白夜の炎

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社会主義とは何か―ハンギョレサバランより

2012-03-28 14:59:13 | 歴史
「[朴露子ハンギョレブログより] 社会主義とは何か?

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 私の住んでいた末期のソ連を振り返ると、とても情けないことが一つありました。

 ロシアという周辺部的な国家の極めて根の深いある種の「西欧コンプレックス」の発露かもしれませんが、掲げられたスローガンは常に「アメリカを追い越せ」でした。

 ソ連末期の平均的労働生産性はアメリカの約60%に過ぎず、このことは少なくとも知識人層には広く認識されていたにもかかわらず、指導者たちが常にこれを意識し、「アメリカの労働生産性に追い付き追い越さなければ、私たちの体制の勝利は不可能だ」と念を押したりしました。

 大衆的に売られる統計集にはソ米の鋼鉄生産、トラクター(耕運機)の生産台数、穀物生産などが比較・対照されており、ソ連が生産統計でアメリカを追い越す事例が生まれる度に、このことが直ちに中央放送のニュースになったりしました。

 また、そのような比較が出される度にアメリカは「先進的資本主義国家」と称されたりしました。

 レーニン主義的な社会主義に良い点はたくさんあったものの、私たちの立場から問題になるところといえば、社会主義建設の基本になるだろうと認識される「先進圏」のあの高い労働生産性、生産能力に対する行き過ぎた、近代至上主義ともいえる羨望です。

 もとよりそのような近代至上主義的・工業至上主義的部分もあったのですが、その上にさらにソ連末期の幹部層のそれとない(あるいは時には露骨な)資本主義的な性向の問題までが付け加えられました。

 彼らは公の席では「アメリカの水準を追い越す」と吹聴するものの、プライベートではまさにその「敵の米帝」で一度でも暮らしてみたいといった欲望をさらけ出したりしました。

 ロシアの慢性的な「西洋コンプレックス」、レーニン主義に基づいた「生産の先進性」の強調、そして幹部層の資本主義的な堕落―これらの要因は次第に亡国の悲劇を招く基盤を作っていたのです。

 しかし、原理原則からすれば、果たして「アメリカのように多く生産し、消費すること」が本当に社会主義なのでしょうか。

 当然、米帝から常に防御しなければならない状況で度外れな技術的後進性は致命打になりうるとはいえ、資本主義的な世界体制全体の資本力と知識力、情報力が集中したアメリカに比べ、伝統的にヨーロッパの周辺部に属してきたロシアのような国が急に生産・消費のあらゆる面で上回るということは最初から信じがたいことでした。

 ロシアもさることながら、ロシアよりさらに近代的な資本主義の発達が不十分な中国、北朝鮮の場合は、「生産競争」のみを強調するのは土台無理な話でした。

 つまり、毛沢東が大躍進運動が始まった1958年に行った演説で「20年後にはアメリカを追い抜く」と言ったフルシチョフに追い付き、鋼鉄生産部門では「15年後、我々はイギリスに追い付き追い越すことができる」と大言壮語し、あたかも「イギリスより鋼鉄をたくさん作ること」を「社会主義」の代名詞のようにしてしまったことは、甚大な誤謬でした。

 毛沢東主席の新中国建国の主導や土地改革の快挙、たとえ暴力的で多くの面において非生産的で徹底しなかったとはいえ、党内の官僚化に対する闘争や全人民のための医療、基礎教育の供給などの業績は極めて素晴らしいものでありましたが、「イギリスに追い付く」という話で誤って導かれ結局、災いを生むことになる大型キャンペーンである大躍進運動を主導しようとした毛沢東は、社会主義者というより、むしろ「超高速近代化」だけを切望する後進国民族主義的な指導者に遥かに近かったといえます。何故なら、社会主義社会においては鋼鉄をいくら生産したかよりは、その鋼鉄を生産した「人間」がどのように生きているかが問題だからです。

 社会主義的な生き方は、資本主義的な生活より豊かなものでは絶対にないでしょう。

 地球の資源にはどうせ限りがあるし、社会主義者たちの課題は、この資源を早く使い果たして私たちの世代の消費を無制限に増やすことではなく、限られた資源をできるだけまんべんなく平等に分配し、その限られた資源を利用する共同体内を民主主義と思いやり、そして生きる喜びで満ち溢れるようにすることです。

 たとえば、米帝と自動車の生産台数を比べながら、「私たちがもっとたくさん作る」と誓うよりは、社会主義国家は自動車を最小限に必要とする、大衆交通優先の社会を作っていくべきではないでしょうか。

