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国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー

2013-10-05 18:35:01 | アジア
「中国ジャーナリズムと海外の国々の間にはこれまでに見てきたように、われわれ日本人があまり知らない関係が複雑に存在しています。もちろん、それは中国という国の特殊性がすべての出発点なわけですが、今回はその特殊性に翻弄され、それを一番よく知る人物に海を越えてお話をうかがいました。

長平氏――中国のジャーナリストの間では彼の身に起こった数々の事件によって伝説的ともいえる存在になっている人物です。

その「伝説」を紹介すると、最初の「大事件」は2001年。彼が『南方週末』紙のニュース責任者を務めていたときでした。同紙が掲載したある記事がもとで、政府からの指示を受けて彼はニュース責任者を解任されました。同じ「南方グループ」の雑誌に異動しましたが、本名の「張平」を使うことを禁じられたためにこのときから「長平」のペンネームで執筆活動をするようになりました。

次の大事件は、2008年3月にチベットで起こった騒乱 をきっかけに、チベット独立が世界的に注目される話題になり、内外で大論争が起こったときのこと。チベットの独立を支援する海外の声に対して、中国国内で「チベットは中国の固有の領土」と激しい叫び声があがるなか、彼はそのコラムで中国政府主導のナショナリズムの高揚を批判し、「政府による評価ではなく、自由なメディアの報道を通じてチベットの真実を明らかにすべきだ」と主張したのです。このコラムには批判が殺到し、政府系メディアによる執拗な攻撃のあと、彼は当時勤めていた雑誌『南都週刊』の副編集長の職を離れました。

その後は、南方グループの別の部門である南方メディア研究所に研究員として所属。執筆活動は続いていたのですが、2010年頃から記事掲載への締め付けが始まり、2011年初めに突然彼が南方グループに解雇されたというニュースが流れてメディア界は騒然となりました。南方グループの記者や編集者たちから慰留を求める嘆願署名活動まで起こりましたが、解雇命令は撤回されず、彼が長年勤めた南方グループを去ったことを「中国メディアは氷河期に入った」と形容するジャーナリストもいました。

その後、彼は香港に脱出。そこでま ったく新しい雑誌『陽光時務』の設立に加わり、編集長に就任します。この、映像・写真・文章などを組み合わせた全く新しいマルチメディア電子雑誌は表紙が幾面もあったり、触ると画面が動いたりと、シリアスな記事とは違った、遊び心いっぱいのつくりにあふれていました(みなさんにもその「誌面」を体験していただきたく、当時の担当者に体験版のウェブサイトなどないだろうかと問い合わせてみたのですが、当時の購読者の手元以外にサンプルは残っていない、ということでした。残念です)。

しかし、一難去ってまた一難。長平氏の香港での労働許可(ビザ)申請に対して、香港の入境管理局は「違法労働の疑いがある」と審査を中断。中国で身の危険を感じていた長平氏はそのままビザ保証人となった機関のあるドイツに引っ越し、その後約2年間、ドイツにある同氏の書斎と香港にある編集部をネットで結んで『陽光時務』の編集作業が続けられました。香港当局のビザ審査中断は「中国の圧力ではないか」という報道も出ましたが、今のところ真相は闇の中にあります。

その間、中国当局による報道規制を受けない『陽光時務』は、中国国内で次々と発生した大事件に対して独自の調査報道を展開し、じわじわと注目されるようになります。ですが、一方でますます中国政府による囲い込み――電子版ダウンロードサイトのアクセスブロックなどが続き、読者獲得に苦戦を強いられました。その後編集部内部の変動を経て、2年目からは紙版雑誌も発行するようになりましたが、今年3月に長平氏が編集長を辞任、5月には休刊宣言をしてしまいました。

20年以上も中国で指折りのメディア『南方週末』やその母体の南方メディアグループでジャーナリストとして働き、自分の理念に基づいた冷静な意見を発表し続け、いまだに中国国内のジャーナリストたちが当局の目を盗んでは引用する長平氏のコラム。そんな気骨あるジャーナリストは今、ドイツにいながら中国のジャーナリズム界をどう見て、どんな関わり方をしているのかを、フランクフルトへの国際電話で尋ねてみました。

◇長平氏インタビュー~国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~
――あなたは香港で2011年8月に雑誌『陽光時務』を立ち上げ、編集長に就任されましたが、同誌創刊の目的は何だったのでしょう?

長平(以下、「長」):当時、中国、香港、台湾の三地域には、中国国内で起こっていることに対して深い報道をするメディアがなかった。中国が関わる国際的な出来事、あるいは香港や台湾における出来事に対する深い分析や報道も存在していなかったんです。

中国国内には『南方週末』『南方都市報』『新京報』、そして上海の『東方早報』といった優秀なメディアがあり、それぞれに深みのある報道をしています。ですが、厳しい制約を受けており、政府の宣伝部が「これを報道するな」「あれもダメだ」という通知を一本出すだけでとても大きな影響を受けます。だから『南方週末』のように、深層報道に関心をもち、またそれを成し遂げる能力のあるメディアですら、取り上げられない話題が多くある。

一方、香港、台湾における中国関連の報道は中国より自由です。でも、メディア自体の関心があまりそこに向いていないために基本的に深みのある調査報道がありません。ほとんどが、中国の日常的な情報の報道にとどまっている。しかし、中国事情はますます重要になってきている。世界の四分の一の人口を占め、そのために世界的にも資源や領土の面で、中国事情は必然的に香港、台湾、そして日本をも含むアジア周辺諸国に、さらには世界全体に影響を与えるのは明らかです。

残念ながら、この点が国際社会ではまだきちんと認識されていない。実際に「地球村」的意識を持ったメディアは存在しておらず、国連という存在もありますがその本当の役割を果たせていない。多くの人たちが中国で起こっていることを「中国のこと」と考え、また中国政府もたびたび「これはわれわれの内政問題だ」と主張している。

でも現実においては、中国が今世界を変えているのです。ビジネス・ルールや政治的な原則などを変えてきている。中国は早くから――いやこれまでもずっと世界の一部だったということをメディアは十分に認識していない。『陽光時務』はそこを補填しようとしたわけです。もちろん、メディア報道を通じて言論の限界を広げ、そこから中国の民主的な進歩を推進したいという目的もありました。

◇マルチメディア『陽光時務』の誕生
――そうして誕生した『陽光時務』は、最初はマルチメディア雑誌のかたちをとっていて、中国国内の読者たちにものすごく歓迎されました。でも、当時香港では影響力をもてなかったようですが?

