(あんな過酷な環境の中で)どうしたらそんなにちゃんとした人に育つの?」と聞いてみたことがある。そういう質問は中国の方に失礼だったかもしれないが、マイナス100からプラス100までいる中で、以前から私の素朴な疑問だった。

 生き馬の目を抜く変化の激しい中国では、価値観が変化しやすく、自分を見失いやすい。以前は違ったのに、世の中に流されて拝金主義に走り、人格が変わってしまう人も少なくない。あまりにもレンジが広く「何でもあり」の中国で揉まれているというのに、どうやったらこんなにしっかりしたいい子に育つのだろう?

やはり「親」だろうか

 彼らは「そんなことないですよ~」といって照れるばかりで、その理由はいまだにはっきりわからないのだが、私が感じたところでは、やはり親御さんの教育だろうと思う。私は何人かの留学生の親に会ったこともあり、また、間接的に両親や、さらに祖父母の生い立ちまで聞いたことがあるのだが、「この親にしてこの子あり」と感じるところがあった。

 共通するのは、勉強だけを重視してきたのではないという点だ。彼らは人間として立派に育つように、深い愛情をかけられ、かつある程度厳しくしつけられている。

 そんなこと当たり前だろう? と思う人もいるかもしれないが、これまで述べてきたように、中国の現状を知れば、礼儀や分別をわきまえた人間に育てることはそんなに簡単なことではない。昨今の親は、子どものカバンを持ってあげることや、送迎が愛情だと思っている人もいて、子どもたちの一部も「こんなに勉強させられているのだから当たり前」と思っている。

 それは日本でも同じだが、日本の場合、親の教育以外に、学校や友だち、クラブ活動、塾、習い事、自治会の活動、アルバイトなど社会のあらゆる方面から学ぶものもけっこう多く、社会全体として子どもを育てていっている面もかなりあると思う。50代になっても、人生で最も感銘を受けたのは、中学のときのクラブ活動の先生、と振り返る日本人は少なくないだろう。だが、中国でそれを期待することは難しい。

 以前、日本に2年間だけ住んでいて、子どもを日本の幼稚園に通わせた経験のある中国人女性から聞いたことがあるが、中国の幼稚園の先生と日本の幼稚園の先生は全然違うそうだ。中国では「子どもが好きだから保母さんになった」という人は少なく、資格や条件で保母さんになるという人が多いそうだ。その女性は、日本の幼稚園に行ったとき、保母さんが子どもに対し「まるで本当の母親のように優しく接している」のを見てびっくりしたという。

このコラムの読者の方はご存知のように、中国ではクラブ活動もないし、勉強以外に人を評価する基準がない。そういう中では、子どもの得意分野を伸ばしてあげるなど、伸び伸びとした教育を受けさせ、他人を思いやる子に育てるのは難しい。人の気持ちばかり思いやっていたら、いつまでも自分の順番は回ってこないからだ。

 学校の先生は勉強以外教えてくれない。だから、道徳も含め、それ以外のことはほとんどすべて親が教えてあげることが重要で、子育てにかかる親の責任や役割は、もしかしたら日本よりも重くなるのではないか。

 天国のようなシステムの日本に住んでいて、日本人のマナーや礼儀がいいのは当たり前だ。高度にシステムが機能し、何ごともお上まかせになっていて、この日本のシステムがどういうふうに働いているのかさえ考えたこともないのが今の日本人だ。

 その我々からしてみると、システムの不備や、一部の中国人のマナーの悪さは、どうにも我慢がならないときがある。それは自らの恥ずかしい体験を含めて認めるしかない。できすぎた日本と比べてしまうからだ。

上海で窮地を救ってくれた青年

 これまで中国の不備を「楽しんできた変わった性格の自分」であったが、年齢とともに体力が落ちてきてからは、なかなかその不便さを楽しむ余裕がなくなってきた。普通は年齢とともに楽をする(お金で便利を買う)ようになりカバーできるのだが、それができない自分は、身体がしんどいがために、このところ中国の悪い面にばかり目を向けてしまっていた。

 でも、ここまで述べてきたように、システムの欠陥=中国人の質の低さだと決めつけてしまうのは大きな間違いだ。現に、来日した中国人は日本の高度なシステムの中に入ったら、私たちと同じようにルールを守り、きちんと生活しているし、中国では不備な中でも、助け合って暮らしている人々がいる。

 そういえば、2~3年前、上海で地下鉄を降りるとき、切符をカバンの奥底にしまいこんでしまったらしくて見つからず、カバンをゴソゴソやりながら改札の手前で突っ立っていたことがあった。