 農民など自動車を本当に日常的に必要とする一部を例外にし、都市では大衆交通網、特に環境にやさしい地下鉄、電車などの拡充に焦点を当て、ラッシュ時に止むを得ず自動車を必要とする人々には10~15世帯による自動車共同使用などを積極的に勧めることが、最も社会主義的ではないでしょうか。

 資本主義体制の目的は自動車生産による資本の利潤最大化であるのに対し、私たちの目的は環境保全と交通事故率の最小化、石油などの資源の保存、そして個人が常に社会に頼れる安定した思いやりのある社会的環境の造成ではないでしょうか。

 目的がまったく異なるだけに、社会主義的社会を資本主義的な思考の枠組みにおいて想像しても無駄であり、ソ連や中国の指導者たちが資本主義的「生産至上主義」を乗り越えられなかったのは歴史の悲劇にほかなりません。

 米帝から自己を守らなければならなかったソ連や1970年代以前の中国は、当然ながら労働生産性の向上などを強調せざるをえませんでしたが、実は社会主義体制では「労働者」としての人間ではなく、全人的な人間の発展が重要です。

 人間がいくら多く生産するかよりは、労働環境がどの程度快適なのか、休み時間は充分なのか、休み時間に音楽や舞踊、読書などを楽しみながらいかに自分を啓発し他人のために自分の能力を発揮できるのか、職場内の人間関係はいかに平等で互いに気を配りあっているか、これらが社会主義社会としての核心的な問題です。

 実際、このような次元では旧ソ連や東欧圏の社会は資本主義国家に比べ遥かに進歩した社会でした。


 総人口の内、年間約2千5百万人が精神神経科に助けを求め、しかも約6百80万人が牧師や神父などに神経病や慢性的な不安、心理的疾患などの問題で助けを訴えるほどに「効率性向上」への圧力が殺人的でいじめ現象が痼疾化し、常に解雇の危険にさらされているアメリカの職場に比べれば、ソ連の職場はとても陽気な所でした。

 両親を始め私の知っているいかなる既成世代のソ連人も職場での疲れ過ぎ、不当な圧力、いじめなどについて不平を言うのを一度も聞いたことがありません。

 両親も会社に行く時はいつも笑いながら、楽しく通っていました。つまり、労働生産性はアメリカに比べて遥かに低くても、労働者の生活は多くの面で遥かに楽しかったのです。

 問題は、欧米圏の資本家たちをベンチマーキングして窮極的には資本家になろうとした旧ソ連の幹部たちには、「幸せな労働者」が必要だったのではなく、「早く早く」より多くの物を生産するロボットのような労働者たちが必要だったということです。

 そのため、実際に労働者の生活はアメリカに比べて遥かに「社会主義的」だったにもかかわらず、指導層の「アメリカを追い越せ」の注文は絶え間なく叫ばれ、遂にアメリカに追い付くこともなく今のような欧米圏の経済的、文化的植民地に墜落してしまったのです。

 私は北朝鮮の指導者たちが「強盛大国」を叫ぶ度に非常に残念な気持ちになります。社会主義者なら「強盛大国」などより、思いやりと愛があり幸福あふれる社会を願う筈です。ひとりひとりが尊重され互いに思いやり愛し合う唯一の体制がすなわち社会主義だからです。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/42845 訳J.S」

保安院と電力会社の欺瞞-田中龍作ブログより

2012-03-28 14:50:43 | 原発
「「保安院は電力会社の意向を尊重し、原子力安全委員会は保安院の報告を了承する。

 この国の原子力安全行政は電力会社のいいなりだ」。

 筆者は繰り返し指摘してきた。27日、国会内(参院会館)で開かれた大飯原発の再稼働をめぐる環境団体と政府の交渉で原子力安全・保安院自らがそれを認めた。

 問題となったのは、大飯原発3・4号機が地震に襲われた際、制御棒が原子炉に挿入されるまでの時間だ。時間がかかり過ぎると揺れで入らなくなり、原子炉の暴走につながる恐れがある。

 耐震安全性評価の中間報告(2010年)で保安院が了承したのは、「700ガルの揺れで、挿入されるまでの時間が2・16秒」だった。幾度も審議を重ねた結果の数字である。