長:うーん、「影響力」をどう考えるか、ということではないでしょうか。あの頃、ぼくらのマーケティングが理想的ではなかったのはたしかです。理由の一つとして、中国では厳しい封鎖を受けました。香港市場においては、電子雑誌という形態は期待したほど受け入れられなかった。でも、ほかの手段――ウェブサイトやFacebookなどを通じて読者に届けるよう努力した結果、創刊から半年で「アジア出版業協会」(注1) の大賞を4つ受賞しました。それもまた、ぼくたちの影響力が注目され、肯定的に評価されたことの証明だと思います。
(注1)アジア出版業教会:出版業界のプロモート、現地と海外メディアのアジアでの協力、また出版業界関係者間のコミュニケーションをはかることを目的に、香港で設立された。ちなみに、『陽光時務』は今年6月に行われた、今年度の授賞式でも8部門にノミネートされ、「人権報道」「ニュース評論」「政治漫画」「メディアニュース」など7部門で受賞している。
The Society of Publishers in Asia:http://www.sopasia.com/

――たしかにメディア関係者の間においては、あなたがたの報道に注目が集まっていたと思います。でも、香港の一般環境においての影響力はそれほどなかったことが「香港メディア」として残念だな、と。一方で、制約された状態におかれている中国国内の人たちの情報取得の積極性は、香港人よりも大きかったということでしょうね。

長:「読む」習慣の違いもあると思います。香港、台湾のメディアはゴシップに流れるところがあって、実際に政治報道でもゴシップっぽい書き方をする傾向があります。『陽光時務』はシリアスな時事政治関係雑誌なので、そのために(香港の)一般読者に「重苦しい」と思われたのかもしれません。

ローカル市場の傾向は、人々の「読む」習慣の形成にある程度影響を与えます。新聞を手にすれば1本のニュースを2分間で読めるという人には、雑誌を手にとって10分、あるいは2時間もかけて読むなんて耐えられないでしょう。

でも、中国国内のメディア――たとえば『南方週末』などは、かつては100万部あまりの発行部数を誇ったこともあるほどの人気紙なわけですが、それなりに長い報道や評論が中心なんです。欧米メディアの『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』などの朝刊紙でも深層報道の記事はとても長いし、理論分析もしっかりしています。読者がそれに慣れ親しんでいるということですね。

――そんな『陽光時務』が実際に香港人読者で注目されたのは、やっぱり「劉夢熊インタビュー」(注2)の号ですか?
(注2)劉夢熊インタビュー:2013年1月24日号掲載。劉夢熊とは、中国中央政府が任命する全国協商会議委員を務める、中央政府寄りの香港人政治関係者。2012年に第四代香港特別行政区の長官に就任した梁振英氏の支持者と見られていたが、同インタビューで梁を「嘘つき」と呼んで「香港市民を騙している」と指摘し、香港中が大騒ぎになった。

長:そうですね。それまでにも香港人読者の間で注目された記事はありました。たとえば、李旺陽(注3)や艾未未(注4)の記事とか。まぁ、これはもともと香港メディアが注目していた話題でもあったことが前提になるわけですが。あと、チベット人の焼身自殺事件(注5)の悲劇には世界中のメディアが驚きながらも、その注目の仕方は不十分だった。報道の自由をもっている海外メディアですらより突っ込んだ報道が見られなかったんです。ぼくらはそこに王力雄氏(注6)を迎えて、深い分析と新たな事実の紹介をしました。あの号はたしか、「劉夢熊インタビュー」に次ぐ売上げになったはずです。
(注3)李旺陽:湖南省の民主活動家。1989年の天安門事件に連座し、22年間を獄中で過ごして2011年5月に刑期満了で出獄。香港ケーブルテレビの天安門事件回顧番組で受けたインタビューが天安門事件24周年の2012年6月4日に放送され、その2日後に軟禁されていた病院で不審死。現地の公安関係者の関与が疑われている。

(注4)艾未未:中国人アーティスト。北京オリンピックのメインスタジアム設計チームのメンバーだが、2008年5月に起きた四川大地震被災者への中国政府の情報隠しを批判し、オリンピック開会式への出席を拒絶。その後激しい政府批判をアートやネットを通じて繰り返している。2011年4月に脱税容疑で拘束され、90日後に釈放されるが、その後も厳しい監視生活を余儀なくされている。

(注5)チベット人の焼身自殺事件:帰属問題がくすぶり続けている中国政府統治下のチベット人居住地区で、2009年から路上など公衆の面前でチベット人の焼身自殺による抗議事件が続発。彼らが厚く信奉するチベット仏教では自殺を戒めており、それをも超えた政治的事件として注目されている。自殺者はすでに100人を超えるが、今もとどまる様子はない。

(注6)王力雄:チベット事情に詳しい漢族作家。夫人はチベット族作家であり、中国語でチベット事情を発信し続けているツェリン・オーセル(唯色)さん。現在、夫婦ともに政府の厳しい監視を受けながら、台湾や日本を通じてチベット事情等に関する著作を発表している。
王力雄氏の著書:『私の西域、君の東トルキスタン』
オーセル夫人の著書:『チベットの秘密』

「劉夢熊」のインタビューは……すでに紙版に切り替わっていて、売れたのは1万冊くらいだったかな。反響も大きくて、Facebookで「売り切れだった!」という声がたくさん届きましたし、自分が買った雑誌のカバーを写真に撮って「今日手に入れた!」と言っている人もいました。でも、これは紙版だけの数字。そのほかにも電子版、そしてメーリングリストを使って届ける読者なども大きな割合を占めていましたよ。

――でも、たくさんの話題を振りまいた『陽光時務』はもうなくなってしまった。残念ですね、わずか2年間で。最初の1年間の電子雑誌は紙版を手に入れることができない大陸読者も読めるという点で画期的だった。逆に紙版になってから、香港、台湾でますます話題にする人が増えてきたように感じました。その「変化」は意識的にやったことなのですか?