 周囲をキョロキョロ見渡してみたが、誰も私に気づいてくれない。日本のようにすぐ脇に駅員がいる窓口がないから、「切符を失くしました」と言いに行くこともできず、とても困っていた。そのとき、改札の外側にいた見ず知らずの青年が改札ギリギリのところまで近づいて来て、私に手招きした。

 「えっ、なに?」と思って寄っていくと、自分の交通カードを改札口にタッチしてくれ、私を外に出してくれたのだ。一瞬、何をしてくれたのかわからなかった。「あっ、ありがとう!」という前に、その青年はニコニコして立ち去ってしまったのだが、心がとてもほっこりしたことを覚えている。不便なシステムだからこそ知り得た、ささやかな人の温かさであった。

年を取るほど勘違いが増えそうだけど

 システム=人ではない。考えてみれば当たり前のことなのだが、幸福な国、日本に住む私たちは、知らず知らずにうちにこの国のシステムまで日本人という民族の質の高さとイコールであるという傲慢な勘違いをしていないだろうか?

 システムを個人と同一視する勘違いに気づかないまま時間が経てば、Y氏が「中国と関わった人って、みんなこうなっちゃうのかなあ!?」と前回で嘆いたように、“中国嫌い”がどんどん増えてしまう。体力気力が年を取って衰えていけばなおさらだ。私も相当危ないところだった。

 今後、このシステムの差が少しでも埋まっていくことが理想だ。そうなることが、両国に住む人々の気持ちをも少しずつ近づけていってくれるのではないかと願っている。

 大事なことを見失いかけていたが、担当編集者Y氏の仏頂面のおかげで、忘れかけていた経験も思い出すことができた。

 謝謝! Y氏。そして、中国の尊敬する友人たち。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141027/273065/?P=1

11月3日(月)のつぶやき

2014-11-04 03:31:59 | EU

トモダチ作戦で被ばく
米国での東電訴訟を連邦地裁が認める (Bloomberg)
米司法が東電の刑事責任を断罪する可能性も
financegreenwatch.org/jp/?p=47963

刑事責任も追及する姿勢
是非、とことん遂行して欲しい!

tokiさんがリツイート | RT

「トモダチ作戦」の兵士らが、福島第一原子力発電所の事故が原因で被ばくしたとして東京電力に損害賠償などを求めている問題で、サンディエゴの連邦地裁は28日、訴えを退けるよう求めた東電の主張を認めず、訴訟を継続する判断を示した。訴訟は日本ではなく、同州の裁判所で行うことも認められた。

tokiさんがリツイート | RT

10%確定ですね。年金の株式運用率もこのままだとイケイケどんどんに加速。@fungirubat日銀が金融緩和したって事は消費税は?@Tsutsumimika日銀の金融緩和twme.jp/boj/01CS とGPIFの年金株式運用拡大のWで外資・証券はお祭り騒ぎ..

tokiさんがリツイート | RT

残念ながら、消費税増税など政府の政策の数々がその流れをせき止めてしまっています。今後株価と物価はあがりますが、株で儲けた人は消費するよりさらに株を買うでしょうし、中小企業は追いつめられる。実体経済は苦しくなりますね。(><)@maimailady @jeronimopon

tokiさんがリツイート | RT

再掲。
【重要!電話、メールアドレス、住所あり】 pref.kagoshima.jp/aa02/gikai/gii…
鹿児島県議会議員名簿。
(顔写真をクリックするとプロフィールへ)。
川内原発再稼働させるな!
と直に訴えていけます。 pic.twitter.com/c7OeSYR7s1

tokiさんがリツイート | RT

[社説]日本よりも韓国内の経済不安要因に対応すべき ln.is/japan.hani.co.…


「ネトウヨ!」。原文を読んで思わず浮かんだ言葉。総理がネトウヨの総本山だった。
毎日:安倍首相FB、枝野氏を批判
mainichi.jp/select/news/20…

tokiさんがリツイート | RT

@sohbunshu  そもそも頭の中身がその程度だからね。


原発審査基準見直し要請 火山学会委「川内の適合も疑問」 #西日本新聞 ln.is/nishinippon.co…
御嶽山の噴火でもはっきりしたこと。火山噴火の余地は不可能。津波、火山、地震。日本にし原発は向いていないということ。別の道を行くほかない。


特定の犯罪行為の責任を特定の宗教に向けるべきではない ln.is/huff.to/vSavU @HuffPostJapanさんから


宗教、戦争、そして残虐行為/ハフポトより ln.is/blog.goo.ne.jp…