 ところが今月13日に開かれた原子力安全委員会のストレステスト検討会に保安院から提出された書類では「1・88秒」と短縮されているのである。

 最近になって危険性が指摘されるようになった活断層の連動を考慮して、数字を「差し替えた」と考えるのが妥当だ。安全対策上イカサマ極まりない。

 環境団体が保安院を問い詰めた。交渉が国会内でなかったら保安院は頬かむりを決め込んでいただろう。

 環境団体の執拗な追及に逃げ切れなくなった保安院・原子力安全操作基盤課の田口達也班長は、「関西電力が評価したものを(安全委員会に提出する書類に)載せた」と力なく答えた。操作された数字であることを認めたのである。理由を聞かれると「審査の過程でこういう情報(1・88秒)を関西電力から得たので載せた」。

 日本の原子力安全行政が、電力会社と保安院によるイカサマ審査で成り立っていることが明らかになった瞬間だった。

 環境団体は田口班長に「公文書から、この数字(1・88秒)を削除してください」と厳しく要求した。

 「検討します」。田口班長は薄ら笑いを浮かべながら答えるのだった。

 昨日(26日)は、瓦礫の広域処理をめぐって環境省のウソが発覚している。安全神話がそうであったように、この国の原子力安全行政はウソで塗り固められているのか。」

(タイトル写真は大飯原発)

薄煕来・続報

2012-03-28 13:52:38 | アジア
「薄煕来氏失脚 妻、側近ら相次ぎ拘束 重慶で“粛清”始まる

2012.3.28 00:54

 【北京=矢板明夫】(http://sankei.jp.msn.com/world/news/120328/chn12032800550003-n1.htm)

 中国共産党中央に重慶市党委書記を解任された薄煕来氏は汚職や職務怠慢などの疑いで共産党機関の調査を受け続けており、結論はまだ出ていない。

 しかし、その妻と側近たちは27日までに次々と汚職などの名目で拘束されている。薄氏の影響力を排除するための“粛清”が始まっているもようだ。

 共産党筋などによると、薄氏の妻で、弁護士事務所を開業している谷開来氏は薄氏と同じ頃に党中央規律検査委員会から実質の拘束となる「双規」(規定の時間、場所で疑いのある問題に関して説明を求めること)を通告された。(双規については→http://hrk-ent.com/cninfonow/061015.htm)

 同筋は「容疑が固まれば、今秋の党大会直前に開かれる第7回中央総会で、薄氏の政治局員の資格が剥奪される可能性がある」と指摘する。

 27日付の重慶日報によると、薄氏を支えた重慶市議会議長にあたる陳存根・市人民代表大会常務委員会主任は26日に同市党委員会の常務委員を解任された。

 この人事は陳氏が兼務していた同市の党組織部長をまもなく解任されることを意味する。薄氏一派は重慶における人事権が奪われた。後任には重慶と全く関係のない寧夏回族自治区の幹部が起用された

 薄氏の遼寧省時代の部下で腹心の一人として知られる呉文康・重慶市党委員会副秘書長は薄氏が解任された後、同市の重要会議をすべて欠席し行方がわからなくなった。当局に拘束された可能性が高い。

 さらに、薄氏のマフィア一掃キャンペーンを推進した王鵬飛・渝北区副区長や夏沢良・南岸区党委書記らも相次いで党の規律検査委員会関係者に汚職などの名目で連行されたことは中国メディアの報道で確認された。

 関係者によると、重慶市では5月に市の主要人事を決める党代表会を開く予定。

 薄氏に近い幹部の多くはこの会議で更迭されるとみられる。薄氏と良好な関係にありながら、事件後、党中央への忠誠を誓い、事態の収拾に尽力した黄奇帆・重慶市長の処遇が注目を集めている。

 日本に滞在した経験のある中国人の知人に、「日本は政治家がたびたび代わって落ち着かない」と嘆いたところ、「日本では法律や決まりができれば指導者が代わってもそれを守る」と返されたことがある。

 今回の重慶の一件を見ていて、日本の政治の不安定さはそれはそれで考えるべき問題が多々あると思っているけれど、なるほど中国の場合は、政治の安定、指導者の安定が重要なのだと、痛感させられた。

3月28日の放射線量・雑感

2012-03-28 13:27:59 | 放射能
新潟県内、室内で窓締め切り。天気は曇り。

0.08μ㏜/h。


天気悪し。昨日は温かかったが、今日は寒い。

曇りや雨・雪のおかげが、花粉のことはほとんど話題にならない。

ここでの放射線量も室内のことなので、外のことは不明。

一度建物の外で放射線量を測ってみよう。

ところでタイトル写真にあげている、独立事故調の「報告書」売れているようです。

普及するといいですね。