長:さらに影響力を広げようと思ったんです。電子版は(中国国内で)大きな制約を受けていたし、たとえば編集部員や記者の個人の微博アカウント――直接彼らの仕事と関係のないアカウントすらも削除されてしまった。そのために「紙版ならまだ中国入りするチャンスはあるのではないか」と考えたんです。というのも、香港の書店では中国人が禁書を買って国内に持ち帰っている。だから一緒に買って持ち込んでもらえるかも……と。

ぼくら自身も「メディアの多様化」というものを意識していましたし、紙版、電子版、Kindle版、PDFやワード文書などさまざまな形式のものを考えていたんです。ですが、紙版を始めるにあたってマーケティングのほうで紙版に主力を注ぐという方針を打ち出したために、電子版が相対的に落ち込んでしまった。今から思うとそこは残念ですね。

――ということは、以前のようなマルチメディア風の電子版がなくなった結果、中国国内で読みたい人が読めなくなった、ということがあるわけですよね。

長:ええ。ですが、紙版も電子版もまだ赤字の状態でした。中国だろうが外国だろうが、一般的にメディアがその基盤を築くには3年から5年は続けなければなりません。ぼく自身も中国で新しいメディアの創刊に関わったことがあり、それが実質的な影響力をもつようになるまでには何年もかかることを知っています。

そういう意味では『陽光時務』は短い期間にそれなりの影響力を見せたと思います。しかし、そこから安定した読者層を獲得するまでの時間が足りなかった。ぼくらはちょっと急ぎすぎたのかもしれません。創刊、電子版、それが紙版に変わってから休刊への過程をちょっと焦り過ぎたようには感じています。読者に対してもうちょっと我慢強くなっていれば、さらにあと数年がんばれば、結果は違っていたはずです。ぼく自身もとても残念に思っています。ぼくらが達成した目的のなかには、事前に予想もしていなかったことがありました。

でも、わずか2年の間にマルチメディア電子版、紙版それぞれにそれぞれの効果を生んだ。マルチメディアの電子版は今ぼくがドイツのメディア関係者に見せてもドイツ人が「よく出来ている」と舌を巻き、「今までにここまで精緻なものは見たことがない」と言います。これに倣って自分たちももっといいものをつくりたい、と言ってくれるほどなのです。

紙版でも「劉夢熊インタビュー」への注目はすごかったし、その後、ぼくらが香港で主催したシンポジウムには1000人余りの人たちが参加しました。香港の普通選挙導入(注7)と「セントラル占拠」(注8)に関する話題についてです。当時、本土派とか愛港勢力(注9)とかの論争が起こっていたわけですが、シンポジウムに1000人もの市民が集まるなんてことはほかの国でもあまりないですよね。われわれはあきらかに大きな影響力を持っていました。
(注7)香港の普通選挙導入:1997年に主権がイギリスから中国に返還された後に設立された香港特別行政区政府の行政長官選出に、市民が投票する直接選挙を導入するよう求める声が高まっている。現状では2017年に行われる行政長官改選で普通選挙が行われていることになっているが、詳細は討論が続けられており、未定。

(注8)セントラル占拠:2011年のリーマン・ショック後に米国ウォール街で起こった抗議活動を真似たもので、香港の金融街セントラルに学生を中心とした人たちが座り込み、抗議活動を行った。

(注9)本土派とか愛港勢力:香港でここ数年台頭してきた、政治的な意識を持つ民間活動グループ。中国の存在を軸に抵抗、反抗、協力、受け入れなどでさまざまな立場を取っている。「本土派」は中国政府に否定的な若者中心のグループで、「愛港勢力」は香港人を自称しつつ親中的な態度をとるグループ。最近では小競り合いから暴力事件も発生している。
◇『陽光時務』が遺したもの
――特に香港の若者世代に与えた影響は大きかったですよね。その後、彼らは国内の李旺陽の事件、そして烏坎の事件 (注10)などにも関心をもち、中国政府に対して積極的に声をあげるようになった。なのに今、『陽光時務』はなくなってしまった。これは失敗だったんでしょうか、それとも将来、香港でなにかまた新しいメディアが出現するために教訓のようなものは残せたのでしょうか?
(注10)烏坎の事件 :2011年末に広東省烏坎で不動産建設用地の売却資金をめぐって起こった、村長と村民の対立から、村民が自主投票で村の代表を選ぶという出来事に発展。中国初の自主的選挙として注目された。『陽光時務』は早い時期から現地に記者を送り込み、数多くのインタビューや取材を敢行。文字はもちろん、映像などを絡めて報道した。

長:もちろん、またそんなメディアが出現することを期待していますよ。ですが、容易ではないと思います。そのためには多くの条件がそろっていなければならないから。たとえば、われわれにはまず「関心」がありました。完全に市場におもねってしまうのではなく、そんな「理想」と「関心」に立って報道をした。もし、市場におもねってしまうなら香港で一番商売になりそうなのはゴシップ雑誌、あるいは政治的な意図をもったゴシップ報道とかになってしまいます。

次に、それにふさわしい人材の存在です。当時われわれの編集部には、大陸事情に非常に詳しいメンバーがいました。そこには中国大陸メディアで20年あまり働いてきたぼくも含まれるわけです。ぼくはさまざまな土地のメディアで働き、20年あまり時事問題のコラムを書いてきたので、中国の事情は手に取るようにわかります。ほかにも同様に中国を理解している人たちがいた。

また、編集部には香港のことをよく理解している者、さらに香港、台湾の政治や中国との関係に深い理解をもつ者もいました。台湾でも大きな支援を取り付けていましたし。そんな非常にすばらしい編集メンバーを集めることができたのは重要な要素です。将来的に香港でそれをやるのが不可能というわけではないのですが、むずかしいと思います。

もう一つは、投資家の存在。『陽光時務』に陳平氏(注11)が投資するのをやめてしまったことはとても残念です。でも、彼が最初にメディアへの投資に関心を示してくれたこと自体はありがたいと思います。今後そういった投資家が現れるかどうか。というのも、彼は中国国内でのビジネスから追い出されてしまったのです。さらに政治的なリスクも負ってしまった。つまり、理想、あるいはこだわり、そして投資の勇気がないと決心できないことなんですよ。これらのいくつかの要因を考えるに、今の香港、あるいは台湾に『陽光時務』に変わるメディアが出現する動きはまだ見えないですね。
(注11)陳平氏: 上海出身の香港人企業家。ビジネスに手を出す前は当地の有名政治家の秘書をしていた。日本の電子機器メーカーの下請けとして中国国内に工場を設立して成功した。その後、買収した企業の傘下に民間衛星テレビ局「陽光衛視」が含まれており、そこからメディア経営にも進出。本人も番組をもち、中国政府に対する政策批判で注目されたが、その後衛星信号を切られてしまい、附帯事業として雑誌『陽光時務』を展開した。

――じゃあ、希望は消えた?

長:ぼくは、そういう関心をもつ人がいるはずだと期待しています。というのも、香港には中国国内の人たちに比べて相対的に自由な空間がある。そこで誰かが関心と中国事情を報道する能力をもてれば、それは香港や台湾のみならず、世界中が中国を理解するために重要な役割を演じることになります。

香港、台湾に限らず、欧米でもそこがまだブランクなんです。彼らは『南方週末』や『新京報』などを通じて中国事情を理解しているのですが、さっきも言ったように『南方週末』だってあまり多くのことを伝えたり、正面切って語ることができない状態なわけです。

欧米――特に米国において中国が演じている役割は今、ますます大きなものになり、影響力も高まっています。あるいは相互の関係が増えている。このような状態において、ぼくの言うようなメディア、報道、情報、分析は必ず必要になります。

もしまたよいチャンスがあれば、やれるはずです。現在のニューメディアの時代においては「地学的距離」はまったく問題にならない。そういう意味では、中国国内にいる人たちとも一緒にやれる可能性はある。しかし、そのためにはタイミングを待たなくてはなりませんね。

――その「タイミング」とは投資家の出現ですか?

長:投資はもちろん大事で、決定的な要因ですね。

――そして今、元編集部のメンバーはばらばらになりながら仕事を続けている、と。あなたご自身も『ドイチェ・ヴェレ』(注12)と『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』(SCMP)(注13)にコラムを書いておられるわけですが、たとえば「SCMP」は英字紙ですから読者は必ずしも華人だけじゃない。読者層の違いであなたの評論は違ってくるのでしょうか?
(注12)『ドイチェ・ヴェレ』:ドイツの公共国際放送。中国語のニュースサイトをもっており、長平氏は特約コメンテーターとして評論を担当。

(注13)『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』(SCMP):香港を拠点とする英字紙。

長:ぼくには中国にいたときから、自分に課していたことがあります。それは体制やグループ、国の内外にかかわらず、できるだけそこにある「境界線」を打破すること。というのも、そうした境界による分化を強調することこそが、言論の自由を制約する人たちがやろうとしていることだから。さらには、敵、味方といったものを、専制政府は最も求めている。そこに敵はいないのに、彼らが敵をつくり出しているのです。

たとえば、中国人の多くはこれまでずっと日本のことなど正確に理解してきていません。それなのに、日本を知らなければ知らない中国人ほど、日本を憎む。憎しみの対象としての日本はつくり上げられた「結果」であって、本当の敵とはいえない。もちろん、歴史的な話を除いて、ですが。

中国国内では「右派と左派」「中国と日本」「中国と米国」「体制内と体制外」といった境界線がぼくらの思考を制約している。ものすごく多くの人たちがそういうところにこだわっている。ぼく自身はずっとそういった境界線の打破を意識してきました。実際に海外で暮らすようになっても、あまり「ぼくは今海外にいる。以前とは違うんだ」といった考え方をしないようにしていて、少なくとも精神的には(以前と)それほど大きな違いはありません。

もちろん、語るべき話題が違うことはあります。ですが、ぼくの分析やその思考、方法にそれほど大きな変化はないと思います。それを発表するのが英語メディアだろうがドイツ語メディアだろうが、中国語のウェブサイトであろうが、新聞であろうが。昔から新聞に原稿を書くときも、できるだけ多くの人たちが理解できるようにと考えてきましたし、ネットに書くようになっても、ある人たちが口にするような「ネット的なスタイルづくり」を目指したことはありません。

◇ペンネームで書くということ
――ズバリおうかがいしますが、「今のあなたは中国国内のメディアで原稿を発表することは禁じられている」と考えていいのでしょうか?

長:2010年から「長平」という名前で中国の大きめのメディアで原稿を発表することは禁じられています。ウェブサイトでもダメですね。あと、微博も……。最初に禁じられたのは、『南方週末』『南方都市報』での評論活動でした。具体的にそれがどのように運用されているのかはわからないのですが、『南方週末』『南方都市報』には確実に禁令が下りています。そのほかのメディアにも下りているのかもしれないし、もしかしたらそれぞれの編集長が自粛しているのかもしれません。

ネットも禁止通知を受けていますね、ブログや微博が削除されましたから。というのも、2008年から10年にかけて、ぼくの文章を読んでいた人はたくさんいました。中国国内のほぼすべての大型ウェブサイトやある程度の読者をもつウェブサイト、あるいは一部の地方サイトもぼくの名前でブログを開設していました。

中国にはもともと著作権の意識があまりないので、ぼくの名前がついたブログの90%はぼくが開いたものじゃなかったんです。サイト運営者がまずぼくの名前のページをつくる。たとえば『財経』誌や新浪網(注14)などが運営する大きめのサイトなら「ブログをつくっておきましたんでよろしく」みたいに一応通知をしてくるわけです。中国のメディア事情は複雑ですが、ぼくとしては記事を読んでくれる読者が増えること自体はよいことなので、それを受け入れていた。
(注14)新浪網:中国四大ポータルサイトの一つで、最大手。同社が展開する「新浪微博」はweibo.comのアドレスを取得しており、一般的に「微博」といえば同社のサービスを指す。

――つまりあなたがどこかに原稿を発表すると、ブログサイトの編集者がそれをコピペするかたちだったわけですか? あなたが自分で文章を書き込むブログというのは存在しなかったんですか?

長:自分で記事を貼り付けていたのは『天涯』(注15)のブログでした。でもそれ以外はほぼすべて違ったんです。彼らはぼくのブログだと言って宣伝していますけどね。海外サイトにあるブログもぼくが開いたものじゃありません。「新浪網」や「網易網」(注16)のブログにはぼくも自分でアップしたことはありますが、地方のサイトにあるブログにはまったく手も触れたことがありません。
(注15)『天涯』:1999年に創設されたネットサイト。学生やジャーナリストたちがグループごとに集まることで知られ、絶大な人気を誇った。ここの掲示板に書き込んだ評論が編集者の目に止まり、リクルートされてジャーナリストになった人も多い。長平氏は同サイトに2006年から10年までブログを開いていたという。

(注16)網易網:四大ポータルサイトの一つ。ニュースなどで独自の視点をもつ。独自の微博も展開する。
長平氏の新ブログ:http://changping2013vip.blog.163.com/

ぼくだけじゃなく、ほかにもサイト運営者が「影響力のある書き手」と考える人たち、あるいはたくさんの読者がいる人たちのブログはほとんどそうだと思います。不動産関連のサイトにまでぼくのブログがありましたが、ぼくが開いたものではありませんでした。声をかけてくれるサイトもあれば、全く勝手に開いているものもあり、ぼく自身も偶然に目にしたものなどもあります。でも、まるでぼくが管理しているかのようにつくられているんですよね(笑)。記事はもともと自分で書いて発表したものをコピペしたものだから問題はないんですけれど。でも2010年以降、それらは次々と削除され、検索エンジンでぼくの名前を検索しても結果が出ないようになってしまった。

――それが起こったのは2008年じゃなくて、2010年だったんですか?

長:そう、2010年でした。2008年のチベットに関する記事のときは、『南都週刊』の副編集長の職を解き、ぼくを報道の第一線から撤退させる――この二つの処分が下りました。でも、あの時点では記事を発表することを禁じるといったことはありませんでした。

――昨日いただいたメールで触れておられた「網易」のブログは新しく開設されたものですか?

長:そうです。「網易」がぼくのためにブログを開いてくれたんですよ。中国の禁令は「禁じる」ことはあってもそれを「解禁する」っていう言い方をしないんですよね。1950年代に禁じられたものなんかも、その後「解禁する」というアナウンスはないのですが、メディアの人たちがいろいろと推測して試してみて、その結果なんの処分も受けなければ「解禁された」と判断してきた。ぼく自身への禁令についても解禁されたかどうか、ときどき編集者に問い合わせて確認しているんですよ。でも返ってくる答はほとんどが「ダメだ」――つまり、今もぼくの記事を掲載するわけにはいかない、と。あるいはペンネームを使って記事を発表するしかない、と。

――え、ペンネームで発表って……もしかして、わたしたちは今、中国のメディアでそれとは気づかずにあなたの記事を読んでいる可能性があるわけですか?

長:そうです。読者は知らないでしょうね。担当編集者は……もしかしたら彼らは編集長にも言っていないんじゃないでしょうか。言っちゃうと、編集者自身にも危害がおよぶかもしれませんから。原稿を書くときにペンネームを使う。これは中国において伝統といえるでしょうね、魯迅とかだってそうしていたし。残念なことに、今の中国はまだそういう状況なのですよ。

魯迅がペンネームを使っていたことは、ぼくらの教科書には「当時の国民党が言論の自由を制約していたことの証拠である」と記されているわけです。でも、現在の中国でもぼくやほかにも多くの、ぼくのような立場にある人たちがペンネームを使って原稿を発表するしかないという現実がある。面白いことに、ぼくがペンネームで中国国内で発表した記事を読んで、ぼくに声をかけてきた出版社が2社あるんですよ。編集者に問い合わせがあったんです。

――それがあなただとは知らずに?(笑)

長:そう、彼らはそれを知らなくて(笑)。編集者のところに「こいつはなかなかいいじゃないか。本を出版しないだろうか」って……うれしかったですね。今、その出版社と直接メールで連絡を取り合っているところなんですが、まだぼくが誰なのかは知らせてないし、彼らも当然知りません。試してみようかな、と思ってるところなんですよ。もしかしたらこの方法でぼくは中国国内で本を出せるかもしれない。でも、それが「長平」だとは誰も知らない、という……(笑)。

――今流行りの微信(注17)なんかにアカウントをつくって、そこで「自媒体」(注18)形式で発表するとかはできないんですか?
(注17)微信: 四大ポータルサイトの一つ、「騰訊(QQ)」が開発した、LINEによく似た携帯電話ソーシャルメディア。ユーザー数はすでに5億人を突破しており、微博離れを後押ししていると言われている。

(注18)自媒体:「セルフ・メディア」。中国の場合は政府の許可のもとでマスメディアが運営されているので、それに対する個人発信のメディアという意味。微博もその一つに数えられるが、微信を使って購読希望者の携帯に自動配信される「自媒体」が現在、注目を浴びている。

長:微信も今はチェックが厳しいと思いますよ。実際にぼくが過去書いた記事もネットから削除されているし。でも、かつてぼくが書いた記事――たとえば香港のメディアに書いた習近平に関する記事なんかは、当時多くの人たちが習近平に大きな期待をかけていた頃のもので、ぼくは「こいつは警戒すべきだ」と書いています。当時はあまり大きな注目は浴びませんでしたが、今読み直せばその価値はわかってもらえると思うんです。

さらに、もっと前に中国国内にいたときに書いたテーマが、また最近のメディアで話題になっている。当時のぼくの分析は現在も参考になるはずです。なので今、微信で過去の価値ある記事を、たとえば今起こっている何かの出来事にからめて取り出して再発表したら、やっぱり邪魔が入るんだろうかとか、そんなことを考えているところです。もうちょっといろんな人に尋ねてみます。

◇国外から影響を与える
――ドイツでの生活ももう2年。あなたは記事を書いて届ける相手は中国国内にいるわけですが、あなた自身はドイツで暮らしている。そこにはギャップみたいなものはありませんか?

長:ぼくは2010年に南方グループを離れるときに香港紙『明報』に「どこにいてもメディアだ」というタイトルの記事を寄稿しました。そこでぼくが言ったのは、どのような場所に行こうが、どのような立場で、どこに原稿を発表しようと、ぼくは変わらないことを自分に課していく、ということでした。

ぼくはがそこで引用したのはカフカの小説の中で描かれていた豹の話で、「豹はオリの中に閉じ込められても、彼は自分の自由をそこに持ち込んでいる。自由は彼の存在とともにあるのだ」ってね。若いころにとても感銘を受けた言葉です。だから、体制内にいても自由な気持ちを保ち続けてきたんです。そうすればオリも存在しませんから。

――ですが、中国で生活しているからこそ感じることのできる中国国内の空気や現場感みたいなものもあるんじゃないでしょうか?

長:ぼくは『陽光時務』をやっていたくらいですから、ずっと中国の出来事に注目してきましたし、メディアで働く友人もたくさんいる。当時の同僚や友人たちと毎日のように中国の出来事について語り合ってきました。それに今はニューメディアの時代ですから、微博などを通じて知ることができる。実際に、中国にいる人だって、中国のことを知るために何をしているかというと、一つは毎日微博を読んでいるわけですよ。

もう一つは、メディア関係者から流れてくる情報です。毎日多くの情報が流れてくる。現場に入っていった記者たちが流す情報――それはとても重要なんです。あとは友人たちと会って食事をすること。ほとんどの人がメディアの人ではありませんが、彼らはメディアの報道やネットの情報、さらには友達のネットワークなどもたらしてくれる。

また、最近の2世代くらいのジャーナリストたちは成長を続けていて、情報交流のチャンスも多い。そういうなかでぼくはかなりの情報を得ることができています。さらに今も国内の多くの編集者たちがぼくに意見を求めてきますし。もちろん、なんの遺憾もないというわけではありません。もし中国国内にいることができれば、もっといいわけですから。こういった、中国共産党の国境を自由を奪い取るための制約ツールとする方法には非常に怒りを感じています。

――帰国しようとは思いませんか?

長:もちろん帰国したいと思っていますよ、機会が来れば。

――その「機会」はまだ来ていない?

長:ぼくは邪魔されたくないんです。自分の時間、精力を国保(注19)との交渉に使うのがいやなんです。多くの友人たちが彼らといろいろ交渉していますが、あまり意味はない。友人たちは国保に説教したり対抗してみせて、その様子を日の下にさらしていますが、ぼくにできるのは記事を書くことに集中すること。国保と知恵を戦わせたりすることはぼくの能力の範囲ではない。ぼくにとっては彼らとやりとりすることは、精力と時間の浪費なんです。中国国内にいて、いやがらせを受けたり、行動を制約されたり、執筆を制約されたりすることは、ぼくが外国にいて現場の状況を理解できないこと以上に、ぼくの自在な思考に大きく影響するんです。
(注19)国保:国家保全局のこと。外国人に対する監視機関が国家安全保障局(国安)なのに対して、中国人に対する監視を行う。だが、実際には暴力に訴えるタイプの粗暴な対応が多く、監視される側と激しい衝突を起こすことも多い。

――今現在、多くの読者はネットであなたの文章を読んでいるわけですが、ネットは本当に中国の世論環境に影響を与えられますか? たとえばあなたの文章を海外のサイトに掲載すると、中国政府はアクセスをブロックすることでしょう。「壁越え」ソフトを使ってしか読むことができなくなる。そうした文章は、どれくらい中国国内に影響を与えることができるのでしょうか?

長:しかに中国はアクセスブロックという手段に大変に力を入れています。そのブロックにはもちろんそれなりの効果があって、情報封鎖は非常に深刻な措置だと思います。中国国内の市民の情報を「知る権利」の剥奪も非常に大きな問題です。影響力は大きく削られてしまいますね、間違いなく。

しかし、それはぼくらの「原因」ではない。それは中国共産党の「原因」です。彼らは封鎖によって人々から情報を遠ざけている。ぼくらの影響力もおかげで大きく削られてしまっています。さらにネット上の削除や封鎖などで、基本的に中国の知識在庫や情報在庫からある人物、あるいはある情報を徹底的に消してしまう。過去に活躍したぼくよりも重要で、ぼくよりも影響力のあったジャーナリスト――たとえば劉賓雁(注20)のことなど、今の若い人たちは誰も知らない。多くの人たちは天安門事件すら知らない。そうした情報隠しは効果はあると思います。
(注20)劉賓雁:中国のジャーナリスト・作家。抗日活動に身を投じ、まだ地下組織だった中国共産党に入党。中国建国後、中国共産主義青年団中央委員会機関紙『中国青年報』記者となるが、発表した記事が原因で右派とみなされ、文革中に農村に送られる。その後、名誉を回復し、中国共産党中央委員会機関紙の『人民日報』記者となる。その後、米国留学中に天安門事件が発生。政府の武力鎮圧に反対の声をあげ、帰国不能に。その後「独立中国ペンクラブ」の初代会長に選ばれる。2002年、米国で病死。その気骨ある生き方が、今も多くの中国人ジャーナリストの尊敬を集めている。

ぼくはもちろん、多くの読者に読んでもらいたいと思っている。でも、それがすべてではないんです。ぼく自身にとっては「言うべきことをきちんと話す」こと、それが最も大事なことなんです。つまり、「影響力が大きければいい」ということではない。「もっともっと多くの人が読むことができない」ということは、直接その(記事の)価値には影響しない。ぼくは読者の多さによって記事の価値をはかることはしません。もちろん、ぼくの記事にはたくさんの読者がいますが、一本の記事が議論の対象になったとか、そういうことはぼくが求めている目的ではありません。それはただ付随してきた「効果」なんです。

たとえば、微博には千万単位のファンがついている「大V」(注21)と呼ばれる人たちがいますが、すべての「大V」が言っていることに価値があるわけではありません。スターが「映画の撮影で疲れた」とかいう書き込みの後ろに、何百何千、あるいは万を超えるコメントがつくことがありますが、そういうものにはなんの価値もないわけです。
(注21)大V:VはツイッターでいうVerified、つまり本人確認済みアカウント。「大」はその結果莫大なフォロワーを持つに至ったことを指す。フォロワーの大きさで微博における情報発信の台風の目とみなされている。

――ならば、ジャーナリストとしてのあなたの目標は?

長:中国において、さまざまな境界線を打破すること。無形の、有形の、そして自分の中の(境界線)。というのも、ぼくらは成長の過程でたくさん「自分を律する」ということを吹きこまれている。そんなぼくらの心の中や、思考を縛りつける境界線や壁を打ち破り、落ち着いた、道理に沿った状態で、自分たちの気持ちを語ること――そして、ぼくの書く文章自体が言論の境界線を広げて、ぼくらの視点や思想の境界線を広げること、それがぼくが基本的に考えていることです。

◇中国政府の罠を見抜く方法
――現在、日本では多くの人たちが中国に関する情報をネットで取得しているわけですが、日本人が中国の情報を読むときに注意すべきヒントのようなものはありますか? 外国人はいかにすれば、中国の生々しい、本当の情報を手に入れることができるでしょうか?

長:ぼくは何度か日本に行ったことがあるのですが、ぼくを驚かせたのは日本の人たちが中国に大きな関心を抱いていることです。訪日中に多くのメディアのインタビューを受けましたが、日本人の中国に対する関心の高さは、欧米のそれを上回っていると思います。

欧米ではときに「白人至上主義」みたいなところが見え隠れします。あるいは「東方主義」というか、アジアを上から見るようなところがある。彼らにとって中国は、いまだに遠い存在なんです。「人道主義に立って彼らを『助けてやる』のだ」「自分たちの理想を普及させるために」といった考え方なんですよね。それに比べて日本の人たちの関心はもっとリアルですし、自然なことが多いのがいいですね。日本人は中国事情を自分たちのことだと捉えて考えているように感じます。

そして、日本のジャーナリストはとても真面目。共同通信や朝日新聞社のインタビューを受けることもあるのですが、ぼくは彼らの真剣な態度には感動すら覚えます。ただ、彼らは罠に引っかかりやすい。というのも、彼らは真面目すぎて、あまり正確でない情報――デマや噂、わざと巻かれた情報から中国の政局を分析しようとする。ですが、深く突っ込みすぎて、読み間違えているなぁ、と感じることもあるんです。ぼくからすれば、ある小さな出来事がそれほど大きな意味を持っているわけではない。それ自体がもともと不正確な情報だったり、あるいは部分的な情報だったりするわけなので。

たとえば政府が流した情報は複雑なことが多く、時にはそれが政府全体の考え方を反映したものではないこともあります。五毛(注22)や『環球時報』を政府の代弁者と見なす傾向がありますが、実は彼らは自分で考えたことを発表しているだけだったりするんです。『環球時報』の場合は特に、政府がそのテーブルの上ではちょっとはばかられるようなこと、口にできないようなことを環球が語ることもありますが、彼らが自分たちの意見を言っている場合もある。
(注22)五毛:ネット世論操作員。ネットで政府寄りの書き込みをするごとに1本0.5元(5毛、約7円)が支払われるという噂からこう呼ばれるようになった。

日本人は「小さな点」にものすごくこだわる。その「小さな点」から推測を始める。小さな点しか見えてない。それについて尋ねるときもとにかくネチャネチャと細かい。ものすごく具体的で仔細な事柄にこだわる。でもその推測はあんまり根拠のあるものではない。だから、そこから飛び出して、もっと中国の全体的な理解に努める必要があると思います。手にした情報から一歩引いて全体を眺めれば、その情報だけを弄るのとは別の結果が出てくると思うんですよ。

一方で欧米は、ときにあまりにも大まかすぎる。あまりにも(情報から)離れすぎているせいか、彼らには現実離れした話が多すぎますね。欧米と日本のメディアが抱える問題を打破するには、ともに多方面の理解を進める必要がありますね。ジャーナリストなら、そういう方法でバランスをとることは重要だと思います。中国を十分に理解し、全体を俯瞰して見れるような人に話を聞いて勉強したほうがいいと思います。

――たとえば、どなたに?

長:……ぼく(笑)。いや、これは冗談ですけど(笑)。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/furumaiyoshiko/20130928-00028474/

10月4日(金)のつぶやき その2

2013-10-05 03:11:50 | EU

「日本とは戦いたくない」これが中国の本音だ ――FRS・フランス戦略研究財団アジア部門長 ヴァレリー・ニッケ氏に聞く|永田公彦 パリ発・ニッポンに一言!|ダイヤモンド・オンライン diamond.jp/articles/-/357… @dol_editorsさんから


"日本 集団的自衛権行使 防衛力強化 努力歓迎" 米、日と共同声明 論難 japan.hani.co.kr/arti/internati…


中日新聞:廃炉ビジネス育成に新組織 知事が方針:福井(CHUNICHI Web) chunichi.co.jp/article/fukui/…

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10月4日(金)のつぶやき その1

2013-10-05 03:11:49 | EU

これが、政府主催の〝パブコメ〟の正体!秘密保全法 パブコメ数を政府に問い合わせたまとめ。blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/a…

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【特集・IWJが追ったTPP問題】IWJはこれまでTPP問題を繰り返し取り上げてきました。中継配信した動画の数は460本以上。メルマガのバックナンバー含め、取材成果を特集ページに集約しました。iwj.co.jp/wj/open/tpp @iwakamiyasumi

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【原発】規制委員会が汚染水漏れ対策で東電に他の発電所から人の投入を求めましたが、国が前面に立つなら規制庁の職員が現場に行くべき。他の発電所の安全対策が疎かになるのはもってのほかです。bit.ly/GC6OOc 

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最大の注目は、米国の内外で問題が山積する中、重要閣僚が揃って東京に姿を見せたこと。(記事より)⇒米国の東アジア重視を強調―米国務・国防長官が東京にそろい踏み on.wsj.com/1bv1jzo

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【注目記事】市民に情報を出さない、出させない!
アセスメントが公表されたJR東海のリニア計画(樫田 秀樹)
kinyobi.co.jp (浩)

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雨が降る中、前田さんのご自宅のある首都圏郊外まで、向かっているところです。RT @rainasu: 10月4日14:00頃
岩上安身による前田哲男氏インタビュー
軍事評論家に改憲問題や日米関係について聞く。 IWJ CH1 → ln.is/iwj.co.jp/chan…

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軍事アナリスト小川和久氏は「秘密保護法」の政府案を丸ごと是としているのではなく、保存ルールを徹底する等修正を望む見解だ。公務員処罰の前に、現在の甘いセキュリティのままでは米国から相手にされないと。私見:企業のPCウィルスチェック、パスワード変更、USBメモリ禁止以上に徹底すべし!

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私は軍事アナリスト小川和久氏のメルマガ購読を昨日から始めた。TV等を通じて氏が甚だ冷静に見て論理的に考える人だと知っており、集団的自衛権の問題を考える上で、立場の異なる氏の意見を聴きたいからだ。併せて秘密保全に関して、氏は日本政府のスキだらけの会議・執務を諸外国が笑う/嘆くと指摘

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?エジプトクーデター3カ月、民主化とは名ばかり軍政回帰へ
選挙で選ばれた大統領は依然不当に拘束されたまま、再び選挙で主導権を握る可能性がある同胞団への弾圧、一部放送局や新聞は閉鎖され、国営放送では軍批判が見当たらない tokyo-np.co.jp/article/world/…

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ドアホノミックス:浜矩子氏:昨日のパネルで「アホノミックスとおそるおそる言っていたが市民権を得たので今はドアホノミックスと言っている」ちなみに仏等、苗字に「ド」つく際貴族 階級であった名残と言われるから、「ド」は尊敬の意を込めてであろうね。

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福島県の子供が急性白血病で亡くなったと聞いて大変ショックを受けてます。せめて未成年だけでも福島県から他の土地 に移るように外国からも支援をしていただきたいです。大阪府N様 #ふくしま集団疎開裁判ご意見募集 p.tl/Ou96

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「国の設置許可に違法性はない」とし「原発は安全」とする判決(92年)がお墨付きを与えた格好となり、その後の原発ラッシュを後押しした→

週刊金曜日ニュース? ブログアーカイブ ? 原発産業と最高裁の不適切な関係――元判事が東芝に天下り ht.ly/psg6Z

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ブログを更新しました。 『原子力ムラと反原子力ムラ』 amba.to/18UqUOB

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これが黄砂の元。粒子は小麦粉よりはるかに細かい。 pic.twitter.com/oSuIQfUrf4

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綿花、夕陽、宋文洲。 pic.twitter.com/vi4bdfoHlj

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@sohbunshu 素晴らしい。大地、という感じですね。


@sohbunshu  この天秤。私が子供のころは、日本でも似たようなものを使っていました。


40年前に遊んだ砂漠を探してみたが、綿花畑に変えたり、「紅柳」という干ばつに強い灌木を植えられたり、昔の風景がもうない。手前は砂漠、前方は綿花畑。 pic.twitter.com/XAiOI7eNQS

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薄煕来は「薄嫌い」 business.nikkeibp.co.jp/article/world/…
薄煕来がなぜ排除されたのか。権力闘争などというものではなかったことを日本のもと商社員が書いている。


シリア内戦の複雑すぎる対立軸 goo.gl/apjpGJ @JBpressさんから


“職人”日本人と“商人”中国人は最高のパートナー ――陳海騰・東和代表取締役社長(前バイドゥ日本駐在主席代表)| 反日暴動から1年、平和友好条約締結から35年|ダイヤモンド・オンライン diamond.jp/articles/-/425… @dol_editorsさんから


化学兵器の国際管理を受け入れ急転するシリア情勢の次を読む|田岡俊次の戦略目からウロコ|ダイヤモンド・オンライン diamond.jp/articles/-/425… @dol_editorsさんから


日本と中国が争ってだれが得をするのか。せっかく豊かになりつつあるアジア。何とか議論と説得で、日中、日韓、中国とベトナム・フィリピンの間をつながねば。


強い日本をというならば、経済だけでなく、脈々と続いていく日本人が沢山いることが必要なのではないですか?ロシアでは、子供たちの全身をくまなく検査し、異常がみられたら、安全な場所に疎開させ、正常な値までもどしていたと聞きます。ロシアにできて、なぜ日本にできないのか。愛媛県A様 #疎開

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